遊びあるある   
昭和30年代
京都伏見深草

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 ばらあて

ドッジボールよりこっちの方が人気があった。特に学校ではよくやった。とにかく多人数でできる。鬼がボールをあてると当てられた人が鬼になる、というルールである。

ドッピン

ドッジピンポンの略。まず10メートル四方の線を書き、縦横に線をいれ田の字をつくる。

そこにそれぞれの枠に子ども1人ずつ、計4人が入る。枠には順位が決まっていて上から「元、大、中、小」となる。元がサーブをして、自分の枠にボールが来たら、どこでも良いからボールをたたきこむ。たたき込まれた子はそのボールをまたどこかにたたき込む。ルールは必ずワンバウンドで打つこと。
自分より順位の上の子を倒せば自分はひとつ出世ができることになる。

こういう遊びであるが、ボールひとつで遊べるので学校でも地域でも人気があった。男子も女子も同時に遊べるところも人気の原因だと思う。

このドッピンにもさまざまなルールがあって「まわしあり」か、なしか。これはボールをたたき込むときに回転をかけてもいいかどうかということである。回転をかけると実にとりにくい。

また「組みあり」か、なしか。組みありとは、たとえば元と大の子が組んでしまうと中や小の子を撃破しやすくなる。運動神経のいい子が二人組んでしまうと、天下のお続けになってしまう

ドッジボールよりはるかに人気があった。


遊びの始まり。

○○するもんこの指たーかれ

これを誰かがいうと、みんな走って集まる。一緒に遊びたい者は、その指にとまる。手をぐーに して人差し指だけを上を向けてたて、次のものは人差し指をつかんでまたまた自分の人差し指をたてる。このようにして、次々と指をつかみ、一緒に遊ぶメン バーが決定される。このとき第一声をあげた者がけっこうルール面などで主導権を握れる。主導権を握りたいがためにみな、第一声を出したがる。しかし、空気 の読めないものは相手にされない。まだ、前にやってる遊びが佳境にあるときに、この第一声を出しても、誰も集まらない。前の遊びが自然消滅し、子供が烏合 の衆と化した時に、この言葉を大声でいうのがこつである。とにかく、昭和30年代は子供が多かった。昼間から家で宿題をしてる者はいなかった。たいてい、 広場のようなところにでていた。まるでそこが社交場であるかのように。よく、学校の先生は、宿題をしてから遊びなさいなんていってたけど、あれはあきらか な間違い。宿題は夜でもできる。遊びは昼間しかできない。

やあまくずせ じゃいけんほい

つかんだ手の山を一斉にくずして、そのまま、じゃんけんをする。ここで鬼が決まる。第一声を 発した者が、鬼になることもある。最悪である。子供の世界ではじゃんけんは絶対である。ふだん仲のいい友達でも絶対変わってくれないし、同情もしてくれな い。実に厳しい社会である。しかし、昔は仁義というものがあって、小さい子は鬼からはずしたりする。これは、鬼が小さい子だと、おもしろくないというのが 実感である。鬼になった子は次のじゃんけんははずすとかはずさないとかのローカルルールが最初に確認される。そういえば、ルールの確認って必ずしたな。

どんじゃいけんほい

これは子供を2組に分ける。分け方は、全員でぐっぱ(ぐーとぱーだけのじゃんけん)しても、 決まらない時は、適当に2人ずつ組になって、お互いのみんなから見えないようにぐっぱする。この時勝ち負けは関係ない。全組のぐっぱがすんだら、誰かが声を かける。「ぐーのもん、こっち」「ぱーのもんこっちやで」これでたちどころに2組決まる。
 遊び方は、できるだけ離れたところに陣地をつくる。「戦争開 始ー」の合図とともに一人ずつ相手の陣地めがけて走り出す。ぶつかったところで両手をせっせっせのようにどんとあわせて、じゃんけんをする。負けたら大声 で「負けた」と叫ぶ。そうすると自陣から次の者が走ってくる。勝ったものはそのまま相手の陣地めがけて走り出す。これを、繰り返す。これは、足が速くても じゃんけんに勝たなければ前に進めないわけであるから、運がものをいう。相手とぶつかって両手をあわせるときのかけ声が

「どんじゃいけんほい」

である。これは、燃えた。スリルと緊迫感、スピード感。私の一番好きな遊びであった。

うけうち

これは、我が町内だけの珍しい遊びである。野球である。ピッチャー、バッター、キャッチャーだけ決めてあとは全員守る。バッターが打つ。その打ったボールを受けた者が、次のバッターになれる。たったこれだけのことである。

コマ回し鬼

これはコマ回しの鬼ごっこである。陣地は電柱。コマが回っているあいだだけ動ける。鬼もコマ が回っている間だけ、相手にタッチできる。タッチされたら次の鬼になる。要は回っているコマをどう運ぶかである。私はコマ回しだけは得意であったから、右 のてのひらにのせる。へたは、ポマードのふたを左手で持ってそれに受ける。もっと下手は、口の広いアルミの洗面器を持ってくる。これならどう下手にコマを 回しても、受けることができる。欠点は機動力がないことと、がらがらがらと派手な音がすること。

びーだま

これはいろいろな遊びがあって、最も単純なのは地面においた相手のビー玉を上からあてる。これを「めかちん」といった。
あとは、小さな穴をサイコロの目のように五つあけて、決められた順番で入れていく。全部入れ終わると「ギャング」になれる。「ギャング」はあてたら、相手のビー玉をもらうことができる。
 

めんこ

これも、いろいろなバリエーションがあり、さらに細かくローカルルールが存在する。要は相手のメンコをはじき出すのと、相手のメンコを裏返すやり方があった。

くつべらとばし

実に不思議な遊びで、小さな靴べらを回転をつけて投げるとブーメランのようにカーブを描きながら飛んでいく。私が小学校の時に一度だけ大流行したことがあった。

模型飛行機

昭和30年代は模型飛行機の全盛時代で、いろいろな名前の飛行機が売られていた。「東京オリンピック」「サーパス」「ユニオン号」などである。となりの警察学校のグランドで大会まであった。

いしけり

これは多種多様であった。単に四角い枠に蹴り込めばいいものや、かかしの形を地面に書き、足から順に石を蹴っていくのもあった。とにかく、片足けんけんがすべてだから、けっこう体力がついたように思う。

竹がえし

これも不思議だ。竹へらを10枚ほどを投げ上げ、手の甲にのせる。それらを手の甲を揺するだけで全部表にするか、全部裏にするか、または一本ずつ落としていくのを競うのである。

かんけり

遊びの定番。知らない人はいない。

釘さし

15センチくらいの釘を一本用意し、釘を地面になげつけて土に刺す。刺した点をつないで陣地を作り、相手を封じ込める。私の知っているルールは、失敗しない限り連続で釘が刺せる。だから、うまい人とへたな人がやると、へたな方には一度も番が回ってこないこともある。
ときどき地面からはねかえって顔に当たりそうになる。けっこう危険な遊び。

野球盤

昭和30年代後半に流行った。エポック社のものはカーブとシュートが自由にかけられ、消える魔球まであった。野球盤も楽しかったが、まだまだ外遊びが楽しかった時代であった。雨の日専用のような感じだった。

うつし絵

駄菓子やで売っていた。マンガの主人公などがかかれたシールのようなものを水に濡らして、手の甲などにはる。そして、裏からていねいにこする。
そうすると絵がそのまま皮膚に写る。洗えば落ちてしまうのであるが、飽きもせずにしょっちゅう買っては遊んだ。

日光写真

これも駄菓子やで売っていた。パラフィン紙にいろいろなキャラクターが描かれていて、その下に印画紙をあてて、1時間ほど日光にあてる。それから、印画紙を水で洗って乾かすと、キャラクターの絵が写っているというものである。これは、「少年」などのマンガ雑誌の付録にもよくついていた。

水鉄砲

当時は金属製のピストル型のものしかなかった。これで探偵ごっこのような打ち合いをしたが、一回ずつ水を吸い込まなければならない構造であった。だから、洗面器に水を入れて走り回る必要があった。今思えばずいぶん間が抜けている。いつも最後は洗面器の水をかけて終わったものだ。

銀玉鉄砲

私が4年の時に売り出された。当時50円。土を固めた銀色の弾をつめて発射する。これの画期的なところは連続で弾が出ることであった。ただ、弾が高い。確か5円で20発くらいだったように思う。だから、すぐにすたれてしまった。

ケンパ

ケンパという遊びがあった。これは地面にいろいろな絵を描く。絵は箱のような枠を連ねておく。そこを片足けんけんで線を踏まないようにたどっていく。一度に二つの枠を踏まねばならないときは、両足で「ぱ」と踏むのである。これは道具もいらないし男女混ぜて遊べた。

ピン球野球

野球のへたな者が集まると、ピン球野球をよくした。ピンポン球でする野球である。打たれてもあまり飛ばないし、カーブやシュートなどふらふらとよく曲がるのでおもしろかった。

歩三

歩三という将棋がある。へたな方は普通に並べて、うまい方は王様と持ち駒に歩が三枚という将棋である。うまくやれば、歩二枚で角がとれる。私は歩三で負かされ続けた。

福笑いとすごろく

お正月の遊びとして福笑いとすごろくがあるが、昭和30年代はまだ生きていて家族で遊んだこともある。福笑いとすごろくは雑誌のお正月号には必ずついていたし、駄菓子屋でも売っていた。

特にすごろくは家族で遊べる上に様々なバリエーションがあり、中にはロケットで宇宙にいくものもあった。すごろくは楽しい遊びだった。