たんぽぽ通信
夜空も春          2007年1月31日(水)

 昨日トップページにアップした写真だけど結構気に入ったのでここにもアップ。やなぎの若芽と細い流れるような枝ぶりがお気に入り。
 朝から議員団の会議に出席。3月議会が5日から始まるとあって、ぼつぼつと準備を始める。3月議会は町長の施政方針表明があり、新年度予算が審議される。
 午後から、昨日残してしまった印刷に出かけ夕方まで作業をする。 参議院での代表質問が始まる。共産党の市田さんの憲法9条問題の質問に「戦後60年経っている。実態に合わないところは見直しを…」と安倍首相。むりむりに実態を変えてしまったのは誰?と言いたくなる。既定事実をつくりあげて、それに”あわせて”変えていく、というのは筋の通らない話だと思う。
 夜になって外歩きをする。満月に近い月が…凍りつくような冬空とは縁遠い”おぼろ月夜”のような風情で、夜空も春。

 
明日の親子リズム会はお休みです。次回は2月8日です。

(子どもを)産む機械    2007年1月30日(火)

 一面の霜がさ〜と溶けて、春のようなぽかぽか陽気になる。昨年の今頃は雪が降ったり、氷が張ったりで、冬らしい”寒さ”があったのに…この陽気は何だ?と思いながらも、暖かいのはうれしい。
 思い切って”ビラ配布”に出かけ、足ついでにデジカメ持参で散歩する。精華大通りの柳が芽吹き、ところどころにたんぽぽが咲き、ボケの花はもう咲き出した。ユーストアのところで引き返したが、暑くて冬のコートは無用の長物となった。
 国会で物議をかもしているのが柳沢厚労相の発言問題。こともあろうに「女性は(子どもを)産む機械・装置」などと発言。こんな発想から”少子化問題”などを論じられては、女性はたまらないし、男性の多くもそんなことは考えも及ばないこと。
 それにしても、国会議員、特に閣僚の不適切発言が相次ぐ。それらは単なる失言ではなくて、普段、思っていることをいったまで…のこと。教育再生は、先ず、この方達から始めなあかんのと違う?

たんぽぽ号に春?    2007年1月29日(月)

 以前はもう少し”まめ”にしていたのに、最近ご無沙汰しているのが”洗車”。半分以上”貨物自動車化”している我がたんぽぽ号の”たんぽぽ”にも春を!…と言う訳で、久しぶりに洗車。
通りがかった方が「わ〜珍しい」と素朴に驚いて「雨…降らさんといてね」と一声。
 国会では代表質問が始まる。安倍首相の施政方針演説も”棒読み”と酷評されていたが、2大政党を標榜する小沢民主党代表もやっぱり”棒読み”で、迫力とは程遠い。聞いている安倍さんは答弁原稿のリハーサルをしているのか、目を落としてブツブツ…。どこから飛んでいるのか”野次”だけは賑やか。途中で、見るのをやめて外出。
 夕方と夜の会議に出席。車も洗ったし、部屋にお花も飾ったし、鬼とお多福の面も飾ったし、もうすぐ2月。

カルチャーショック     2007年1月28日(日)

 まだ、毎月の集金が残っている。今日こそは完了…と意気込んで出かける。ところが…誘い込まれた。「ちょうど、これからお茶にするところやしご一緒にどうぞ」と。門口での長話も、先方さんにご迷惑だしと思ってお言葉に甘えてしまう。そこへ娘さんも登場し、また長話。お昼前になったので失礼しようと思うと「夕べの残り物やけど、お昼もご一緒にどうぞ」と言われて、また長話。
 着物の話から茶道の話、身内に著名な画家がおられて、絵の話から焼き物、友禅染と幅広い話を聞かせていただく。中途半端な知識と”我流”でよしとしてきた私には”カルチャーショック”。
もう少し本物志向でいかないと…と反省しきりで帰宅したのは、もうお昼も大分まわった頃。
 木津川市長戦に田中康夫さんが立候補表明。相楽7町村合併が騒がれたときに、木津町からの住民代表の委員として参加されていた方で、当時も「住民参加の合併論議…」を主張されていたし、今回の3町合併では住民直接投票を求めておられた。都市計画やまちづくりの専門家ということで、新市のまちづくりに一番求められている人ではないか…期待は大きい。


”新春”のつどい     2007年1月27日(土)

 昨年の12月からこつこつと準備を進めてきた共産党後援会の”新春のつどい”。風は冷たいけど冬晴れ。最後の準備物を整えるためにスーパーに出かける。11時過ぎには朝食兼用の昼食を済ませ会場準備のために12時前に会場へ。
セレモニーイベントにお願いした”筝と尺八演奏”。尺八の音色を聞く機会はあまりないが、お腹の中から湧き上がってくるような絶妙な音量感と旋律は、あるときは心にしみ込み、あるときは心から吹き上がる。筝は連弾で”鷹”独奏で”さくら”が奏じられた。
 山田さん、成宮さんのあいさつと決意をお聞きして、後はいつものように後援会メンバーのギター伴奏で歌声を響かせて、それぞれの”トーク”が続く。
 夕方、お世話になった筝と尺八の奏者の方から電話が入る。「沢山の方に聞いていただいてありがとうございました」と。お世話になったのはこちらの方なのに「礼を尽くす」姿勢に感服しつつ恐縮する。
 安倍さん、わざわざ「美しい国」を言わなくても、美しい国は今までからもあったし、これからも続く…大きなお世話デス。


学校訪問         2007年1月26日(金)

 祝園駅に7時に立つ。登美が丘の新駅ができてから乗降客が少なくなったような気がするが実際はどうだろうか。
 山田荘小学校と精華南中学校を議員団で訪問する。山田荘小学校は体育館のアスベスト問題について、現状を見せていただく。かなり大掛かりな手作業が必要とのことで、時期は夏やすみをはさんで3ヶ月はかかるとのことだが、なんといっても”安全第一”にと願っている。精華南中学校はバリアフリー化についての懇談と現場の視察。来春入学予定で、車椅子を使っている子どもさんの受け入れについての話を聞かせていただく。エレベーターがあれば問題はないのだが、足りないところは”人”で対応したい、ということで細部にわたって検討を進めておられた。
 午後から山田清子府会予定候補とご一緒して、訪問と宣伝活動を夕方まで。
夜になって雷が…春雷にはちと早いこの雷、明日のお天気が心配である。

かわいい”手”      2007年1月25日(木)

 ほぼフルメンバーで親子リズム会。子どもたちが大きくなった分だけ部屋が狭くなり、ぶつかり合って、それでも楽しく遊ぶ。大きな模造紙を用意して”手形”を押してもらう。実は、新春のつどいの”看板”に使わせていただこうというのが目論みだが、それは”内緒”にして…。子どもたちの手は本当にかわいい。大人の手形ではこうはいかないが紙面いっぱいに”春の野花”が咲いた。
 乳幼児の医療費の京都府の助成制度がついに動いた。報道によると「入院は小学校卒業までは無料(窓口負担200円)、通院も上限が8000円から3000円に引き下げ」られた。
もう、一声、3000円の上限をなくして!と言いたいところだが、先ずは大きな前進である。このことで、精華町などの”乳幼児医療費の小学校入学前までの無料”は大きく負担を軽減することができる。
負担が軽くなった分をせめて、町の施策に上乗せすれば、どのくらいの拡充ができるか…試算をして、再度、声をあげていこうと思う。
 それに加えて、高齢者の医療費負担の軽減も…これは”喫緊”の課題である。


政策転換…?      2007年1月24日(水)

 予定していた議員団の会議が流れたので、事務局で雑談。過日、新聞折込をされた他会派の議会だよりをみると「一般予算から国保会計に財政支援」「介護保険料の細分化」を19年度予算の重点要望として提出と書かれている。
今年度に国保税が大幅値上げがされ、反対討論をしたのは共産党「国民皆保険制度がくずれる」として、賛成討論をしたのはその会派所属の議員さんだったと記憶している。介護保険料の改定のときも「細分化」の修正案を出したが反対された。
「19年度は政策転換をしはったんやね」と、念を押したが、そうだとしたら100人力で、国保税の引き下げも夢ではない。
 午後から印刷に出かけたが、印刷機のご機嫌がやや斜めで思うようにはかどらず夕方近くまで時間を費やし、後は2つの会議に参加。 永らく畑にいってないけど、こんなにあったかいと、えんどう豆も”て”を待ってんのと違うやろか…と、気になりだした畑仕事。

合併と学校給食      2007年1月23日(火)

 つい口癖で”寒いですね〜”と言ってしまうが、本当は”暖冬”。昨年はもっと寒かったと思う。
朝から、会議が一件あり出かける。昨日同様、帰り道に外食。立ち寄ったレストランで「ご注文、お聞きしてよろしかったでしょうか」と、丁寧にオーダーを聞くウエイターさん。「注文、聞いてやってください」と、口がすべる私…なんだか”変”な日本語だと思いながら注文する。
 1月27日に予定をしている”新春のつどい”のご案内も兼ねて集金活動。今回の”つどい”は、学研記念公園内のビジターセンターをお借りして、筝や尺八の初春演奏も織り交ぜての取り組みで、時間は午後の1時30分から。
 夕方にまた会議が入っていたので、木津まで出かける。話題になったのが学校給食。自校給食では10時30分から本格的な調理が始まるが、センター給食は10時30分には配送に入っている。味や食感は言わずもがなで、自校給食が多数派。
 合併で当面は加茂町は自校給食、木津・山城は給食センター食。
いずれはセンター方式に統括されるのでは、という心配をされている。ここは一つ、子どもたちに試食をさせて”どっち?”がいいか、判断を委ねて見てはどうか…と外野席からの提案。

"そのまんま…”いくか? 2007年1月22日(月)

 深い霧の中に子どもたちのランドセルが消えていく朝…青信号でも”安全”ではないんやからと「気をつけて行きや」と声をかける。
 朝から京都まで所用で出かける。地下鉄の駅をおりタクシーに乗る。運転手さんに行き先を告げたがどうも行き先がおかしい。「間違ってません?」「この前も降ろしたことがある…」と、余裕の答え。やっぱり違う「もうここで降ろして…」と途中下車。目的地に着かなくても料金は料金で負けてはくれない。そこから、また別のタクシーに乗って無事到着。
帰り道、小さなレストランで昼食。カウンターに座ると「そのまんま東さんが勝ちはったね〜」とお店の人。いちげんさんのお客に、なんで…と思ったが、この関心が”そのまんま東”の勝因か、とも思った。
 県政を変えて欲しいという県民の願いと議会の軋轢…ここは是非「是々非々」で進めてほしいと思う。

これからやのに…    2007年1月21日(日)

 西9条の会の例会に参加する。”憲法9条”のビデオを見る。アメリカに押しつけられた憲法だから変えないとアカン、と言う声を聞く。本当にそうだろうか。
当時、憲法草案作成に携わった方達の証言が続く。「憲法9条は、アメリカが押し付けたものではなく、国民が国家に押し付けた憲法」「第二次世界大戦で犯した戦争の罪を謝罪する証が憲法9条、これがあるから東アジアで信頼を回復してきた」とも。
世界、とりわけ東アジアの国々と、戦争認識を共有化するということがなければならない。このことを抜きにして、憲法9条を変えてしまえばわが国への信頼は…地に落ちる。一国の憲法はその国の問題だけではなくて、世界的な問題なんや、と思う。
 午後から相楽新春のつどい(党と後援会主催)に出かける。準備もあって早めに会場に入るが、そこで携帯がなり…訃報が届く。
 今年の成人式の名簿で、一番に目に入ってきた青年の訃報。保育所時代の馴染みで、とても静かでやさしい男の子。「今年が成人なんや…」と感慨深く名前を見て、会いたいと思っていた矢先…。
通夜に参列したが「これからやのに…」と言う思いが先にたって、ご両親の顔をまっすぐに見ることは…できなかった。


軍需産業         2007年1月20日(土)

 今どき軍需産業なんて、時代錯誤とちがう?と思われるかもしれないが、それがある。戦闘機やヘリコプター、イージス艦などの船舶がつくられている。19日に”思想差別”を反省し和解協定を結んだ石川島播磨重工業などもその一つである。
 相楽の年金者組合の新春のつどいに参加する。そこで見せていただいたのが”軍需産業”というビデオ。自分達のつくっている軍需品の使われ方に疑問を持ったりすると、リストアップされ、賃金や昇給、行事参加などで差別的扱いをされる。思想・信条の自由などは、そこにはない。今まで、あまり深く心にとめなかったこれらの問題が、石川島…和解協定と並んで印象深く残った。
 夕方から予定していた自治会仕事の書類づくりを大慌てでつくり、会議に参加。昨年の今頃から始まった受け継ぎを、今年は渡していく仕事をしなければ…これはこれで大仕事である。

選挙談義         2007年1月19日(金)

 何かいいことがあるのだろうか、通学する子どもたちの「おはよう」の声がいつもの数倍も明るい。
 9時から監査の仕事で役場に出向く。お昼過ぎまで仕事をして、議会事務局で雑談。いよいよ近づいてきた統一地方選挙のことが話題の中心。府会議員選挙と木津川市議会・市長選挙、6月には南山城村長の選挙があって、そのすぐ後が参議院選挙、そして精華町長選挙と続く。
木津川市議会選挙は合併後の初めての選挙で定数は26人。全市一区で行われることもあり、いろんな思惑が飛び交うが、見当がつかないと言うのも本音らしい。
 国政でも参議院選挙をにらんでの攻防が続く。安倍首相のキャッチフレーズ「美しい国」とはどんな国なのか。平和な国が一番美しいと思うのだがどうやらそれも違うようで、教育再生プランとやらも動き出したが「いじめ生徒」の出席停止などで「再生」が可能だとは思えない。 議論なしで進められた教育基本法の改定…その中での”再生プラン”やっぱり、押し付けられるのだろうか。


へ〜っ7万円       2007年1月18日(木)

 久しぶりの親子リズム会。4月から幼稚園に入る予定のしっかりもののお兄ちゃんも参加。「幼稚園の入園料が7万円、他では8万円のところもある」とか「制服代、お道具箱と本当に高い」とか幼稚園の話が先ず弾み、4月から保育所に行く子どもさんもいて「一時保育でお迎えが5分遅れたら、荷物を外に出された」話など、生々しい話も出される。
公立幼稚園だと入園金は要らないし、毎月の保育料も7千円から1万円。いつも言ってるけど、親の負担は月とすっぽんほど違う。子育ての頃、周囲の方からよく「お金をためるのは子どもが小さい間…中学にいったらよう〜けいるよ」と言われたものだが、これだと子どもが小さくても負担は大きい。やっぱり、公立幼稚園がほしいよね〜と言うのが結論だが…この声は届かない。


議会の活性化       2007年1月17日(水)

 さほど冷たくはないけど雨が降る。通学路は傘の列が続く。神戸の大震災から12年目の朝、報道番組が続く。
 議員団の会議に出席。常任委員会や一般質問のあり方、その他いろいろ…議会の活性化についての討議をする。
 午後から、昨年の暮れに受けていた”生活相談”について、相談者の方とご一緒して担当課に出向いて相談をする。
今日、明日の改善策は見つからないが、担当者も親身になって相談に乗っていただいて、これから方策を一緒に考えよう、ということになる。
 夕方から”精華町の子どもと教育を考える会”の事務局会議に出席。2月に懇談会を開催することにしていろいろと相談する。
 明日は、親子リズム会、久々に開きます。お待ちしています。


ペコちゃんへこむ     2007年1月16日(火)

 ”朝ズバッ”だったと思うが、不二家のペコちゃん人形が顔色を悪くして立っていた。長女は特にペコちゃんがお気に入りだった。なのにとんでもないことになってしまった。全国にある不二家の販売店主「…私達も被害者です」と。子どもたちに”夢”をくれたペコちゃんのあまりにも悲しい終末…このまま、覆い隠せると思っていたのだろうか。
 今年初めての”4丁目フリースぺース”が開かれる。子ども学を勉強している学生さんや、お父さんも参加されて一段と活気づいて楽しいひと時を過ごす。
子ども学なんて今まで知らなかったけど、どんな勉強をしはるんやろかと興味津々…いろんな方と出会えて、これも楽しみの一つである。

健闘を祈って       2007年1月15日(月)

 亀岡行きの約束は3日間。今日がお手伝いの最終日。駅からいつものようにタクシーに乗る。この料金が不思議である。1日目は確か1100円、2日目は800円ちょっと、そして今日は760円と日に日に安くなる。初日、遠回りしたのはこちらにも原因があるけど(住所がよくわからなかった)2日目、3日目は同じ道を行った。
運転手さんに聞く「なんでですか?」「運転手によってメーターを倒すときが違うんですよ」とのこと。ということは、今日はゆっくり目にメーターを倒したということか…ありがとう、運転手さん。
 10時前に事務所に入り、終日街頭に立つ。午後から候補者とご一緒する。定数26人、候補者32人の多数激戦となっている。争点の一つは亀岡駅舎の改築工事。市の負担割合が92%、ということはほとんどが市費の負担で駅の改修が行われることになっているらしい。
詳しくはわからないが応分の負担は求めるべきではないか、というのが当方の主張。う〜ん、なんとなく精華病院の透析医療施設の新設と共通点がないか、などと、わが町に引き寄せてついつい考えてしまう。
 候補者の健闘を祈って事務所を後にした。雪が降らない3日間で本当にラッキー…日頃の精進がいいからなどというのは”我田引水”というものか。


電車通勤?        2007年1月14日(日)

 やっぱり、電車を乗り継いで亀岡に出かける。園部あたりまでは京都への通勤・通学圏になっているのか電車の本数も20分おきくらいに走っている。保津峡もシーズンオフで乗客も少なく、空席も多くゆったりと乗ることができる。
 9時過ぎに事務所に到着し、夕方までお手伝いをして帰路につく。この時期の選挙なのでよく”雪”に見まわれるそうだが「今年の選挙は雪が降らないから大助かり…」とは地元の方の話。でも、あったかいとはいえこの季節、終日の活動は結構厳しい。
帰りの暖かい電車の中ではすぐに睡魔が…襲ってくるけど、結構それも気持ちがよくて爆睡。
 こうなれば、亀岡行きはキッパリと車はあきらめて、久しぶりの電車通勤を楽しむことに決めようと思う。


亀岡の風           2007年1月13日(土)

 急遽決まった亀岡行き。明日から始まる市会議員選挙の応援に駆けつける。出かける前まで、車で行こうか電車で行こうか悩んで迷っていたが、結局電車で出かけた。懐かしい山陰腺に乗って、懐かしい保津峡のトンネルを抜けるともう亀岡である。いつも見ている亀岡は”京都縦貫道”からなので知らない町に来たような気がする。
京都から電車で30分という地の利もあり、ニュータウンが広がっている。山間地を開発した町なので坂道が多い。
 道を歩いていると地元の農家の方が何人かで”地元産米”の売り込みに来ていた。「奥さん、玄関先まで届けます。地元のお米どうですか」「遠くから来てるし…」「遠いとこでも届けまっせ」「精華っていうとこなんやけど…」「そりゃ遠すぎるわ」などと、どこにいっても世間話をしながら歩く松田。
 お昼頃から急に風が変わった。寒い!。これが亀岡の風かっ、いつも、おいの坂を超えるとお天気が変わるもんナと思いながらも踏ん張る。
 夕方から自治会仕事が入っていたので集会所へ。何となく頭痛が…亀岡の風が、風邪を引き起こしたかなどと、しゃれにならない駄じゃれを思いついて1人で苦笑。


私の初釜           2007年1月12日(金)

 朝から監査の初仕事でお昼過ぎまで。議会事務局でしばらくおしゃべりをして帰る。
 夕方から、ご縁があって1月27日の”新春のつどい”で筝の演奏をしてくださるお宅を訪問する。筝・尺八・三味線などを専門に指導しておられるプロの演奏家の方が、多忙な時間を割いて出演してくださることになりその打ち合わせに伺う。
そこでいただいたのが"お抹茶"で、私にとっては"初釜”。他のお客さんもありご一緒に一服…お言葉に甘えてさらに一服。夕食のお誘いも受けたがそこまでは厚かまし過ぎると辞退をして帰宅。
さて、そこからが忙しい。せいか民報の原稿を整理したり、依頼メールをしたり、明日出かける約束場所の地図検索、時刻表検索とPCにかじりつき、やっとHPにたどり着く。
でも、まだ洗濯物は洗濯機の中…干してからでないと寝られない。
あ〜しんど。


遺族厚生年金        2007年1月11日(木)

 夫がなくなったのは享年59歳。その年の6月に年金制度が変わり遺族年金の受給制限ができ、当時現役だった私は受給資格がなかった。もうすぐ65歳…年金の選択ができますよ、という助言をいただいていたので思い切って社会保険事務所に出かけ、順番を待って相談。
遺族厚生年金は課税対象にならないので、だんだん負担が重くなっている介護保険料や老人医療などにもメリットが、と期待をして試算をしてもらう。
「一番有利なのは、遺族厚生年金を2/3、本人の年金を1/2にすると受給が増えて課税が減る」と、数字を示して説明を受ける。じゃあ、手続きは?ということになって「夫がなくなった時に受給資格がありませんでした…」と言うと「それやったら一生、遺族厚生年金はもらえません」とキッパリと宣告を受ける。
40年以上、夫がかけ続けてきた厚生年金は、結論的には何の役にも立たなくて、それでは、あまりにかわいそう過ぎる…と、古い厚生年金の被保険者証を握りしめたが「決まってることなので…」と言われて退散する。
「あんたは、ほんまに間の悪いときに亡くなったもんや…」と愚痴っても「決まっていること…」は超えられない。配偶者間格差も…大きい。


ホワイトカラー エグゼンプション
                2007年1月10日(水)

 一度や二度聞いたくらいでは覚えられないカタカナ文字、「労働時間規制の適用除外」という。労働時間は1日8時間という子どものときから学んできた労働者の労働時間規制の対象から、ホワイトカラーをはずそうという新しい労働法制。
強く導入を求めているのは”経済連”。労働者の立場から言えば”残業代ゼロ”法案。ホワイトカラーという定義もあいまいだが経済連が求めているのは年収400万円以上のサラリーマン、1013万人の労働者が対象になるという。
残業代がなくなれば長時間労働が減る…というのは安倍さんの論法だが、現場では仕事は待ってはくれない。
 働くものが長年にわたって、いろいろな時代を過ごして、いろいろな闘いを得て、今、できているのが労働法制…簡単に変える訳にはいかない。
 朝から、議員団の会議に始まって3件の会議に出席。相変わらずの日常に限りなく近づいてきた。
 明日は木曜日ですが親子リズム会は来週の18日から再開します。

新学期始まる        2007年1月9日(火)

 中学校は2学期途中だが、小学校は3学期。例年よりちょっぴり長い冬休みを終えて、今日から新学期。久しぶりに交差点に立つ。PTAの役員さんも立たれて子ども達を見送る。いろんな冬休みのおみやげ話を持っての登校だろうな〜と、勝手に想像をめぐらす。
 後援会ニュースや、府会のビラを持って、ほぼ終日歩く。風のない穏やかな昼下がり、朝、見送った子ども達がもうあちこちで遊んでいる。土曜日が週休になって”半ドン”がなくなり、こういう風景は普段はあまり見かけないが、道端のボール遊びや、ガレージでのままごと遊びが
”生きている”ことに何となく安堵する。
 お正月以来”残り物”で済ましてきたが、やや限界に近づき思い切って、久しぶりに食料品の買出しに出かける。30%オフとか、50%オフとかの”札”がチラチラと目に入り誘惑に駆られそうになるが「本日は食料品のみ」と、自分に言い聞かせて一目散に駆け抜ける。
 本日から防衛庁が防衛省に変わった。簡単に法律が通り、簡単に変わる…でも、そんなに簡単なことだろうか、と思う。自衛隊の本来任務は「自衛」で、海外での活動ではないはず。
いよいよ憲法9条の存在感は「重要」だと再認識する。

新成人…425人      2007年1月8日(月)

 お天気でよかった…成人式。今年の新成人は425人。女性は圧倒的に振袖姿が多く、会場は華やいでいた。付き添いの保護者も多く、以前とはかなり様変わりしている。
以前といっても自分の娘達の時代と比べるのは時代遅れかもしれないが、長女は自分で振袖を買ったし、次女はなぜか黒の礼服を買った。息子達は背広をつくった(様な気がする)。
もっと以前、といえば自分の時代だが、成人式に参加しなかった。単身上京していたし、わざわざ、田舎に帰るという気がしなかったし、その時間もお金もなかった。
会場で知人に会う。娘さんが成人式ということで「朝から大変だったでしょう?」というと「もう昨日から大騒動してました」と、本当にうれしそうで、こちらにも喜びが伝わってくる。
でも、何となく成人式は1月15日の方がなじんでいて、わかりやすく親しみやすい気がするけど…これも”以前”の話やね。

雪まう中で          2007年1月7日(日)


 
雨は止んだが強い風が残った。確実に今日が消防出初式。山田荘小学校で行われた。途中から黒い雲が広がって雪が舞いはじめたが予定通り、筋書き通りに行われた。風にも負けず雪にも負けずズーと立っていた消防団員さん…ほんとにお疲れ様でした。

思い込み           2007年1月6日(土)

 昨夜から”明日は消防出初式”と固い頭に思い込んでいた。雨なのに大変や、雨降ったらどこでしはるんやろ、と案内文も確認して、ふむふむ今日は体育館やと、出かけていった。
雨の会場は静まり返り、そのときやっと思い出した「今日は6日やで〜」と。こんな思い込みは結構あって…時々無駄足を踏むことになるが、すっかり忘れているよりはましか…とすぐに思いなおす。
 年末にいけなかった美容室に予約を入れる。いつもだと次々とお客さんが入る美容室だが、本日はず〜と1人。妙なもので1人というのは返って居心地が悪いもので「お正月はゆっくりされましたか?」とか「今日はお休みですか?」などと聞かれると説明が難しく、ついつい、寝たふりをして目をつむり…寝てしまう。
 「老人医療費助成制度申請のお知らせ」が届いた。「満65歳の誕生日を迎えられるにあたり、心からお喜びを申し上げます」いわゆる前期高齢者に入ったわけで、所得制限は159万円…とある。
これは、あまり喜んでいられない所得制限…老人医療費無料なんていうのはもう遠い…昔話。

初夢              2007年1月5日(金)

 お正月から5日も経っているのに、今年見た初夢が脳裏から離れない。
10年、もっと前に亡くなった夫が「着物を持っていくのを忘れた」と肌襦袢のまま帰ってきたのである。彼は着物が好きで、会社の年賀式や新年会、そして初釜などに、一枚きりの一張羅の着物を着て出かけていった。
大晦日に「昔はおせちも大変だったけど、父さんの着物の世話までしてほんとに大変やった」などと、息子にこぼしていた”愚痴”が聞こえたのかもしれない。
お盆までには”虫干し”などもして、何時とりに来てもいいように準備をして…と夢の中で思っていた。もうちょっと楽しい夢を見させて〜な、と今度は言うつもりだが…。
 府会の予定候補の山田清子さんと新春の街頭宣伝をする。4年前にお世話になった酒井弘一さんもご一緒に。終日かけて相楽郡内を一巡する山田さんと酒井さん、本当にごくろうさまです。


道州制が視野に       2007年1月4日(木)

 仕事始めの今日、例年のごとく役場に出向き”町長あいさつ”を拝聴。道州制を視野に入れた”合併”がどうやら彼の目論見らしい。正確ではないが「道州制の議論が進み、府県の垣根が取り払われて…確信を持って進める町づくりが「関西学研都市」の発展につながるものであれば躊躇する必要はない」と。
 夕方から商工会の”賀詞交歓会”に出席する。衆参議員、府会議員の顔ぶれも賑やかに京阪奈プラザで開かれた。
余り記憶に残っていないので失礼かもしれないけど、簡単に来賓あいさつを紹介すると
井沢衆議院議員…木津川市誕生と大型店や病院誘致を賛美。
やまのい衆議院議員…しごと館の利活用の提案をしてがんばる。
二の湯参議院議員…秘書が代理出席。選挙のお願い…のみ。
伝宝府会議員…教育が大事。
松岡府会議員…猪突猛進ではなく、前後左右を見回して広い視野で…などなどでした。
 溜まったPC仕事や連絡事項を済ませ、今年も多忙は変わりない。「母さんは、走っているときは大丈夫やけど、止まったときは終わりのとき…」という、娘の予言を思い出し「これでいいのだ!」と、変わらない忙しさにも、ちょっぴり感謝。


食べすぎ…
かな        2007年1月3日(水)

 夜型の次女が1日から泊まっている。昨日は大集合のため、早めに”起こして”同行したが、本日は”目覚め”まで待つ。
暮れに手の届かなかった台所の大掃除をして、金魚の住家も大掃除をして、彼女が目覚めたのは午後の3時をまわっていた。
 おせち料理の後始末をしに長男宅へ出かけ、できるだけ胃袋に納めて後は山分けをして持ち帰る。
途中、知人宅へ届いた”越前かに”のおすそ分けを頂きに回り道をして、娘を送って帰宅。
いただいたかにを無駄にしてはいけないので…せっせと食べて、やっぱり食べ過ぎやね〜。
当分、体重計は奥にしまいこんで”のこりおせち”もせっせと食べる予定。
明日から”ご用始め”。2007年、本格的に始動します。


大集合             2007年1月2日(火)


 朝から小雨がふる。長男宅に子ども、孫と大集合をかけていたのでお昼からみんな集まって新年のつどい。
中学生の孫は、顔にブツブツと思春期シンボルをつくり、一番下の孫も4歳になったばかりの元気もの。大賑わいの食事の後は百人一首やトランプ遊び、合間合間はTVゲームで遊ぶ。
折角そろったからと記念撮影をして、HPの公開と思いきや、眼鏡を忘れて無防備に作業を進め、カメラ内の画像をすべて消去。
先ずは、本年のうっかり第一号。
と言う訳で、眼鏡なしでは作業はおぼつかなくて、本日はこれにておしまいです。
本日の教訓…忘れ物に注意!

新年おめでとうございます   2007年1月1日(月)

 松青く 心晴れ着の お正月
 
 穏やかに新年が明けました。本年もどうぞよろしくお願いします。