私にとって教職とはなんであったか 23.12.21
私は36年間教職をつとめた。教員が19年、指導主事が3年、教頭が4年、校長が10年である。
今、振り返って私にとって教職とはなんであったか、考えてみた。
結論から言うと、教職とは私の自己顕示欲を満たすものであった、というのが率直な今の感想である。
子どもはかわいかったし、子どものことを真剣に考えて生徒指導もした。しかし、一人一人の子どもを心底から愛していたわけでもない。
ただ、職務として子どもを指導したに過ぎない。
学級指導は私の自己顕示欲を満たすにはいい機会であった。文化祭になると先頭きってがんばったし、体育祭になると優勝を目指して学級指導した。優勝すれば実に誇らしく、
同僚に対して大変な優越感を感じたものである。
担任外になったときは、いかに若い担任を後方支援するかに腐心し、自分が優れた指導力の持ち主であることを同僚や管理職にアピールしようと努めていた。生徒指導主事を
4年間やったが、生徒指導の中心として私の力を十分に示せた。
教頭になったときには、いかに私の事務能力が高いかを教育委員会や校長に認めさせようとがんばった。また、改革への意欲や手だてがいかに優れているかを内外に示そうと
努力した。
教頭としての自己顕示欲は、ほぼ100%満たされたと言ってよい。
問題は校長職である。
この職は特別である。この職は決して自己顕示欲を満たそうとしてはいけないのである。前に出てはいけないのである。
生徒指導においても、私が先に出てはいけないのであって、部下をまず出してうまくいけば「ごくろうさま」とねぎらうし、うまくいかなければ、最後に私が出て収める。
校長は、いかに目立たないようにうしろにひっこんでいるかがもっとも大切なのである。中日の落合元監督をみればわかると思う。
自己顕示欲を満たせなかった校長時代の10年間は私にとっては実に不自然で欲求不満のたまるものであった。
こういう仕事をすると喜怒哀楽を表情にださなくなる。落合元監督もそういう表情になっていた。いわゆる能面のような表情になるのである。これも職業病である。