たんぽぽ通信

アッシーおばさん       2005年1月31日(月)

 寒波襲来!雪は降らないが寒い。今日はアッシー君に徹してお付き合い。懇意にしている84歳の女性。歩くのは苦にしない方だが、町内のあちこちの知人を訪問したいとのことでご一緒する。昼食をご一緒して午後からも一軒訪問。行く先々で{本当に久しぶりですね!」と歓迎されていた。
これから、こんな日もつくって”アッシーデー”もいいかもしれない、と思う。かく言う私もいつ”もみじマーク”になって”運転不能”になるかもしれない…。
 帰り道、コーナンで買い物をする。道向かいの”ユーストア”が、いよいよ工事を始めた。”便利になる”反面”交通問題は大丈夫”といろんな意見が聞かれる。
起工式は2月8日と聞くが、周辺の風景が一変することは間違いない。
 
明日は4丁目のフリースペース”子育てサロン”が10時から開かれます。予定は節分あそび。どんな”鬼”が登場するか、楽しみです。

年金・税金・介護       2005年1月30日(日)

 こんなに寒い日に”狐の嫁入り”はないと思うが、朝から、お日様が出てるのに時雨れている。しかも、光台は小雪がちらちらと降る。
相楽の年金者組合の”年金学習会”に参加する。聞けば聞くほど腹が立つのが、年金・税金・介護の問題。
老齢者年金控除(50万円)の廃止に始まって、定率減税の縮小・廃止と若い人から高齢者まで、なんだかんだと負担は重くなる。消費税にいたっては、法人税の減収の穴埋めに多くが使われたとあっては、何のための”消費税”と言いたくなる。
介護保険の見直しも始まっているが、年金生活者が施設利用をするのはますます困難になる。食費が730円から2100円になっては、”喉につまって”食べられない。
 お昼過ぎまで歓談して帰宅。雑用を済ましてから集金に回る。玄関先での話は寒いが、通常国会が始まってからの小泉答弁や、議員定数削減・合併・病院問題など、話題は多い。


2つのあつまり        2005年1月29日(土)

 午前中は、(仮称)精華台保育所の地元説明会に参加する。参加者は30名ほどで、4月から運営をされる枚方の社会福祉法人の”長尾会”の理事長、所長、職員さんも参加され、別室では”保育ルーム”も開かれていた。
地元の方から”是非”と言うことで参加をさせていただいたが、駐車場の問題や、セキュリティ問題、周辺の交通問題などが出されていた。職員構成も年齢幅や経験を考慮したとのことで、最初の民間委託保育所での教訓が生かされいる。
公設公営でと言う願いにかわりはないが、ここまで進んだ以上は、よりよい保育所をと願うばかりである。
 午後は、昨日お知らせした”病院の集会”に参加。車椅子で参加されたかたや、チラシを片手に参加されたかたなど、50名を超える方が参加された。
入退院を繰り返されている方が「病院の存続に期待して、入院中に不在者投票をして、現町長に一票を入れた。今度のやり方はあまりにも乱暴」などの怒りの声や、「こつこつと真面目にがんばってきた。改善への意見も出してきたが、届かなかった。」など現場の声もだされていた。
予定の時間を過ぎても、まだまだ、参加者からの声は続いた。いつも、住民の意向を聞いてと言われる町長は、これらの生の声、聞かれたことがありますか?


町長と懇談          2005年1月28日(金)

 恒例の早朝の祝園駅宣伝。一週間ぶりだが、駅前の様子が変わってきた。バスシェルターに屋根がつけられ、ペデストリアンデッキへの階段の準備もできつつある。仮設道路を縫って、小学生が登校する。思わず「気をつけてね」と声をかける。
 午後から、議員団で町長と懇談。合併問題、病院問題などの町長の見解を聞く。一時間の懇談で、話し続けたのは町長。雄弁である。
 夕方、祝園駅に出向いて”病院問題を考える会”のメンバーの方と明日の集会の訴えをする。精華病院の看護師さんが多数駆けつけて、準備したビラはすぐになくなった。
国保病院の存続と地域医療を考える集会
 2005年1月29日(土) 午後2時〜
 かしのき苑 一階交流ホール

       是非、ご参加ください。


国保病院・診療所廃止   2005年1月27日(木)

 全員協議会で、精華病院の廃止の方向性が報告された。当初、第3者評価を受けて検討した内容を、全議員に説明する、と言うのが協議会開催の趣旨だった。廃止の方向性までが示されるとは”晴天の霹靂”。国保病院は平成18年度中、診療所は平成17年6月、訪問看護ステーションの廃止(弾力的)が報告された。本日は「報告」のみとして、と言うことで”聞かされっぱなし”となった。廃止して「民間」に移譲するとの報告も。
臨時議会では、コミュニティバスの3月からの試行運行の報告もされた。
議会の後、開業医さんを訪問。「とても残念、小児科の救急医療や当番医制度なども、精華病院があってこそ実現しやすい。そりゃ〜民間病院は喜んできますよ。いい場所と建物があり何よりも50床のベッドがある。魅力的だし、改装してがんばれば、患者さんはきっと来る」と言っておられた。
 方向性は出たが、結論がでたわけではない。今後、病院対策特別委員会で審議されるが、これは、議会の中だけの問題ではない。50年の長い歴史に終止符を打つことが、こんなに簡単に決まっていい訳はないのだから…。


真冬の満月         2005年1月26日(水)

 午前中は会議に出席。午後からは町内を歩く。ガレージで縄跳びをしている女の子に会う。「宿題?」と聞く。「2重跳びもできるよ。今までの最高は200回」と言って2重跳びを披露してくれた。
そういえば、縄跳びなど長らくしていない。今もできるだろうか…?などと思いながら歩く。
 夜も会議のために出かけたが、今日は”満月”。久しぶりに満月に出会った気がした。中秋の名月よりはやや白味がかかって、透明で”凛”として美しい。
 明日は、午前中は議員の全員協議会が開かれる。案件は”病院問題”。どこまでの報告がされるのかは分からない。
噂によれば、京阪奈診療所は既に”撤退”の準備中とか。廃止の報告は受けたが、その結論がでたとは思っていないのだが…。


臨時議会のお知らせ   2005年1月25日(火)

 1月27日 午後1時30分〜臨時議会が開かれます。
主な議案はつぎのとおりです。
・収入役の事務の兼掌に関する条例制定
収入役の事務を助役が兼掌し、収入役を置かないための条例
・簡易水道の補正予算の専決処分
水銀異常濃度発生に伴う、仮設送水管の敷設工事、原因調査のための費用
・祝園駅西ペデストリアンデッキ設置の工事請負契約


 
午前中は議員団の会議。午後は議会広報の最終校正をする。夕方帰宅し、ほんの少しの間"国会中継"を見る。
”郵政民営化”に反対するのは”社会主義思想”と、小泉答弁。ざわめいたのは(多分)与党の議員さんたち。
地方議会では、郵政民営化に対して、”反対””慎重に”と多くの意見書が出されているはず。これらを押しなべて”社会主義思想”と、ひとくくりにするのはあまりにも乱暴な話ではないか。社会主義思想と郵政民営化の因果関係…お聞かせいただきたい。

子どもの病気       2005年1月24日(月)

 久しぶりにあったかい日差しで、なんとなく背筋が伸びる気がする。お昼前から町内を歩く。何人かの方とお話をする。
「夕べ、子どもが急に青ざめて、おなかも腫れてきたので、消防署に、救急病院を聞いたら、宇治市の病院を紹介された。結局、近い奈良の病院に走った。ひどい便秘が原因だったので、大過はなかったけど…。近くで小児救急病院がほしい。」とのご意見。
政策医療としての小児科救急医療は、本当に求められている医療。近々、結論をだすという"精華病院問題。どのように決断されるのかが、危惧されるところである。
「介護保険の制度が変わったら、"要支援"の方は介護保険が使えなくなる。"もう、来てもらえへんね"といわれるのが辛い」と、ヘルパーさん。
 午後からしばらく"国会中継"を視聴。答弁が気に入らないからと、議場を退場という一場面があったが、言うことを聞いてくれない親に腹を立てて、家を飛び出す"子ども"の姿と重なった。これを称して"与野党激突"とは言えないのではないか…と思う私です。

着物と私         2005年1月23日(日)

 昨年の暮れに縁あって、着物と帯を仕立てていただいた。着物は"紬"で、帯は"西陣"。つむぎの反物は頂き物で、帯地は実家で織ったものである。
せっかくなので、今年こそはと心に決めて、ついに今日、仕付け糸を解いた。若い頃はよく着ていたので、何とかなるだろうと思っていたのが"甘かった。
帯がどうもしっくりいかない。迫る時間についに決意。お隣の奥さんに"SOS"を出す。
マイクを持っているが、"カラオケ"ではない。党と後援会の"新春のつどい"での一こまである。
女性の方の参加も多くて、内容も充実していた。今年の抱負や決意を述べさせていただいた。

 
手袋とマフラー     2005年1月22日(土)

 以前はあまり着用しなかったが、手袋とマフラーはいまや必需品。寒くても外歩きの時間が多いのと、"もう若くない”のがその主な理由。
先日、頼んでいた書類の中に手袋を入れて送ってくれたのは次女。今、愛用している毛糸の手編みマフラーは、長女からの誕生日プレゼント。彼女たちと離れて暮らすようになって長いが、冬になると、これらの小物が結構"身も心"を温めてくれる。
 今日も、この二品を身につけて、午前中は新聞の購読のお願いに、お昼からは集金に歩く。
 "政治介入"の否で紛糾する"NHK"で、今日から「シリーズ憲法」が始まった。
21日から始まった通常国会での小泉首相の施政方針演の中の一つ「新しい憲法のあり方について大いに議論を深める時期」…この時期に呼応しての番組か、とあらぬ憶測が、頭をかすめる。
とりあえず、注目して見る事にする。


おみやげ話       2005年1月21日(金)

 朝から、広報委員会。午後から国民健康保険運営協議会の会議があり、その合間の議員団会議、と会議の連打。
夕方からは所用で出かけた。帰り道2月6日に上映される"草の乱"のポスターを持って知人宅へ行く。
この冬、ご夫婦でベトナム旅行に行ってこられたおみやげ話を聞く。衝撃的だったのは、枯葉剤のダイオキシン障害で、命を授かりながら生まれることすらできなかった子どもたちの標本の写真。
モグラのように掘り続けた250kmの地下道、この執念が、ベトナム戦争勝利の一因でもある、などおみやげ話はきりなく続けられた。「今度行くときはご一緒に」とお誘いを受ける。行きたいけど…いけるかな〜と思案。


北風の中         2005年1月20日(木)

 北風の中、親子のりずむ会に6組の親子が参加。松田の家はこれで満杯。にぎやかな半日となった。
 北風の中、相楽議長会主催の議員研修に参加。講師は京都新聞論説委員の井戸 洋さん。国内外の情勢について語られた。北朝鮮問題では「中国と仲良くしないと、拉致問題は解決しない」という部分が興味深かった。したがって、小泉首相の靖国参拝は一考を、ということであった。
 北風の中、相楽国際婦人デーの実行委員会に参加。3月5日に実施の予定で、体制や、当日の内容について検討をした。
相楽では数少ない女性ばかりの集いで、歴史は長い。
私もなが〜いかかわりを持つわけで、今回も成功しますように…。


"議員の定数”      2005年1月19日(水)

 12月定例会で3月議会で提案された"議員定数削減条例案”が否決された。
提案された3月定例会で、提案者に対して、日本共産党議員団は"提案理由"に対して「なぜ、2人削減なのか。財政的な根拠は。議会の活性化などの対案は、などなど」の質義をした。
しかし、提案者からの答弁は「近隣町村とくらべて…、議会改革の一つとして…」などで、具体的答弁はなく、総務消防常任委員会に付託された。
12月8日に、その常任委員会が開会され、討論が行われた。
反対討論(佐々木委員)
 ・経費削減の効果は薄い。
 ・住民の代弁者として、さまざまな立場を代表。
 ・地方分権一括法が施行され、議会の権能が増えた。
  議会活動を活性化し、議会費については全体で不要なもの      をなくすべき。
賛成討論(村上委員)
 ・財政的には貴重な財源。
 ・定数減をした他町議会は間違ったことをしているのか。
  削減して、駄目なら戻したらいい。
委員会では賛成多数で可決されたが、佐々木委員から"少数意見の留保"が求められ、賛同者一名で、留保された。
12月24日、定例会最終日に、委員長報告がされ、少数意見についての質疑が行われた。
採決については、議長から、無記名投票が提案され、そのことに疑義を唱えるものはいなかった。私どもは、すでにいろんな場面で、意見を表明しているので、議長の提案に疑義は述べなかった。投票の結果は、反対11賛成9で、否決された。
以上が、私が理解をしている一連の流れである。

 議会報告書やHPを介して一部、この問題が報告されている。上述のように、討論はあったし、投票手段についての異議は全くなかった。そこの部分も、住民の方が不審に思われるのであれば、きちんと説明すべきではないか。
 また、削減の立場に立つ、長きに渡って議員をされている方は、この間、定数問題について、どのような見解を持っておられたのか、もお尋ねしたいところである。
もう少し、書きたいところだが、本日はこの辺で…。


子育て支援のコーナーに"お知らせ"を掲載します。
4丁目フリースペース・親子りずむ会の日程をご覧ください。


健康で文化的な最低限度の生活? 
                2005年1月18日(火)


 昨日、"生活保護"の適用を受けたい、という相談が持ち込まれた。憲法25条では「生活困窮者に最低限度の生活」を保障とあり、生活保護法の第3条には「最低限度の生活とは健康で、文化的」でなければいけない、と規定されている。さて実際ははどうか。いろいろと条件が厳しいことは知っていたが、先ず、親戚縁者からの支援は受けられないか。障害や病気があって、働けないという状況であるかどうか。自動車は所有していないか。生命保険は入っていないか、などなどである。
持病の糖尿病を持ちながら、病院にいくとお金がかかるからと、治療もせずに、月に、一、二度の頼まれ仕事をして、ご近所の方の善意で生活をされてきた。「健康的」「文化的」でなくなってから、ようやくたどり着く「制度」が、この制度。
「不公正」な適用の声を聞かないでももないこの制度。本当に支援の必要な方には、手早く対応してほしいと願うばかりである。
 もう一件、相談依頼があり、今日は、役場を行ったり来たりの半日を過ごした。
 午前中は、4丁目と7丁目の合同の子育てサロンを実施。ダンボールの迷路をつくって楽しんだ。親も子どもものりのりで、松田ものりのり…でした。


男女共同参画社会計画(中間案)
                2005年1月17日(月)

 町のホームページにアップされ、パブリックコメントを求めるとある。ザ−と流し読みをしたが、"精華町らしさ"があまり見当たらない。もう少し熟読して、意見を述べたいと思う。
関心のある方はどうぞ、ご一読ください。そしてご意見も…どうぞ。
 議会広報の取材もあって、朝の小学生の登校の様子を見せていただく。新しくできた、柘榴東畑線の信号機のある交差点に、毎朝立って、通学の安全を守っている母さんたちがおられる。
信号無視の車や、右左折の車が危ないとのことで、自主的に交通指導をされている。大きな横断旗を持っておられるが、この旗の入手に随分ご苦労されたらしい。「年度途中なので予算がない」というのが理由だったとか。一人の方は"スクールヘルパー"の腕章をはめておられたが、これも結構、難航したらしい。
「立ってるのは10分くらいだけど、毎日となると大変で、今日はやめようか、と思うけど、やっぱりこないと一日中気分が晴れない」とのこと。冷たい雨の中、本当にご苦労様です。


リフォーム          2005年1月16日(日)

 垣根越しに、久しぶりにお隣さんと"井戸端おしゃべり”隣同士でもめったに会えない二人。「夜になると小さな鳥が庭に来て、くちばしだけが見えてるけど何の鳥か分からない」とのこと。我が家と違い、庭も広く、陽だまりのできる素敵な庭なので、小鳥もよく知っての訪問らしい。
久しぶりに着た手編みのセーターを見て、そこから古着のリフォームの話に。最近行く先々で"着物”のリフォームの話が出る。ベストに始まってスーツやコートまで、たんすに眠っている祖父母や自分の着物を仕立て直して、着ている方が多い。小物やパッチワークにも活躍している。
義母が亡くなったときに、沢山の着物を差し上げたが、きっとどこかで活躍していることだろう。
今日、小さな集まりを我が家で持ったが、こられた方も素敵なコートを着ておられた。聞くと、「昔の銘仙の着物で…」といっておられた。
使い捨ての時代から、リフォームの時代へ。その先端を行っているのはやっぱり"女性たち”。賢明です。


町長かわれば病院は     2005年1月15日(土)

 朝から予報どうりの雨。しかもだんだんひどくなる。
午後から、"病院問題を考える会"に出席する。一部には、あたかも病院は"廃止"というようなことが言われているが、報告書を見る限りでは、そうではない。しかし、いろんな場所で、町長の口から"存続の可能性は皆無に近い"といわれているのも事実である。
 昭和28年、議会解散という産みの苦しみを持って誕生した診療所は、翌々年の30年にはベッド数も増やして病院になる。
現在の病院になったのは昭和58年。新しい機器も入れて、早朝から順番の札を取りに並ぶ患者さんたちが増え始めたのもこの頃。老朽化、手狭も見越して、一層大きな病院にという願いで、委員会に諮問したのが、井上町長の時代。
答申を受けて、用地を拡大して建設という方針を立て、庁舎の次は病院、と思っていたのが大崎町長(だと思っている)。
いやまて!公設公営では身が持たない、何とか民間の力を借りてと、右往左往をし始めたのが鍬田町長。
前回の町長選挙では病院問題は一つの争点になり"汗をかく"と公約した木村町長が誕生。
そして、一年余り。6月には存続を明言。8月には"広報誌"でもそのことを住民に約束。そして今は前述のような姿勢である。
一体、どの道を選択しようとしているのか、それすらみえないのが現状である。
 精華病院の使命は終わった、という人もいる。しかし、自治体病院の使命は"不滅”である。
その使命を明らかにすること、このことが求められているのではないのだろうか。


まだ咲いてます
〜エンゼルトランペット〜   2005年1月14日(金)


 昨年、遅くから蕾をつけたエンゼルトランペット、12月の中旬に切花にして玄関に置いた。次々に開花し、今も咲き続けている。冬に弱いと聞いていたので、ちょいとインターネットで情報を入手。"ナス科"で、0℃まではOK.。実は毒があるので採取しないこと、などと書かれている。独特の香りがする南国産の花である。
このままおいておけば、茎から根っこが出て、春に土に入れればまた、一年楽しむことができる元手いらずの代物である。
 朝から、議会広報の一次校正で一日中缶詰状態。終わったのは午後5時前であった。
少しずつ"日"も長くなり、夕方の”せかせか感"から開放されるのを感じながら帰宅する。


3週間ぶり…           2005年1月13日(木)

 親子のリズム会は3週間ぶり。一回り大きくなって来宅。この間にお姉ちゃんになったお子さんもあって、話題は"兄弟・姉妹の数”。「一人っ子はかわいそうだと思うけど…」などなど。「松田さんは子ども4人で食事とか大変だった?」と率直な疑問も。
お正月のお雑煮は大なべで、お餅の数は大体一食50個以上が当たり前の食生活は大変といえば大変だったが、気持ちのいいものもあった、と述懐。
 昨日とは打って変わって北風もなく絶好の"歩き日和”。1時過ぎから5時ごろまで町内を歩きに歩く。
今日は歩くほどに暖かくなりラッキーだったが、さすが5時前になると"へとへと"状態で、我が家への道を遠く感じ始める。体調も復活!?いやいや油断大敵かも…。

風邪かも…            2005年1月12日(水)

 2,3日前からなんとなく無気力状態。肩こり、リンパ腺も腫れ気味、ついに口内炎に!
夜は普通食をあきらめておかゆさん。
朝から、いろんな原稿づくりでPCに向かう。お昼ごろ、借りたままの本を返しに図書館にいく。庁舎内外はいつになく大勢の方が出入りされている。「子宮がん検診」「パソコン教室」などが行われている。
庁舎フロアの"片隅"でITボランテァの方がパソコン教室を開いておられるが、いつも思うのは、どこかに常設できないものか、ということ。
その都度、設定したり片付けたり、何よりも場所が狭い。
もともと常設の予定だったが、機材の盗難があったりで常設できないとのことだが、場所を変えてできないことなのだろうか。
場所といえば庁舎4階。人口5万人を視野に入れて建てられた庁舎だが、総合計画の人口フレームは3万8千人。ということは、4階が使われることはこの先当分はない。
住民活動に利用したい、という声は多く出ている。先ず、あるものを利活用することが大事。会議や集会のたびに会場探しをしなくてもいいような活用の方法は考えられないのか。
パソコン教室を見るたびに思うことである。

 
明日から"親子リズム会"再開します。

1K生活              2005年1月11日(火)

 生活用具のほとんどは、狭い台所に集まっている。他の部屋には寒くていけない。と、ま〜こんな具合で暮らしていたら、暮れに買ったミニシクラメンや桜草が瀕死状態になっていた。あわてて暖かい場所において、水遣りをして”蘇生”をはかる。夕方にはかなり元気に復活。
お昼から一気にビラ配布、と出かける。耳まで冷たくなってきたので"暖"をとろうと一時帰宅する。
留守電が入っている。「今日は議員団の会議です…」明日と思い込んでいたので、今日の会議は私の頭にはかけらもなかった。思い込みで動いていたことを深く反省。慌てて会議へ。
夜は、予定していた会議に出席。明日の予定は今夜に確認…。


新成人410人          2005年1月10日(月)

 朝から、菱田にある春日神社の"張的"の行事を取材に行く。ムシロに張られた的に弓矢が射られ、今年の豊作を占う珍しい神儀である。お供えは"サトイモとお米とさば”いわれをお聞きしたが、ご存知の方はいなかった。
午後は、成人式へ。早めにいって参加者の方に"おめでとう"のご挨拶。昭和59年4月2日〜昭和60年4月1日生まれの新成人は410名。ニュータウン在住の新成人が170人を超えたのも一つの特徴。
子ども連れで参加のKさんは私も知っている人だが、すでに2人のお母さん。
今年はなぜか、警察官も会場に登場し、巡回をされている。
ニュースによれば、西明石では"災害義援金カンパ"の取り組みがされたと報道されていたが、本町の成人式は昨年と変わりなく行われた。
夕方から、井手町まで知人のお父さんのお通やへ行く。新しくできたメモリアルホールが会場だったが、多くの参列者で駐車場も会場も手狭でそれなりに大変だった。
一ヶ月ほど前に"父の世話は妻に任せて、本当に頭が上がらない"と言っておられた。月並みだが「お疲れが出ませんように…」とお悔やみ。家族の看護、介護はまだまだ、女性の負担…が多いです。


北風と出初式           2005年1月9日(日)

 恒例の出初式が行われる。雨こそ降らないが北風の吹く寒い一日だった。会場の精華台小学校は増築のために、いつも晴れやかに放水をしているグランドが手狭になり、今日は、はしご訓練。
式典で冷え切った体で妙技を披露。雪の舞いそうな雲の下で、お見事でした。
 お昼は、昔のソフトボールクラブの新年会に参加。66歳が最年長者でほとんどが50歳半ばか60歳過ぎの"超高齢化チーム”練習は毎週欠かさないが、対外試合はめっきり減ったらしい。それでも、みんな達者(特に口は)で、持ち寄りパーティだが、私が持っていったのは我が身だけ。
忘れないで声かけをしてもらえるのはうれしいことだ。
 午後からは会議に出席。夕方、新年の挨拶もかねて何軒か立ち寄り帰宅。
朝の出初式での体の冷えは、夜になっても続いているが、消防団員の方は、それ以上の"冷え"。贅沢は言えませんん。

ウサギもお正月         2005年1月8日(土)

 暮れからお正月にかけてできなかったことの一つが、ウサギ小屋の掃除。思い切って大掃除。ゲージを空けると一目散に玄関の中に入る。ウサギもやっぱり、寒いよりは暖かい方が好きなのか。
わらを入れて干草を入れる。せめてものお正月のプレゼント。
 三町(木津・山城・加茂)合併、いよいよ3月議会に「法定協議会設置議案」提案、と新聞報道。3町合併のあと、1村3町の合併も基本的に了解とある。1月5日の京都での"合併問題協議会で、合意ともある。
ちょっと待て!そんな話は聞いていない。木村町長は、この会議で「協議を申し込まれた」と理解したのか。
木津町議会の会派幹事会情報では、「3町の合併には意義を唱えない」ということで合意したというのが本当らしい。
いずれにしても、特例債のメリットもない期限過ぎの合併をそこまで執拗に追い求めるのは、何故?
噂の利権に突き動かされているのか…と、疑いたくなるのは、私だけではないはず。今後の動きに注目!

議会広報委員会        2005年1月7日(金)

 議会広報委員会を終日開催。今、議会だよりは表紙と裏表紙だけはカラー印刷をしているが、"経費節減"の為に二色刷りにしてほしいとの提案がされる。カラー表紙を単色にするのはやぶさかではないが、その他にも議会内改革はあるのではないか。同じ俎上で議論をしてほしいと思う。
また、町の他の広報も同じ議論をされるのかも、知りたいところである。
たとえば、せいか祭りの"大判チラシ"町民運動会の”ちらし”などなどである。
来年度の予算編成が厳しいと聞くが、目の先が厳しくなってから慌てるのはいかがなものか。
町長の年頭の挨拶にあったが「町長になって始めて町財政の厳しさがこれほどか」と知ったと。
議員時代に、予算、決算を審議してこられたのではないの?と問いたい。
 議会図書室に古いアルバムが置いてある。その表紙裏にこんな記述があった。長文ながら紹介します。

  
影ぼうし
 昭和26年4月1日、川西・山田荘両村により廃村合併 。面積役26Ku、世帯数1886、人口9499人を擁してここに精華村の誕生を迎えたのである。
協同○睦の精神のもと、新村自治行政に新たなる希望の沸いたのもつかの間、時たまたま診療所建設に端を発して、ここに幾多の波乱を呼んだのである。昭和28年4月村長不信任ーその年の4月20日解散、迎えて5月20日、ここに精華村第二期議員22名の選出を了した。
〜22名の議員名列記〜
同年8月そして9月突如襲った風水害は南山城水害として惨状をつづる歴史となった。
合併に及んで2年施政の方針も定まらず、自治体活動の機能も発揮する「時」もなくこの天災にぶつかった。将に世紀の厄災である。
ここにおいて村民は勿論、議会人、理事者のうって一丸となってこの災害復旧に挺身し反面幾多の事業を興して精華町100年の礎をなしたのである。今、過ぎにし4年を回顧し、歩みきた数々の思いでを敢えてここに収録する。希わくば、今後精華町発展と共に、とわにこのアルバムの輝きうせぬことを念じ、併せて議員の栄光を祈りつつ…
   昭和32年5月
アルバムには、氾濫した煤谷川や崩れた乾谷橋・壊れた民家の写真と共に、新築の町営住宅、診療所の写真なども残されている。
合併・病院・災害と地方自治の原点を見る気がする。今年は"町政50周年”とか。その前の歴史にも思いをはせる必要があるのではないか。
議員選挙が5月になぜ?の疑問もこれで解けました。

ご無沙汰訪問          2005年1月6日(木)

 予定していた訪問が一つキャンセルされた。ぽっかりと空いた時間に何をするか。昼前から小雨が降り始め止みそうにもない。
普段、気になりながら足が遠のいている方を訪問。転宅をされたその庭に、"椿"を植樹したお宅。「毎年、沢山の花がついて本当にきれい。きっと植え方がよかったのでは」とお世辞もいれて喜ばれる。
丁度その頃、行き場のない椿を、我が家の庭に仮植えしていたので、それを植えさせていただいた。椿にとってもそれはラッキーなことで、とても大切にされている。
2軒目は、以前からとても懇意にしている80歳を超えた女性のお宅。部屋には自分で書かれた水彩画が無造作に置かれているが全て力作。
題材は、野菜やドラム缶、台所用品と多彩。絵筆を持つようになってからそれほど経っていないとのことだが、それぞれに味わいがあって楽しい。
我流だが、絵を書くのが好きな私は"いつかきっと絵筆を”と、ひそかにその時期を狙っている。彼女の創作力を拝見して、まだまだそのチャンスはある…と合点した。
 今年こそ…とは思わないが、いつかきっと"趣味"を生活の真ん中において暮らしたいと願う「夢見る松田」でした。


まだ、おせち…         2005年1月5日(水)

 黒豆、花豆、なますにあちゃら漬け、煮しめ少々がまだ冷蔵庫に入っている。おせちの残り物たちである。次々と用事を済ませながら、時間がきたら食べる。便利といえば便利だが"食傷気味"といえなくもない。
テレビでもこの時期になると"おせちの残り物利用料理"などが紹介されているが、利用するほどの残り物があるわけでもなく"中途半端”なのである。
明日からは食生活の切り替えも必要かなどと思いながら、朝からPCに向かい原稿作り。午後は議会の会派室で、議会広報の原稿づくりをする。
ちょっと息抜きをと思い、事務局に顔を出すと折りよく見えられたのが、議会傍聴記を依頼していた方。しばらくお話をさせていただく。
夕方から印刷物を済ませ、帰宅は8時過ぎになる。
早くも、日常の中の日常的な生活に…復活。


仕事始め            2005年1月4日(火)

 昨日甘やかした分、今日は覚悟の忙しさ。早朝の駅頭初宣伝。小雨模様だったが思い切ってスタート。今日から初出勤の方は予想を超えて多い。8時に切り上げて、今度は役場へ。職員の方にハンドマイクでの訴えと、新年の挨拶。議会事務局へ挨拶に上がり、そのまま、議員団の簡単な打ち合わせをする。
9時から町長の年頭の挨拶があったので、ここでは傍聴人よろしく、聞かせていただく税収の落ち込みと地方交付税の減額で二つの困難が予想され、来年度予算はとても厳しい(昨年も同じようなことを言っておられた)。住民サービスのレベルは、府下2番目の水準(これは、今までの積み上げの結果としてあるもの)にある。その他は、議会での行政報告とほぼ同じ。
 お昼前に帰宅し、"読書会"の案内ビラ原稿を作り、予約のできた美容院へ。ここでは「1月より消費税をいただきます」の張り紙。「今まで、消費税はかけてなかったの」の問いに「消費税の制度が変わって、こんなお店でも消費税を納めることになったので…」と。
今まで年収3000万円以下の業者の方は免税になっていたのに…。年が変わって、早速、消費者直撃負担増に直面。
 午後4時から商工会主催の"賀詞交換会"に出席する。多くの来賓が参加され、挨拶をされる。
・自分が言うのもおかしいが定率減税の縮小・削減には反対(自民党参議院議員)…
国会で言うてきて
・奈良小児童の事件の新聞報道は、加害者名が小さい。教育は家庭が基本(自民党府会議員)…
ここは商工会ですよ
・仕事館での地元雇用を取り上げている(民主党参議院議員)
など、それぞれにユニークというか、いろいろであった。
その後、歓談をする。ちなみに会費は野口英世さんお一人分也でした。

3が日終わってみれば     2005年1月3日(月)

 "三が日 終わってみれば また丸く”
昨年の夏太りから少しずつ丸くなり、いよいよ3が日で、また丸くなった。18,9歳の頃の写真を見ると、吹き出すほど丸い私は、徐々にその頃に戻りつつある。
丸くなると、なくなった父親そっくりになるので、これまた始末が悪い。明日からはまた、心切り替えて…と自分に言い聞かす。
 暮れから、プリンターが不都合になり、年賀状の印刷ができないでいた。休み中に子どもたちの助けを借りて、やっと印刷。例年だと、手書き、手作りでするのだが、今年は入れたい写真もあったので、パソコン年賀状としたのが悪かった。
やっと、昼過ぎに仕上げて投函。スタートがこうスローテンポでは、今年は思いやられる。
そういえば、冬休みの宿題(?)も一杯あった。広報の原稿や、民報の原稿などなど…。でも、今日はまだ"お正月"明日からにしましょうと、自分に甘い松田でした。

大集合               2005年1月2日(日)

 幾分か日差しも和らぎ穏やかな一日。大阪暮らしの次女も帰宅し長男宅で大集合。おさんどんはいまだに私の仕事。6人の孫たちもみんな元気で入り乱れて楽しく遊ぶ。
トランプ、オセロ、将棋、その他いろいろのカードゲーム。午後からは近くの小学校にそろってソフトボールをしに。ちなみに、"ばば"は一番下の孫とお昼ねお留守番。
 帰宅してメールを開く。知人から"初めてのメール"が入る。
一ヶ月間、カナダへ"シニア語学留学”をしていたとのこと。
カナダの雄大な自然の中で、地元の方との交流を通じて、語学研修をしてきた様子が書かれている。
学ばれたのは、語学だけではなくてもっと幅広い何か…に違いない。せめて、その辺のところのお話を伺いたいものだと思う。
"心やせ"しないためにも…。

あけましておめでとうございます
                  2005年1月1日(土)

 大晦日に積もった初雪。すがすがしい新年の幕開けに奇妙にマッチしている。
10時ごろに家をでる。元旦の精華大通りは人通りも少ない。ジョギングをする人や犬の散歩の方などの姿が見られる。
 久しぶりにデジカメ登場。トップページもリニューアルして今年も気合(だけ?)十分にスタートを切った松田です。
どうか、本年もよろしくお願いいたします。