第2話



「という訳なんだよ」
「どういう訳だが知らないが、何故毎日俺が奢らなきゃいけないんだ?」
「うぐぅ、だってボク、お小遣い持ってないんだもん」

 冬休み、久しぶりに再開したあゆとタイヤキを食べながら歩く、幼い頃の俺。
 夢の始まりは、香ばしい匂いと、不思議な少女。

「だったら我慢するということを覚えるんだな、俺はもう奢らないぞ」
「うぐぅ…、祐一くん、いじわるだよ…」
「背に腹はかえられないからな」

 少し肌寒い、タイヤキの温かさが恋しくなるような日。
 いつもと変わらない。
 いつもと…。

「にゃ〜…」
「ん?」
「あれ?」

 いつもと変わらない風景を変えた、小さな声。
 あまりに弱々しく、頼りなさげで寂しげな泣き声だった。

「猫?」
「ああ、仔猫だな」

 その声はすぐ横の草むらの中から聞こえたような気がする。
 草にはほんのりと雪が積もっていて、白の合間に緑が見える。

「あ、いたいた、仔猫がいたよ、祐一くん」

 その草の下で、ちょうど屋根で雪から守られるようにして、仔猫がいた。
 まだ生まれて少しも経たないような、本当に小さな仔猫だった。

「届くか? あゆ」
「んっしょ…、いたたた…」
「無理だったか?」
「枝がほっぺたに刺さって痛いよぅ…」

 あゆの小さな体にお似合いの短い腕では届かないようだ。
「だらしが無いなぁ、ちょっとどいて」
「うぐぅ…」

 折り重なる草を手でかき分けて仔猫を確認すると、そこへと手を伸ばす。
 幼い俺の手も短くて、頬に枝がささる。
 だが、痛みをこらえて手を伸ばす。

「ほら、こっちに来い…」

 懸命に腕を伸ばすと、何とか猫に届いた。
 しかし、向こうは警戒しているのか、俺の手をすり抜けて、さらに奥へと行ってしまった。

「ダメだ、もう届かないな…」
「うぐぅ、どうしようね…」
「仕方ないだろう。 それに近くに親猫もいるはずだ、置いていこうぜ」
「でもでも、はぐれちゃったのかもしれないよ?」

 その場を立ち去ろうとしていた俺の服を、あゆが引っ張る。

「このコ、ここに置いていったら凍えちゃうよ?」

 あゆは半ば涙目になって、必死に懇願のまなざしを向けた。

「…仕方ないな…」

 俺は簡単に折れた。
 俺だって気にならないわけではなかった。
 凍えるかもしれないし、カラスに襲われるかもしれない。
 どちらにしろ、ここに置いていくの危険だと思った。
 草むらの中に入って、仔猫を出すことにした。
 腕の短い子供には、それしか手がなかった。
 踏まないように気をつけながら、手で草をかき分け探す。
 やっとの思いで抱き上げた仔猫は冷え切っていて、警戒心もあってか、ブルブルと震えていた。
 襟元に仔猫をいれ、尻を手で支える。
 こうしてみると、本当に小さな仔猫だ。

「わぁ、カワイイね!」

 クタクタになって草むらから出てきた俺に、いや、正確には仔猫にあゆが言う。

「お前、責任とって飼えよな」
「えっ、ボクは無理だよ」
「うちも名雪が猫アレルギーだから無理だ」
「…」
「…」

 両者沈黙。
 後先を考えずに行動に出た結果だ。
 そうだ、猫を助けても、どこかで飼うなりしなければならない。
 里親を探すにしても…。
 さて、これからどうするか…。

「あ、ボク、用事があるんだった!」
「え、何だ?」
「じゃ、ボク行くから!」
「ちょ、ちょっと待て!」
「じゃあね、祐一くんっ!」
「待てっ、逃げるなぁ!」

 俺があれこれ考えを巡らす内にあゆは逃走した。
 今日の食い逃げのプロとしての足は、ここで鍛えられたものに違いない。

「逃げ足の速いヤツめ…」




 仕方なく、そのまま猫を水瀬家に連れて帰ってきた。
 とは言うものの、猫アレルギーの名雪がいるのだ、飼える訳はない。
 前に狐を拾ってきたときのように、とりあえず俺の部屋に連れて行くか…。
 猫を上着で隠して、見てもバレないようにしてから、俺は玄関を開けた。

「ただいま〜」

 なんとなく、コッソリとドアを開け、手早く靴を脱いで上に上がろうとする。

「おかえりなさい、祐一君」

 だが、叔母の秋子さんが、いつもの笑顔で迎えてくれる。
 これはこれで良いのだが、今はマズイ。

「ご、ご飯は何時ですか?」

 とりあえず、この場は早めに切り抜けなければならない。

「ええっと、七時で良いですか?」
「はい、じゃあ、それまで上にいますんで」

 なんとか切り抜けられたと思った俺は、二階へ行こうとしたが…。

「みゃ〜…」

 小さく、か弱い声によって、俺の緻密(稚拙?)な作戦は崩壊した…。

「猫、ですねぇ…」
「ねこ〜〜〜〜!!!!」

 秋子さんが言うより早く、今にいたはずの名雪が走ってきた。
 その声に反応してか、子猫もヒョッコリと顔を出して、慣れたように俺の手から逃れ、床に着地した。
 本能とは大したものだ。

「ねこさんだよ〜〜!」

 床に下りた猫を抱き上げ、頬擦りする名雪。
 顔は涙でクシャクシャだが、とても嬉しそうだった。
 そんな名雪を見て、俺も嬉しく思った。
 だが、その名雪の手から子猫を奪い取る手があった。
 秋子さんの手だ。

「ダメでしょ、名雪。 あなた、猫アレルギーなんだから」

 以前に猫を飼っていたことがあるのか、秋子さんの抱き方は慣れたものだった。
 猫の尻を支え、腹をもう片方の手で包む。
 見るからに安定した抱き方で、猫の方も秋子さんの腕の中で、心地よさそうに落ち着く。

「だってねこさんだもんっ!」

 名雪が涙ながらに抗議する。
 それが、猫を奪われた悔しさなのか、アレルギー反応のソレなのかは定かではないが……。

「でもね、名雪、あなたはアレルギーで、涙や鼻水がたくさん出るでしょう?そんなところを祐一君に見られたい?」

 秋子さんはちょっと意地悪に、名雪を諭す…。

「そ、それは、恥ずかしいけど……、でも、でも、ねこさんもさわりたいよぉ〜……」

 名雪は泣き出してしまった。
 無類の猫好きでありながら、猫アレルギーという運命を背負ってしまった少女。
 俺はかわいそうに思ったが、どうすることもできない。
 だが、そんな名雪の頭を、秋子さんが優しく撫でる。
 とても優しい笑顔で。

「なら、マスクと水中用のゴーグルを持ってきなさい。 それを付けたら大丈夫だから」
「ほ、本当?」

 名雪は目を擦りながら、秋子さんを見上げる。

「本当にさわってもいいの?」

 不安げな名雪にニッコリと微笑みかける秋子さん。

「ええ、いいわ」

 いつも優しい秋子さんだが、今日はいつもより優しい感じがした。

「じゃ、じゃあ私、とってくるね!」

 もう泣き止んだかと思うと名雪は、二階へと階段をかけ上がっていった。
 現金なやつだ。

「さてと…」

 名雪を見送ると、秋子さんは真面目な顔で、俺に向き直った。

「祐一君」

 怒られそうで、ちょっと怖かった。

「この子、何処で拾ってきたんですか?」

 怒られると思っていた俺は、予想外の質問に一瞬戸惑った。

「公園の近くの草むらで、一人で鳴いてたんです」
「そう…」

 秋子さんが、少しだけ沈痛そうな顔をしたのに、俺は気づかなかった。

「まぁ、仕方ないわね…」

 秋子さんは諦めにも似た笑いを浮かべ、ため息をついた。

「了承」
「へ?」
「この子、飼っても良いわ。 その代わり、祐一君が世話をするのよ」
「良いんですか?」
「しかたないでしょう? 名雪が手放さないでしょうし」

 秋子さんは困ったようにフフフと笑った。
 それにつられて俺も笑った。






 それから名雪は、猫を手放さなかった。
 食事にも、マスクとゴーグルを装備してやってきた。
 「食べられないだろう」と俺が言うと、「食べられるもん!」と言って、絶対に猫を放そうとしなかった。
 風呂に入るときも、もちろんだ。
 「マスクが濡れるから、俺が預かろうか」と提案しても聞き入れてくれなかった。
 寝る時間になると、「おやすみなさい」と猫を連れて上に上がっていった。
 寝る前に名雪の部屋を覗くと、猫を抱いてぐっすりと眠っていた。
 もちろん、ゴーグルとマスクの完全装備だった。
 とても寝苦しそうだった。
 だが、猫を引き離そうとしても、絶対に離さなかった。
 猫の方は猫の方で、そこの居心地が良いのか、猫パンチで応戦する。
 仕方なく諦めて、自分の部屋に戻った。
 そして何ともなく天井を見上げながら、明日のことなどを考えているうちに、眠りに落ちた。
 



 続く

                                       第3話へ続く



                     
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