たんぽぽ通信


〜冬色に            2005年11月30日(水)

 精華大通りのメタセコイアの並木が茶色に染まる。初めて実をつけた庭のイチジクは、完熟しないままに大きな葉っぱをばさばさと落として”もう今年はこれでおしまい”という。
明日はもう12月…一年の早さを思う。
 午前中は議員団の会議。12月議会での一般質問の検討をする。松田が準備したのは・障害児教育の充実・介護保険の外出支援サービス・訪問リハビリテーション設置・中学校給食の実施の予定。この間、皆さんからいただいたご要望やご相談のあったことを中心にまとめ上げた内容である。
 午後から何軒かのお宅を訪問したがお留守。夕方から所用で木津へ。急に寒くなり、あう人も風邪気味の方が増えた。
昨日、根をつめたこともあって本日は、やや、疲れ気味。風邪を”いただかない”間に帰宅。
 明日は親子リズム会を開きます。お気軽にどうぞ!


一般質問準備…
でも、見てしまった国会中継
                  2005年11月29日(火)

 遅くなったけど10月に行った町村監査委員研修の報告をまとめ…(本当に遅すぎる)、午後から一般質問の通告書準備と思っていたのについつい見てしまった。
耐震構造偽装問題の国会中継。建築、販売、審査のこれぞ三位一体…誰も「自分に非がある」とはいわない。
審査機関を民間にゆだねた構造的ミスマッチか…とすれば、国の責任も。でも、今は、口を開けば”自己責任”の時代。しかし、消費者の方の責任は先ずないし被害者。
さて、この責任の決着は…とりあえず急がなければ、住んでいる人、開店休業のホテルなどもたまったものではない。
 かと思うと、「名義貸し」の国会議員さんも出たりして…多くの小心で真面目な国民はどこに”怒り”を…。
 どうしても読みたい本があって、でも、本屋さんにもなくて知人に借りに行く。場所は南山城養護学校。受付でばったり出会ったのが保育所時代の双子ちゃんのお母さん。
「もう3年生になりました。仕事をやめようとなんども思ったけど、保育所で本当に皆さんに助けられて…仕事が続けられて本当によかった。思い出すだけで涙が…」と、再会を喜んでくださった。
やさしかったのはお母さん…あなたです。

臨時議会開会         2005年11月28日(月)


 午前中はPCに向かい文教産業常任委員会の研修報告をまとめる。読み返しながら、教育大付属の池田小学校の悲劇がよみがえる。広島の事件もまだ解決していない。
 午後から臨時議会が開かれる。議案は職員の給与の条例の一部改正、ペデストリアンデッキ上部の工事請負契約と、煤谷川改修工事の専決処分。
職員給与にかかわっては扶養家族手当の減額月500円と2キロ未満の交通費の廃止などで賛成多数で可決。
労使の決着がついていない中での提案だし、専業主婦の家事労働が値切られた訳で、公務労働者の賃金が下がることは中小民間労働者にも影響するのではないかなどの理由で反対をする。
 帰り道に、この間、相談を受けた2軒を訪問。障害児教育と、介護問題。どちらも難解だが差し迫った問題である。どちらも12月議会で取り上げる予定だがいまだにまとまらない。
何とかしなければ…。

七・五・三            2005年11月27日(日)

 次男のその次男が七五三詣り。「おばあちゃんも来てや」と、誘われていたが、どうしてもはずせない用事があり、「お昼だけでも一緒に食べようか」ということになって…。
さて、今日は当然、支払いはおばあちゃんの受け持ち、と思っていたのに、彼がさっさと勘定を済まして…。これでは、おばあちゃんの出番がない。
無理をしてでも、”ええ格好”をするのは彼の父親(私の夫)譲りの性格か…それとも、母親へのいたわりか(?)
ともかく、ご馳走になって、しばらく遊んで彼らは引き上げた。
 孫たちの話によれば、城陽市の子ども将棋大会に参加して、4歳になったばかりの次男は3勝、小Tの長男は準優勝したとか。対戦相手は高学年の子どもたち。相手にしてみれば、やっぱり、油断してしまうん違う?…とは言わなかったけど。
趣味は、将棋、けん玉、パソコン、そして今はそろばんにはまってる。
今と昔が同居している、不思議な孫たちのはなしです。

子ども議会             2005年11月26日(土)

 10時30分から恒例の子ども議会が開かれた。傍聴人として参加する。
各小学校から代表の児童が議員として参加し、一般質問をする。答弁は町長と教育長。
・こまだ地域をもっと便利にして安全にしてほしい。
・中学校給食をしてほしい。
・自然を守ってきれいな町にしてほしい。
・教室が不足して更衣室が足りない。
・運動のできる公園をつくってほしい。
・バリアフリーやプールの改修をしてほしい。
・街路灯などの管理をしっかりしてほしい。
・合併についての町長の考えは。
・中学校を選択性にしてほしい。
・他中学校との交流を。
・国立国会図書館を利用できるように。
・学校図書館の本を充実してほしい。
・町立図書館にDVやカセットテープを増やしてほしい。
・犬のフン害に困っている。
など、沢山の質問がされた。特に中学校給食は、小学校の給食が大好きで、中学でも給食を言う声が二人の児童から出された。相変わらず”親子の愛情””親子でつくるお弁当”論で答弁がされていた。
残念ながら再質問はないが、質問した児童たちは納得…できただろうか?
 終わって役場食堂に行くと「今年はカレーは食べはらへんのやな〜」と店主。
去年までは、お昼に町長とカレーライスを食べて懇談しながら、お昼から一般質問となっていた。
図書券のお土産もいいかもしれないが、町長と一緒に食べるカレーの方がインパクトもあるし、思い出になる…と思うのだが。
 夕方から自治会の建築説明会。4丁目の北東に新しい理容店が建築予定でその説明会。工事中の安全対策や時間の確認をして終わる。

ゴミだしマナー           2005年11月25日(金)

 午前中は議員団の会議。11月28日の臨時議会の案件や、12月議会の一般質問などを協議する。
午後から美容院に。親子リズム会に来た子どもさんから「松田さんの頭はボサボサや」と鋭く素直に、指摘され気になっていた(ほんとに子どもは正直)。
 夕方からパソコンに向かい”仕事”と思ったが。必要な書類が見当たらず探すつもりで棚整理を始めた。この探し物がいけなかった。ついつい不用な書類を整理しだし、気がついたら部屋は書類が散乱。あれもこれもと残しておいて整理がつかず…この始末。
足の踏み場もなくなった頃電話が入る。「明日は粗大ゴミの日、今から沢山ゴミが出されて…心配」「もし、放火でもされたら…」そんなことはめったにない(あったら困る)とは思ったが、とりあえず現場に直行。確かに雑多な不燃ごみが出されている。縛れるものは縛り、できるだけこじんまりと整理して…ちらし(ゴミは当日にだしましょう)を貼って…帰宅。
ご近所同士で気をつけあって、お互いにゴミだしマナーを守りましょう…今の私にはこれ以上のことはいえません。


来年度予算要求書提出     2005年11月24日(木)


 各種団体の方や、住民の方からいただいたご要望と、この一年議会で求めてきたことなどを整理して、来年度の予算要求書を提出する。
町長と懇談したのは30分と短い時間。町長室は消灯してあった。
冒頭「暗いところで仕事をしたら目が悪くなる、と言われるけど、例えわずかでもと思って省エネしている。公用車もほとんど使わない」と先ず、自らの自助努力をPR.。「私も思いは一緒…だけど、国政が…これほど自治体の厳しい時代はない」と前置きのフレーズも長い。
来年は、国保税に介護保険税、水道料金も値上げかと言われる中での伏線か?と、勘ぐりも。
 午前中は親子リズム会。町長との懇談の後は会議が3件。合間を縫って集金にまわり、いろんな対話。障害者自立支援法が実施されれば、共同作業所を利用できなくなるかもしれない。
「障害者は以前のように家の中でジ〜としていなければならないのでしょうか?これってやっぱり、後戻りですよね〜」と、実感のこもった声も。
かけ声だけのノーマラゼーションとしか思えない国の政治。現場の人たちの声や努力が生かされる政治や制度が…だんだん遠くなるのを実感した一日。


仕事が…ない           2005年11月23日(水)

 朝から、集金と、教育署名のお願いに歩く。自営業者の方を訪問。「2,3ヶ月、これといった仕事がなくて、毎日、金策に苦労している。いよいよ、車も手放さないと…従業員の給料が払えない。景気が上向いたというが、自分たちの方にはいっこうにそんな風は吹いてこない」と。強気を助け、弱きをくじく今の経済政策…嘆きのこえは他からも聞こえてくる。夫の自営業を助けながら、寸時を惜しんでパート勤務をしている方もいる。
身を粉にしてこつこつと地道にがんばっている方が報われる…これが当たり前の世の中であってほしい。
 日足が短くなって夕張が早い。夕方歩いていると、一軒、また一軒と、クリスマスのイルミネーションが増えてきた。
子どもたちの不幸な事件や事故が相次ぐ。せめて”気持ち明るく”という願いがこめられているような気がしてならない。

本音で…             2005年11月22日(火)

 9時から例月の出納検査。午前中を予定していたが、午後までの延長戦となる。
 11月広報誌に案内のあった「ふるさと案内人養成講座」が行われていたので、遅刻を承知で参加する。主催は精華町シルバー人材センター。講師は京都府文化学術研究都市推進室室長の中井さん。けいはんな検定試験(3級問題)が準備され、それにそって話がされた。
 夜は小さな教育懇談会。現場の先生たちと保護者の方が、それぞれの立場で、本音で話をされていた。教育基本法を変えようという動きがある。義務教育の国の責任を地方にお任せしようとする動きがある。地方分権といえば言葉はいいが、義務教育は全国どこに行っても同じ教育が保障されることが望ましい。
とりわけ、障害児教育は府県によってずいぶん違う。他府県から来られた方は京都府方式に困惑される。それぞれの長所、短所はもちろんある。それらを検証しながら、障害のある子どもたちのよりよい教育を国の制度として確立していくことが大事。
今、進められようとしている特別支援教育だけでは、子どもたちの居場所が保障されるとは思えない。
一般論をかいたが、これは私の感想。話し合いは本音で…遅くまで続いた。

初霜の朝            2005年11月21日(月)

 スクールヘルパーの腕章をつけて交差点に向かう。グリーンベルトの落ち葉が白く光る。初霜…冷たいはずだと思いながら小走りで目的地へ。
沿道のさざんかの花が一輪、2輪咲いている。もう冬やね〜と独り言。
通学する子どもたちの息も白い。多くの子どもたちが両手をポケットにしまいこみ背中を丸くして歩いてくる。
なかに半そで一枚の子どももいる。そういえば我が家にも冬中半そでで通した子がいたっけ。夏から着ていた半そではもうよれよれで薄っぺらくなって、お正月ぐらいはと思って、新しい半そでシャツを買おうと思ったが、どこにも売っていなくて…。新しい体操服で新年を迎えた。
 気がかりになっていた、空き家になったウサギのゲージを洗い、ビニールをかけて”簡易温室”に変身。夏の花の越冬準備をする。玄関の模様替えをして、やれやれ、と時計を見ると、午後1時。すこ〜し、一気にやりすぎたかも…。
 
 建築物の耐震性がやかましく言われているご時勢に、震度5程度で崩壊の恐れのあるビルが林立。虚偽報告と、見抜けなかった行政。入居者とご近所の方の不安は計り知れない。
それにしても、上に上にと伸びる建物…。求められるコスト削減…。問題の根っこは深い。

なつかしい食堂         2005年11月20日(日)


 午前中はせいかまつりを見て、午後は京都で会議と今日の予定は決まっていた。ところが朝早くから、知人が交通事故で入院との連絡が入る。原因は不明だがどうやら自損事故の様子。
運ばれた山城病院に駆けつける。
帰宅したのは11時。会議に使う書類をいっぱいバッグに詰め込み歩いてせいかまつりに。フリーマーケットの会場が変ったのでせいか大通りを歩く人の流れも変った。
会場を一回りして記念公園前からバスに飛び乗り京都へ向かう。
会場は平安会館。帰り道、烏丸丸太町の東南の角に懐かしい食堂があるのを発見。学生の頃、時々食事に行ったのを思い出し入る。
テーブルの配置も、雰囲気もほぼ同じで、メニューも変っていない。「ながい間、がんばってはるんやね」というと、「昭和12年に開店して、親父から引き継いでかれこれ40年…近くに新しい店がいっぱいできて、それでも細々とやってますねん」と店主。
昔ながらの厨房はカウンターの下を腰を曲げないと入れない。40年間、一体何回このカウンターをくぐらはったんやろと思いながら食事をする。
向かい側には明るいマクドナルドのお店。でも、京都御所近くにはマクドより、こんな地味なお店がよく似合うと、40年以上前に時を戻してしばし休息。


冷たい話…2話        2005年11月19日(土)

府政、冷たい話
 養護学校建設を進める市民集会に参加する。南山城養護学校は過密となり、乗車率で言えば約300%といわれている。
6年先に高校を再編成して、八幡と宇治に養護学校をつくるという。今ある桃山養護学校は閉鎖。寄宿舎のある桃山学園の子どもたちは遠距離通学となる。
障害が重くて寄宿舎生活をしている子どもにとっては、命がけの通学となる。
城陽にも養護学校はあるが、病弱児と、自主通学のできる知的障害のある高等部となっており、城陽在住の子どもも入学できない。考えてみれば、障害のある子どもたちが遠距離通学をしなければならないこと自体、教育の機会均等も義務教育を受ける権利も、保障されているとはいえない。
京都府政の、これは本当につめたい話。

町政、冷たい話

 午後から精華病院を守る会に参加。場所はかしのき苑。入ったときから肌寒い。聞けばエァコン使用は”12月”からと、町から指示があって使えないらしい。
集会には、病院から駆けつけた患者さんもいる。高齢の方もいる。朝、行った城陽の文化パルクも、先日行った京田辺の中央公民館も暖かかった。
いつから暖房を入れるか、冷房を入れるかは、日にちで決めるものではない。室温で決めるものでしょう!!
これが、経費節減の一つの努力というなら、笑止千万。誰のための町政ですか!使用料を払って借りてる会場でコートの襟を立てて…座ってる。こんな町、他にある…?
木村町政の、これも冷たい一つの話。


秋の水景園          2005年11月18日(金)

 相楽郡各地の保育所長OB会のみなさんを記念公園の”水景園”にご案内する。紅葉も今が見ごろ、つわぶきの花が美しい。池の鯉たちも随分大きくなった。
手入れもよく行き届いている。でも、入園者は少なくほとんど”貸切”状態で、ゆっくりと散策する。
参加者のほとんどは60歳以上で入園料無料。ただし証明するものがいる。遠来の方にそのような案内をしていなかったので、しばし、立ち往生。
「近くにこんな公園があっていいね〜!」と羨ましがられるが、誰かを案内するときしか来ないのが実情。
せいか祭りの折は、ぜひ、こちらにも足を!


精華病院指定管理者候補に「医療法人医仁会(武田病院グループ)」を選考
 
町からFAXが入る。精華病院の指定管理者の候補が決まった。選考経過は噂の域を出ないので詳述しないが、どのように推移するか注視しなければ…。

さ・よ・・な・ら         2005年11月17日(木)


 親子2世代夫婦と孫の5羽で仲良く暮らしていましたが、今日、引越しをしました。松田さんのお宅で世話になって、子どももたくさん生まれました。里子に出した子どもたちもそれぞれ幸せだと聞いています。
イチゴ園のおじさんが車で迎えに来てくれました。以前、イチゴ園で暮らしていた仲間たちは、見知らぬ人に連れ去られたとか…で、広い小屋が空き家になってしまったのです。
春になると大勢の人がイチゴ狩りに来て、子どもたちが僕たちを見て、とても喜んでくれるはずだと、松田さんから聞きました。
同じ暮らすなら、家族一緒がいいだろうと決めました。
 松田さんちに来る子どもたちとお別れするのは、ちょっぴり寂しいけど、広い場所で家族と一緒に暮らしたいというのも本音です。
時々、会いに来てください。待っています。
                              ウサギファミリーより
 という訳で、ウサギたちがイチゴ園にもらわれていった。空っぽになったゲージを見ると、1羽ぐらい残しておけば…という気がしないでもないが、今まで寄り添って生きてきた彼らは、やっぱり一緒がいいと思う。
 朝から親子リズム会。午後は残り物の花の苗売りで奔走。残りわずかとなる。


"
蜜月””愛人”        2005年11月16日(水)

 これは誰かの話ではない。報道されている”日米”の関係、というかブッシュ大統領と小泉首相の話。
通勤、通学時間に京都の道は寸断され、秋の観光シーズンに似合わない物々しさ。市民生活的には結構”はた迷惑”な話だが、果たして何かいいことがあった?…とは思えない。
 朝から、議員団の会議。06年の予算要望書をまとめる。会議の後、女性が二人、庁舎6階で何か探し物。「何か、お探しですか」と聞く。「屋上の上がりたいのですが…」屋上に上れば町内の眺望ができるのではないかと思われたらしい。
「久しぶりにきたら駅前から庁舎近辺の風景が一変していたので、できるだけ広い範囲を見てみたい」というのが希望。
屋上に”展望室”などあれば、こんなご希望にもこたえらるのだが…。
その後は青年が3人。「図書館に来て、一服したいと思ったが、喫煙コーナーは屋外で寒いので…いいですか?」とわざわざ6階まで。3〜6階までは屋内に喫煙室があるが、1,2階にはない。
迷える一般の来庁者の方に、この庁舎はどのように映っただろうか。


研修2日目
 
大阪教育大付属池田小学校
                 2005年11月15日(火)


 痛ましい事件のあった池田小学校を訪問。副校長が丁寧に案内をしてくださる。事件の教訓を生かすことと、事件を風化させないこと、今なお続く心的しょうがいのケアの問題など、施設を見せていただきながらお話を聞く。
一番のキーワードは、子どもの安全は”人の手”で守る。かかわりのある全ての大人が子どもの安全を意識下において、守っていく。
今までの常識になっていた学校施設も大きく見直された。
校門に守衛さんを配置。全てをガラス張りにして、カーテンはつけない。職員室、校長室、事務室、給食室からは校庭が見えるように配置がされ、スリガラスは使わない。
教室の配置も、並列から3角形へと変更。廊下は5メートル近くの広さがあり、教室のドアは全開すると廊下と一体となる。
教師は、朝、職員室を出ると、夕方まで教室に帰らなくてもいいように各階に教師用のステーションがあり、特別教室の横にそれぞれ準備室が配置され、子どもから離れないで仕事ができるようになっている。
力説されていたのは、”かなめは人”ということ。モニュメントや校長室に飾られた犠牲となった児童の写真に胸を締め付けられる思いで、でも、この教訓を生かすことこそ大切、と実感した。

文教産業常任委員会研修

 おかやまファーマーズ・マーケット
                 2005年11月14日(月)


 朝8時に役場を出発して一路岡山の倉敷市に向かう。農業を基調とした地域循環型の交流施設を視察。
岡山県が建設し、当初は財団法人が管理運営していたが、今は有限会社が運営している。入館料を無料にしたことにより、利用者が増えた。近い将来は指定管理者制度が導入される予定。
北と南に10haの施設規模で建てられ、敷地内は広々としている。
入ってすぐにロードマートがあり、産直品が売られている。年間の売り上げは約3億円で一番のドル箱となっている。
施設内には体験農園やイチゴハウスがあり、園内の案内はトラクターに乗って、運賃100円でOK.。建物などは全てシンプル。
マーケットは地元のお客さんで賑わっていた。
 本町にも、イチゴ園あり、産直野菜の販売店もあり、農業体験できるところもある…が、これらのネットワークをどう図っていくのかが、先ずできることの一つではないかと、感じた。
 夜、食事をした場所で”鬼さん”の壁画に会う。何となく、どこかでであった鬼さん、と思っていたら、本町の井上さんの作品であることが判明。
まさに、奇遇。鬼さんの取り持つ縁で、見知らぬ土地であったかい食事。世間は広いようで…あんがい狭い!?


”京フェスタ”2万人      2005年11月13日(日)

 来春の知事選挙勝利を願って、京都府下から京都宝ヶ池に2万人以上の方が参加。各地の物産が持ち寄られ、模擬店、フリーマーケットなどが、所狭しと並ぶ。
 精華町からは”花の苗”1000ポットを早朝から持ち込んで販売。午前中は”花よりだんご”で売れ行きもボチボチ。このまま”お持ち帰り?”か、と心配したが、午後からは順調に売れ出した。
「へ〜、精華町で花の苗つくってはんの」「去年もこうたけど、長い間、楽しめたわ!」といろんな会話をしながら、花売りのおばちゃん、おっちゃんが奮闘。
 好天に恵まれ、京都の北から渋滞を抜けて帰宅した頃は、さすがにくたくたで…とにかく一休みと、横になり、ふたたび起きだして…。時はすでに午前様。

ははその森文化祭      2005年11月12日(土)

  恒例の東区の文化祭。長年仕事をしていた関係で、地元の方の多くは顔なじみで、久しぶりの方にお会いする。
入り口で”たこ焼き”の予約をしてから受付に。地元の方の作品や学童、保育所・幼稚園児の作品展を見せていただいて、その後、抹茶で一服。
早めに食事をいただいて、顔なじみの方とおしゃべり。餅つきも、町長を待って始まり、見守る子どもたちの表情もとても楽しそう。
焼き芋を買おうと財布を捜していたら「なんぼかうねん?うちがこうたろ!」と近所の方から”プレゼント”。昔も今も厚い人情は変らない。
 午後から、明日の”京フェスタ”の準備にかかる。早めに終わったので外出しようとして「あっ、車がない」。たんぽぽ号は明日の準備で貸し出し中。
車がないと足が止まるこの町。でも、こういう生活にもなれないと…いつまでも乗れる訳のない車だから。


クリーンパートナー      2005年11月11日(金)

 地元のお母さんからのご希望もあり、今朝はスクールヘルパーのコースを変える。光台交番の前から小学校まで子どもたちと歩く。そのまま外周道路を一周して帰宅。
集団登校できなかった子どもに出会う。いや、しなかったのかも知れない。子ども社会もいろいろと複雑…らしい。
雨が降り出すまでに庭掃除に精を出す。
先日、突然働くなくなったコーヒーメーカーの修理ができた、との連絡が入り受け取りに行く。保障期間中だったので修理代は無料。”ラッキー”と思い、その分ついつい余計な買い物をしてしまう。
 夜8時から”クリーンパートナー”制度の説明会。自治会長さんと、地元議員が出席。なぜ、議員が出席するのか、その意図がわからないままの参加。
議会でも、この里親制度の実施は求めてきたが、話が進むほどに”う〜ん、ちょっと違う”という思いが強くなる。
公園管理を地元自治会に、この制度を使ってお願いしたいという意図がありありと…。
制度を活用していくなかで、結果的にそうなるのはいいことだが、当初からこれでは制度の本来的な趣旨がなくなるのでは。
身近な場所を、身近な人たちと一緒になってきれいにしたい。
これが、クリーンパートナーの出発点だと思うのだが…。
自治会長さんからもさまざまな質問、意見がでた。これらを整理して再度仕切りなおし、ということで3時間にわたる話し合いは終わった。

 
サポーターさん増える     2005年11月10日(木)


 過日、他の要件で電話をしてこられたのは、元職場の同僚。聞けば精華台に住んで、今、失業中。松田宅の親子リズム会の話をすると、ぜひぜひ、行って見たいとのこと。
今朝、誰よりも早く来宅。それを見通したように、いつものメンバー+生後2ヶ月の赤ちゃんも親子リズム会デビュー。
近くの4丁目公園で遊ぶ。スプリング遊具2基、アスレチック風滑り台一基というシンプルな公園だが砂場が広い。どんぐりや落ち葉もふんだんにあって砂遊びには格好の場所。
寝入った赤ちゃん二人は新サポーターさんと松田の腕の中。いつもは赤ちゃんにお母さんを取られるお姉ちゃんたちも、ゆっくりと遊べてご満悦。
小春日和の陽だまりの中で、公園近くの親子もご一緒して、自然にあったか〜い子育ての”輪っ”ができる。
 午後から会議に出席。夕方からも会議が一件。日に日に夜の冷え込みがきつくなる。思わず車のヒーターをONに。

町政 50周年          2005年11月9日(水)

 50周年記念式典がけいはんなプラザホールで開かれた。目測でザ〜と500人参加か。
「これだけのホールを使うんやったら、もっと広く住民のみなさんに参加してもらったどうや」という声が聞こえる。それはそうや、と思う。町政の発展に尽力された方へ表彰状や感謝状がわたされた。
しかし…である。そのうち、女性は二人。おいおい、男性ばかりで、この町、がんばってきたん?と思わず反問。
女性の議員も5年前には、いなかったしね、と今度は自問。
 これからの50年は、女性がまちづくりに参画しなくては、少子化も高齢化問題もよくはならない…。町も元気にはならない…と思う。
 夕方から”まもろう 憲法9条”署名で駅頭に立つ。短時間だったが40名の方が署名をしてくださる。
改札口からまっすぐに署名に来てくださる方。いろいろお話をして納得をして署名をしてくださる方と、いろいろだが、米軍基地の移転問題や、自民党の憲法草案など、今、国の形が変えられようとしている。
60年間、この国が”平和”であって、自分たちの生活に”困ったこと”があった?
困ったことがないのに、わざわざ憲法をかえる?とすれば、誰のために、何のためにと勘ぐるのは当たり前の話やね。

ノーマン市長来町        2005年11月8日(火)

 本町と姉妹都市提携を結んだノーマン市のハラルド・ローランド市長が来町。9時30分に庁舎に来られ歓迎式。その後、庁舎内を見学され記念植樹が行われた。
2mという”超長身”の市長さん。図書館など熱心に見学されていた。両市町の産学公の連携、民間国際交流団体を中心にした教育、文化交流などを目的に提携が結ばれた。
夜はレセプションが開かれ学研関連の関係機関や研究施設、ベンチャー企業、グローバルネットなどの方が参加され、和太鼓や”日本の歌”などが披露され、交流がされた。ちなみに参加費は”一葉さん”一枚。
議員の多くも参加、私もその一人として参加した。聞くところによれば、随分広大な町だという。本町にどんな印象をもたれたのか…機会があればお聞きしたい。
 午後のひと時、デジカメをお供に、精華大通りを歩いて”秋風景”を撮る。歩いているとユータウンに到着。
初めてなので、ここもウオッチング。何しろ、持って出たのはカメラだけなので、ひたすら”見るだけ”。
トップページの写真をリニューアル。ハナミズキの朱い実が印象的。


立冬、やっと衣替え       2005年11月7日(月)

 暦の上では立冬。先日お伺いした方が「あったかすぎません?」と、温暖化を心配されていた。
今年の夏はクール・ヒズがはやったが、ワーム・ヒズもあるのだろうか?と、ふと思う。
まとまった時間が取れたので、やっと夏から冬への衣替え。何かしら、いつも”秋”が抜けてしまう。冬から夏も早い。
 午後から、お預かりしている教育請願署名のお願いに歩く。
「中学校給食の話は進んでいますか?」「中学校の施設は大丈夫ですか?」と、いろんな声がだされる。
前町長のときに、進むかに見えた中学校給食だが、今は後ろ向きに後ずさりして、「愛情弁当論」が復活。道のりは長い。
 夕方、また、訃報が入る。糖尿病と長い間たたかって、片方の足を失ってもなお、前向きにがんばってこられた方…。
ご冥福を。


花苗…予約            2005年11月6日(日)


 雨の日は寝覚めが悪い。自然に任せて起きるので、お天気の悪い日は目覚めが遅いのは今も昔も一緒。
子どもの頃から、目覚まし時計というものを持ったことがない。
 お昼前から、花苗の予約に行く。11月13日の”京フェスタ”に、精華町の花苗を持って出店を予定している。
昨年も1000ポットの苗をほぼ完売した。”柳の下のどじょう”が、果たして2匹いるかどうか。
ハウスの中では、ビオラ、パンジー、キンギョソウがころあいで、桜草などはやや蕾がかため。他にも名前が覚えられないいろんな花が今、最盛期。お正月に欠かせない葉牡丹も今が出荷時。
花を見ると、ついつい”買ってしまう”症候群の私は、おどり葉ボタン他、諸々を買ってしまった。
平和であってこそ”花”…などと話をしながら。「平和でなければ”花”商売はできません」と、これは業者さんの言葉。
 お昼からは”守ろう 憲法9条”のポスターづくりをする。
平和と花、そして憲法9条…切り離せません。


どうぶつ病院説明会        2005年11月5日(土)

 朝からウサギ小屋の入れ替えをする。先日、里子に出したので、男女の数が逆転し、広いゲージに女の子を移す。
お昼過ぎから畑に出かける。少しばかり土を起こしたが玉のような汗が流れる。まだまだ昼間は暑い!
手ついでに、ご主人が亡くなって畑仕事が手付かずになっているお宅にお邪魔。そこでも土を起こし、持っていった野菜の苗を植える。もう一軒、これも手ついでに、裏庭から持ってきた”みぞそば”の苗を植えに訪問。
 夕方から、4丁目に開院を予定している”どうぶつ病院”の建築説明会に参加する。
回覧で寄せられた意見なども紹介され、質疑応答。建築物や配置なども細かく気遣っておられ、質問にもてきぱきと答えが返ってくる。来春には開院の予定とのこと。お話を聞く限りでは、とてもおしゃれなどうぶつ病院ができそうである。

小・中学校文化交流会       2005年11月4日(金)

 いつものように、スクールヘルパーにでかけようと外にでる。視界がぼんやりとしている。朝霧が立ち込めている。通学時間になっても霧は晴れず、子どもたちのランドセルがすぐにかすむ。
都合で、一時間早く議員団会議をはじめる。この一時間は結構きつく、朝の用事もそこそこに出かける。
午後から、けいはんなプラザのメインホールで、小・中学校の文化交流会が開かれる。演技をするのは、小学校6年生と中学校の吹奏楽クラブのメンバー。5年生は観客として来年への期待を胸に…。
児童数が増え、以前は結構余裕のあった保護者席も、今年は少なくなっていた。
学校によって、人数がかなり違い、それぞれ工夫を凝らして発表がされていた。
 けいはんなプラザ近くの紅葉もいよいよ見ごろ。近々、カメラを持って…少しは私も文化活動を。

プレ・せいかまつり?        2005年11月3日(木)


 分厚い新聞広告が入る。近くの大型ショップ”ユータウン”が本日オープン。
臨時駐車場も含めて満車状態。精華台や光台の方は自転車や歩いてショッピングに。精華大通りはまるで”プレ・せいかまつり”状態で行きかう人で賑わっていた。
 夕方、山田川駅近くまで用事で出かけたが、帰り道の163号線はかなりの渋滞で、桜ヶ丘に迂回をして帰る。
 夜は町内の方の通夜に参列する。この秋はご不幸ごとが続く。不謹慎ながら喪服を着ながら「何度目だろうか」と指折ってみる。片手で足りない数…それだけ多くの哀しみが身近な方たちに。
 この秋は 哀しみ重ねて 黒真珠


街路樹                2005年11月2日(水)


 街路の落葉樹の紅葉が始まった。町内の街路樹の種類はさまざまだがそれぞれに美しい。
「最近は、紅葉の前に枝が払われて秋の風情が…」となげく方がおられる。その一方では「落ち葉が大変やから、早く枝を払ってほしい」という方もおられる。
どちらの意見ももっともで、どこで折り合いをつけるかが難しい。
〜垣根の垣根の曲がり角 たき火だ たき火だ 落ち葉だき…〜こんな歌風景も昔ばなしとなってしまった。
 朝から議員団の会議に出かけたがお流れとなる。朝刊で報道された”精華病院の指定管理者公募に2法人応募”の記事に話題が集まる。
法人名はわからないので憶測が飛ぶ。今、一番不安なのは患者さんと職員さん。
保健センターの行く末も、訪問看護ステーションのあり方も残されたままで、さらに、移管のための財源執行は?その額は?など、不透明なままことが進められていく気がしてならない。
散る紅葉は風情があって侘しくとも美しい。病院の散り際は…いや、散らしてほしくない一万名の願いが届かない町政は?

 
もらわれて               2005年11月1日(火)

 4丁目の子育てサロンで”どろだんごづくり”をする。お団子をいっぱいつくってタッパーに入れてお持ち帰りの子も。砂場遊びは一人よりも大勢でするほうが断然楽しい。どんぐりを入れて”栗ご飯”デザートはぶどうです”と、遊びが次々広がってあっという間にお昼。
 娘が仲人になって我が家のウサギ二羽が里子に。孫がお世話になっている小学校に連れて行く。
大きなウサギ小屋があって先住のボスうさぎがいる。巣穴があちこちに掘られて、これぞ、ウサギ小屋といった感じだが、どうやらこのボスがなかなかのつわもの。早速においをかぎあっていたが、猛然と縄張り争い。久しぶりにウサギの中の”野生”を見た。
ゲージ育ちの里子たちは、ただ、まごまごとするばかり…。「もし、うまく共生できなかったらお返しさせてください」と飼育係の先生。
 子どもたちもワイワイと集まってきて、校長先生も「お世話になりまして」と丁重なご挨拶。
仲良くしてくれることを願って学校を後にする。
鳥インフルエンザ以来、小動物の飼育を制限している学校が多い中で、貴重な存在の学校…と感心する。