第4話
寝たと思ったら、次の瞬間には目が覚めていた。
こっちは夢と現実のどちらなのだろうか?
どちらにしろ夢なら冬休み、現実なら夏休みなのだから慌てることもない。
まだ寝足りないから、寝ていることにしよう。
そう心を決めて、再び布団にもぐりこむ。
「祐一〜?」
そんな俺の眠りを妨げようとする迷惑な声がする。
「なんだ、名雪かぁ?」
それは名雪の声だった。
「こんなに朝早く珍しいな、明日槍でも降らす気か?」
名雪が俺より早く起きるということはほとんどない。
二、三ヶ月に一回あるかないかだ。
「むぅ〜、そんなことないよ〜…」
名雪の不満そうな声が聞こえる。
そちらへ向き直って、重いまぶたを少しだけ押し上げた。
「そうか、それなら良い。とりあえず俺は寝なおすから、そっとしておいてくれ」
と、寝返りを打って、名雪に背を向ける。
でも、簡単に引き下がってくれる名雪ではなかった。
「ちょっと祐一、起きてよぉ〜」
ユサユサと俺を揺する。
始めのうちは諦めるまで待とうと思っていたが、一向に諦める気配はなかった。
仕方なしに、もう一度向き直る。
「何だよ、何か用か?」
大分意識がハッキリしてきてしまい、目は完全に開かれた。
俺の眼前にいる名雪は………子供のころの名雪だった。
猫を抱えて涙目になりながら、赤くなった鼻をすすっている。
俺のせいではないにしろ、涙を流している名雪を見ていると言い知れぬ罪悪感が沸いてくる。
「遊びに行くって言ったよ、今日…」
あ、そうだった。
夢の、子供の俺は名雪と遊びに行く約束をしていた。
それに現実の、今の俺は俺で名雪と遊びに、もといデートに行く約束をしていたんだっけ。
すっかり忘れていた。
「むぅ〜、祐一、忘れてたでしょ?」
名雪はちょっとだけ唇を尖らせた。
やめてくれ、その顔で拗ねないでくれ。
俺に勝ち目がなくなる…。
「ああ、それなら予定変更だ。今日はゆっくりと休養をとろう…」
と言って目を閉じて、また背を向けた。
かろうじて、勝負をタイにまで持ち込む。
涙目の名雪に勝てる自信はない。
「うぅ〜、約束……」
恨めしそうな声を上げる名雪。
「ま、また今度な…」
目を閉じても、名雪の優勢だった。
でも、俺も眠たくて仕方がない。
というより、子供の俺が眠たくて仕方がないらしい。
夜更かしでもしたのだろうか。
とにかく、負けるわけにはいかなかった。
だから、断固として起きないでいるつもりだった。
「起きないと、上に乗っかるよ?」
実力行使に出る名雪。
名雪にのしかかられて、起きないでいる自信はない。
でも…。
「お好きにどうぞ…」
やはり、起きる気にはならない。
そんな俺の返事を聞いて、どういうわけか名雪は嬉しそうに言った。
「うんっ、じゃあ、失礼します…」
俺の背中でごそごそと音がする。
ベッドの足の方が沈み込む。
名雪がベッドに乗っかってきたらしい。
どうやら、本当にさっきの発言を実行するらしい…。
でも、乗っかってきたところで振り払えば良いし、さして問題でもない。
そして…。
「えいっ」
本人にしてみれば勢いをつけた、こちらが聞けば間の抜けた声と共に、ベッドの沈みが元に戻る。
次の瞬間、俺の脇腹に衝撃が走った。
ドスッ
「ぐはっ…!?」
衝撃の割に、音は小さかった。
ベッドのやわらかさで、少しだけ衝撃が和らいだのだろう。
でも、俺のダメージは、完全に意識が覚醒するには十分だった。
しかも、名雪は俺の上に乗ったままだ。
「祐一〜、祐一〜♪」
名雪は涙を流しながら、楽しそうに俺の上で小さくはねる。
そのたびに、俺の腹はダメージを受ける。
「名雪ぃぃぃ、降りろぉぉぉぉ!!」
必死の叫びをあげて、名雪を振りほどこうとする。
結局、自力で振りほどくのは無理で、名雪のほうから降りた。
「はーっ、はー……」
息も絶え絶えになっている。
こんなにもスリリングな起こされ方をするのは初めてかもしれない。
そんな俺を慰めるかのように、子猫が俺の手をなめていた。
「死ぬかと思った……」
本気で…。
「ひどいひどい、私、そんなに重くないよぉ〜」
名雪の非難の声。
実際、名雪はやせ形な方だから、それほど重いはずもない。
だが、その頃の俺と名雪の身長の差は皆無に等しい。
ヘタをすれば、髪型の分だけ名雪の方が高かったような気もする…。
いや、それはありえない!
幼き日の自分の自尊心にかけてっ!
「でもなぁ、上からのしかかられれば重いものは重いんだ!」
ようやく整ってきた息で、そう吐き捨てる。
しばらく名雪は不満げな顔をしていたが、急にニッコリと笑って言った。
「でも、これでちゃんと起きたね、祐一っ」
「あっ…」
やはり、結局起きてしまった。
何はともあれ、名雪の望みどおり…。
「…おやすみ…」
「あ〜、寝直しちゃダメだよぉ〜」
再び布団の住人になった俺を揺する名雪。
「もう一回乗っかるよ?」
半分、死刑宣告にも似た調子で言う名雪。
いや、そう聞こえた。
「…すみません、もう起きます…」
早々と降参して、布団からはい出る。
二度もアレを食らったら、さすがにマズイと思った。
「うっ、寒いなぁ…」
パジャマの上から半纏を着ている名雪と違って、寝巻き姿の俺に冬の空気は厳しかった。
カーテンを開けて窓の外を眺めれば、ものの見事な雪景色。
日の光を受けて輝く白銀の世界が広がっている。
真っ青な空の色に、よく映えていた。
「さて、目も覚めちまったし、遊びに行くか?」
振り返って名雪に問いかける。
「うんっ!」
猫を胸元に抱きかかえながら、名雪は弾むように返事をした。
そうと決まれば…。
「名雪、出て行け」
「えっ?」
「いいから出て行けって…」
一方的に、名雪が外に出るように促す。
「あっ、祐一、また寝る気?」
「違うよ」
できるならそうしたいが、再び生命の危機におちいるのはゴメンだ。
「じゃあどうして?」
「お前…、俺の着替えが見たいのか?」
「あ……」
どうやら気がついたらしく、名雪の方から出て行った。
なんだか、今と変わらないなぁ…。
進歩がないということか?
着替えをすませて部屋を出ると、下におりる前に名雪の部屋をノックする。
「おい名雪、着替え終わったか?」
「うにゅ〜、まだだよ〜…」
中から眠そうな鼻声が聞こえてくる。
「もしかして、人にあれだけのゴウモンをしておいて、自分が寝てたんじゃないだろうな?」
名雪だったらありえる。
「違うよ〜…」
「そうか、じゃあ早く着替えろよ、ここで待っててやるから」
女ってのは、着替えに時間のかかる生き物だからな。
そんな、知ったかぶった理論で納得する幼い俺。
「うん、ありがとうだよ!」
………。
……。
…。
どれだけ待っただろう。
名雪が出てくる気配はまったくない。
さっきから、どんなに短く考えても十分は待っている。
「おい名雪、遅いぞ、何やってるんだ?」
さすがに我慢できなくなって、もう一度ノックする。
反応がない。
まさか…。
「名雪、あけるぞ」
扉を開けて、中に入ると…。
「やっぱり…」
そこには、猫に頬擦りしながら、幸せそうな寝息を立てている名雪の姿があった。
当然のことながら、腹が立った。
このまま自分の部屋に戻って寝ようと思っても、寝られそうにない。
目の前で平和そうな顔しながら眠っている眠り姫のせいで、俺の意識は完全に覚醒していた。
というわけで、とりあえず頬をつついてみた。
柔らかい…。
「うにゅ〜…」
奇妙な寝言を吐いて、起きる気配はない。
何だか面白いので、今度は引っ張ってみた。
「うにゅにゅ〜、いひゃいお、ゆういひ〜……」
「おっ、起きたか?」
「う〜ん…、おきたよぉ〜…」
とは言ったものの、寝ながら返事なんてのは常人には不可能な、名雪の得意ワザだ。
多分、まだ起きてはいないだろう。
子供のころは冬休みに来るたびに、今は毎日手を焼いている、いや、毎日手を焼いていた。
今は目覚まし時計の(俺は使うなと言っているのだが)のおかげで自分で起きることも、まだまだ少ないが増えてきた。
でも俺は、名雪を起こす際のワザを習得していない。
どうやって名雪を起こそうか…。
「!」
そうだ、これなら起きるに違いない。
「………」
俺は声を潜めるようにしながら、ゆっくりと胸の前で組まれた名雪の手をどけた。
そしてゆっくりと名雪の胸元へ手を伸ばし、そこにあるものをつかんだ。
……決してワイセツじゃないぞ……。
小学生でそんなんだったら俺は救いようがないし、第一、このころの名雪に胸があるはず……(ブツブツ)
と、子供の俺が行った行動に、俺がブツブツと言い訳をしているうちに名雪は目覚めた。
効果覿面。
俺が腕に抱えているものに手を伸ばした。
「祐一、猫返してよ〜…」
寝ている隙に取り上げた猫に反応したようだ。
だが、俺は猫を抱き上げて部屋を出て行く。
「早く着替えろよ、先に下りてるからな」
後ろに「うぅ〜…」という名雪の非難の声を浴びながら、扉を閉めた。
「お前の飼い主も困ったもんだな」
腕の中で丸くなっている猫にでも話しかけるようにつぶやいた。
そいつは知って知らずか大きなあくびをしてモゾモゾ動き、居心地の良い場所を見つけて、また眠り始めた。
「いい気なもんだよな…」
とは言いつつも、その仕草と感触に愛らしさを感じた。
名雪の猫好きも納得できる。
「…あれ?」
と、不意に視界がぼやけた。
猫を左腕に寄せ、右手で目をこすった。
水のような感触。
…涙…?
何故俺は泣いているんだ?
あくびはしていないから、涙なんか出るはずがない。
分からない…。
これは俺の流した涙なのか?
それとも子供の俺?
あるいは…。
まあ、気にすることもないか。
ただ単に涙が出ることだってある。
「ちゃんと掴まってるんだぞ?」
そう猫に言ってから、階段を降り始めた。
続く
第5話へ続く
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