中編






 学校へ向かう私の足取りは重かった……。
 相沢さんは、きっとまた私のところに来るのだろう…。
 あの子の問題の、解決策をみつけるために……。
 昨日の会話が、頭をよぎる。


「あなたはずっと昔にあの子と会っている。でも記憶にはない、そうですね?」

「ああ…」

「当然です。だってその時のあの子は…………」


 気づかないうちに、かなり早く家を出てしまったらしい。
 時間は、まだ8:10分だった。
 クラスメートもまだいない教室で、私は一人席に着いた。
 まだ、読み終わっていない本を机の上に広げる。

 いつもと違う教室の雰囲気、誰もいなくて、静かで……。
 変わらないのは私の周りに誰もいないだけ……。
 いや、いないんじゃない…。私が、人との関わりを避けてきたんだ…あの日からずっと。

 一人でいることは気にならなかった。本を読んでさえいれば寂しくなんてなかった。
 でも、今日は違った。
 本を読み始めても、あの子のことが気になって集中できない…。




 その日の授業も結局、上の空で、いつのまにか時間が過ぎ…昼休みになっていた。


 昼休み、手洗いから帰るときに、相沢さんの姿を見た…。
 なにも言葉を交わすことなく通り過ぎる。
 凍結した話題はあった。…が、私から話しかけることはなかった。
 なぜなら私は、あの子と相沢さんの今後の運命を知っていたから……。



 午後の授業も終わり、私は帰路につき家に着いた。
 いつも以上に、一日の疲れがどっとでる。
 お母さんは、昨日も夕飯を食べなかった私に、心配そうに声をかけてくれたが、私は返事をすることもなく眠りに落ちていった……。







 一年前の私が、何かに話しかけている…。
 そう、突然現れた少女だ、記憶のない少女……。

「あなた、お名前は??」

 私は、オレンジ色の髪をした少女に名前を聞く。
 この記憶喪失の少女は、名前を覚えているのだろうか…。
 私の名前を知っている少女……。でも私の記憶にはない………。

「あぅー…わからない…。」

 少女は、困ったように私の顔を見つめる。

「あなたは、何故私のことを知っているの??」

 私は口に出してから、気がついた……。この子は、自分の名前さえも覚えていないのだから、こんなことを聞いてもつらい思いをさせるだけだ……。

「あぅー……でも、ずっと待ってた気がしたから。」

 少女の口からでたその言葉が私の記憶に引っかかる。




「狐さん、待ってるかなぁ。今日も明日もずっとずっと…私はもういけないのに……。」


 五年前、私は引っ越してから、ずっと狐さんのことばかり考えていた。
 あの寒い山の中で、私を待っているのではないかと…。
 それを考えると胸が締め付けられる思いだった。


 それから少女は、名前がわからない代わりに、美紗緒、という名前を希望してきた。
 自分に名前をつけようと考えたのだった……。
 でも…私は不安だった、新しい名前をつけることにより、自分の、この子の記憶がもどることのないような気がしたからだった。
 そして、記憶が戻り本当の名前を知ったとき、この子の存在が消えてしまうような気がしたから…………。



 美紗緒はずっと私のそばにいた、私が学校から帰ってくると、必ず私の部屋にいた、自分の部屋があるにもかかわらず………。
 私達はずっと一緒に遊んだ。
 小さい子がするような遊びばかりだったがそれでも私は楽しかった。
 いつしか、私の中で美紗緒は大切な、いや、かけがえのない存在になっていた。

 だから、別れが来るなんて考えてもいなかった……。








ぴぴぴっぴぴぴっぴぴぴ

 いつものように目覚ましが鳴り響く。
 私は制服に着替えて、朝ごはんも食べずに家を出た。

 気づかないうちに、時間が過ぎていく。
 相沢さんと出会ってから私は、他の事が考えられなくなっていた。
 相沢さんに迫っている運命。
 私はそれに耐えられず、人との付き合いを絶ってしまった…。
 それほど悲しい運命だった……。




 昼休みになり私は、中庭で相沢さんと肩を並べていた。
 あの時凍結した話題。
 それは……。

「本当に俺はあいつと出会っていたのかもしれない。」

 相沢さんがそう話を切り出した。

「はい。」

 私は無表情で返事をかえした。
 相沢さんは動揺を隠せないようだった…。

「……それは人じゃないということなのか」
「はい。」

 私は知っている……。
 なぜなら、美紗緒も……。

「いったい何なんだ、あいつは何故こんなことをしているんだ。」

 相沢さんは、まだ状況を信じきれていないのか、顔に困惑の表情がでている。

「あの子はただ、本当に相沢さんに会いにきただけでしょう。」
「会ってどうしようというんだ…。」
「会いたかっただけです。」

 私は繰り返した、それだけが真実なのだから。

「今、相沢さんは束の間の奇跡の中にいるのですよ。」



 私は、現実ばなれした言葉を持ち出した。
 しかし、この状況に見合う言葉はこれだけだった。
 そして、この状況は普通では考えられないようなことだったから……。



「そして、この奇跡は一瞬のきらめきです。あの子は命と引き換えにしてあなたに会いにきたんです。」
「どういうことだ、あいつは命を捨ててまでわずかな時間、俺に会いに来たってことなのか!?」

 相沢さんは信じられないのだろう。

「なんなんだよ、それって………。」


 しばらく間が空いた、が私は話を続けた。

「でもこの奇跡の一番の悲劇はそれをあの子が悟っていないことです、知っていますでしょう?あの子は何も知らないのです。」

 相沢さんには、思い当たる節があるのだろう。しばらく地面を見つめ、考え込んでいた。



「奇跡を起こすには、記憶と命……この二つの代償が必要なんだな?」
「はい。」

 相沢さんは深呼吸をした。自分を落ち着けるのに精一杯なのだろう。
 私は言葉を続ける。

「訪れる別れは、相沢さんがあの子に情を移しているほどに悲しいものです。それを覚悟しておいてください。」
「どういうことなんだよ、それって……。」

 相沢さんは、話が終わりそうなのを悟ったのだろう、私にそう聞き返した。
 しかし私はそれには答えず………「あと一つ。」

「これ以上、私を巻き込まないでください。」

 それといい終えると同時にチャイムが鳴り響いた。





 続く

                                   後編へ続く



                  
トップへ      戻る