60歳からの生き方

2016.9.3

私は、60歳から完全にリタイアした。仕事も探したが、年金やらなんやらでなんとか生活できてみるとそれほど仕事をしたいとは思わなくなった。

私が60歳からの方針として考えたのは次の三つである。

一つ目は運動を毎日すること。

二つ目は精華町に根付くこと。

三つ目は夢を追うこと。

運動すること

★退職した四月一日からウォーキングをし始めた。精華町をよく知るためにもあちこちコースを作って歩いている。なぜか私は炎天下が好きで真夏でも午後2時半にウォーキングしている。男の日傘は必須である。64歳から「古都旅歩き」を発願し、毎週京都の町を歩き回っている。おかげで脂肪肝がすっかり消えた。

★60歳の6月から、ジムにいって週に二、三回プールで泳ぎはじめた。始めは一日で300メートルほどだったのが、現在では一日1000メートル泳げるようになった。おかげで何をしても息が切れることはない

★63歳から週一回の卓球をするようになった。ほとんどが65歳以上の人ばかりであるが、私が一番体力がない。しかし、だんだんうまくなってきたのがうれしい。ラケットも買ってラバーも自分ではった。目指すはカットマンである。最近オリンピックを見てからラケットを振り回しすぎて、右肘が「テニス肘」になって痛い。

★同じく63歳から毎朝スクワットをするようになった。一年くらいは連続20回もすると太ももが痛くなったが、現在は連続50回、60回できるようになった。もっと増やすことも可能だが、肉離れがこわい。

★今はインナーマッスルと足の内転筋を鍛えるように工夫している。インナーマッスルと内転筋はいい姿勢を維持するのに大切なところだ。手を後ろに組まずに若々しい姿勢で歩くのが今の目標である。

★土曜と日曜には、家内と植物園めぐりをしたりバラの季節にはバラ園めぐりをする。そういうときは必ず一眼レフなどのカメラを持っていって写真の作品作りをする。私も家内もバラが大好きなので、バラ園を歩き出すとかなり真剣に見る。だからぐったりと疲れる。

精華町に根付くこと

★61歳から精華中学のシニアスクールに行っている。シニアスクールとは平日の昼間に学校の空き教室で地域の講師がいろいろと教えてくれるというものである。講座は15ほどそろっている。私は主としてコーラスをがんばっている。

★62歳から、精華町の写真クラブに入れてもらった。うまくもにないのにカメラばかり買い換えて将来は博物館ができそうである。
文化サークルの発表会では写真の展示もして受付に座らせてもらったりした。カメラはキャノン60Dから5Dマーク3ときて現在はソニーのα6300である。

★62歳から精華中学の収穫祭の実行委員を頼まれて現在も続けている。収穫祭は、学校・PTA・地域・生徒会合同の祭りである。
管理職としてこういう場には何度も出席したが、地域の一員として出席するのは、気持ちが全然違う。地域の一員として出るのはとっても幸せな気持ちになる。私は管理職として地域の会議にも出たが、地域の人たちはこういう気持ちだったんだろうなと思う。

★今年の6月からは精華中学の学習ボランティアをやっている。毎週月曜の放課後が補習の日で、私は一年生の数学を見ている。
夏休みには7月に四日間、8月に四日間の集中講座があり、これにも参加した。こんな形でもう一度中学生とかかわることができるなんて思いもしなかった。

楽しくてこういう場を私に与えていただいたことに感謝している。

運動することと、地域に根付くことはおおむね実現してきている。

夢を追うこと

★61歳の時にアマチュア無線を再開した。ついでに2級の無線技士の試験も受けて見事合格した。無線機などもすべて新品をそろえた。高校の時の夢が40年越しによみがえった。

★夢を追う最たるものは小説を書くことである。題材は無限にある。少年の日や青春の日々、教員生活など、さらには歴史に遊ぶことも自由である。うまくもない小説であるが、私の人生をこれほどまでに豊かにしてくれるとは本当にいい趣味をもったものだと思う。

★あるとき、私は社会の先生だったことを思い出した。そうだ、自分はいつか歴史を勉強したいと思っていたのではなかったか、と自問自答して目覚めた。今は京都を中心とした歴史の勉強をしている。小説の勉強としては「今昔物語」が実におもしろい。私の心の奥底に眠っていた夢を追う毎日である。


★退職したらメダカを飼おうと決めていたから、60歳の5月にメダカを20匹買ってきた。全部死んだ

次は金魚を2匹買ってきた。買ってきた時は4センチくらいだったが、今は2匹とも15センチほどになって一向にかわいげがない。おまけによく食べる。現在5年3ヶ月生きている。

金魚が庭にいると、えーと世話しなきゃといつも気持ちがそこにいく。これはけっこうぼけ予防になると思う。

★64歳のときに中学時代のエレキギター友だちと交友を再会できた。それから2ヶ月に1回のペースで友だちの家にエレキギターをもっていって二人で合奏を楽しんでいる。二人ともベンチャーズが好きなので話がよくあう。二人でエレキを弾いているときがむちゃくちゃ楽しい時間なのである。私がリードギターをする曲もあるし、友だちがリードギターをする曲もある。幼友達とこんな時間が持てるなんて本当に夢のようだ。


その他

62歳から毎日の夕食作りを担当している。スーパーに行っても、何が不足しているかが頭に入っているからちゃんと考えて買う。

料理は基本は煮物である。肉と魚は一日おきにする。高野豆腐はよく使う。料理は一見面倒くさそうに見えるが、その所作を楽しむ気になればこれほど楽しいものはない。片付けもしたあとは実に爽快である。

なにより、私と家内の命の一端を預かっているから責任も感じるし張り合いもある。

退職後は、生きるための所作が楽しくて夕食作りは全く苦にならない。なによりぼけ予防としてこれほどいいことはない。

私のモットー

笑顔を絶やさず、うつむかない