たんぽぽ通信
"無病息災”     2007年12月31日(金)

 とりあえず…持ち帰った荷物を整理して、北風の中を畑に直行。今わの際になってお正月用の大根や人参、ごぼうを収穫する。それにつけても今日の寒さは格別で、根深いごぼう抜きは骨の折れる仕事。
 予期せぬ師走で、おせちなどはすっかり諦めたがお年玉目当ての孫たちの来宅はそれでも必至なので買い物も少々。

 この一年はどうだったか…などと思い起こしている間もない大晦日だが、我がことで言えば"無病息災”が何よりの一年だったと感謝。

 どうか、どちらさまもよいお年をお迎えください。タンポポ通信に一年間のお付き合いありがとうございました。
 来年もよろしくお願いいたします。

ふるさとは…。     2007年12月30日(木)

 97歳と7ヶ月、一世紀近くを生きてきた母に「長い間ご苦労さま…ありがとう」と、別れの言葉を告げて、吹雪に押されるようにして帰宅。
 3泊4日の長逗留をしたのは本当に久しぶりのことで、さほど忙しくはないのだが気疲れのする里帰り。実家のご近所回りの様子も違っていた。子どもの頃遊んだ幼馴なじみも、先方から声をかけられるまでは誰だか検討もつかず、失礼のしっぱなし。
 
 母の里は京丹後市の大宮町だが、そのルーツは姫路の夢前町だったと教えてくれたのは、子どもの頃、妹のようにかわいがってくれた従兄妹達。彼らは元気な間に…と、自分達のルーツめぐりの旅をしているらしい。
 そこまでの時間と興味のない私は、まだ"仲間入り”はできそうにないが、そんな"旅さがし”もあるもんだと教えられる。

 ふるさとで身近な者を見送るたびに「また一歩、ふるさとが遠くになった」と感じる。同時に「自分は子ども達にとって、どんなふるさとだろうか」とも思う。
遠くにいても思っていたのは"母のいるふるさと”だったと…遅まきながら気付いたこの4日間。

 ご心配をいただいた方や、お世話になった方々に、こころからお礼を申し上げます。

悲しい予感      2007年12月26日(水)

 今年最後の議員団会議で”議会報告”の検討をする。発行は新春の予定だが…。
午後になって兄からの電話が頻繁に入る。
母の血圧が下がってきた。息が苦しそうや…と。ぼつぼつ心の準備をしないと…と思うが、そんな気分にもなれなくてぼんやりと時を過ごす。
夕方になって電話を入れると「やっぱり駄目だった…」と兄。10日ほど前に見舞いに行ったとき、何度も何度も「ありがと」といっていた母の最後の姿が鮮明によみがえる。
きっと、これが最後だとわかってたんや…と思う。自分の中にもそんな思いがあった。
 悲しい予感が…的中。大きなおぼろ月が余計に”おぼろ”に映る中、車を走らせて会議に向かう。


走る…1日。     2007年12月25日(火)

 昨日「街路灯が消えてからずいぶんたつけど…お正月までには何とかしてほしい」と相談される。昼間は確認できないので夕べ遅くに現地の確認に走る。そして朝、番号を調べにまた、走る。
防犯灯と街路灯は管理の担当課が違うらしい。公園も都市公園と児童公園では担当が違う。住民にはそこのところが分かりづらい。生活安全課みたいなところがあって、身近なくらしの相談が一本化できたらいいのに、などと思う。
 
 夜が明けやらぬ早朝に家を出て、祝園駅で本年の宣伝納めをする。府会、参議院、町長選挙と選挙つづきだった今年はずいぶんとこの場所でお世話になったと思いながら…。
朝の間は会議があり出席。午後は短時間ではあったが訪問活動…ご一緒したのは衆議院京都6区の予定候補の浜田さん。
 
 薬害肝炎被害者に首相が謝罪…もう少し早い時期にできなかったのか。被害者の方の一日は長い。


マッチ売りの少女   2007年12月24日(月)

 ひときわ目立つイルミネーション。街路灯もアクセントに。
 
朝からひとっ走り、集金に。いつも1人で"留守番”をして、洗濯や食事の家事いっさいを引き受けて「この齢になってもすることが山ほどあるのは本当にいいことです」といっておられた90歳近い女性が、骨折で入院。
おうちの方が途方にくれて「退院したら介護サービスのお世話になるかもしれない…」と。
老夫婦で住んでおられ、妻が入院されたお宅では新しい表札が一つ増えた。きっと娘さん夫婦が帰ってこられたのだろう。
視力を失ったご両親を介護しておられる男性は「食事にはこだわりがあるし、ほとほと疲れています。おまけに近くに住む孫の保育所の送迎も仕事に加わって…」と、お疲れの様子。
 クリスマスイブ…ケーキ屋さんの前には車が並び、イルミネーションも輝いているけど、辛い話やきびしい話が多すぎる。
 夕方もひとっ走り集金に。住んではる方はどんな方やろ…と思いながらデジカメ撮影。
この時期に時々思い出す「マッチ売りの少女」の話。子どもの頃、読むたびに胸が苦しくなった貧しい少女の物語…今どきの子ども達も読むのだろうか…この話。

暮れは…。      2007年12月23日(日)

 孫たちも塾やクラブと多忙になり"全員集合”はだんだんと困難になる。最大公約数で本日が良日ということで、ファミリーのクリスマス会をする。
不謹慎かもしれないが、宗教的な意味はなくて、もっぱら食べて騒いでプレゼント…というのが筋書き。
 午前中は集金活動…行く先々でそれぞれにいろんな話がでる。
「いよいよ来たわ。医療費の2割負担…今のうちにと思って病院通いに忙しい」と70歳になったばかりの女性。
「夫が生命保険を解約して、医療保険一本に切り替えた。葬儀費用はどないしたらええんやろ」と今から心配顔の女性。
「暮れはお金が忙しい…孫たちが来るし、うれしいけど出費がかさむ」と、今年退職された方。
 お昼頃に”さて、今日のメニューは…”と料理をイメージしながら買い物に出かける。たまには"手料理"優先で食卓を飾りたいと、材料を仕入れ、久しぶりに長女と台所に立つ。
夕方にはプレゼントを買いに"ご一行様”で出かけ、朝のはなしではないが「暮れはお金も忙しい…」を実感。

 
これで、消費税が上がれば…"ね"を上げる、ばあちゃんサンタ。

袖触れ合うも…     2007年12月22日(土)

 あいにくの雨…予定していた集金は断念して聖護院かぶらにひの菜の漬物づくりをする。
午後からはダブルヘッダーの忘年会。第一弾は降りしきる雨の中を歩いて食菜プラザへ。メタセコイアの細かい落ち葉が雨と風で歩道の縁に吹き寄せられている。歩行者の姿はほとんどない。
第2弾は祝園駅近くが会場。けいはんなプラザ前でバスを待つ。時刻表を見ないで出かけたもので何分待てばバスが来るのやら…バス停には明かりがないし時刻表は見えない。
プラザから出てこられた男性が「40分になればきますよ、バス」と親切に教えてくださる。
しかし…バスは来ない。「大阪からきたんやけど、初めてで…」と世間話をぽつぽつとする。やっと来たバスは10分遅れで到着。
男性は「ああ、1人でバス待ちをしなくてよかったです」「ほんまは、とても不安だったので…」と、バスを降りてもお礼を言って駅に向かわれた。
多分、R163の渋滞でバスも遅れたのだろうと推測したが、暗いバス停で寒い雨の中、1人でぽつねんと遅れたバスを待つのは辛い。
「いいえ、私も1人でなくてよかったです」とお礼をいって会場に向かった。
 袖触れ合うも他生の縁…の一こまでした。

委員長の職責       2007年12月21日(金)

 2学期の終了式。子ども達の足取りも軽いし背中の荷物も軽い。「明日から冬休みやね!」と分かっていながら声をかける。クリスマス、お正月と"ダブル楽しい"冬休み…どうか、悲しい事故など起こりませんように、と子ども達の背中に無言の声かけをする。
 
 午後の本会議に向けての臨時議員団会議が10時から開かれる。「後期高齢者医療制度の中止・撤回を求める請願」の常任委員長報告の対応について協議する。

 開会して質問したことは、審議が十分にされたかと言うこと。
「請願」は住民の大切な意思であり、慎重審議をするのは当たり前のことだから、請願者や紹介議員などを参考人として要請して「質疑」をし、委員はその請願の妥当性について判断をする。
 「委員会の中で、参考人を呼んでほしいと言う声はなかったか」「いいえ、ありません」と、委員長答弁。
委員の1人が「文書で要請したが、応じられなかった」と発言。
「他の委員会では、委員から要請があれば参考人を呼んで質疑をしている。そのような状況で十分な審議がされたと言えるか」と質問。
結果は委員長の「お詫び」で終わったが、その後すぐに「再審議」を求める動議を出した。
 動議は否決され、結果、請願は不採択となった。
「請願」は関連常任委員会で審議され、その妥当性についての判断がされる。その審議のあり方、結論の導き方は当然、本会議では問われることになる。そのことを責任を持ってきちんと答えるのは当然ながら「委員長の職責」。
 後期高齢者医療制度の中止・撤回の請願は否決されたが、署名に込められた高齢者のみなさんの"心の叫び”を"否決"することはできない…これからも。

"野菜生活”        2007年12月20日(木)

  がんばった人参、元気なサニーレタス
 
風邪やインフルエンザが流行っているらしい。12月にはいって初めての親子リズム会だが、幼稚園準備や風邪で参加者は少なかったが、ゲスト参加もあって"好きなこと遊び"でのんびりと過ごす。
 久々に畑に出かけ、ごぼうや人参を掘り起こそうとがんばるが、がんばっていたのはごぼうと人参。
スコップを持ち出して土を掘る。田んぼ仕立ての畑は土がギュッとしまっている。
こんな固い土の中で「ようこんなに伸びたな〜」と感心する。この野菜たちは"ほんまモン"のにおいがするし、柔らかい。
子ども達からは「もういい加減に畑は止めたら…」と言われるけど…自給自足の"野菜生活”は捨てがたい。
 
 薬害肝炎の政治決断は司法判断を超えなかった。大阪高裁で示された和解案はどうだったか。賠償対象者の期間を限定することは素人目にも合点がいかない。
待望の出産のあとの薬害肝炎…直接的な被害者は女性だし、子どもも家族も被害者なわけで、当事者でなくても無念な"政治決断”。

「請願」の審議は      2007年12月19日(水)

 議会最終日に向けての議会運営委員会が開かれる。「議会基本条例」の制定にむけて検討委員会が設置されることになりメンバーが確認される。6月議会から始まった一般質問の一問一答式についての意見交換がされる。
また、一般質問の順番については「抽選」で決められることになった。これまでは先着順だったので、大体「順番指定席」のようなきらいもあったが、これからは順不同となる。
 午後から議員団会議が入っていたが、時間があったので、庁舎周辺をデジカメ持参で歩く。


   
葉牡丹に囲まれた"華時計”   地下1階地上14階マンションの建設予定地
 
 昨日の民生環境常任委員会に提出された「後期高齢者医療制度の中止・撤廃を求める請願」の審議経過や結論などを聞く。
結果は「不採択」となったが、採決ではなく「継続審議」という意見も委員の半数はあったと聞く。
委員長の裁決権行使で「不採択」となったらしい…しかも「討論」なしで。
「請願」の審議は、通常は・質疑・討論・表決という順序で進み可否同数の場合は「委員長の裁決権」を行使、というのが順序だし、十分に審議をつくすための、委員外議員や参考人の出席を求めることもできる。
さて、手順はどうだったのか、手立てはとられたのかなどの疑問は残るし…お聞かせいただかないと…本会議で。


サンタクロース来る!    2007年12月18日(火)

 せいたかのっぽのサンタさんがやって来た、4丁目集会所。
 
一足早くサンタクロースがやってきたのは4丁目の集会所。
部屋の飾りも、サンタさんのプレゼントも手づくり。
赤ちゃんのときから参加していたメンバーの方が引越しをされることになり、お別れ会も同時進行。
お母さんが「このサロンがあって本当に心強かった…」とあいさつされ、子どもさんも「4年間ありがとう…」とお別れの言葉。最初に逢ったころ、いつもお母さんの背中に隠れてなかなか友だち遊びができなかったのに…。
「私より子どもの方が堂々としていた…」とお母さんの感慨もひとしお。
 楽器の借り出しをしていたので、保育所にお返しに行き、しばし歓談をする。
 毎年バージョンアップされるお宅や、今年から始められたお宅のクリスマスイルミネーションに目を奪われながら、会議のために夜の町を走る。
 あさって(木)は親子リズム会をひらきます。どうぞお越しください。


請願2件           2007年12月17日(月)

建設産業常任委員会に付託された請願
・近鉄狛田駅とJR下狛駅間のB地区再開発事業について
 趣旨 駅東地区の区画整理事業と合わせてB地区の整備計画を確立すること
 請願事項 @B地区を中心にして「まちづくり準備委員会」を設立すること A駅東整備事業と平行してB地区の整備計画を確立
 結果  [継続審議]
狛田地区整備の基本構想はA地区(駅東)B地区(近鉄狛田駅とJR下狛間)C地区(JR下狛の西)の3段階で整備。B地区は商業者や住宅地が集積し、開発手法についての住民合意が得られていない…継続して現地調査などが必要。

総務文教常任委員会に付託された請願
・子ども達にいきとどいた教育を求める
 趣旨 教育条件の整備、親の教育費負担の軽減し憲法で保障された教育を受ける権利を実現
 請願事項 @30人学級の早期実現 A障害児教育・特別支援教育の充実 Bバリアフリー化 C中学校2学期制の再検討 D安全な通学路、あんしん菜学習条件整備 E全ての学校にカウンセラーを F老朽化した校舎の大規模改修と教室不足の解消
 結果 [趣旨採択」
紹介議員の1人として参考人として出席。30人学級が子ども達に必要なわけ、バリアフリー化の現状や教室不足の現状などについて説明をした。
〜とりあえず、請願についての報告です〜


子育てと仕事        2007年12月16日(日)

 第12回"精華っ子”。遊ぶ子ども達の傍らで交流する保護者と保育士さん。
 
一年に2回、町立保育所の保育士さんが開く"精華っ子"のつどいに参加する。今回は2会場で同時開催して交流会も開かれる。
出し物はパネルシアターで季節感あふれる”てぶくろ”と、歌って楽しい"カレーライス”。いずれも"技"が磨かれてバージョンアップ。
後半は子ども達が遊ぶ傍らで交流会。いつもは忙しい保護者と保育士が本音での話し合い。多く出されたのは「子どもの急な発熱」や「病後児の保育」の悩み。
子どもが病気のときに一刻も早く駆けつけてやりたいというのは親として、誰でも思う。
しかし、仕事の都合上それはそんなに簡単なことではない。働きながら子育てをする者なら誰もが経験することの一つ。
精華町でもこの病後児保育を平成21年度中には実施予定だが…。
 
 夕方からけいはんなプラザで映画鑑賞。「夕凪の街 桜の国」…広島の原爆投下で被爆。ひろみは幼い妹が背中でつぶやいた最後の言葉「長生きしてね」という言葉が忘れられない。恋人に全てを打ち明けた後彼女は原爆症で帰らぬ人に…。
時代が変わって今を生きる女性が、父を追って広島へ…そこで知ったのは自分が生まれたルーツ。母は被爆者であったこと…。「原爆は落とされたのではなく…落としたのだと」いうメッセージが印象的。


南北…格差       2007年12月15日(土)

 今日は何があってもいくと決めていた母親の見舞い。長男にドライバーを頼んで京丹後市に向かう。
「いつまで続くんやろ…小春日和」「天気予報もあてにならんね」などといいつつ大江山にさしかかる。与謝トンネルを抜けると急に雲行きが変わってきた。ピシピシと刺すような雨がフロントガラスを打つ。雹混じりの雨だ。後方の空にはまだお陽さんが…。「これが噂の弁当忘れても傘忘れるな…裏西ってお天気や」と講釈しながら走り続けるがますますひどくなる雨、あられと雹。
 
 母の入院先は網野町のふるさと病院。離れ湖を一望できる窓辺に置かれたベッド。枕元には時間単位に右臥、左臥と体の向きが書き込まれている。多分、床ずれ防止のために1時間ごとに体の向きを変えているのだろう。
 点滴効果で顔色はいい。動きの残された左手でしっかりと手を握る。多分、渾身の力を込めているのだろう。想像していたより力強い。
痩せた分、パジャマの襟元がはだける。若い頃から身だしなみのよかった母は、はだける胸元がどうやら気がかりのようで、子どもにするようにパジャマをかき合わせると、なんども「ありがとう、ありがとう」と、頭を下げる。
 2,3度窓辺に閃光が走る。同室の患者さんが「雪起こしの雷や」とつぶやく。カキ氷をぶちまけたように"ひょう"が道を覆う。
 暖冬やといわれていたけど、やっぱり丹後の地は雪からは逃れられない。
 帰り道、白く化粧をした大江山を望みながら帰路につく。福知山に入ると空気も乾き、京都に入ると空には三日月。
 京都の南北…お天気格差を肌で感じた「丹後お見舞い紀行」。


 
京都府下最大の湖。湖周3.8km水深最大7m、草魚が生息。周辺が桜ロードになっている離れ湖公園。お天気がよければカメラスポットとしても有名な離れ湖。

予算決算常任委員会   2007年12月14日(金)

     
 
一般会計約8億円・国保242万円・介護保険サービス22万円・国保病院繰り上げ償還約1億2千万円の追加補正が審議された。
 写真は買い戻し予定の未利用地で約1億3千万円。
祝園正尺にある469uと祝園味噌柿の207uの未利用地だがいずれも当初何のための土地だったのか、今後の利活用の予定などを聞いた。
 共同浴場の燃料費高騰による追加補正に関して、他施設の影響についても調査すべきではないか、所によっては学校給食に影響が出ていることなども例にあげて、日常業務に支障がないように求めた。
 夕方から孫を城陽の学童保育に迎えに行く。精華町では弾力的運用になっているが、ここでは夕方7時までとなっていて母親に急用ができても余裕のピンチヒッター。
 やっぱり、必要ですね…学童の時間延長。


まち情報          2007年12月13日(木)

   自生の桑の木
 
何年か前に歩道の際に芽を出した桑の木。土地は民有地でここ何年か草刈がされず、たまりかねて歩道の際だけ担当課が草刈したのが夏の話。
桑の木はずんずん伸びてバス停を覆うまでに繁茂。昨年からご近所や自治会の方と一緒に伐採してほしいと何度もお願いしていた。民有地なので例え自生したものでも所有権は地主さんにある。勝手に切るのは…と躊躇されていたが数日前に短くなっているのを発見。
「思い切って切りました」と、担当課の話。バス停が明るくなって見通しもよくなって本当によかった。
苗木の間に移植するなりしておけば、こんなに苦労はいらなかったし、大ごとにはならなかった。でも、この高さだとまた枝が伸びるし…と来年のことを心配する。
 

        
川西小学校建設予定地
 
議会が早くに終わったので午後から京田辺に向かう。川西小学校北側の田んぼが姿を変えた。いよいよ小学校の改築工事が始まる。こうしてみるとずいぶん広い敷地で、ここに新校舎が立ち、新校舎跡はグラウンドになる。
工事は来年度中をかけてされる予定。

 
住民が主体のまちづくり  2007年12月12日(水)

 一般質問2日目…2番目に登壇
 2004年に精華町第4次総合計画が策定された。9回のワーキング会議、12回の総合計画策定委員会、6回の総合計画審議会、中学校区の住民懇談会、議会の議決を経てつくられた「まちづくりの指針」である。その基本理念が「住民が主体のまちづくり」。
 計画実現のために「住民懇談会・出前講座・相談体制…など」が織り込まれているのだが、具体的には進んでいない。
よく、地域コミュニティーを高めるなどと言われるが、住民の自治意識を高めるためには何が必要か…といったことはあまり議論されない。
 
 一番疑問に思ったことは、総合計画の年次的な実施計画はあるのか、計画がローリングされ、課題整理がされ、それが活かされているか、ということ。
 木村町長は所信表明で「住民自治を高めるために、地域コミュニティを基礎とした『住民主体のまちづくり』に一層の努力が必要」と述べている。
ならば、どういう努力をされるのか…せめて、住民懇談会や出前講座くらいは具体化できるのではないかという思いで質問。
 実施計画は内部的にはつくっているとのことだが…公開はしない。具体策は先進事例に学びながら検討と、答弁。
 
 都市化、情報化が進む中で住民主体のまちづくりは、先ず、情報の共有化と、共に考える場所づくりが必要だし、その中でこそ「住民の自治意識」も醸成されるのではないか。

 「町長のこれからの4年間は総合計画の最終年度に向けての4年間…その評価をするのは「主体者の住民」です」と、くくったが…。
 

弁当持参で         2007年12月11日(火)

 昨日から始まった12月議会。私事の決意が一つ…弁当もちで出勤するということ。議員になった頃は事務局の方が業者に注文、それも業者は日替わりでかわる。精算の雑務もある。こんなことで事務局員の手を煩わすのはどうか、ということで各自で昼食は済ますようになった。
 庁舎内の食堂で済ますことが多かったけど、いつも食べきれない。そこで、一念発起して弁当づくりを決意して2日目。
 事務局員の手を煩わさないもう一つはお茶。自動の給湯・茶装置が入った。本来なら飲み物も各自持参が一番だとは思うのだが…そこまでは一気には進めない。
 せめて、使ったお湯飲みは自分で洗いましょう…と、自分の子どもになら言えるのだが…。
 
 一般質問が始まる。今回は13人の議員が質問に立つ。
本日は9人の議員が子どもの安全・観光立地・障害者問題・子どもの医療費・町民憲章・組織改革・財政健全化・健康診断・高齢者医療・企業誘致など多岐にわたって質問。
 
 明日は4人の共産党議員が質問。松田は2番バッター…せめて、バントヒットくらいは狙いたいもの。
テーマは「住民主体」のまちづくりの具体的な方策と保育所と学童保育問題をまとめて「子育て支援」の施策充実。
 今、作戦練り中だがサインは…?

12月議会開会        2007年12月10日(月)

 いつもの交差点に向かう。早い時間なのにパトカーが停車。「また、事故…?」と心配しながら様子を伺う。どうやらスピード違反の取締りらしい。いつもだと交差点を突き抜けるように走る車もスピードダウンしてゆるゆると走る。
「いつもこんなふうだといいのにね」と、ボランテァさん同士でおしゃべり。
 
 [12月議会開会]

あいさつ・報告
 鰍ッいはんなの経営再建→けいはんなプラザの機能維持を前提に抜本的経営再建。
 私のしごと館 渡辺行革担当大臣が廃止決定と報道、雇用能力開発機構からは廃止が決まった訳ではないと報告→今後の動向を注視、関係機関と協力して存続要望を行う
 ノーマン市へ民間訪問団派遣(グローバルネット会議会員)4名を派遣。
 「家庭こころの相談室」開設 社会福祉法人盛和福祉会に業務委託、京都大和の家で実施。
 補正予算、契約(ひょうたんや横の近鉄拡幅工事) などの提案説明がおこなわれた。明日は10時から一般質問が始まります。

  
街路樹の枝ばらいが進んでいるが、NTT北側の”なんきんハゼ”街路樹は現存。白い実が青空に映える。
 

掃除/里山/文化    2007年12月9日(日)

 毎年、この時期にまわってくる集会所の掃除当番、8時25分集合とある。少し早めに出かけたがすでに作業は始まっていた。手際よく進んで30分ほどで終了。
 
 3回目になる"里山ワークショップ”に少し遅刻をして出席。前回までのまとめを参考にしながらどんな里山づくりをするか、何をすればよいか、今後の運営をどうするかなどを話し合う
 まちづくり全体や、里山周辺も見ながら先ずはウオーキングコースの整備や、広場づくりなど、幅広い住民参加で進めたらどうか。
関連団体や行政、住民との協働関係をどうつくりあげていくかなども活発に議論された。
 今、目の前にあるのは"里山づくり”だが、「協働」の「まちづくり」をつくりあげる試金石としてのワークショップ…そんな気がしたのだが。
 
 お昼過ぎに約束の訪問客を待ち、せいか文化フェスティバルに出かける。精華町文化協会主催ではあるが…協会に参加していない町民の方の作品や舞台発表があってもいいのではないかと、今年も思ってしまった。
 それにしても忙しい日曜日…時間がダブって参加できない集会もあったし、こんな時は"孫悟空"のように「分身術」で…とはいかない。


 里山づくりワークショップ風景。4班に分かれてワーク。

 
舞台発表のフィナーレ。ダンサーの齢の差は40歳(?)と紹介あり。女性がベテランです。

 
絵画サークルの主宰者、鬼の絵で著名な井上さんの作品。

母の背中の子守唄    2007年12月8日(土)

 高齢者と幼児さんが遊べる歌や手遊びを教えてほしいというお客さんがこられる。いくつかの材料を準備して、ご一緒にあれこれと歌ったり手遊びをしたりする。
 子どもの頃よく歌った"十五夜おつきさま”とか"みかんの花咲く丘"とか"りんごの歌"とかがよみがえってくる。
母の背中でいつも聞いていたのは"かごの鳥”という歌。
これは童謡でもわらべ歌でもなくて「あいたさ見たさに こわさを忘れ 暗い夜道をただひ〜とり…」と、切ない恋心を歌った"エレジー”。
 雪に閉ざされた冬の日に、縫い物や編み物、ワラ仕事をしながらいつも口ずさんでいたこの歌。冬ごもり状態の"雪”への恨みか、若い頃への思いなのかは分からないが、ものごごろついて最初に覚えたのがこの歌。
父の愛唱歌は"金色夜叉"だったし、ついぞ幼児向けの歌や子守唄などは聞かされた記憶がない。
 "シャボン玉”に込められた悲しい物語や"里の秋”の誕生秘話など、それぞれの思いが込められているのだが…その意味を知ったのは大人になってから…。
 あまりお役にはたたなかったけど…自分にとっても楽しいひと時でした。


議会準備で現地に     2007年12月7日(金)

 朝7時少し前に家をでる。まだライトをつけて走っている車が多い。衆議院の京都6区代表の浜田よしゆきさんと祝園駅での早朝宣伝。
 教育請願の請願趣旨の現地訪問をする。老朽化が進む精華中学校と児童数激増の精華台小学校の校長先生からお話を聞く。
一時期マンモス校だった精華中学校は生徒数が減って今や小規模校となっているが、施設の老朽化は進んでいる。
12月議会に体育館の耐震補強工事の補正予算が出されているが、できることならそっくり建て替えをしてほしいところというのは…私の考えだが。
精華台小学校はこの2,3年が児童数のピーク。せめて、1,2年生からでも少人数学級が実施できないだろうか。
 買戻し予定の公有地の未利用地なども現地確認し、議会事務局へ。
 午後からも東西奔走…時間を見つけて"美容院"にも出かけ、なんとなく"師走”らしい一日に幕。


里帰りのオモチャ    2007年12月6日(木)

 思いがけない方からの"喪中はがき”が毎日のように届けられる。思い出して年賀状を購入する。10枚ずつセットにしてビニールの袋に入っている。民営化になっての"サービス”
か。
 久しぶりの親子リズム会。ぼつぼつ風邪引きの子どもさんも増えて参加者は少なかったけど、のんびりとおしゃべりしたり、子ども達は部屋いっぱいにオモチャを広げて遊ぶ。
 お気に入りは"木製の汽車”で、レールなども上手につないで汽車を走らせる。電池で動くとか、特別の仕掛けがあるとかではない汽車だが、せっせとレールの上を走らせる。
 初孫にプレゼントしたこの汽車、もう要らないからと娘が持ち込んだ。木製の積み木セットや、パタパタプールなども"里帰り”している。
我が家に集まる子ども達が遊んでくれることで、これらのオモチャはまた息を吹き返す。
"流行りもの”でないオモチャの"息"の長さを実感している。
買ったときは結構"無理”をしたけど、買っといて…よかった。


風の子たち      2007年12月5日(水)

 朝、交差点に立っているが、子ども達の名前は知らない。ひそかにニックネームをつけている。
カナヘビぼうや…春から夏、秋にかけて毎日カナヘビをお供に登校する子
お大名…慌てず騒がずマイペースで歩く子
気まぐれブラザーズ…気まぐれな時間に登校する兄弟
いま、注目は「風の子たち」…まだ、半そでで元気に登校する女の子達。あいさつもとびっきり元気!
 
 定例の議員団会議。12月議会の議案の検討が中心だが、時間通りには終わらないのはいつものことで、昼食は1時過ぎになる。
 生活保護費の引き下げが言われている。老齢者や母子加算も廃止され、ただでさえ"師走の風"が身にしみるのに…。
ワーキングプァや低所得層の増加が言われている。低所得者に生活保護費を合わせるらしいが、低所得者の底上げを図ることこそ大事で"本末転倒”のやり方ではないか…報道ステーションのキャスターが怒っていたが、同感である。

「学研ブランド」      2007年12月4日(火)

 12月1日付けの新聞各紙で報道された「けいはんなプラザ」の存続問題に続いて、「私のしごと館」廃止報道が京都新聞の一面を賑わしている。地元の住民としてはそのどちらも気になる報道である。
 けいはんなプラザは関西文化学術研究都市の文化交流の中核施設として1989年に設立。出資金100億円中、京都府も出資金の15%、15億円を出資している。負債総額は109億円、「民事再生法」の適用を申請、保全命令を受けた。
 関西財界主導で始められた関西文化学術研究都市だが、思い通りの企業立地も進まないなかで、今後の推移が気になるところである。
 木村町長は「学研ブランド」を生かした「まちづくり」を標榜しているが、「学研ブランド」というブランド、今一度考えて見ないと…地元住民の1人として先行きが不安である。
 「私のしごとかん」が開館したのは2003年。工事が始まった頃、どこからどこまでが敷地か見当もつかないほどの広さで総工費は580億円。毎年の赤字が20億円…無駄な税金の使い方の一例としてマスコミに取り上げられることもしばしば。採算の取れない施設であることは最初から分かっていたはずで、いまさらという気がするが、経営努力で何とかならないのかという気がする。
 地元の方も結構仕事にいってるし、交流プラザもしばしば利用しているし、そっくりなくなるのは、今更"困る”わけで…建設費の580億円が無駄になるのはもっと困る訳で…。


議会日程決まる      2007年12月3日(月)

 雨上がり…南天の実も洗われて
 子ども達の登校時になっても、夜明け前のように暗く、雨も強い。そんな中でも"粛々"と学校に向かう子ども達を見送る。
 

 議会運営委員会が開かれ12月議会の日程が決まる。議案は補正予算と、教育委員の選任、請願が3件となっている。
日程は
10日(月) 開会     AM10:00〜
11日(火) 一般質問  AM10:00〜
12日(水) 一般質問  AM10:00〜
13日(木) 議案質疑  AM10:00〜
14日(金) 予算決算常任委員会 AM10:00〜
17日(月) 建設産業常任委員会 AM10:00〜
       総務教育常任委員会 PM1:30〜
18日(火) 民生環境常任委員会 AM10:00〜
21日(金) 委員長報告・採決   PM1:30〜
 提出された請願は ・子ども達に行き届いた教育を ・近鉄JR下狛駅間のB地区再開発事業 ・後期高齢者医療制度の中止・撤回を求めるの3件。各委員会で審議される。


 進まない…筆        2007年12月2日(日)

 なんきんハゼの葉が舞う。後に堅い白い実が残る。紅葉もきれいだが、枝の先にぽつぽつと残る実もきれいだ。
精華大踊りのメタセコイアの雰囲気が変わった。大きくどっしりと構えていたのに下枝が刈り上げられてなんとなく"不安げ"に立つ。見通しをよくするために下のほうの枝を切ったのだろうか。
 終日、機関会議に出席し京都で過ごした。会場の座席が昔ながらでとても狭い。足を伸ばしたり組んだりなどとてもできず"鎮座”したままお行儀よく夕方まで。
 帰り道、東本願寺前のイチョウの葉が黄色いじゅうたんをつくる。あの中に銀杏の実、落ちてるんやろか、精華大通りのメタセコイヤの並木が銀杏並木やったら大阪御堂筋みたいに銀杏拾いできるのに!などと、あらぬことをつらつらと考えながら帰路につく。
 日韓野球をしている。昨日はコールドゲームやったけど、今日はそうはいかない。一点を争う攻防についつい気をとられて、筆?の進まないこと…おびただしい。


子ども議会           2007年12月1日(土)


 こどもの権利条約の第12条には、児童の意見表明権が明記されているが…まだまだ、その機会は少ない。
毎年行われている"子ども議会"が開かれた。少し早めに行ったがすでに傍聴席は満席で、椅子が持ち込まれ"超満席”の議会となった。
 6年生のクラス代表の子ども達の質問は環境問題・ボール遊びなど自由に遊べる公園・小学校近くに街路灯がほしい・通学路に信号を・いつでも使えるプール・借金返済はできるか・山田荘地域に交流ホールを・ポイ捨てやめて・国会図書館はなぜ子どもは利用できない?・観光施設はつくらないのかなど普段議会で取り上げられているような質問も多くて、核心を突いている。
中には"もっと聞きたい"という子もいたんではないか、と答弁を聞いて思ったけど質問は一回きり。
 今、TVの公共広告で流されてる"子ども教育委員会”や"中学生議会”などあってもいいのではないか。

 夕方から孫たちに会いに行く。TVゲームに熱中する孫たちに絵本を読む…何冊も。けん玉を教わり練習をしたのはおばあちゃんの私。
絵を描いたり、折り紙をしたり…でも帰った後は多分、TVゲームやろね。