第一話 少女の苦悩<Sayuri's side>
渡せるだろうか。いや、渡してもいいのだろうか。彼女は数日前からそんなことばかり考えていた。
受験や卒業を控えたこの時期、わざわざ学校へ行く3年生はあまりいないのだが、今日だけは別だった。
2月14日、バレンタインデー。
舞と一緒に登校している時、そのことを改めて実感した。
いつもはほとんど見かけないはずの紫のタイが、所々で見かけられたからだ。
そういえば、舞はチョコレートを持ってきているんだろうか。少し気になった私は、それとなく舞に訊いてみる。
「そうだ、舞。チョコレートはちゃんと持ってきた?」
すると舞は少し考えた後、こう答えた。
「…何で?」
予想外の答えが返ってきたので、私は少し驚いた。舞は今日が何の日なのか忘れているのか、それとも本当に知らないのだろうか。気になった私はまた訊いてみた。
「ねえ舞、今日が何日なのかは分かるよね?」
「…2月14日」
「じゃあ2月14日が何の日かは知ってる?」
「…バレンタインデー」
どうやら知らないわけではないみたいなので、私は舞がチョコレートを忘れたのだと解釈した。その証拠に舞は「ああ、そうか」という顔をしている。
「じゃあ今からお店に寄って買いに行こうか。それとも学校の調理室を借りて昼休みにでも作る?」
そう訊くと舞は「学校で作る」と言った。
「そうだよね。せっかく祐一さんにあげるチョコレートだもんね。手作りの方がいいよね」
びしっ。
すると、舞が私の頭を軽くちょっぷする。
「照れなくてもいいのに〜」
びしっ。
私がそう言うと、舞はまた私にちょっぷする。けれどもその表情は不快というわけではなく、どこか嬉しそうな感じだ。
こんなに嬉しそうな舞を見るのは珍しい。嬉しそうな舞を見ると、私も嬉しくなってくる。
だからこそ、私は悩んでいるのだ。今、カバンの中に入っている2つのチョコレートの内の1つを渡すか否か。
考えてみれば、私が3つもチョコレートを作るのは生まれて初めてだった。
毎年、お父様にあげる物を1つ、舞にあげる物を1つ。それ以上作ることはなかった。
ところが今年は3つ作った。
その理由は、祐一さん。私は少なからず彼に好意を寄せている。友達としてではない、1人の男性としてである。つまり私は祐一さんに恋をした、と言ってもいいだろう。
だから私は今年、例年より1つ多くチョコレートを作った。
しかし祐一さんは私の無二の親友である舞の想い人であり、また祐一さん自身も舞を想っているはず。
だから私のこの恋は報われない。それは分かっている。
けれども何もせずに終わってしまうのは、少し寂しすぎると思ったのだ。
3人の今の関係が嫌なわけじゃない。私の行動によって今の関係が崩れてしまうのであればそれは当然不本意だし、祐一さんにチョコレートを受け取ってもらうこと以上のことを望んでいるわけでもない。
それでも、もし、万が一、祐一さんの心が傾くようなことがあったら……。それは私の望むところではない。
何もせずに終わりたくはない。でも今の関係を崩すのは嫌だ。
矛盾しているのは分かっているけど、それが私の今の気持ちだった。
「…佐祐理?」
舞が立ち止まって、心配そうに私の顔を覗いてきた。
「…どこか悪いの?」
どうやら私が考え込んで下を向いていたので、舞は気分が悪くなったのだと思ったらしい。
「ううん、ちょっと気になることがあっただけ。何もないよ、大丈夫だから」
私が笑ってそう言うと舞は安心したのか、再び歩き始めた。私も舞の隣を歩く。
そうだ、今のうちに渡しておこう。そう思った私は自分のカバンの中からチョコレートを1つ取り出す。
「はい、舞」
そう言って舞にチョコレートを渡す。
「…ありがとう」
少し照れながら舞は私の手からチョコレートを受け取る。
「…私は、後で作って渡すから」
舞は少し申し訳なさそうに言った。バレンタインデーにお互いのチョコレートを交換するのは、私と舞が出会ってからは2人の恒例となっていたのだが、肝心のチョコレートを忘れては、渡したくても渡せない。
「いいよ、舞。そんなに急がなくても。だってまずは祐一さんに…」
びしっ。
私が言い切る前にちょっぷが飛んできた。
「…祐一は、関係ない」
「あはは〜、そういうことにしておきますね〜」
丁度その時だった。
「何が関係ないんだ?」
いつの間にか、私達の後ろに祐一さんがいた。
「おはようございます、祐一さん」
「おはよう、佐祐理さん。…舞は挨拶なしなのか?」
祐一さんが少し意地悪っぽくそう言うと、舞は静かに挨拶をした。
「…おはよう」
「うむ、いい挨拶だな。おはよう、舞」
そう言って祐一さんは舞の隣を歩く。
そして3人で学校に着くまで世間話をする。これも、私達の日課みたいになっていた。
しかし、どうしてだろうか。祐一さんはこの時、今日がバレンタインデーだと言うことに触れなかった。
別に何でもないことだったのかもしれないが、私はそのことが妙に気になった……。
続く…
<Yuichi's side>へ続く
あとがき
ごきげんよう。最近、それなりにハイペースで投稿したりしてる要です。〆切には間に合いませんでしたがw
とりあえずまずはSSの説明でしょうね。
予告通り、佐祐理さんのお話です。厳密には『舞&佐祐理さん』になるのかな。
シリアス短編ものにしようかと思ってたんですが、書いていく間に「長編にしようかな」と血迷ったことを考えてしまい、僕の作品では初となる長編SSとなりました。
まあ僕自身、このSSで試したいことがいくつかあるので。そういう意味では、怪我の功名かもしれません。
…そういえば今更気付いたんですが、佐祐理さんってこの時期は魔物に襲われて病院にいたような記憶が…。まあいいや。完治したってことでw
あと、物凄く中途半端なところで終わらせてますが、これはわざとです。こういう感じにした方が、次回への期待が高まるかもしれませんし。
どうせですから他のキャラも出していきたいですね。名雪、秋子さん、香里、北川は近いうちに出ると思います。
問題はあゆ、栞、真琴、天野あたりですよね。原作と照らし合わせても引っかからないようにしたいから…。今のうちに考えておかないと。
まああゆだけは既にネタが浮かんでいるんですけど。
思い切ってONEのキャラをゲスト出演させてみるのも面白いかも。裏設定もあるし、なんてったって折原なんですから。(謎)
ちなみに次回は、同じ時間軸の話を舞の視点から見た話にすると思います。その次は祐一の視点から。ぶっちゃけ、これで稼ぎますw
稼ぐ、というか1話を3通り書くといった感じになります。だから次回のサブタイトルは『第一話 少女の苦悩<Mai's side>』です。
それぞれの視点から書きたいなと思いまして。
普通、主人公かヒロインか第三者か、これのどちらかの視点で書かれますけど、それじゃあ表現し切れない部分ってあると思うんですよ。
だから長編SSで、なおかつ1話につき3パターン書くわけです。これも前述の『試したいこと』の1つでもありますからね。
不評ならやめるでしょうし、音沙汰なければ続けるつもりです。
まあ何とかなるでしょう。と言うか何とかしますよ、はい。
さて、いつもならここで恒例の近況なんですけど、今回はパスします。どうせ同じことを書くんだろうし。
まああえて書くなら、10万円返せってことくらいですね。(分からない方は『First Summer Vacation』を読みましょう。後書きにヒントがあるので)
最後に。今回もこんな作品を最後まで読んでくださって有難う御座います。
これから先、どんな話になるのかはまったく分かりませんが、どうか暖かい目で見守ってください。
2004.2.23 教えてせんせいさん(瓶詰妖精OP)を聴きながら
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