後編
その日の授業が終わり、私は家に帰ろうと校門に向かった。
校門には、寒そうに手をこすり合わせるあの子の姿があった……。
きっと相沢さんを待っているのだろう……。
あの子は、行き交う生徒達の顔を見つめていた………。
私は校門を通るときに、あの子と目があってしまった………。
悲しい記憶がよみがえる……。
訪れる突然の別れ……。
私はすぐに目線をはずした。
あの子の目が、美紗緒にそっくりだったから………。
瞳の奥で、なにかにおびえているような、自分の運命に気づき始めてしまったような……そんな目が私は怖かった…。
家に帰ると、お母さんが心配そうに玄関に立っていた。
「美汐、大丈夫なの??このごろ、ご飯もちゃんと食べてないじゃない…。またいつかみたいになったらお母さん…。」
「大丈夫だから……。ちょっと疲れてるだけ。」
私は、そういってお母さんの言葉をさえぎると二階に上がり、着替えて布団の上で丸くなった…。
美紗緒が好きだった、この格好で……。
私はいつしか眠りに落ちていった……。
「美汐、あそぼう。」
美紗緒が無邪気に話しかけてくる…。
このごろ美紗緒は、前にも増して言葉が話せなくなり、箸さえも使えなくなっていた。
私はそんな美紗緒が心配だった。なにかあるのではないか、と。
そんな私の気持ちを知ってかしらずか、無邪気に話しかけてくる美紗緒。
しかし私は、そんな美紗緒の態度に安堵感を覚えていた。
美紗緒が、こうやって話しかけてきてくれるとき、一緒にいるときは不安を忘れることができた。
今日も本を読んで欲しい、というのだろう、手には絵本が持たれていた。
ベッドの上で丸くなって私に体を預けてくる。……美紗緒の体は暖かかった。
最初はまだ文字は読めたのに、もうすでにひらがなさえも読めなくなっていた。
それでも、美紗緒に本を読んであげるのは楽しかった。
美紗緒と、一緒にいられる時間を大切にしたかった。
どんどん、自分のことができなくなっていく美紗緒…。
まるで幼い子供の頃のように……。
美紗緒が過去に……戻っていくようで……怖かった…。
私は、目覚ましの音が鳴る前に目が覚めた。
支度をして学校に向かう。お母さんは休んでもいいのよ、と言ってくれた。
私はそんなに顔色が悪いのだろうか…。
しかし、私はそんなお母さんの言葉を無視して、家を出た。
何故無視したのか…それは私にもわからなかった…。
昼休みになり、私はご飯を食べる気にもならず、読みかけだった本を開いた。
だんだん、内容に集中していく……。
しばらくして、一人の女生徒が遠慮しがちに、私に話しかけてきた。
何か用なの……私にかかわらないで…。
それにこのクラスで、いや、この学校で、私に話しかけるような人はいないはずだけど…。
私はいつも、クラスの誰とも話すことはなかった。
女生徒は男の先輩が来ている、と告げた。私はすぐに相沢さんだとわかった、それ以外に他の学年で、私を訪ねてくる人はいないから…。
しかし私は、女生徒に「放っておいて欲しい」と伝えてくれるように頼んだ。
もう関わりたくなかった。あの歯車に飲まれてしまったら、またあの悲しみを受けなければならない……。それだけはいやだった。
私はそう女生徒に告げたあと、すぐに本に目を落とした。
相沢さんのほうを、見ることもないまま…。
放課後…私は部活にも入ってないため、足早に帰路についていた。
家に着き、今日もベッドの上で本に目を落とす。
気づかないうちに時間が過ぎ、お母さんが、階段を上がってくる音がした。
私が起きているかどうか、確認しにきたのだろうか。
私は本を閉じ、先に部屋を出ようとした。
ドアを開けると目の前にお母さんがいた、手には夕飯を乗せた盆を持っている。
ここのところ食べていなかったので、心配して持ってきてくれたのだろう。
そんな気遣いが少し嬉しくて、そして申し訳なく思った。
「今日は下で食べるから。」
お母さんの顔から微かに笑みがこぼれる、よほど安心したのだろう…。
おなかが空いているわけではなかったが、今日帰ってきてから、冷蔵庫に私の分の夕飯が、サランラップをかけてあるのを見て、迷惑をかけているのだと知った…。
お母さんは訳も聞かず、私のことを思っていてくれたのだ…。
それを知ったら、少しでも安心させてあげたいと思った、それだけの理由だ。
夕飯が終わり、私は眠りについた…。
食べたせいか、今までの疲れがどっと表面に表れた……。
その日は、夢を見ることもなく眠ることができた……。
目覚ましが鳴り響く…。
今日は休みなのに……。
私は目覚ましを止めると、再び眠りにつこうとした。
しかし、それは凍えるほどの寒さが許してはくれなかった…。
私は今日は本を読んで過ごそう、と思いかばんから本を取り出す…。
特に用事があるわけではないのだし、たまにはいいかとも思う。
何も考えず、一日中本を読んで過ごす……。いや、何も考えたくなかったのかもれない。
私は、そんな自分の気持ちに気づかないふりをした。
夕方になって、ひさしぶりの外食に出た。
よほど心配だったのだろう、私は気乗りしなかったが、お母さんの心配そうな顔を見ると断ることはできなかった…。
次の日……朝起きて異常に身体が重いことに気がつく…。頭が痛い……。
私は階下に降りて、熱を測ってみた…38度……立派な風邪だ…。
私は、学校に行くことを希望したが、口に出す前にお母さんに電話されてしまい、休みという形になってしまった。
風邪…。
やはり疲れが影響したのだろうか、私はその日は一日中寝ていた…。
絵本を聞きながら、眠ってしまった美紗緒を、自分のベッドに寝かせて自分も横に寝た。
美紗緒の強い要望により、私はずっと美紗緒と一緒に寝ていた。
美紗緒は、一人で寝ていると不安だ、と私に話してくれた。
私はこの言葉の意味を、あとで怖いほど思い知ることになるとは、夢にも思っていなかった。
しばらくは、そんな平和な日々が続いた。
ずっとこのままでいいのに…。
私はそんなことを考えていた。そしてそれは、実現されるものだと思い込んでいた。
狐さんと毎日遊んだ、あのころのように………。毎日が楽しかった、あのころのように……。
そして、もうあの別れ、悲しみ、が来ませんように、と、願っていた。
そして、その日、美紗緒は高熱を出した。40度…ただの風邪では、滅多に出ないような熱が2日も続いた…私は心配で、学校を休んでまで看病に専念した。
お母さんは、不満ではあったのだろうが、それでも黙って了承してくれた。
心配で……心配で……私は一日中、声をかけ続けた。
そして3日目……美紗緒は突然山に行きたいと言い出した…。
私が狐さんと会っていたあの山に……。
話したことはなかった、連れて行ったこともなかった。
それなのに、なぜ……??
しかし、美紗緒は言い続けた……あまりにも真剣な瞳…「やぁま、行きたい。」ただそれだけを、うわごとのように繰り返す……………。
私はお母さんが買い物に行った隙に、美紗緒を外へ連れ出した。
あの山に……狐さんのいた山に……。
私は不吉な予感がしていた…。
二度と会えなくなるような不吉な予感……。
それはほどなくして確信に変わる……。
そして………………………山についた。あのころのダンボールの家などはもうなかった。
でもずっと、ずっと、あそんだ野原だけは残っていた…。
狐さんと毎日遊んだあの野原……。
それだけはそのままの形でそこに残っていた……。
「美汐、ずっと待ってた……。この場所で……。」
私の予感は、もう確信に変わりつつあった。
こないだ本で読んだ妖狐の話、そして、この山に棲んでいるといわれている、妖孤の話、それがあたまに浮かんでは消えていた……。
そんな現実離れしたことが…?でも目の前の少女がそれを物語っている。
(妖孤が消えるとき、高熱を発する、そのなかで、かすかに記憶がよみがえる者もいる。そして、それは最後の奇跡なのだ…………。)
本に載っていた言葉を思い出す。
それは目の前の少女の様子そのものだった……。
「美汐、大好き……。」
私は、その言葉に対して何も言ってあげられなかった、涙が止まらなくて……しゃべることができなかった…。
泣きながらも私は、かばんから美紗緒が大好きだった絵本を取り出した。
涙も拭わないまま、それを読んで聞かせてあげる、最初は感情を押し殺し、平静で読んでいたが、すぐに涙声に変わってしまった。
美紗緒の瞳は、私をまっすぐ捉えていた。
涙が止まらない……。だれかが言ったわけでもない、しかし、これが最後なんだと私は知っていた。
そんなことがあるはずないだろ、と、誰かに言って欲しかった。
でも、これは現実だから……美紗緒が命を賭して作った時間だから……。
せめて…消えてしまうまで………一緒にいてあげたかった。
あのときの時間を、少しでも取り戻してあげたかった……。
私のために、この山で待ち続けたい長い、長い、時間……。
私を探し続けた時間……。
私は、美紗緒が眠りそうになるたびに声をかけた。
もし寝てしまったら、永遠の別れが来るのだから…。
「美紗緒、まだお話が途中だよ?まだ寝ちゃだめだよ…。」
私は泣きながらそういった。美紗緒と少しでも同じ時間を共有するために……。
そして、話が終わるころ美紗緒は眠りについた……。安らかな寝顔のまま……。
私の腕の中には美紗緒のぬくもりだけが残った……。
服も、絵本も、体さえも、もう残ってはいなかった………。
ただ……ぬくもりだけが……私の腕の中に残っていた……………。
そして、家族の記憶からも美紗緒はいなくなっていた。
まるで初めからいなかったかのように……。
目覚まし時計が鳴り響く………。
朝………昔の夢……。
悲しかったあのころの…。
私は、すぐに制服に着替え学校に向かった。
昨日は一日中眠っていたおかげで風邪はすっかり回復していた。
一日中考えていたこと…。
相沢さんたちにあの運命が迫っているのならば、別れのときを知らないのは、それこそ酷なのでないだろうか……。
私はあのとき、最後までいてあげることができた……。
でも、もし、相沢さんがそのときを知らなかったとして、最後に一緒にいてあげられなかったら……。
あの子がかわいそうすぎる……。そして、相沢さんにとっても、一生後悔することになる…。
私は真実を伝えようと決意した。たとえあの悲しみがまた、私の身に降りかかろうとも……。
私は以前に聞いた、相沢さんの電話番号にかけてみた……。
ぷるるるるる…がちゃ
「はい、水瀬ですが。」
電話に出たのは、きれいな声をした女性だった。
てっきり、相沢さんが出るものだと思いこんでいたので、予想外の事態に私はうまくしゃべることができなかった…。
「あの…………天野ともうします。…………………相沢さんを………。」
女性は察してくれたのか、
「祐一さんですね、少し待ってくださいね。」
といってくれた…。
しばらくして相沢さんらしき声が受話器の向こうから聞こえる。
「もしもし……もしもし変わりましたけど…………。」
私はしゃべれなかった…。そんな私に祐一さんは
「天野だろ?」といってくれた…。
私は相沢さんだとわかると、緊張をすこしずつ解けていった。
「相沢さん………………でしょうか………」
「ああ。やっぱり天野か」
案の定といった感じだったのだろうか。
予測していたかのような返事だった。
「ええ。」
「どうしたんだ?」
「………………」
「いま、どこ?」
「………駅前です。」
少し躊躇したが、電話ではうまく話せそうにないので場所を言う。
「わかった、すぐにいく。じっとしていてくれ。」
相沢さんはそれだけいって電話を切った。
直にあったほうがいいことはお互いわかっていた。
それから私は駅前の人通りが少ない場所で待った……。
これから訪れる悲しく、つらい運命を話すために……………………。
美汐の過去 完
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