64歳の心境    2015/12/29

退職したときは、再雇用をされなかったショックがあったが、それも今ではどうでもよくなっている。退職して時間がたっぷりとあり、家内との濃密な生活を楽しみ好きなことをするのは、つくづく人生の楽園だなと思う。

退職直後は、校長だったことは人生の大損失だと思っていたが、今はしんどいながらもなんとか校長を十年やりきった満足感が大きい。だから、校長を務めたことが私の誇りの一部になっている。

現在、精華中のシニアスクール、精華中の実行委員、写真クラブ、卓球と地域でいろいろやっているが、元校長という肩書きは大きい。多くを語らなくても話が早い。今更ながら苦しいながら校長をやってよかったと思う。

友人関係でいうと、私は特定の友人関係の完全没入してしまうところがある。高校の同級生に没入していた昨年は、大学時代や枚方関係などの友人関係をすべて切ろうと思った。

しかし、高校の同級生がぎくしゃくして考えたのは、いろいろな友人関係を特に没入することなく、広く時には広く浅くつきあいを維持することが大切ということに気がついた。

趣味は多いのがいい。アマチュア無線を2年前に再会して、私の趣味のメインとなっている。去年、初めて「私のギター」を買った。弾いたり弾かなかったりしていたが、最近はまたまたギターを弾くことが楽しくなってきた。

特に、中学時代のギター友達である林君とつながってからは、ギターを弾くのが楽しくて楽しくてたまらない。本当に中学時代に戻ったようである。

最近、私の趣味の中心になってきたのが小説である。旅歩きシリーズに関連したものを書き続けているが、これがけっこう書くのがおもしろい。
歴史物や自分の人生に関係したものをたくさん書いているが、わりと書ける。自分で書いたもので涙ぐむこともある。

まだまだ、書きたいものがたくさんある。書いていると頭の中に風景や昔の町並みが浮かび、過去にトリップしたようなきもちになり実に楽しい。

私には、現実の友人もいるし、小説をかくときに思い浮かべる架空の友人もいる。だから、多くの人に見守られているような気がしている。

64歳の今、毎日が甘やかな楽園にいるような気持ちである。

今年の2月から始めた「京都旅歩き」は正解だった。歴史の勉強に拍車がかかったし、小説にも勢いがついた。なにより、健康作りに資するところが大であった。そして、いつかは触れてみたかった京都の町を自分の足できままに歩くというのが、なにより楽しい。

現在、第50回まできた。高校の同級生としている歩こう会の回数をはやく上回りたいものである。

写真クラブはようやくみんなと打ち解けられるようになってきた。気心が知れてきたのだと思う。写真はいっこうにうまくならないがそれはそれなりにがんばればいいだろう。カメラは現在ソニーのα6000だが、当分このカメラで勝負するつもりである。

家内との生活がこれほど楽しいとは思わなかった。円満のこつは、自分が常に笑顔でいること、家内に感謝を言葉で伝えることかな。

これからも、健康作りを第一とし、友人関係や趣味をがんばりだい。