第5日目(8月20日)
ミズリーナからドロミテ山岳地帯を横断するハイライトで西のボルツァーノまでゆく。
今回のツアーのように3カ国に跨る行程のときは、全体を見通すことの出来る地図を手元に置きたい。欧州ではTABACCOから「ドロミテ山岳地帯とチロル」という地図が売り出されていることを知った。ザルツブルグを出発し、山岳道路を突っ走りミズリーナへ、コルチナダンベッツォ−ポルドイ峠などの山岳地帯を横断し、ボルツァーノに至る。さらに東へサンモリッツを経由し、コモ湖畔を巡ってルガノへと国別地図では一覧できないものが、このキャンピング旅行のため地図では用意されている。これは大変役に立つ。大都市のホテルにはたいてい市街図がフロントに用意されているものだが、この山中では近郊とは山々の全貌のことだ。観光案内所まで足を運ばなくても、ホテル内でかなりの情報は得られる。見知らぬ土地へ行ったらまず地図という反応が旅を楽しく計画するだろう。
今日の行程、この区間がドロミテツアーのハイライトになるはずだが、あいにくのことに雨続き、残念至極。
ホテルはややゆっくり出発。ファルツァーゴ峠。トイレ休憩するも小雨で視界全く不良。ドロミテ(ドロマイト)は炭酸カルシュームや炭酸マグネシュームからなる石の名前で白っぽく崩れやすい。、崩れて流れる様はあたかも氷河のように見える。雨による浸食で奇形が出来やすい地域だ。世界の奇岩地帯も同じように水に浸食されやすい岩石が原因だ。
1時間ほどで最高の峠、ポルドイ峠(2239m)到着。小雨。最高峰のマルモダーラ山(3342m)全く見えない。そこにあるのかどうかも不明の状態。昼食は珍しく日本人の口に合う味。この時期に訪れる日本人観光客も少ないようだ。
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ポルドイ峠 |
雨の中をロープウェイでサスポルドイ(2950m)へ登る。かなり急な昇降だ。山頂がかすんだり地上がかすんだり、雲はかなり早く動いている。パンフにはすばらしい山々の景観が楽しめますとあるのだが。山頂で休んでいるとまず雪が降り始める。ついで雷が鳴り出し停電、ロープウェイも動かず足止めを食う。雪の中をで歩き回ることが禁止されたのでただ待つのみ。遭難防止のためか。3000m級の山だから無理はない。30分ぐらいで回復、急いで降りる。なかなかおもしろい体験だった。これは降りられたからいうのではなく、山頂で考えたこと。身に危険が迫るという感じでなかったからだろう。
コスタルンガ峠を越え、カレッツァ湖(1530m)へ着く。背後にラテマール山群。湖は風などがないと鏡のように景色を映し出すことで有名だそうだが、今日は小雨。あまりきれいには反射してくれない。浅い水面にスカーフを持つ裸女、イタリア人好みか。
決められた日程で旅行すると、好天気に恵まれる日ばかりとは限らない。長期滞在ならばまた来てみるということも可能だが、多くの場合これが最初で最後ということになってしまう。
猟師姿のミイラが氷河に凍結保存されていたのが掘り出され、アイスマンさという別名を持っているそうだ。そのあたりの山岳道路を抜け、ボルツァーノに着く。ホテルは
パークホテル・ラウリン。
夕暮れの中をすぐ街に出る。今日は土曜日なので店は閉まっている。街の観光はそれほどおもしろくない。雨も降っている。やはり写真は無理か。撮影後の補正に頼ることにして写真を撮る。
夕食は割合グッド。船場の人たちとバーラウンジへ行く。それにしてもよく飲む若大将だ。奥さんも。
第6日目(8月21日)
レノン高原とボルツァーノ市内観光の日。
ヴァルダー広場横にあるドゥオモへ入場した後、ロープウェイ、高原電車で15分ほどのコッラルボへ。さらにバスでカッパドキアに似た
ピラミデ
を求めて走るも霧で見えず。パンフの写真を付す。 ホテル・
ベメルマンで昼食後再び挑戦するもむなし。残念!ホテルの壁にはフロイドが訪れたことが記されている。どうも徹底的に雨と霧に悩まされているようだ。本来なら広がるドロミテの景観が望めるはず。
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高原鉄道 | 奇岩ピラミデ | レストラン・ベメルマン |
下山後荷物を置いて市内観光。市内といっても古い建物をいくつか見て回るだけのことだから、それほどおもしろいものではない。ああそうか、と思うだけ。アイスマン博物館へ行くも長蛇の列であきらめる。
夕食はフリーだったが、船場の人から誘われ、久しぶりに白米の日本食をごちそうになる。といっても客室で煮物・焼き物が出来るわけはないから、佃煮と漬け物だけだが。調理道具をそろえて旅行とは大変なことだが、旅慣れている感じ。
ミズリーナ → ポルドイ峠 → カレッツァ湖
→ ボルツァーノ ←→ レノン高原