生涯忘れ得ぬアマチュア局たち DE JA3NCD・・・    メールを送る

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1967年頃編

JA3JGB・・・クワッドのDXer・・・現在廃局

昭和42年頃、よく聞いた。「じゃぱーんじゃーまにーぼぅすとん」と独特の抑揚をつけたコールが印象的だった。リグは9R59とTX88Aと平凡だが、アンテナがすごい。家そのものが稲荷山の上。
家の横に大きな木があって、そこに地上高15メートルくらいの、2エレメントのキュピカルクワッドがそびえ立っている。21メガ専用である。今思えば、よく作ったものだと思う。
実にロケーションがよく、よくVKやDX局と交信していた。私たち仲間の羨望の的であった。キュビカルクワッドというアンテナは知る人ぞ知るきわめて優秀なアンテナ。その分作るのが難しいし、調整も面倒である。昔、通はたいていこのアンテナだった。今、見ることはほとんどない。


JA3JBL
・・・八木アンテナのDXer・・・現在廃局

この局も42年頃よく出ていた。「ジゲイボースリージョンブラボーリマ」とかっこよくコールしていたのが、あこがれの的だった。
リグは、9R59と2B94シングルと6CA7のPPというしろもの。当時変調に6CA7の真空管を使うというのは、かなりのマニアであった。

 2B94

それより、2B94という球。600ボルトかけて80ワット出るという恐ろしい真空管である。10ワットに押さえる方が難しい真空管である。
6CA7の変調機はフルパワーでゆうに100ワットはでるが、それをかなり押さえて、変調をかける。マイクでしゃべるたびに、出力トランスが「しんしん」と音がする。これが、めちゃくちゃかっこよかった。

アンテナは、21メガ用の4エレメント八木アンテナ。これがすごい。フルサイズだから、エレメントの長さが7メートルある。屋根をおおうばかりのアンテナであった。この局もDX専門みたいな印象がある。

実にかっこいいJA3JBLのカード。このシルバーのかっこよさにあこがれたものである。



JA3IYM
・・・現在廃局

高校の先輩である。高一のときに、この人の作った50メガのオール真空管のトランシーバーを見た。高校生であんなものが作れるのかと感心した思い出がある。


JA3LWH
・・・無線の幼友達・・・現在廃局

私より一年下。確か、伏見横大路の局だったと思う。高校のとき、学校から帰ってくると、この局がよく出ていた。ほぼ毎日21メガでラグチューをした。確か、スターの受信機を使っていた。9R59でないところに、この人のこだわりを感じた。私よりかなり大人やなという印象がある。私にとっては、無線における幼友達である。

今見ると、送信管が6146で、変調機が7189のプッシュプルというのは、当時メーカー製でもこんなしゃれた真空管は使っていなかった。この人のすごいこだわりを感じる部分である。

JA3MAV・・・現在廃局

同級生である。この人の作ったラジオを見て、いっぺんにラジオ作りにのめりこんだ。この人の家にいくと何か部品があって、よく交換したりしてもらった記憶がある。いろいろと教えてもらった。


JA3LVE・・・現在廃局

昭和41年頃。私の同級生。私たちの仲間では一番早く免許が下りた。21メガの3エレメントの八木アンテナをあげるというので手伝いにいったことがある。はしごをたてて、そこにパイプをたてて、そこにアンテナをあげた。よく交信をした。リグは9R59とTX88Aであった。



JA3HVZ

伏見の墨染あたりの局だったと思う。真空管リグ全盛の時代に、トランジスタの送信機を自作していた。だからあまり電波が遠くに届かない。この人は7メガ専門で一生懸命国内DXに精を出していた。北海道や九州と交信したりすると、うれしそうに話していた記憶がある。元祖QRP局である。トランジスタ送信機の技術をひたすら追求していたようだ。

今見ると、送信管が2E24。これはテレビ管でこんな真空管はだれも使っていなかった。また変調管が807というのも当時では考えにくい取り合わせである。この人も自作派で、すごい個性的な人である。


JA3KLC
・・・現在廃局

私が京都桃山に引っ越したとき、よく交信した。桃山の局
「キロ リマ チャーリー」と甲高い早口が印象的だった。


JA3KNW

私が伏見深草に住んでいるころ、つまり昭和40年頃よく聞いた。印象が強い割には、交信した記憶がない。この人は、大変声がよかった。


JA3GCH・・・現在廃局

桃山の局。アンテナは、模範的な2エレメントのキュピカルクワッド。いち早く、SSBを導入して、DXをほしいままにしていた。私とはよく交信した。確か、スターのSSB機を使っていた。

JA3MWC・・・現在廃局
私の同級生。この人は当時としたら高級機であるトリオのTX-388Sというのを使用していた。交信したのは数回である。

JA3MWA・・・現在廃局
高校の無線部の先輩である。交信したのは、一回程度だったと思う。この人はコールサインをいう時、ダブリュのだの音をひときわ高く発音するのがくせであった。しかし、よく見たら変調器がトランジスタである。トランジスタで真空管の送信管をドライブするのは、誰もやらないことであった。今見てもすげえ。

JA3IXT・・・現在廃局

かっこいいコールサインであこがれていた。この局はほとんどQRTしていた記憶がある。ただ、トリオの50メガのトランシーバーをよく借りに行った。同級生数人で、この機械をもって山歩きをした記憶がある。当時のトランシーバーは、水晶発振子で周波数を決めていたから、固定一波しか電波は出せない。だから、CQで呼んだ後は、バンド中をくまなく受信すればかなり離れた周波数で応答があるという、のんびりしたものであった。古き良き時代であった。



JA3NED

中学の同級生。私たちの学年の電気工作のオーソリティであった。電気屋の息子でジャンクの部品をたくさん持っていた。典型的な技術家であった。私とは同時期に免許がおりた。この人は、自作派で、交信するたびに回路などをいじくっていたような気がする。キャリアコントロール変調もこの局から教えてもらった。私は自分のTX88Dに大改造を加え、キャリアコントロール変調に改造した思い出がある。


JA3MGD
・・・現在廃局

高校のときよく交信した。確か有名な進学校にいっていたと思うが、こんなに無線をやっていて大丈夫かなと心配した思い出がある。


JA3MYM

同級生である。リグは記憶にないが、なんと竹で21メガのキュピカルクワッドを作ってしまった。一時期精力的に出ていた。私たちは、やがて大学入試をひかえ、無線から遠ざかっていった。

この人は、送信管と変調管ともジャンクのテレビ球を使って自作した。

はっきり言って誰も思いつかないような真空管である。やりくり算段で何とか送信機を自作してしまった。


JA3WSW
・・・現在廃局

昭和46年頃、つまり大学時代に、よくラグチューをした。中学からの同級生である。リグは50メガのとよむらの真空管トランシーバー。終段は2E26であった。アンテナは窓から出した、3エレメントの八木。夜になると、私たちは覚え立てのドイツ語で交信したり、無線で将棋をしたことがある。たいていは、持ち駒がわからなくなったりすることが多かった。大学時代、もっとも頻繁に交信した局。