整いました。      2011年3月31日(金)

 しばらくお休みしてしまいました。

連日、早朝から夜遅くまで「外働き」が多くて、帰宅後はメールチェックがやっとという日が続いて、その間に、3月議会が終る。

 議会の詳報は後日にするとして、明日から府議会j議員選挙が始まる。むらき恵子さんが立候補を予定している。事務所は、木津川市の山城町。開き橋を渡った東、西詰の一角に準備を進めてきた。

 選挙は実にルールが多い。公示前のポスターから、宣伝カーの看板サイズやら選挙はがきに、掲示板のポスターなど、ルール通りにできていないと、立候補の届け出ができない。

 すべての届け出書類を整え、宣伝カーや看板も整え、明日からの選挙戦に備える。

さよなら…保育園    2011年3月26日(土)

 保育所の卒園式に出席する。我が家の親子リズム会に赤ちゃんの頃に来ていた子どもたちも何人かいて、成長ぶりに感動する。
 大きくなったら「AKBになりたい」「忍者になりたい」「パテシェになりたい」などから「石川 遼のようなプロゴルファー」といった、具体的な夢などさまざま…。

 保育所っ子は、最長では7年間、年間にして300日近くを保育所で過ごす。しかも、長時間…。

 だからこそ、今、「子ども・子育て新プラン」で提案されている「幼保の一体化」は、馴染まないと思っている。さらに、今ある「最低基準」を緩和することなども許されないと思っている。

「なんど泣いて、なんど風邪をひいて、なんど転んで…さよなら、ぼくたちの保育園」…毎年、聞いて、毎年、感動する「さよならの歌」。
 ハンカチで目頭を押さえるご両親を見て、こちらの涙腺も…。


寒かった…!     2011年3月24日(木)

 小学校の終業日。6年生がいなくなって、ただでさえカサが低いね〜と言っていたのに、学級閉鎖も重なって、一回り、小さなグループになっての登校。

 冬の間は枯れ木状態だった雪柳の新芽が吹き出し、かわいい小花をつけ始めた。つくしの群生も見つけたが、ほとんどは「胞子」を飛ばしている。気づかないままに春が来て、通り過ぎようとしている…そんな気がする朝。

 夕方近く、宣伝活動をする。ところどころに車を止めて、話をさせていただくが、途中で雨風が強くなる。
「こんなんで、へこたれたらあかん」と、最後までやりきったけど、冷たくて寒かったのも事実。

 話しながらも、TVの被災地や被災者の映像が目の前に浮かび胸が熱くなるばかりの街頭からの訴え。

 思いは熱いけど…なかなか届けられない「この思い」。

続…空家活用     2011年3月23日(水)


 「外国に住んでいる娘夫婦が心配するので、外国に永住を決め、早々と引越しをした」近畿圏に住む人の話だが、今度の原発問題は、諸外国の関心も高い。どのように終息していくのか…世界の目も集まっているようだが、処理にあたっている人たちは、まさに命がけの作業を続けている。終息を願うばかりである。

 議会事務局から連絡が入る。大きな空家「わたしの仕事館」の「避難所活用」についてだが、19日に精華町長より京都府に活用を申し入れたとのこと。
何日か前に、このことを書いたが、それからも、大きな空家活用の声は多い。
NHK報道もあったらしいが…決断は早いほうがいい。



自治会の総会     2011年3月21日(月)


 地元の自治会の総会が開かれる。
 会員の高齢化も進んでいるし、会員の負担を減らすために、いろんな試みをされた一年だったとの報告がされる。
集会所の清掃活動はシルバー人材センターの地元会員さんに委託したり、ペットボトル管理を簡単にしたり…などなど。
集会所の長期的な修繕計画やセキュリティの強化、補助金を出している団体との関係も規定を設けてわかりやすくするなど、工夫を凝らした一年が報告される。

 早いもので車を買い換えてから1年。定期点検のために業者さんが来る。昨年はエコカー減税の影響などもあって「飛ぶ」ように新車が売れたが、今年はその反動が強い。お得意さんも新車が多くて「車検」の仕事が入らないというのが、彼の話。

 お彼岸のお墓参りもままならぬままの休日。仕切り直しをしなければ…。


大きな空家が…。    2011年3月20日(日)


 素人考えだが、わたしの仕事館を避難所にできないか、という思いが頭の中をグルグルとまわっていた。
 朝、知人も「あの、仕事館こそ避難所に開放したらいいのに…」と、同じことを言う。

 午後から、記念公園前で「救援募金活動」をする。あいにく小雨模様となり、急きょ、祝園駅に直行して、活動を続ける。

 夕方、電話が入る。「仕事館を避難所にしたらどうかと、役場にFAXを入れました。病院も近くにあるし、ヘリポートもあるし、大きな空家をそのままにしておくことはない…と思って」。

 思いつくことがよく似てるし、似通った思いが重なる一日だった。早速、筋を通して「提案」したが…大きな空家は生かされるだろうか。

 
品薄、品切れ      2011年3月18日(金)


 小学校の卒業式が行われる。東光小学校の卒業生は130名。南山城村の話を聞くと19名の卒業生を送ったとか…。家族的で、一人ひとりの卒業生が「夢」を語り、感動的な卒業式だったとのこと。きめ細かい指導が行われてるし、少人数のデメリットは全くないとも。

 建設産業常任委員会が開かれる。TPP参加に反対の意見書を求める請願がだされたが、継続審議となった。12月議会では否決されたが、国政や関係団体などの動きに注視しながら、再度、審議をしようということになった。

 久しぶりに物販店に買い物行く。
「カセットコンロとガスは売り切れました」「乾電池は入荷待ち」「テッシュペーパーは、おひとり様ワンケース」などの張り紙が目につく。

 震災の影響で製造ができないのか、物流に支障があるのか、それとも「買いだめ」のためなのかはわからないが、品薄であることは確からしい。


予定通り…?     2011年3月17日(木)


 夜遅くにコンビニに寄る。お店の真ん中部分の照明がみんな落とされている。「節電ですか」と尋ねると「そんなとこです…」と店員さん。
 でも、プロ野球のセ・リーグは予定通り開幕する。選手会の会長は「遺憾」の言葉を述べていたが、電気の問題だけではなくて、選手や観客の気分や感情を思うと、十分理解できる言葉。
 
 4月の統一地方選挙も、議論はあったが、被災地域を除いて予定通り実施とのことだが、ほんとにそれでいいのだろうか。

「耐震化」       2011年3月16日(水)

 「なんで、こんなに寒いん?」通学の小学生たちも、一度脱ぎ捨てたジャケットなどを着込んで登校する。
 出かける頃には冷たいみぞれが降ってくるし、風は強くて冷たい。

 集まったメンバーで広域避難所のことが話題になる。町内では、消防署、病院、精華中学校、山田荘小学校の一部の耐震化ができていない。

 足元の安全管理も今一度、しっかりと見直さなければ…。

「救済募金」      2011年3月15日(火)

 昨日は中学校の卒業式。今日は幼稚園の卒園式のあと、子育てサロンのお別れ会。例年、3月は「お別れの季節」…でも、それは新しいスタートへのお別れ。

 さよならも言えずに、多くの方がお別れを…震災被害はますます深刻に拡大している。

 昨夕、祝園駅通路で「震災被害救済募金活動」を行った。多くの方が足を止めて「何かしたいと思っていたんです」と快く募金に協力。特に多かったのが若者。中高生も、大きなバッグや通学かばんから財布を取り出して「少しでごめんなさい」と言いながら募金協力。

 共産党はいち早く募金活動を始め、京都府下で500万円以上が集まった。全国の募金を取りまとめて被災自治体に送る手はずとなっている。

 ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。昨夜は24048円の募金をいただきました。


節電メール     2011年3月13日(日)

 春めいてきたが…気分は晴れない。
東京電力が「計画停電」を打ち出した。被災地のことを思えば、少々の不自由は、と思うものの、実施されれば、どういうことになるのか、予想がつかない。

 指先一つで、お湯を沸かし、ご飯を炊いて、お風呂を入れて、エアコンをつけて洗濯をする。夜中でもほしいものがあればコンビニに走り…電気頼りの日常生活。

 昨日、知人から転送メールが入る。
「関西電力から東京電力に電力を供給します。私たちにできることは『節電』です。多くの方にこのことを伝えてください」という内容。

 一人でできることは小さいけど、できることはやらねば…。


原発事故      2011年3月12日(土)

 朝の9時から役場で「(仮称)東北地方太平洋沖地震支援等調整連絡会議」が開かれる。議会も情報を共有するために、代表者が参加して、本町として、要請があればできることと、今、していることなどの報告を聞く。消防支援隊はすでに現地に向かっている。

 情報を一元化して、支援要請があればいち早く対応することを確認する。

 共産党演説会は予定通り開催したが、「被災地救援」集会に内容を切り替えての開催。会場でも、多くのカンパが寄せられたし、街角や駅頭などでも一斉にカンパ活動がはじめられた。

 肝を冷やしたのは、福島第一原発の事故のニュース。これ以上の惨事にならないことを、ただただ祈るばかりだが、ニュースによれば、すでに被爆者がでているとか…。
言葉が見つからない。


巨大地震        2011年3月11日(金)

 午後から議員団の会議予定があり、会派室で環境民生常任委員会が終るのを待っていた。
「揺れてる」「地震や」「震源地は近いのと違うか」「それにしても揺れが長い」などと、口ぐちに言っていたが「巨大地震」だった。
すぐに始まったニュースで津波の様子が映し出される。何もかもなめ尽くすように飲み込んでいく。自然の脅威をまざまざと突きつけられる。

 だからと言って、何かできるわけでもなく、ただただ気にしながらの一日。


一般質問         2011年3月9日(水)

 昨日は一般質問の日。今回取り上げたのは
●子ども・子育て支援システムへの対応と町の保育施策…待機児童と過密化問題、町営保育所での一時保育の実施
●木津川の水を守るために…三重県伊賀市の最終処分場から基準値を超えるPCBが検出されていることを取り上げ、三重県に産廃撤去を求める。
●精華町北部の近鉄所有地のイノシシ対策
 の3本だて。

 伊賀市の産廃問題で、カチンときた答弁「裏打ち資料としての具体的数値などの根拠を示すこと」というくだり。流域住民や地元の方が要望書を提出している。その段階で、自ら情報収集をし、判断材料を持つのが本来業務だし、専門性ではないのか。

 一問一答で質疑を繰り返しながら、浮かんできたのは20年間、産廃の山と闘ってきた吉田さんの顔。

 「源流近くの住民の力不足で、流域の方に迷惑をかけます」と、涙ながらに語られた吉田さん。

 最後に、この言葉を紹介しながら、思わず声が詰まった。
川の流れは止められないし、吉田さんたちの願いも大きな流れに…。

 本日は、一般質問最終日。

 午後から病院へ。手術してから2週間余り…やっと抜糸。抜いた後、丁寧に「こんな糸です…」と、主治医が見せてくれる。
「何か、いるものありますか」と主治医。「お土産、ください」というと、絆創膏を出して「どうぞ」。
以前「はい、今日のお土産」と頂いたのも絆創膏。まだ、しばらくは、絆創膏のお世話に…。

朝の訪問者      2011年3月7日(月)

 今日から一般質問が始まる。ヘルパーは平常通り出かけ、古紙回収を出して、さ〜お弁当をつくってと、段取りを計算しながら動いていた。
 インターホーンが鳴る。雨の中を長靴を履いて雨具をつけて訪問者。グリーンベルトの木々が切られている。朝から涙が出てきた、との訴え。何日か前から、剪定が始まっている。今回は、思い切りよく切り込まれている。ある人は、これで見通しもよくなるし
道路の通行の妨げにならない。枝が伸びていると、工事用車両などは枝をひっかけて走っていて危ない、と訴えておられた。
あちらを立てれば、こちらが立たず…そのバランスが難しいと、いつも思う。

 かたい蕾をつけたばかりの桜の枝が、ばっさりと切られているのは、見た目にも痛々しいし、せめて、花が終った頃にならないかと内心思っていた。

 さぁ、朝の用事を済ませて、と思っていたら、また、インターホンが鳴る。相談事を抱えての訪問者。

 そんなこんなで、忙しかった朝。
終日、一般質問で、狛田駐在所問題、スクールヘルパー、職員給与、町の花、教育問題、国保税やTPP問題と多岐にわたっての質問。

 明日の多分4時前後には、松田も一般質問の予定です。

外務大臣、辞任    2011年3月6日(日)

 昨日残した後援会ニュースの配布と訪問活動。

 今春、一年生になる知人の親子、ごみ袋と火ばさみを持って外出の準備をしている、「どちらへ…」と聞くと「今から、ごみ拾い」。
 ぐるっと回って外周道路へ出たところで、親子に会う。ずいぶん距離を伸ばして頑張ってはる…と、感心する。

 出かける前に買い物をと思い精華大通りを走る。アピタ、コーナン当たりから記念公園まで、車と人があふれている。何かイベントがあったのかもしれない。

 外務大臣が辞任。またもや「金と政治」問題で…。どこに向かうのか”菅政権”…後任人事は?
厚労相も、次々と変わっても「年金知らず」の大臣やし、火だねは残したまま…。もう、繕いきれないのではと思う今日この頃。

舞獅子         2011年3月5日(土)

 昨日の議会は会派代表質問。質問時間30分、答弁は制限時間なしで、ほぼ1時間。秋の町長選挙への出馬要請とも思える質問もあったが、確答なし。

 後援会ニュースの配布に出かけたが、途中で立ち寄ったお宅で”長居”をしてしまい、中途撤退。

 午後から第26回国民文化祭・京都2011のリレーシンポジューム「心を整える」セッション2に参加。
オープニングの「舞獅子」を鑑賞する。あまり触れることのない「お能」を垣間見た程度だが、舞台上の緊張感や迫力がビンビンと伝わってくる。
シンポジュームやコーラスも聞きたかったけど、2時からの会議予定もあったので、後ろ髪をひかれながら帰宅。

 午後からは会議の連続で…遅くに帰宅。やっぱり、寒い。

ノー残業デー      2011年3月2日(水)

 3月議会の開会日。ありあわせでお弁当をつくって、重い議案書をヨイショと抱えて出かける。
 
 終日、提出議案の提案説明が行われる。予算書を見ていて、ふと気づいたのが「華の塔」の清掃管理費。見間違いでなければ約500万円。全面ガラス張りで、建設当時、著名な建築家の設計とやらで建設費も高値だったと記憶している。

 当時、維持費のことも考えにあったのかな〜などと、率直な感想。

 すべての説明が終わったのは5時過ぎ。庁内アナウンスで「今日は、ノー残業デーです…」と流れてきたけど、6時前になっても、事務局職員は仕事をしていたし、夜の8時からの会議の帰りにも庁舎には灯りが見えた。

 「育児中の時短は取れるようになったけど、仕事の段取りは自己責任…」というメールが知人から届いていたが、権利の行使と仕事の狭間…まだまだ、課題は多い。


寒さ、戻る。          2011年3月1日(火)

 「2月はどう考えても短い…」2月の仕事を引きづったたままの3月。

 4丁目の子育てサロンに出かける。お世話係の方が巨大だいりびなを持ち込んで、ひなまつり。

 朝から「生活相談」の電話があり、約束時間は12時。片づけも早々に帰宅すると、相談者の方はお待ちかね。

茶封筒から「困ったときは相談に寄せてもらおうと、大事にとっていました」と、”後援会ニュース松田版”を出される。

 相談事は、ここから始まるんや…無縁社会、と思わせるような内容で深刻。とりあえずは、宿題としてお預かりして、病院へ。

 雨模様で明けた3月…寒さ、戻る。



たんぽぽ通信
新年おめでとうございます。
 
 
冬本番の寒い新年の幕開けとなりました。”キリッ”としまった一年でありたいと願っています。
 
本年もよろしくお願い申し上げます。