思い出のバイク

 

ヤマハメイト

・初めは、ヤマハメイト。1970年から、1年半ほど乗った。当時、中古で8000円。はじめてのバイクで、感激したけど、京都の五条坂では焼きつきを起こして大変だった。

・これで、琵琶湖一周はきつかった。いっしょに行った友人二人は90ccのバイクで、ついていくのが精いっぱいだった。おまけに調子の悪い時は、エンジンをかけるのに30分くらいかかった。琵琶湖一周に出かける時の心配そうな母の顔と、12時間かかって帰ってきた時の、今は亡き父のほっとした顔が印象に残っている。親父、心配かけたね。

・でも、調子の悪い分だけ、機械を相当いじってバイクの基礎を学ばせてもらった。プラグはもちろん、ライトやブレーキまでさわって、ライトの向きなんぞはどこが標準かわからなくなったほどである。

1970.5〜1971.10    


ホンダベンリ−CL50

(「絶版車カタログ」英知出版)より

1971.10〜1973.7

・次に乗ったのはホンダベンリ−CL50。約2年乗った。

・これはよく走った。坂でもなんとかのぼり、よく回るエンジンでタフなバイクだった。当時、中古で17000円だった。雨でも風でも乗った。大学にもこれで通った。かなり乱暴に扱っても、きっちりこたえてくれるバイクだった。しかし、なんだねえ、50ccのバイクってどうしてバッテリーがすぐ上がっちゃうんだろう。

・初めてのクラッチつきで、いかにもマシンを扱っていると言う感じがした。しかし、所詮50ccの弱みか、クラッチをきらないでもギヤが入った記憶があり、ほとんどそれで走っていた時期もある。京都の街中は、平面が多いので、このバイクは走りやすかった。

・でも市電のレールはタイヤをとられやすく、当時の私や友人は、二段階右折をすでに実行していた。冬でもきたないオーバーをきて、マフラーをして颯爽と乗っていたつもりであった。失恋した日もこれで走り回ったけどちょっとさびしかったな。もっと乗り続けたかったけど、当時の私は車のほうに興味が移りつつあった。一時は車と同時に使っていたけど、だんだん使わなくなり、最も快調に走っていた時に、廃車にしてしまった。

・原付で、走り回った京都の町、京都の寺、本当に自由になれたような気がした。当時、よく行ったのは、宇治の天瀬ダムや笠取、そして雲が畑などであった。自分の意志でどこまでも走れるのはバイクの魅力だ。中古でも、私と一体になって走ってくれた、2台のバイクたち。あのバイクたちに青春をありがとうと言いたい。特にCL50は、今のスカイウェイブ400とともに最も愛したバイクといっていいだろう。