老後には「永遠」が見える   23.12.22


今まで、じじばばが、俳句や絵手紙や庭いじりをするのは他にすることがないから暇つぶしでやっているのだと思っていた。

しかし、それらがいかに贅沢な趣味であるかと思い至った。そういう趣味に没頭できるということは、経済的には問題ないということだし、ある程度の健康は維持できていると言う

ことなのである。

そして、それらの趣味に共通していることは「永遠」が見える、ということである。自分の思い出と未来と自然世界を自由自在に旅をし思いをめぐらしていけるのである。

いわば詩人が旅をしながら風景を詩にしていくのに似ているし、画家が旅をしながらきままに絵を描いているのと似ている。

つまり、私の言うところの「妖精たちに囲まれた世界」を味わえるのである。そう、じじばばのなんでもないこれらの趣味であるが、自由に思いを巡らせていると「自然」という名の

妖精たちが現れ、また「思い出」という名の妖精たちが楽しく歌ってくれるのである。

その中で純化された自分が自由に遊び回るのである。そしていつしか自分も妖精になれるのである。

これほどの贅沢があるだろうか。

老後にはまさに永遠が見えるのである。


仕事の現役中は、いくら楽しいことをしても仕事のマイナスを何とかゼロに戻すのが精一杯で、心底自由な気持ちにはなれなかった。いやなことを忘れるためにむりやり楽しんで

いたような気がする。いや、家族の手前、楽しい振りをしていたような気もする。とても妖精は現れなかった。

老後の気持ちを一言で言うと、小学校の時の夏休みの一日目、の気持ちと言えばわかっていただけるだろうか。

夏休みの一日目は、今日は何をしようかなとわくわくするしお日様もひまわりもいつもより輝いて見える。あれに近い感覚だと言えばおわかりいただけるだろうか。

私は、長い人生で今が一番楽しい。


仕事をやめて9ヶ月。私の周りにも妖精が飛び回り始めている。老後ほど楽しい時はない。テレビで「人生の楽園」という番組があるが、私は何もしていないが楽園に近い気持ち

なのである。

教職36年、うち校長職10年、定年まで歯をくいしばって勤め上げてよかったなとつくづく思っている。