涙の二輪免許奮闘記

 

思い立った日

・21歳でバイクを離れて以来24年。ある日のこと、突然2輪の免許を取ろうと思い立った。1997年の2月、45歳だった。明くる日に伏見テクニカルセンターへ直行。その日は、大型二輪の教習が開始された日であったが、私は それを知らなかった。とりあえず、250ccのバイクに乗れたら満足とおもっていたから、普通二輪に申し込んだ。

教習始まる

それからの2ヶ月はむちゃくちゃ楽しくもあり、苦しくもあった。伏見テクニカルセンター付近は、私が青春時代に住んでいた場所に近接しており、その意味でも懐かしく甘酸っぱいものがあった。教習車は、CB400。原付に乗っていたときにははるか遠くの羨望の的であった排気量である。よく走るバイクで、25年ぶりということもあり、青春が戻ったようで、実に楽しかった。初めのころに、いきなりポンピングブレーキがうまいと誉められた。これは昔乗っていた経験である。急制動は、はじめてのことでありとまどったが、40kmをきちんと出すのが難しかった。特に、リヤブレーキを軽く踏むのがなかなかできず、つい踏みすぎて後輪がロックしかかってしまい、だいぶ注意を受けた。

難しい

・しかし、苦しかったのは一本橋で、7秒以上というのは意外と長い。平均台に乗る時は、ゆっくりコッ トンと乗らなくてはならない。ハンドルがゆらゆらゆれるようならたぶん落ちてしまう。調子のいい時は、ほとんどぴしっといく感じの時だ。大変だった。

スラロームはアクセルを開くリズムで覚えること。上手な人の運転を見ていると、リズムがつかめるはず。まねをしてみよう。私は、クランクが苦手であったが、ある日のことコツをつかんだ。それは、目線を曲がる方向よりちょっと大げさ目に動かしてみる、そしたらきれいに曲がれた。ハンドルだけで曲がろうとせず、目線の移動を利用するのがコツだ。

奇跡

・もうひとつ苦しかったのは、教習の時間に仕事があったりでなかなか予約の取れないこと。土日に固めたり、何日もあいたりで大変だった。最大のターニングポイントは、3月27日のシミュレーション。シミュレーションの時間は、確か3時40分ころからだったように思う。車を飛ばして、10分の遅刻だったが、受けさせてもらえた。あれを受けていなかったらどうなっていたかわからない。

・人生あきらめてはならないというのを、地でいったようなできごとだった。あのときのあせりを思うと、今バイクに乗っているのが夢みたいな気がする。でも、3月30日に検定不合格。理由は、急制動でラインより手前で右手が動いたからだった。自分ではきずかないが、教官がそう言うのだからそうなんだろう。

検定・・不合格そして合格

・平日はまず通えないし、一週間に一度の教習では技術的にもうまくならないだろう。絶望のどん底だった。でも何とか思い直して、4月6日に二度目の検定。この日は朝から、緊張し、ひざががくがくふるえる。なんとしても合格しなければもうあとはない、と覚悟し、検定車に乗車。急制動は、メーターをにらみつつ、ラインの白線が通過したのを確認してからフロントブレーキをかけた。うまくいった。検定車を降りてから、教官から「合格です」と言われたときは、非常にうれしかった。もうとび上がりたい気持ちであった。生涯であれほど緊張し、あれほどうれしかったことは、かつて経験したことがない。

大型二輪へ

・同年、大型二輪に挑戦。400ccから750ccになっただけで、重さが違う。半クラッチにしたときのトルクが違う。まして3速で35kmだすのが逆に難しかった。やはり、一本橋がネックになり苦戦。大型二輪は10秒以上でゆっくり走る技術を確実に身につけていないと、だめだ。

・それと波状路。これには泣かされた。前輪が横を向いて落ちてしまい、教官から何度も指導を受けた。遠くを見たらいいものをついつい下ばかり向くから、つまずいてこけてしまう。クラッチワークが大切で、段のところへくるたびにクラッチをつないで越えていく。このとき怖いのがエンスト。

・一本橋は、常時半クラッチで後輪にトルクをかけながら、時々リアブレーキを踏みながらなんとかしのいだ。やっと2回目で合格。免許とるのに年齢は関係ない。やる気のあるときが青春なんだと思っている。伏見テクニカルセンターは比較的コースが覚えやすく、たった2パターンしかない。それもほとんど同じ。おまけに二輪専用だから走りやすい。免許をとるならここである。先生方、大変お世話になりました

・これから、免許を取ろうと思っている人、ぜひがんばってください