たんぽぽ通信
真夜中の閃光          2007年3月31日(土)

 ここのところ朝も早いけど夜も遅い。夜の11時ごろから急に鳴り出した雷。音もすごいが稲光はもっとすごい。西にむかって163号線を走る。目の前が真っ白になり山が光る。突き刺さるような閃光のなかを走り抜けるのは正直に言ってあまり気持ちのいいものではない。
おとといも夜中に雷が鳴った。”雷、3日”などというが、本当だとすれば明日も…とどろくかも知れない”春雷”。
 今週に入ってからメールの受信が”絶、不調”となり、エラーの連続。帰宅後、メールを開くと、堰を切ったように500通以上を受信。
この始末にも時間をとられ、今日もやっぱり午前様。
時には早く”ねむりた〜い”私なのだが…。


同窓会              2007年3月30日(金)

 えらいこっちゃ…と息子から電話。「母さんの中学校の同窓会の案内が来てる。提出期限は31日やで」と。中学校の同窓会名簿まで住所変更をしていなかった。どうやら、卒業50周年記念の同窓会らしい。多分20年ほど前に一度、同窓会が行われた。そのときも出席したが受付で「どちらさまですか?」と聞かれたことを思い出す。
 ふるさとで暮らす同級生は日常的に付き合いがあるけど、ほとんど会うこともない同窓生には「思い出せない1人」だったらしい。
何とか都合をつけて「出席」通知を出すことにしたが、今度は思い出してもらえるだろうか。
 高校卒業と同時にふるさとを離れた私は、実家に帰省することはあっても若い頃のように同級生を訪れることもない。
久しぶりに「白い砂丘とあかしやの林」を散策するのも悪くはない。中学生の頃、部活で走った砂丘や、放課後を過ごしたあかしやの林は確かに古い時代の思春期の頃の足跡。
今でもあの原風景は残っているだろうか。


議会最終日           2007年3月29日(木)

 3月議会最終日。
平成19年度の一般会計予算…同和関連予算を削り、中学生の通学補助費を増額する修正案を提案。修正案は日本共産党のみ賛成で否決。原案が賛成多数で可決された。
特別会計…国保関連、国保病院関連、介護保険関連の特別予算に反対したが賛成多数で可決。
教育請願…反対5、賛成多数で趣旨採択
リハビリ期間の延長を求める意見書…日本共産党提案、賛成11で可決。
 府会選挙は明日が公示日。本番準備で午後は事務所詰め。帰宅も遅くなり、議会報告は後日詳細に…先ずは概要のみ報告します。


ほしい公共墓地         2007年3月28日(水)

 早朝の木津川市梅美台の交差点に立つ。バスはJR奈良行きの方が多いし、車も奈良に向かって走る方が圧倒的に多い。
 集金のついでに知人宅を訪問する。外周道路に面しているこのお宅は散歩道でもある。いつもお聞きするのが”フン害”の話。
以前、それとなく忠告をして、いやな思いをしてからはズーと”我慢の子”を通しているが、やっぱり愚痴が出る。
もう一軒では公共墓地の話。墓地が遠方なので近くで探しているが、民営墓地は”石碑”とのセット販売が多くて、すでにある”石碑”の引越しは難しい。高齢になったらお墓参りもできなくなるのでは…と、公共墓地を望んでおられる。
ふるさとを離れて”終の棲家”と決めて、この地に住んでも最後の安らぎの場所がない…。3世代が住める町のためにはその先もなければ…それはそれで心配なこと。
 まちづくりは”ゆりかご前から墓場まで”考えなくては完結しない。


桜…チラホラ        2007年3月27日(火)

 早朝の予定が久しぶりにない…ということで油断をしてたら朝寝。いつもより一時間ばかりゆっくりをしていたのがことの始まり。体内時計も一時間づつずれ込んで、のんびりと朝の用事をしていて、ふと気がついたら約束の時間が迫っていた。
慌てて飛び出し約束の時間にぎりぎりセーフ。府会の予定候補山田さんと同席をして記者会見と写真取り。当然ながらこれは山田さんのみ。
 お昼からは予定通りのハンドマイク宣伝。雨の中、山田さんは白い傘、松田はその辺にあった黒い傘をさして、またもやおばちゃん2人の街頭宣伝行脚。
 雨に洗われて白いもくれんが輝く。163号沿いの桜もチラホラ咲き、木津の塵川沿いの公園の桜もチラホラ咲きだした。
このまま行けば今週末あたりは、あちこちでお花見もたけなわになりそうな気配がするが…今年もやっぱりお花見には”無縁”の私。


あっ、ちょうちょ        2007年3月26日(月)

 早朝の宣伝活動の後、ビラまきスタイルで外出。気付かなかった春がいっぱい。桜が咲いている。いつの間にか赤紫の山ツツジも見ごろになり足元にはつくしもたんぽぽも…。ウグイスの鳴き声は絶好調だし、モンシロチョウやモンキチョウもひらひらと飛ぶ。思わず、子どものように「あっ、ちょうちょや」と声をあげる。
お彼岸を過ぎて一気に”春”が…きた。
 午後から議員団の会議があり、29日の最終議会の打ち合わせや担当常任委員会の報告などをして、終わったのは午後の5時。
 忙しい3月だけど、自然の春にも目を留めて、政治にもあったかい春を…。


自治会総会          2007年3月25日(日)

 4丁目自治会の総会が開かれた。昨年4月に”順番”がまわってきて副会長をお引き受けしてから早いものでもう一年がたつ。
2巡目の方もおられたがほとんどの方は初めての経験。転居前には、自治会の役員もいろいろ経験してきたが、この地では私も初めての経験である。夏祭りや運動会などの大きなイベントもそれなりに苦労があったけど、それこそみんなで協力して大きな事故もなくよかった、というのがみんなの感想。テント張もずいぶん上手になったし、役員になって初めて同郷の人にあったなどの感想も聞かれた。
なにぶん一年交代なので腰をすえた取り組みは難しいけど、その分、大勢の方が経験をされるので、それも貴重な体験となって、自治会運営への理解も広がる。
まだ、一週間の任期が残っているので…最後まできちんとお役目を務めてバトンタッチの運び。


さよなら…保育園      2007年3月24日(土)

 町内の保育所で一斉の卒園式。卒園式が終わってもほとんどの子どもが3月中は登園してくる…保育所だから。4月になると入学式前に学童保育に入る。子どもにも親にも春休みはない。
 ひかりだい保育所の卒園式にお邪魔する。手づくりのコサージュを胸に飾って一人ひとりの卒園児が「大きくなったら…」と自分の夢を語る。長い子だと6年間の保育所生活。保護者も職員も思い出が次々とめぐり、感慨もひとしお。子どもたちが主役のほのぼのとした卒園式。
 天気予報どおりの雨模様となったが、夕方、成宮まり子さん、山田清子さんと街頭宣伝をする。成宮さんはいよいよ弁舌が冴え、山田さんは迫力が…夕闇の中に響く。

おいおい!          2007年3月23日(金)

 早朝7時から夕方5時過ぎまで、山田さんとズーと一緒。途中で交差点ボランテァに駆けつけたが、6年生のいなくなった子どもたちはかさ低い。今日が終業式なので、今度、会うときは新一年生も一緒。 精華台で自転車に乗った”少年”に会う。「ぼくのこと覚えてる?」
久しぶりだったのですぐに名前が出てこない。というより、すっかりかわっているので分からない。「今、何年生?」と聞くと「今度、高校生」という。「そう、どこに行くの」「え〜と、覚えてへん」「入学式までに覚えといてや」と、気楽な会話。
おいおい…自分の行く高校ぐらいは覚えといてよ。でも、保育所時代もこんなんだったし、彼らしいといえば彼らしい。
小学校に行く前の知り合いなのに、覚えていてくれて…ありがとう。

リフレッシュ          2007年3月22日(木)

 祝園駅の早朝宣伝は山田清子さんとご一緒。山田さんは毎朝、相楽郡内、木津川市のどこかの駅で早朝宣伝をしている。たまにいっても大変なのに本当にえらいと思う。
 3月に入ってからの初めての親子リズム会。当初はお弁当もちで公園遊びの予定だったけど、続いた寒さに予定を変更して松田宅で開催。4月から幼稚園や保育所に行く子どもさんもいて4月からは少しさみしくなりそうだけど…また、赤ちゃんもお誘いして、と思っている。
OBのお兄ちゃんも参加して、お母さんたちは幼稚園情報の交換会。「お母さん静かにして…」と子どもから注文も出るほどおしゃべりをしてあっという間に12時。
 久しぶりに子どもたちのそばにいてリフレッシュしたのは私で、少しは掃除もできたし先ずは”めでたし、めでたし”といったところ。


ありがとう…。        2007年3月21日(水)

 山手幹線を走ってびっくり。風景が変わった。交差点ごとに選挙用ビラが張り出されている。普段から公共物にはポスターはご法度、ときびしく行政指導をいただいているはずなのに…。
 午後から学研記念公園やアルプラザ前で街頭宣伝。桜にはまだ早い公園だが親子連れや若者などで賑わっている。
コーナン前の交差点で懐かしい”顔”に会う。保育所時代の子どもだがすぐに思い出してくれて家族の近況などを聞く。兄弟は6人、母親とは幼い頃に死別し恵まれた家庭環境とはいえなかったけど、それぞれに自立してがんばっているらしい。
 彼女達の母親の入院を聞いたとき、一番先に気になったのが子どもたちの”夕食”のことだった。その頃、城陽に住んでいた私はとりあえず、炊飯器のごはんをおにぎりにして、ありったけの卵をゆで卵にして、朝食用の食パンを袋につめて子どもたちのところに走った。
この子達が保育所に来ている間は、生活丸ごと、なんとかしてあげないと、心のそこから思った。
いろんなことがあったけど「本当に…お世話になりました」と彼女からお礼を言われて、素直に育ってくれてありがとう…と心の中でつぶやいた。本当に大変だったもんね…。


小学校卒業式        2007年3月20日(火)

 朝の交差点、今日ばかりは6年生はひと目でわかる。ズボンの折り目もキッチリとスーツ姿で決めている男の子、足元までおしゃれな女の子とそれぞれにお気に入りスタイルで登校。
 卒業式に出席する。123名の児童が卒業した。会場で見る卒業生は普段見かける通学スタイルと異なり、一まわり、二まわりも大きく頼もしく感じた。
 午後から、山田清子さんとご一緒に光台地域の街頭宣伝をする。いくらか寒さは和らいだが…それでも寒い。
 府会議員選挙は30日が告示、4月8日が投票で行われる。共産党の予定候補の山田さんは根っからの”苦労人”の”人情家”。京都生まれだが、どちらかというと”大阪のおばちゃん風”のバイタリティー溢れた頼もしい人である。
着物の着付けは”超一流”で、専門家。さらりと和服を粋に着こすあたりは”京女”。そして、はっきりものを言うはたらきものである。
ぜひ…という思いで、おばちゃん2人の街頭演説行脚は当分続く。


3度目の正直        2007年3月19日(月)

 昨年の12月議会に提出された”教育請願”。内容は紹介済みだが子どもたちに行き届いた教育をという趣旨で、少人数学級、バリアフリー化、2学期制の再検討、カウンセラーの常駐、障害児教育や特別支援教育の充実、施設改善など、切実な願いがこめられたもので1700筆以上の署名が寄せられた。
12月の常任委員会では賛成したのは松田のみで不採択となり、本会議で”審議不十分”として差し戻し。再度2月の常任委員会では継続審議となり、本日で3度目の審議となった。
 反対討論をしたのは、今方委員と山口委員。主な理由は財源問題や府教委の方針で”是”とすべき、請願を出しなおしすべき、といったことが述べられた。
請願の趣旨を尊重して”趣旨採択”とすべきと主張したのは植山委員。本来なら”採択”といいたいところを譲って、松田も趣旨採択に賛成。結果は、高田委員長の判断で”趣旨採択”で決した。
 反対された委員さんは、障害児教育の充実やカウンセラーの常駐、学校のバリアフリー化などにも、キッパリと”反対”ということになる。
 後は、29日の本会議で委員長報告がされるが…最後の結論は?


朝寝…スタート       2007年3月18日(日)

 いつになくゆっくりと起床。これは久しぶりのことだが、おかげで午前中の時間が短く、少し用足しをしていたらお昼前になる。
 早めの昼食を済ませて山田清子事務所へ。午後から木津川市加茂に向かう。合併後、初めて「木津川市加茂支所」という看板を目にする。あじさいホールで行われている集会に参加したが、合併後のさまざまな変化と、要望などが出されていた。
例えば、今まで障害のある方は備え付けのコピー機は無料で利用できたけど…遠くまで行かないと利用できないなど、こまごまとしたことでも不自由なことがでてきたなど…。
 過ぎたことを言っても仕方がないが、合併前に行われた”意向調査"が50%に僅か届かなかったことが、今更ながら残念!という方も多いのではないか。
 梅美台で、山田さんの街宣のお手伝いをしたが、ちょっと周りの方とお話をしただけで「早く中学校がほしい」「中学校への通学路が心配」などの声が寄せられた。梅美台や州見台の中学生は木津中学校へ今でも通っている。どんな計画があるのかは知らないが、確かに遠距離通学である。他人事とは思えない気になる隣まちのことである。
明日は地元で、文教産業常任委員会が10時から。教育請願の結末は…明日には結論がだされる予定。


やっぱり寒い         2007年3月17日(土)

 窓越しに入ってくる朝陽は暖かそうだが、一歩外にでるとやっぱり寒い。朝のあいさつも「2月と3月と逆転しましたね」から始まる。朝のひと時、小さな裏庭に出てみる。ふきのとうはすっかり伸びきっているし、クリスマスローズはいつものように沢山の蕾をふくらましている。冬ごもりをしていたメダカも動き出した。寒くてもやっぱり3月は3月。 お昼前から外出。年金者組合の会議やら、山田清子さんの街頭宣伝にも少しお付き合いをして、夜は自治会の役員会に出席。
自治会の総会の準備や打ち合わせをする。それぞれの役員さんからこの一年間の反省やら感想が述べられる。役割によって忙しさも違うし大変さも違ったが"大過"なく"協力”して互いが知り合えてよかったというのが一致した感想。
 まだいくつかの仕事は残しているが、もう4月は目の前。


もうすぐ一年生        2007年3月16日(金)

 近くの星の光幼稚園の卒園式に出席。122名の子どもたちがもうすぐ一年生。子どもたちのうきうき感と、保護者や職員さんの"感涙"が交互に伝わってくる。
 経験があるが、なぜか、保育所や幼稚園の卒園式では思い出すことが多くて涙する。「あんなに泣いていた子が…」とか「お母さんと別れられなかった子が…」とか思い出してしまう。
 昨日、玄関先に小さな花束がひっそりと置かれていた。「子どもたちの通学の安全を見守ってくださってありがとうございます…」とメモ書きが添えられていた。スクールヘルパーを始めて2年、自分的にはすっかり生活の一部になっているので"特別"という感じはないが、こんなふうに言われるとなんだかうきうきとしてうれしい。
 午後から役場に出かけたり、会議に参加したりで忙しかったけど、何となく"うきうき感"が続いている…一日。


1億円の怪           2007年3月15日(木)

 1億円!見たことも手にしたこともないお金。
昨年4月に精華病院が指定管理者(武田病院)に移行した時、当初の病院の円滑な運営のためということで町から無償貸付された。診療報酬は2ヶ月後でないと入らない、というのが大きな理由だった。
2年目となる平成19年度も"無償貸付"をする、という1億円が病院の特別会計に計上。会計上には、受取利息という項目が設けられている。となれば、誰が見ても今年は有利息で貸付か、と思う。
 本会議の中で「いろいろ議論をしたが無利息で…」という答弁だったと記憶している。ところが本日の予算委員会では「利息についてはまだ協議が整っていない」と、話が変わった。
"無償貸付"だとすれば、"受取利息"の項目はありえないことなので、予算書そのものの正当性が問われることになる。
・今年の事業報告もされていないのに、1億円を貸すことの妥当性の判断ができない。
・金を貸すときに「利息はただでいいですか、それとも利息をつけましょうか」などと聞く人はいない。町内でも"会計"が違えば"利息"を払っている。2年も"ただ貸し"はありえない。
・設置者が精華町である以上、歯科診療より、もっと必要な診療科目がある。
などの理由で、反対討論をした。

中学校卒業式         2007年3月14日(水)

 快晴に恵まれて中学校の卒業式。風は冷たいが例年に比べれば暖かい。西中学校でも131名が巣立った。担任の先生も、卒業生の名前を呼びながら時々声を詰まらせる。"答辞"の頃には、女子生徒の手にハンカチが…握られていた。
 小学校の頃から学校に足が遠のいたAちゃんの姿もあったし、ほっとすると共に、彼女の3年間はどうだったんだろうと思いをはせる。
 午後からは予算委員会の3日目。学校教育、社会教育、歳入が審議される。
・就学前の幼児にも「言葉の教室」を
・中学校の2学期制…改善しながら進めている。
・中学校の弁当斡旋…精華中学はほとんどなく、西中学は1日平均13食、南中は7食で予想より少ないとのことだが、だからといって中学校給食の要望が少ないということとはつながらない。
その他、図書館費などについても質問をする。歳入は、いつも話題になる未収金問題なども一定改善されつつある。
総括質疑の後、討論が行われた。
 本会議で修正動議を出すことも視野に入れて反対討論をする。


予算特別委員会…2日目  2007年3月13日(火)

 民生費の老人福祉費から衛生費、農林水産、土木費、教育費の予算審議がされる。
・緊急通報装置の適用拡大を
・昼間里親制度(12万円)は、予算的に不十分。制度を継続するならそれなりの予算措置を、できないなら、保育所での制度拡充を
・子育て支援事業のネットワーク化
・保育所の統合は、保護者、住民の意向を十分に反映すること
・同和、解放保育研究集会負担金は廃止を
・学童保育と放課後子どもプランのすみわけを
・都市計画の見直しの方向性は
・アスレチック遊具の修繕
・教育委員会会議録について
・小学校の修繕費、備品購入費は十分か
・小学校調理師の配置(1人配置)の問題点はないか
などをただす。
 明日は町内の中学校の卒業式。予算審議も中学校費から…です。


予算特別委員会        2007年3月12日(月)

 平成19年度の予算の審議が始まる。一般会計予算の総額は104億6千万円。
・大型・マイクロバスの買い替えは→購入しないで業務委託の方向で
・非核平和都市宣言推進事業の充実
・精華西中学生の通学路の安全対策を
・町政協力員報酬の抜本的見直しを
・戦没者追悼式の主役は遺族の方、式典の見直しを
・地域福祉計画策定の具体的進め方
・女性相談員配置について
・女性消防士採用と条件整備
その他、いろいろ、予算についての質疑をした。山城地協などの負担金は3〜4年を目途に廃止の見通しとのことであったが、もっと時期を早めてもいいのではないか…という気がする。
 明日も、続いて予算特別委員会が開かれます。

揺れる車体           2007年3月11日(日)

 3月に入ってから寒い日が続く。おまけに今日は強風。次男宅にどうしても行かねばならない用事があって、24号線を走る。車体がきゃしゃな割りに背の高い"たんぽぽ号"は、走りながらもゆらゆらと揺れる。もしも、ここで突風がくれば…などと思いながらゆらゆらと走る。
 午後から休日の議員団会議をして、新年度予算を検討する。
夕方近く大型宣伝カーが木津に。、成宮さん、山田さんの街頭宣伝を聞きにいく。強風の中宣伝カーの上は一段と寒そうだったが、お2人とも、意気高く訴えをされる。
 寒い中、車の上からの"訴え”


"平和な明日にむかって”   2007年3月10日(土)

 毎年、この時期に行われる3・8国際女性デーの相楽のつどいが開かれた。これも、毎年、松田の宿題になっている"アピール"文が、今朝になってもまだできない。
先ずは、朝風呂に入ってあれこれと思いをめぐらせ、その後、一気につくりあげる。
 つどいはアコーデオンの演奏ではじまった。部屋の外で遊んでいた小さな女の子を連れた若いお母さんが「とても素敵ですね…聞かせていただいていいですか」と、誘い込まれるように入ってこられた。
講演は相楽9条の会代表の石橋さん。お名前は"平和さん”。昭和13年「もう、戦争は要らない。穏やかな平和な世の中に…」という願いをこめて、あの時代に命名されたという。
さまざまなイデオロギーや党派を超えて、憲法9条を守りたいと、その思いを語られた。イラク訴訟の原告団の1人として、裁判所でも意見陳述をされた経験や、お兄さんの戦争体験など織り交ぜてのお話。
 各地の教育や、自校給食を守り育てるとりくみ、南山城養護学校の現状などの交流が行われ、和やかな雰囲気の中で、それぞれの方から"元気"をいただいて終わる。
 夕方から自治会の新旧の役員さんの引継ぎがあり、集会所へ。班長さんの引継ぎ、各委員さんの引継ぎとツーラウンド。いずれもスムーズに進んだがそれでもたっぷり2時間…お疲れさまでした。


議案質疑・補正予算可決    2007年3月9日(金)

 早朝から祝園駅で山田清子さんとご一緒の宣伝活動。バスのタイミングがうまくいかなかったのか、通路を駆け抜ける方が多い。
 本日の議会は、議案の質疑。補正予算は全員一致で可決され、平成19年度の予算は、予算特別委員会に付託され、月曜日から審議が始まる。松田も委員の一員なので、もう少し予習が必要。
 ズ〜と気になっていた畑に立ち寄る。予想通り、えんどう豆は行儀悪く地を這い、たまねぎは栄養不足だが固い土の中で懸命に生きている。冬野菜はすでに花盛り…これも予想通り。
とりあえず、えんどう豆に"て”をして、菜の花を刈り取って帰る。
 夕方、出かけようと仕度をしていると来客。「なかなかお会いできなくて…」予定がなければ「どうぞ」と言いたいところだったが…。
いやいや、我が家の乱れ方は半端じゃなくて、用事がなくても、これでは「どうぞ」と言えないのが実態で、何とか片付けなくては…。


一般質問、2日目         2007年3月8日(木)

 子ども会のお母さんたちも来られて、今朝の交差点ヘルパーはいつもより賑やか。4月に、ドキドキしながら通学していた一年生も余裕の表情で通学。本当に一年は早いと実感。
 議会は2人の議員が一般質問。認定子ども園のことや、精華病院のことなどが出される。東区にある"共同浴場"廃止の方向性が出されたのは初めてのことだが、個人風呂のないお宅もあるし、共同浴場ファンの方もいるし、これからの調整が課題。
 精華病院の外科は復活しそうだが、小児科はその気配はなく、浮上したのが"歯科”。診療科目が増えるのはいいけど、ちょっと優先順位が違うように思う。
答弁で「小児科は開業医さんが増えて過当競争…」という説明があったけど、周辺で多いのは歯医者さん。
たしか、駅前商業施設もテナントさんにも、歯医者さんはあったような気がするが…。その上、新年度も一億円を無利子無担保貸付…まだまだ、目が離せない指定管理者移行の精華病院である。


一般質問              2007年3月7日(水)

 昨日の代表質問は6人。町長の施政方針にかかわって盛りだくさんの質問がされた。
 行財政改革分野では、指定管理者移行問題や行政コスト削減などが出された。事業分野では狛田駅周辺、山手幹線、京阪奈新線延長問題など、教育問題はいじめ問題が主流、中には教師力の向上なども。環境問題も多く出されて内容は京都議定書に沿ったCO2削減問題が主流。それぞれの立場からの主張がされたが、昨日も書いたが町長の答弁は丁寧で、質問よりも長い答弁もあった。
 さて、本日は一般質問の初日。今回は9名が質問の予定で松田は5番目。
 既設学校のバリアフリー化計画(精華南中学校のエレベーター設置)・特別支援教育の充実(精華台小学校の障害児学級の担任増)を求めた。精華南中学校のバリアフリー化は大規模改修時ということで、10年以上先になる。障害児学級は介護職員配置ということだが、本当に、子どもたちや保護者の気持ちに寄り添って教育行政を進めてほしいし、障害児教育を教育の真ん中にすえるくらいの気持ちがほしい。
少々、言葉も荒げたが…そんな気持ちが伝わったのか伝わらなかったのかよくわからないまま終わる。
 一般質問はやっぱり、一問一答がいい…と思う。

代表質問               2007年3月6日(火)

 各会派の代表質問が午後5時前まで。町長の答弁は大変丁寧でした。今夜は、もう遅く、あらましは明日に報告します…ごめんなさい。  明日は一般質問…松田は5番目ですが、実はまだ、まとまってなくて…というわけで、今晩は「ごめんなさい」です。

議会報告               2007年3月5日(月)

 今日から3月議会が開会。夜からの雨が朝になっても続いていたが、もう"春の雨"、暖かい。朝ボランテァに出かけてすぐに議会へ。
議案提案が夕方まで続く。
 人権擁護委員に松井千秋さん(73歳、4期目)と吉岡正善さん(58歳、新任)が提案され同意された。
行政報告
・ 災害発生時などの緊急対応の協定が結ばれる…精華町建設業   界と潟Lネット
・ 町有地の売り払い…旧役場跡 9億4千600万円(狛田駅周辺整   備と財政健全化の資金にする)
・ 旧けいはんな診療所…針灸接骨院が開院。原状回復費は40万   円。
・ 京都府後期高齢者医療広域連合が発足
・ 京都府の緑を育てる取り組みのモデル事業として里山保全事業   に着手(東畑用地の活用も視野に入れて)
・ 駅西商業施設…5月中旬オープンを目指す。30店舗が出店予定。・ JR祝園駅に「みどりの窓口」設置…7:10〜20:25まで営業
・ 川西いちご園 3月3日から開園
 島田副議長が議員辞職、残任期間(〜5月まで)の副議長は奥田議員に決まる
 明日は各会派の代表質問が10時から。

山田清子さん事務所びらき     2007年3月4日(日)

 4月のようなぽかぽか陽気の中で、府会予定候補の山田清子さんの事務所びらきが行われた。
 西山とき子前参議院議員も応援にかけつけ、人の痛みがわかる人情溢れる人と紹介。山田さんに地元の方は「いつもおしゃれで、度量があって、あたふたとしているのを見たことがない。それでいて、倹約家。”福祉の心"を府政に届けてほしい」とエールを送られた。
年金生活者を代表して「昨年の介護保険料の値上げは許せない。相楽でも今までにない"不服申請"が出された。高齢者の暮らしを守ってほしい」と期待を寄せられた。
 その後、街頭に出て宣伝活動をする。他候補も決まり、いよいよ選挙ムードが出てきたが、民主党の前原前代表が「政令都市の府(県)会議員不用論発言などもして…また、物議をかもしている。
 前原さんも前身は府会議員。しかも京都市の出身。どんな気持ちで府会議員の仕事をしていたのか、何を約束して府会議員になったのかを尋ねたい。もしも…国会議員になるための階段の一つだとしたら、それは府民にとってあまりにも失礼な話だと思う。
 明日から3月議会が開かれます。


小さな母親集会            2007年3月3日(土)

 ひな祭りともだんだん縁遠くなったけど、せめて"母親集会”を、というわけで伸び伸びになっていた母親集会を開く。
 参加者は多くはなかったけど、本当のおしゃべり会で小さな手づくりのお雛さんも並んで雰囲気は上々。
 節分のときも近隣の学校給食のことが話題になったけど、今日もその話が話題になる。
自校給食をしている学校では"行事食"が丁寧に取り入れられているが、センター給食をしているところでは"簡易食”らしい。木津町では、ごはんに"ゆかり"を混ぜて、ソーセージとチーズをはさんで手巻き寿司にしたとか。精華町では"チラシ寿司"が主流。
給食調理員さんが多い加茂町では、アレルギー食もきっちりとつくられて万全。合併で、センター給食に不安を持った加茂町では短期間の間に自校給食の存続を求める署名が短期間で6000筆も集まった。木津川市になって一年間は現状維持とのことだが、その先はわからない。
 中学校給食も含めてどんな構図になるか…いい方にあわせられれば問題はないのだが…。


田辺小学校へ             2007年3月2日(金)

 一度目覚めてからうとうとと…春眠、暁を覚えず状態になり、慌てて起きて狛田駅の早朝宣伝に。ぎりぎりセーフで約束の時間に間に合った。
 一般質問にとりあげている"学校のバリアフリー化”の実地調査のために京田辺市に向かう。共産党市会議員も同行していただいて、田辺小学校に寄せていただく。担当課長の案内で、校長先生もご一緒して丁寧に案内をしていただいた。
 古い学校だが、グランドから校舎まで車椅子用のスロープが設けられ、エレベーターは既存の施設の外側に設置されていた。今、エレベーター設置をしている田辺中学校は、自力で車椅子通学をするための歩道のバリアフリー化計画が進められているという。
「一度にはできないけど、必要なところは必要な時に設置を進めてきた。補助金から交付金に変わり制度はきびしくなったけど、要は、やる気になるかどうかが問題…」と課長さん。
「高齢者の方が来校された時に重宝しています」と校長先生。
 肝心なのは”やるきやね〜”と実感する。


焼け跡の中の憲法草案        2007年3月1日(木)


 人権講座の3回目は"焼け跡の中の憲法草案”。戦後、GHQの憲法改正指令に基づいて、松本委員会といわれる政府の憲法委員会が旧態依然とした"国体維持"を中心に憲法草案を作成していた時期に、民間の憲法研究会が、自らの視点でつくっていた憲法草案が、今の憲法に匹敵するものであったこと。そして、それが、GHQ草案に大きく影響を及ぼしたということが語られていた。
 以前にも書いたが、このような民主的な思想は、戦後の占領下でにわかに生まれたものではなくて、自由民権運動以来、その精神は脈々と生き続けていたし、それを受け入れる土壌もあった、ということがよく理解できる。
 結論として、現行憲法は、戦後60年が終わったから役目が終わったのではなく、日本の歴史の中でつくられてきたこの平和憲法の精神は終わらない…ということ。
 3月3日に行われる精華町母親大会の会場(むくのきセンター)を借りる手続きを済ませ、府会事務所へ。
 忙しい3月が始まりました。