三寒四温のうちに、校庭の木々の新芽もふくらみ、春の訪れを感じる頃となりました。

 この、よき日に、卒業生、保護者、来賓の皆様、教職員一同相集う中、本校の栄えある、第二十回の卒業証書授与式を挙行できますことは、このうえない喜びでございます。

 本日、保護者の皆様には、本校入学以来お子様の心身の健やかな成長を願い続けた日々を思われ、ここに、たくましく成長されたお子様の晴れ姿を目にされて、喜びもひとしおと存じます。心から、お祝い申し上げます。

 また、この間、本校教育の充実と発展のために寄せられましたご理解とご協力に対しまして、厚く御礼申し上げます。

 ご来賓のみなさま、本日は公私何かとお忙しい中、本校の卒業証書授与式にご臨席を賜り、誠にありがとうございます。三年間、地域で子どもたちを見守り、育んでいただきましたことに、心より厚く御礼申し上げます。

 卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。今、三年間の課程を修めたという卒業証書を手渡しました。これからは、本校で身につけたことを生かして、力強く歩んでいってください。

 挫折という言葉を知っていますか。辞書を引くと、計画などが途中でくじけ折れること、だめになること、と出ています。あなた方は、挫折したことがありますか。誰でも挫折はしたくない、失敗はしたくないですよね。何もかもうまくいってほしい、苦労せずにうまくいってほしいと誰でも思います。でも、何もかもうまくいく人生なんて人生じゃない。私は、はなむけの言葉としてあなた方にあえて言葉を送りたいと思います。挫折を受け入れよ、挫折を栄養とせよと。

  2月のトリノオリンピックは日本選手は不調でした。その中にあって、女子フィギュアの荒川静香選手が強豪を抑えて見事金メダルに輝きました。私は、テレビをみていて、当初あまり感激がありませんでした。それは私が荒川選手をよく知らなかったからです。力のある人がとるべくして金メダルをとったんだろう、くらいしか思いませんでした。でも、彼女は長野5輪では転倒13位、次のオリンピックには出場できず、大きな挫折を味わったと聞いて、改めて感激しました。

挫折はつらいけれど、志がきちんとしていれば、必ず次への弾みになります。挫折は成功するための大きな栄養になるのです。これからの人生、間違いなく挫折はあなた方にも訪れます。挫折したから人生を捨てますか、挫折してもがんばりますか。そこで人生は変わります。大人は、皆大なり小なり、そうやって挫折を乗り越えてきています。あなた方も挫折を乗り越え大人になってほしいと思います。

 最後に、歴史から学んでみましょう。

 天文11年、1542年、岡崎城主松平広忠に長男が生まれました。名を竹千代といいます。幼い頃から、今川氏の人質となり、駿府今の静岡で十数年の苦難の人質時代を過ごしました。

1560年、桶狭間の戦いで今川氏が織田信長に敗れると、岡崎にかえって、自立。やがて織田信長と同盟をむすびます。

 信長の死後は、一度は秀吉と対立したもののその後和解し、秀吉の全国統一事業に協力し、東海一の大名になりました。

 この間、家康の家臣はなかなか天下取りに動かない主君に対していらいらを募らせていったのでした。

 秀吉の死後、家康はようやく天下取りに乗り出し、1600年の関ヶ原の戦いで石田三成の西軍をやぶり、この戦いに勝利するのです。平地戦を最も得意とする家康の面目躍如です。このように家康が初めて自分のために動いたのが、実に58歳の時でした。家康は、我慢強く堪え忍ぶ人でした。それは、幼少期の人質時代の経験がそうさせたのでしょう。その後大阪冬の陣、翌年の夏の陣で、当時落ちるはずがないと言われた大阪城を攻め落とし、豊臣氏を滅ぼしました。城攻めを最も苦手としていた家康としては、かなり緻密な戦略を用いた結果でした。

 家康の、挫折からの生き方には私たちも学ぶことが多いと思います。

  その家康が慶長八年に有名な家訓を残しています。

 

    人の一生は重荷をおうて遠き道を行くが如し。

    急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。

  心に望みおこらば、困窮したるとき(困ったとき)を思い出す  べし。

  堪忍(我慢)は無事長久の基、怒りは敵と思え。

  勝つことばかり知りて、まくること知らざれば害その身に至る

    おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるより勝れ  り。

 

あなた方にとって、遠き道とは、どこへいこうとする道なのですか。

    平成18年 弥生(やよい)3月