はじめに

  「星野君の二塁打」は長きにわたって道徳の教材として用いられてきましたが、2020年4月のマンガ版の登場によってその歴史に新しい1ページが刻まれました。英文学者で児童文学の作家でもあった吉田甲子太郎(よしだ・きねたろう、1894年~1957年)が原作を執筆したのは1947年のことでしたから、「星野君の二塁打」には70年を超える歴史があります。はじめに簡単にこの歴史をふりかえっておきましょう。
 始まりは手塚治虫の「鉄腕アトム」が最初に載った雑誌として知られている光文社の『少年』でした。「星野君の二塁打」はこの雑誌の1947年8月9月合併号(発行日は8月1日)に4ページだての短編作品として掲載されました。目次では「野球小説」という角書がつけられています。挿絵は雑誌『新青年』の表紙画などで読者の心をひきつけた松野一夫が描いていて、「星野君の二塁打」掲載号の表紙も松野です。本書ではこの『少年』掲載の「星野君の二塁打」を初出版と呼びます。これを読んだことがある人はあまり多くないのではないかと思われますので、本書の最後に資料として初出版の全文を載せています。初出版「星野君の二塁打」はかつての中等野球(現在の高校野球)の物語で、星野君の二塁打によって出場が決まった大会は夏の甲子園大会でした。使用球は硬球ですので、星野君の二塁打の打球は「カーンと澄んだ音を立てて」います。ちなみに、初出版の公表は占領下のことでしたから、連合国最高司令官総司令部(いわゆるGHQ)の検閲を受けています。当時は事前検閲でしたので、検閲資料としてゲラが残されています。これを見ると、「星野君の二塁打」には修正や削除の指示はいっさいありません。すんなりと検閲を通過したようです。
  1950年以降、吉田甲子太郎は師と仰いでいた山本有三とともに国語教科書の編集に取り組みますが、「星野君の二塁打」は少年野球の物語に改作されて(1回目の改訂)、小学校6年生用の教科書、日本書籍の『山本有三編集国語 6年の1』(教科書の記号・番号は小国682)に載せられています。1951年に検定を合格したこの教科書が使われたのは1952年度だけで、1952年にもう一度修正の検定を受けています。修正後の教科書(小国686、使用年度は1953年度~1960年度)にも「星野君の二塁打」が載せられているのですが、この時にも本文に手が加えられています(2回目の改訂)。例えば、監督の名前が別府さんになったのはこの時からです。この2回目の改訂によって、本文が定まりましたので、本書では決定版という意味でこの時の本文を定本版と呼んでいます。以上の2回の改訂は吉田甲子太郎の存命中のことで、本文に手を加えたのも吉田自身と考えられます。
その後、定本版を載せた児童文学書には、山本有三編『新版 日本少国民文庫 第11巻 日本文学選』(新潮社、1956年)、沢田慶輔・鳥越信編『文学の本だな 愛と勇気・真実と平和の物語 中学編 第1巻』(国土社、1963年)、吉田甲子太郎『秋空晴れて』(大日本図書、1967年)、同『新版 星野くんの二塁打』(大日本図書、1988年)があります。
  1960年代後半には小学校5年生用の教材として再び日本書籍の国語教科書『小学国語 5-2』に掲載されます(使用年度1965年度~1970年度)。その本文は、星野君の最後の言葉が「異存ありません」ではなく「いいえ、ありません」となっているなど、定本版と異なる点が少なくありません(第4章のコラム参照)。
  一方で、文部省の『小学校道徳の指導資料』(1964年および1967年)に5年生用の資料として載せられたことなどに伴って、1970年以降、東京書籍をはじめとした教科書会社発行の主に5年生用の道徳の副読本にも「星野君の二るい打」が掲載され、道徳の定番教材となっていきます。近年では道徳の教科化によって2018年度から道徳の検定教科書が用いられるようになり、この時には2社(廣済堂あかつき、学校図書)の6年生用教科書に掲載されました。さらに2020年度には新しい小学校学習指導要領の全面実施に伴って全教科の教科書が改訂されましたが、先の2社に加えて新たに東京書籍の6年生用教科書にマンガ版「星野君の二るい打」が登場することとなりました。
  なお、初出版から1960年代の国語教科書版までの本文は字数が4500字前後であるのに対して、マンガ版を除く道徳の副読本および教科書の字数は2000字前後ですので、道徳の教材版では字数が半分以下に縮減されています。また、道徳の教材版ではマンガ版を含めていずれもこの作品の山場である星野君の最後の言葉がありません。最後に、マンガ版の新しさは、たんにマンガになったというだけでなく、バントの指示に反してヒッティングに出た星野君に対する処分が次の大会への出場禁止からベンチウォーマーへと軽減されたことにもあります。

 さて、本書は、奈良女子大学の主に文学部人間科学科の教育研究に携わっている4名がそれぞれの視点から「星野君の二塁打」を読み解くことを試みたものです。4人の専門分野は第1章の功刀が体育学・身体文化史、第2章の米津が教育学・教育思想史、第3章の天ケ瀬が心理学、特に認知心理学、第4章の栁澤が哲学・倫理学です。こうした陣容で「星野君の二塁打」という一つの作品ないしは教材を異なる視点から多角的に読み解く試みはこれまでにないものと言ってまちがいないでしょう。
  第1章では、初出版「星野君の二塁打」以前の吉田甲子太郎の少年小説と少年小説論の中にこの作品のルーツを探りながら、星野君がどのような少年として描かれていたのかを検討しています。星野君像の探究は道徳教材批判の一つでもあります。第1章が「星野君の二塁打」の誕生に関わることであるのに対して、第2章では、誕生後のこの作品が道徳教育や国語教育のそれぞれの「教育的意図」のもとでどのように扱われてきたのかを中心に、道徳教育と国語教育の関連も含めて、文学と教育の出会いについて考察しています。第3章は、監督の「ギセイの精神のわからない人間は、社会へ出たって、社会を益することはできはしないぞ」(初出版)との発言に焦点を合わせて、「犠牲」をキーワードとして、近代的道徳論から現代道徳論への転換、道徳の再構築について論じています。そこでは今日問題として顕在化しているコロナ後の社会を展望する議論が展開されています。第4章では、小学校ではなく大学および高等学校で「星野君の二塁打」をとりあげた実践報告を事例にして、従来のこの作品の>読まれ方、論じられ方を再検討しています。それらがあらかじめ設定された外側からの視点による作品の外在的な批判にとどまっているのに対して、物語に即した内在的な読み方が提示されています。
   執筆者4人の間では、初出版なり定本版なり「星野君の二塁打」の原作を読むことは確認するまでもない当然の前提とされていますが、この作品をどのように読むべきかといった議論はあえて行っておりません。そのために本書は一つの書物としてはまとまりに欠けるところがあるかもしれません。しかしながら、各章では「星野君の二塁打」を読み深めるためのこれまでにない議論を提示することができているのではないかと思います。また、私たち4人は今後もしばらく「星野君の二塁打」の探究を継続し、なんらかの形で続報をお届けすることを予定しています。そのためにも読者の皆様の忌憚のないご批判をお願いする次第です。

功刀 俊雄

【付記】
一、本書では、資料として掲載した初出版「星野君の二塁打」を含め、古い文献からの引用に際しては、旧字体・旧かなづかいを新字体・現代かなづかいに改めています。
一、本書の執筆者がこれまでに「星野君の二塁打」に関して書いたもののうち、次の3点は、奈良女子大学附属学術情報センターのリポジトリからダウンロードして読むことができます。本書とあわせて参照していただければ幸いです。

功刀俊雄「小学校体育科における「知識」領域の指導―教材「星野君の二塁打」の検討(一)―」『教育システム研究』第3号、2007年。  
功刀俊雄「小学校体育科における「知識」領域の指導―教材「星野君の二塁打」の検討(二)―」『教育システム研究』第4号、2008年。
栁澤有吾「子どもの社会化と主体形成の両義性―教材「星野君の二るい打」の考察―」『奈良女子大学文学部研究教育年報』第14号、2017年。