たんぽぽ通信
夏野菜…元気に      2015年8月31日(月)

 朝夕、ずいぶん涼しくなってきた。夏の間、暑さに耐えていた朝顔と夕顔が「やっと一息」という感じで咲いている。

 久しぶりに畑に行く。やたら元気なのが「コスモス」。茄子も息を吹き返して来たし、夏野菜ががんばっている。お隣の畑には白菜やキャベツの苗が植えられ、大根などの種まきも終わっているが、頑張る夏野菜を抜くわけにもいかないし…。

 お昼過ぎまで畑仕事をして、後は集金活動。行く先々でいろんな話がでる。結局、夜の8時ごろに帰宅してから夕食準備。

    
        夕顔も賀茂ナスも元気に…。


ボランテァorアルバイト?  2015年8月30日(日)

 戦争法反対国民総行動…全国各地でアピール行動。
国会周辺には12万人、全国で何万人かはわからないが、木津川でも精華でもアピール行動。

 夜、スーパーに買い物に行くと「今日はご苦労さん」と労われる。「えっ」と聞き直すと「交差点にたってたやろ。ピースサイン、送っといたで」と、知り合いの店員さん。

 「ところで、あれはボランテァなん?それとも時給のアルバイト?」と聞かれる。

 「いえいえ、時給もないし、ボランテァでもない。戦争法に反対やし宣伝してるだけ…」と答える。

 京都まで行っても、東京まで行っても「手弁当」で、交通費はもちろん自前。

 …で、そういう人たちが世代を超え党派を超え、集まって12万人。

 この声、聞こえないはずがないよね…アベさん。

円山公園/雨宿り    2015年8月29日(土)

 午前中は、共産党議員団の「議会報告会」に出席。午後から円山公園音楽堂で開かれた「平和安全保障法制 今国会での成立NO!緊急府民集会」に参加。

 京都弁護士会と日本弁護士連絡会の共催。反対の各政党と、SEALDs KANNSAI ママの会、保険医協会、女性レッドアクションもアピール。

 講演は、衆議院で参考人として「法案は憲法違反」と、きっぱりと断じた小林 節慶應義塾大学名誉教授。

 集会中は雨も降らず、日も照らず…集会日和。電車の乗ってときに雨が降りだし、祝園駅に着いた時は雨もやんでいたのだが、少しばかり買い物をしている間に、雨がひどくなり、店内で足止め。

 横で雨の止むのを待つ女性が「座って待ちましょか」と、誘ってくれてベンチに座る。

 「駅の近くに住んでますねんけどな…」としゃべりだした彼女。
「70代最後の夏ですねん。戦後70年ですな…今年。縁故疎開をしてまして、鹿児島に。戦後、教師をして37年、今、夫の介護をしながら書道をしてます。息子は開業医を地元でしてます…」
と、話は途切れなく続く。

「アッ、ぼつぼつ止みそうですな、雨。退屈せんですみましたわ…」と、彼女は東に、松田は西に。

 20代最後とか30代最後とかのイメージはあったけど、「70代最後」という言葉はあまり聞かない。

 70代最後には、まだ少し間があるな、と奇妙に耳に残ったこの言葉。

いい夏休み      2015年8月28日(金)

 今週は、集金ウィーク。自転車で回る。ニュータウンの街は、自動車では走り辛い構造になっている。各町内の出入り口は限られている。

 自転車で走ると、その点、小回りが利いていいし、陽ざしはきびしいが風は「秋風」…心地よい。

 訪問先の現役の女性教師のはなし。
「最近、自分の子どもが何となくしら〜として付き合いにくい。勤務先の学校での担任と我が子が同い年。よ〜く考えると、学校でも家庭でも教師をしていた」

「多分、子どもにプレッシャーばかりかけていた。いろんなことを反省して、いい夏休みが過ごせた」とのこと。

 母親にとっていい夏休み…子どもにとっては、それ以上にいい夏休みだったのではないだろうか。

     
          
遊歩道の花梨と百日紅

砲丸投げ         2015年8月25日(火)

 高校野球が終わって、世界陸上…スポーツはするのも見るのも好き。

 さすが、この齢であれもこれもすることもできないし、今は、主にTV観戦。

 中学時代、陸上部などない小さな中学校で、対外大会があるときなどは、選抜メンバーで出場。

 その時に頼まれたのが「砲丸投げ」と「走り高跳び」。

 砲丸投げは「えっ、松田さんが…」と、よく言われるが、それには理由がある。

 子どもの頃から、秋の刈り入れ時には、8段ほどある「稲木」に稲わらを放り上げるのが「お仕事」。

 この作業は、砲丸投げに要領が似ている。なので、自然に力がついて砲丸投げに抜擢されていた。

 今は…できるだけ重いものは持ちたくないというのが本音だが
「漬物石」だけは、自分で持つ。

パッションフルーツ    2015年8月23日(日)

 お盆の間に、デジカメを新調した。もう、落としても濡らしても修理に出すことはない…それほど「安い」ものに。

 集金先の庭で、見事な「パッションフルーツ」を見かける。熱帯性の果物なので、つくり方は難しいらしい。8本の苗木を買って、生育しているのは4本。実なりのいいのは鉢植えの物だが、水管理が難しいとのこと。

 どんなふうに色づいていくのかが楽しみ…他所のお庭のことだけど。

   

病院で          2015年8月21日(金)

 お盆明けの今週は、やたら忙しい。

 子育てサークル、ガレージ野菜市、戦争法関連の集会と宣伝活動、相次ぐ会議、そして今日は病院で3か月に一度の定期検新。

 採血後、中待合で小一時間の待ち時間。同病者の方に話を聞く。早期発見の方は、入院なしで日帰り手術で部分切除。もうお一人は全摘手術。

 乳がん手術で日帰り手術を聞いたのは初めてで、正直、びっくり。

 今のところは経過良好…術後から5年、早いような遅いような複雑な心境。

 この5年、いろいろあったしね〜。

京丹後から7時間    2015年8月15日(土)

 京丹後市網野町の実家の墓参に6人で移動。京都縦貫道に期待して、少し遅めに出発。八木、園部あたりで渋滞に巻き込まれ、予定より1時間遅れで到着。

 帰りは大宮町あたりからノロノロ運行が始まり、宮津まで2時間。途中で縦貫道入口で「事故発生・通行止め」の情報が入り、宮津で夕食休憩。

 6人オーダーなのに、清算は5人分。あとで気付いて追加清算のためにレジまで引き返す。アルバイト賃金の一時間越えの金額で「間違いはバイト責任」になっても気の毒だし、気付いた以上は放っておけない。

 結局、渋滞は園部まで延々と続き、所要時間は7時間を超える。

 京都縦貫道貫通で「近くなった丹後」のはずだったが、車で帰省をはじめて40年以上の中で最長時間を更新。

 近くて遠いふるさとへの道…不運なだけだったのか?

うれしいサービス    2015年8月13日(木)

 スズメバチの続き

 念のために城陽市HPで、スズメバチ駆除を検索。「担当にTELください」とのことなので、朝イチに電話する。
10時に約束して、早速「駆除」開始。担当者は通常の作業服で、長いノズルの噴霧器と殺虫剤、補ちゅう網と身軽な出で立ち。

 所用時間は10分足らず、あっという間に作業完了。…で、「行政サービス」なので、無料。

 議員時代に、スズメバチ駆除の相談を何件か受けた。町の管理地は無料だけど、住宅は「自己責任」というのが、本町の対応。

 今はどうか知らないが、城陽市のこの行政サービスはうれしい。

 お墓参りと義弟のご仏前にお参りをする。

スズメバチ       2015年8月12日(水)

 例年のことだが、お盆前は何かと忙しい。

でも、以前だと盆暮れには大掃除…というのが当たり前で、網戸を洗って隅々まで掃除をしたものだが…。もっと以前は、畳を干して縁の下まで掃除をしたものだが…とりあえず今は、見えるとこだけ。

 城陽の古家は、とりあえずお仏壇をきれいにしてお供えをして、冬じまいをするのがやっと。

 陽が落ちてから庭に出て草引きをする。何匹ものスズメバチが飛ぶ。軒下に大きな巣。

 以前、エアコンの室外機の中に巣をしたあしなが蜂もいたけど、スズメバチは初めて。

 それにしても立派な巣。せっかくやけど、そのまま置いとく訳にもいかないし…明日の夜に「勝負」をするか。

大人の階段        2015年8月9日(日)

 6人の孫たちは、6人6様。良くも悪くも「個性的」。
6番目の孫は「中一」。今迄から、いろいろとトラブってたけど、今、俗にいう反抗期。

 先日、兄弟げんかの果てに、学習机を分解して放り捨て「閉じこもり宣言」をした。

 4,5日前に様子を見に行ったときは、クーラーの効いた部屋で、ひたすら寝ていた。その時「9日に、兄ちゃんや母さんとおいで」と、言っておいた。

 で、今日、約束の時間通りにやってきた。どうやら「閉じこもり宣言」は解除したらしい。

 中一男子と73歳ばあちゃんの会話。
「オレは、今、大人の階段を登ってるところや」
 「へ〜っ、何段ぐらいあるの、その階段」
「1000段ぐらいはある」
 「で、今、何段ぐらいのぼった?」
「300段ちょっと…。上りはしんどいけど、くだりは楽やで」
 「下りの方が、踏み外したりして、あぶないで…」
「そやな、俺も階段、踏み外して怪我をしたことがある」
 「おばあちゃんは下りばっかりやし、気をつけるわ」

 ま、いろいろ悩みもあるやろし、ようけ悩んだらいいわ、そやけど、踏み外さんようにしいや…。

 高の原駅で宣伝活動。お願いしてないのに「カンパ」までいただいて「戦争法案廃棄までがんばって!」と、激励を受ける一幕も…。


ミニ同窓会in石山     2015年8月8日(土)

 高校の同窓生から電話が入ったのは何週間か前。「8月8日、11時、JR石山駅前に集合。ミニ同窓会を開く」と。

 中学高校時代を共に過ごし、大阪で仕事をしている時も、時折バッタリと大阪梅田の地下コンコースで出会った同級生が、白血病にかかり、一命をとりとめ元気になったので「快気祝い」をしたいとのこと。

 で、場所は、当人が経営する「ホテル」。

 身内に頼んで、石山に向かう。石山寺を過ぎたところに駅。慌てて、「ここや」と飛び降りたのはよかったが、そこは「京阪石山寺」。駅前のバス停でバス待ちの女性に尋ねると「もうすぐJR石山行きのバスが来ますよ」と言われ「ヤレヤレ」。

 JR石山駅のロータリーで、ホテルバスを待つが気配もなく、反対側に回るとみなさん「お待ちかね」。

 行くだけで随分エネルギーを使ったけど、卒業以来初めての同窓生にも会えたし、快気祝いのご当人も元気だったし…よかった、よかった。

精華町平和のつどい    2015年8月2日(日)

 町内の「9条の会連絡会」や、平和を願う団体、個人が実行委員会をつくって4年目の「精華町平和のつどい」が開かれる。

 戦争の遺品や、広島・長崎の被爆パネル、沖縄での戦争パネルなどを展示。

 午後からは奥野先生の講演と戦争体験の交流座談会が開かれる。

 講演会は予定以上の多くの方が来られ、座談会も初めて参加の方が目立つ。

 大阪で被災した93歳女性は「戦争には前方も後方もありません。今、審議されてる安保法案は、どないかして止めてほしい」と、訴えられる。

 集団疎開の苦労話も何人かの方から出される。亡き夫も、カボチャやサツマイモ、ジャガイモなどは「疎開中を思い出すから…」と言って食べなかった。

 戦後の食糧難時代の「食べ物の恨み」は、私にもある。
いくら、健康にいいからと言われても「麦ごはん」は、いまだに食べたくない…など、など。

被爆ピアノコンサート    2015年8月1日(土)

 毎年開かれている「精華町平和祭典」に参加する。今年は「被爆ピアノコンサート」。

 8月6日8時15分、広島に原爆投下。爆心地近くで被災したピアノは、長く放置されていたが、被爆二世の調律師矢川さんによって復活。日本各地や海を渡ってニューヨークなどでもコンサートが開かれている。

 例年だと少ない参加者だが、今年は会場はいっぱい。ピアノ演奏も歌もステキだったけど、平和の訴えも心にしみるもの。

 爆風を受けた傷だらけのピアノ…象牙の鍵盤の響きは重く力強い。

 明日は「精華町平和のつどい」が役場交流ホールで開かれる。





新年おめでとうございます。
 
 
冬本番の寒い新年の幕開けとなりました。”キリッ”としまった一年でありたいと願っています。
 
本年もよろしくお願い申し上げます。