たんぽぽ通信
"揺れた"2004年    2004年12月31日(金)

 アテネオリンピックで"揺れた"までは、想像もしなかった。台風、地震と列島が揺れた。そして先日のスマトラ沖の大地震と津波。この大きな揺れの中で、小さな揺れは見え隠れしながら、国民年金制度の改悪や、イラクへの自衛隊派兵などは進められた。
NHKの"人類の進化"をなんとなく連夜見ていた。生命の起源から、"人"の誕生までの2億年以上の長い歴史の中で、今の人類の歴史はわずか2千年と少し。そして自分の歴史は60年と少し。だから、大切にしないといけないという思いと、"点"にもならない存在だという思いが交錯した。
今の人類が進化したのは"喉仏"の位置にある。つまり、そのことで"言葉"を持ち"大きな脳"を進化させたらしい。
さて、2005年はどんな言葉を発するか。
「人生いろいろ・会社もいろいろ」「自衛他の行くところは非戦闘地域」など言葉足らずで"煙に巻く"わが国の総理大臣の"喉仏"の位置はどこにあるのか、しかと見極めたい。
 2005年が希望溢れる年になることを願って、2004年タンポポ通信納めとします。
 来年もどうかよろしくお願いします。


年々…小さく        2004年12月30日(木)

 世帯盛りの頃は"どか〜ん"とでっかい鏡餅をつくり、来客を驚かせたものだが、年々小さくなっていく我が家の"お鏡さん”。
それでも、今年も少しばかりではあるが、お餅をついてなんとなく年の瀬の雰囲気にひたる。
孫たちも、小さな手でお餅を丸めてご機嫌。
ひょっとして"核家族"であればしなかったかもしれないが、夫の両親との同居で"おせち"は全て手作りが習慣になり、今も続いている。
夫の母は台所の椅子に、どっかと座り「うちは、自分でするより、人がしているのを見てるのが好きやねん」と側で見ていた。
夫は先ず、暮れには家にはいなかった。
いつも、暮れは"へとへと状態”だったが、子どもたちに助けられて"ワイワイ"と賑やかだった。
いろんなことを思い出しながら、それにしても随分、いろいろ省いて"簡略"に。その象徴が"小さな鏡餅”というわけ…。


遊びのルール       2004年12月29日(水)

 息子の奥さんは病院へ。その間3人の孫たちとお留守番。
よく書いているが、男の子3人兄弟。中の子は3歳半。自我が芽生えて難しい年頃である。"虹の蛇"というカード遊びをする。自分の負けが決まりだすといろいろとクレームをつけ始める。二つ年上の兄は結構ゆずってやる方だが、いつもこの理屈が通るとは限らない。
そこで、"ばば"もちょっと意地を出して、「これは、ルールだから駄目!」というと、やにわに家を飛び出していった。
表で泣き声。そっと見に行くと、雨にぬれないようにガレージの屋根の下で泣いている。
しばらくして、連れ戻すとそれから「遊びにはルールがあんねんな」と、何事もなかったように遊びだす。
ゲームに勝ち負けはつき物。でも、勝つばかりとは限らない。負けたときにどうするか…このことが難しい。


一日掃除          2004年12月28日(火)

 気になっていた大掃除。今日こそはと朝から気合を入れるものの、先ずは”ごみだし”。思い切って"網戸"もはずして、ガラス拭き。カーテンも洗いたいし、床の拭き掃除もしたい。
あれこれしてたら、いつの間にか夜。普段にもう少しこまめにしておけば、といつも後悔するが、それができない。
金魚の水槽も、お正月ぐらいはきれいにしたい。
結局、時間にこだわらないでしていたら、もう12時。
まだまだ、続く掃除の日々です。


……納め          2004年12月27日(月)

 この時期になると、いろんな…納めがある。今日は"早朝宣伝納め"と"後援会ニュース配布納め”。
 早朝の駅は、冬休みとあって乗降客もやや少なめだが、サラリーマンの方たちは、まだまだお仕事。いつもの風景である。工事中で止む終えないとはいえ駅のロータリーは今、危険が一杯。
横に臨時ロータリーもあるのだが、そこの利用者は少なくて、バス停に入る車が多いのも原因の一つ。
一月に契約して、ペデストリアンデッキの工事も始まると聞いているので、まだまだ、当分の間は落ち着きそうにない駅前である。
 午後からは"ニュース配布"これも今年最後となる。夕方になると、犬の散歩の方に沢山会う。
光台だけでも、相当な犬数(?)になるのでは…。一体どのくらい?などと思いながら歩く。
夕方から、これも、今年最後の会議へ。3つの…納めをして本日は終了。

サンタおばあちゃん    2004年12月26日(日)

 きれいだったクリスマスのイルミネーションも、多くのお宅で影を潜め、師走のモードに切り替え。
昨日と今日に分けて"サンタおばあちゃん"をする。自分の子どものときは夜中にこっそりとプレゼントをおいたものだが、孫たちは違う。「今年はどんなプレゼント?」とあらかじめ聞いて、たいていは一緒にショッピング。小学5年生の孫の所望品は何回聞いても覚えられない。たいていは"ゲームソフト”なのだが…。
午後からは、年末のお墓の掃除に出かける。普段のご無沙汰を詫びながらの掃除である。竹林と木津川の堤防に囲まれた静かな共同墓地は、いつもきれいに整理されている。
一年間の管理料が1000円というのも格安で、紹介していただいた方に感謝している。
 久しぶりに、息子の家族と夕食をする。昨年の今頃は動き回る孫たちに四苦八苦したものだが、今年は随分落ち着いている。子どもたちの一年はすばらしい。



郡内合併諸事情      2004年12月25日(土)

 郡内町村の12月議会も終わった。合併が噂される、木津・加茂・山城各町議会では合併議論の攻防があったと聞くが、現時点での、各首長の態度は次の通りである。
木津町…3月末の枠をはずし、木津が主導して3町合併を行う。
加茂町…木津が3月の枠をはずすなら、3町で協議を始める。
山城町…加茂は3月はできないが、6月ならといっている。木津に下駄を預けている。
精華町…3町の協議を見る。現時点で申し入れをする考えはない。しかし、合併を否定するものではない。
 南山城・和束には宇治からの呼びかけもあり、いっそう複雑になってきた。
今回の、3町合併問題は誰が見ても"木津町"のための合併。それは"温度差"というよりも、"目的差”。
年明けには、一層、加速しそうな合併の動き。何よりも、足元をしっかり見つめることが大事では…。

12月議会閉会        2004年12月24日(金)

 議会最終日。各常任委員会に付託された案件についての報告がされる。総務消防常任委員会で、3:2で可決された"議員定数削減条例"について、本会議採決がされる。委員会で、わが党が主張し、賛成1で留保された少数意見について質疑が集中される。
・経費削減のために・住民の要望は自治会長が代弁している・行革の範を示すべきといった、討論か質疑か分からない議論が展開される。手前味噌ではないが、本町の議員は、近隣(木津・京田辺)と比べても、歳費は安く、議会費は安く抑えている。全議員が、一般質問するなど、この間議会活動は活性化している。さらに、活性化をする必要がある。など、次々に論破。
もちろん、議員の経費の無駄使いは厳に慎むべきだし、"報償費"の見直しなど、されるべきであるし、一人ひとりの議員が、謙虚に反省し、自らの活動を見直すべきである。(もちろん自分も)
投票は無記名投票となり、結果、11:9で、委員長の報告は否決された。ということは、議員定数は現状維持となった。
三位一体改革の中で、地方自治体へのしわ寄せが大きくなっている今こそ、地方自治体を確固としたものにしていくことが、求められていると思うし、今はまだ、議会を縮小する時代ではない。
もし、自らの身を削るときがくれば、率直に、自らの発議で、そのことを求めていく、というのが個人的な松田の見解です。


"さむ〜”           2004年12月23日(木)

 本格的に北風が吹き始める。朝からお世話になっている新聞の集金に回る。いつものように歩いてまわりかけたが、北風が冷たい。南向きのお宅の玄関先は暖かいが北向きはどうも…。我が家も北向きなので、冬になると玄関先の掃除も”さむ〜”くて、ままならない。
その、北向き玄関先に暮らしているのが4羽の”うさぎ”。毛を膨らまして寄り添っている。夏に生まれた赤ちゃんがすっかり大きくなって、親子の区別がつかないほどである。
新聞報道を見てか「病院どうなるんですか」と、行く先々で質問を受ける。今も利用をされている方からも「トイレは、ウォシュレットでないと、手動式ベットも今時珍しい。施設の改善をほったらかしにして、患者が減ったばっかり言っても、つじつまがあわへん」「つぶそうと思って、ほったらかしにしてはったん違う?」などの声。
話は元に戻して、寒さに負けて、車を取りに帰って再開。昔は結構気に入っていた冬の寒さだが、今は駄目。
思いたくないけど、やっぱりこれは年のせい…?


議員定数…問題       2004年12月22日(水)

 朝から、自宅で集まりがあった。午後から議員団の会議があり、議会最終日の対応を議論する。
議員提案の"議員定数削減条例案"が採決される予定である。
定数より、もっと先に、真剣に議論されるべきは"議員のあり方”ではないのか。いろんな立場の方が議会活動に参加できることが、大切ではないか。女性だってもっと、多い方がいい、と思う。
 夕方から、府会議員の報告会に参加する。府立高校の再編問題、養護学校を南部に、住宅耐震調査補助金問題、大型店問題などが報告される。
洛東病院の廃院問題などは、今の精華病院問題と類似点もあり、大いに参考になる。
 身近なところに、府会議員、やっぱり必要です。相楽選出の府会議員さんの姿、余り身近に感じられないのですが…。

精華病院の行く先は     
2004年12月21日(火)

 10時から病院対策特別委員会開催。傍聴者も多数で、審議会室は満員御礼状態。第3者評価を委託したNPO法人"公的病院を良くする会”からも4名の方が参加。
・報告の概要
 安心できる医療サービスの整備が必要としながら、採算性も重要。施設老朽化・医療環境の変化・患者離れ→累積赤字→存続の条件は皆無に近い(町長挨拶)
今後の方向性
 政策医療として見直す
 (1)小児医療・休日夜間診療の実施
 (2)駅東の一般医療として、病床の見直しとリハビリ機能の充実
 医療機能存続のための民間活力の導入
 (1)指定管理者制度の活用
 (2)民間医療への移譲
行政説明の後、審議に入る。
 報告でも、いくつもの課題、・人件費率が高い・材料比率が高い・交通アクセツが悪い・施設が老朽化などがあげられたが、これらの課題は第3者の評価を受けるまでもなく、常々問題になっていたことである。"公務員に経営は無理"などの記述もあったが、これは、自治体労働者の能力を自ら否定するもの。この瀬戸際にあって、なぜ、一丸となって"守るために、何をするか"という議論にならないのか。
 病院をどうするかという議論の前に、町として地域医療のあり方をどうするのか、という議論は皆無だった。
議論はかみ合わず、何よりも、町長の”こないにしたいねん"という意思が響かなかったのは私だけか。
 お昼過ぎまで続いたが、また、日を変えて委員会を開催することに なり閉会。


リニューアルオープン
 "サンパル精華”      
2004年12月20日(月)

 残すところ10日。祝園駅東にある、サンパル精華がリニューアルオープンした。よかった、というのが実感。24号線と精華大通りを結ぶ高架が完成してから、めっきり山城町からの客足が落ちたというのが業者の方の話だが、再開されて、ご近所の方にとっては朗報である。
 午前中は、明日開かれる"病院対策特別委員会"に提出される、"第3者評価"の報告書に目を通す。
単なる、報告に終わるのか、今後の方針を出すのか、今のところ分からないが、「病院存続」を公約に掲げ、当選した町長は約束を守って欲しい。
 その上で、改善すべきは、きっちりと改善して、地域医療の理念と、経営理念を示して欲しいと思っている。


ご冥福を…          2004年12月19日(日)

 多分、今年の初めだったと思う。胆管がんで余命3ヶ月を宣告されたKさん。最初大学病院に入院され、そこで、緑膿菌感染をされ、手術不能になり退院。家庭ホスピスの道を選択され、元保健師の奥さんの手厚い看護で、本日他界された。自分史を出版されて、見事に自分の足跡を残されたが、まだまだ、やりたいことは一杯あったに違いない。
一本気で、とても真面目に生きられた方であった。心からご冥福をお祈りしたい。
 さて、話は変わるが、今日は"せいかっ子"の催しがあった。町立保育所の保育士有志が集まって、町内の子育て中の親子に呼びかけて、半年に一回催している楽しい集いである。今回は、子育ての悩みや、保育所に望むことなどの意見の交流もされた。「保育所のいいところは、親同士のつながりもできて、共に子育てできること」などの声もでていた。
最後に、クリスマスソングを歌ったり踊ったり、大変な盛り上がりで終了。いつでも、明るくて、エネルギーあふれた彼女たちに拍手……。

"おこり地蔵”上映     2004年12月18日(土)

 午前中は、印刷物などに時間をとられる。午後から、"精華西 9条の会"のつどいがあり参加。"おこり地蔵”と、"大阪に残る戦争の傷あと"の上映会。12月も半ば過ぎの忙しい時期で参加者は多くはなかったが、広場で遊んでいた小学生にも声をかけて、見てもらう。
 亡き夫は、昭和10年生まれ。大阪で空襲にあって、叔父がいる京都に家族6人で逃げてきた。たたみ一枚の生活からはじめたということである。今になっては、当時の話は聞けないが、壮絶な暮らしであったらしい。
夫の母は、縫い物や編み物が上手(確かに上手で好きだった)で、その手仕事で、食料品などを手に入れて、4人の子どもを育てたらしい。夫の父は、全てをなくしたショックから長らく立ち直れないでいたらしい。
こんな話を思い出しながら、"大阪に…"を見て、当時のことに思いをめぐらした。
  相楽9条の会の呼びかけ人の林さん、石橋さんも参加され、それぞれに思いを語られた。
精華町での広がりはこれから…。戦争をしない国を孫や子に。


(仮称)精華台保育所   2004年12月17日(金)

 祝園駅での早朝宣伝を予定していたので、寝過ごさないように、かなり早い時間に目覚める…が、余りにも早すぎ!と思って、ついつい寝込んで、目覚めはタイムリミットぎりぎり。
12月議会の様子や、北朝鮮問題、定率減税の問題などを訴える。
 午後から、民生厚生常任委員会。付託された、"包装性容器リサイクル法"の意見書を審議。家庭でも、ゴミの大半は、包装性容器とビニールごみ。せめてとの思いで、分別には気を使っているが、町が負担する処理代、委託料合わせれば、約2千万円。これは大きい。包装の改善や、業者責任は追及すべきもの。全員一致で採択。
 精華台保育所の委託法人と決定に至る説明がされた。一通りの説明はあったが、・一番評価した点は何か・保護者説明、住民説明はどうか・進捗状況などについて説明を求めた。定数は150人で現在申し込みはオーバーをしているとのことである。
保護者、地元説明は1月の終わりに予定とのことだが、一定申し込みが終了してからの説明、というのも納得しがたい中身であった。
国保病院については、要点説明に終わり、21日の"病院対策特別委員会"の審議に委ねられた。
委員の一人として参加の予定だが、聞きたいことは多い。


よいお年を         2004年12月16日(木)

 親子リズム会は今日で本年最後。今年の2月ごろから始めて、こられる方の顔ぶれは変わったけど、よく続いたものだと我ながら感心。今日、明日にでも出産予定の方も、今日も元気にこられた。年明けにお会いする頃にはきっとかわいい赤ちゃんも…。ちょっと早いけど"よいお年を…”
 午後から役場によって用足しをする。その足で京田辺市に行って、ここでも用足し。
途中から、急に風がきつくなり"おっ!木枯らし"という雰囲気になる。雨もぱらぱらと降り出した。こんな日はやっぱり”おでんなんかいいな〜”と、珍しく夕食のだんどりを考えて帰宅。もちろん主役は、昨日、畑で収穫した”だいこん”。
 夜は定例の会議に出席。明日は民生厚生常任委員会が開かれます。


教育請願…継続審議   2004年12月15日(水)

 午前中は、建設水道常任委員会、午後から文教産業常任委員会が開かれた。午前は傍聴をパスしたが午後からは"教育請願"の行方が心配だったので傍聴する。委員は5人だが、一人欠席。
夏の終わりから、請願署名が始められ2260筆の署名が添えられ、請願がだされた。@少人数学級AバリアフリーB中学校の空調C施設改修D通学路の安全などがその内容であった。
委員会での審議は教育委員会への質問や、見解を求めるものが多かったが、"願意"の正当性が明白でないといった内容で、"継続審議”となった。
文教の常任委員であれば、学校の実態についての認識は事前にあってもいいのではないか。仮に分からないと予想されるのであれば、紹介議員に、委員会への出席を求めるべきだと思うがいかがなものか。
"継続審議”になった以上、少人数学級についての検証も、しっかりとしていただけるものと、期待をしているのは、私だけではなく、2259人以上の人たちのはず。よろしくお願いします。

一般質問…2日目     2004年12月14日(火)

 2日目、8人が登板。閉会したのは5時10分。全議員が質問をしたら、2日間では足りない勘定になる。一般質問で、ここまで長丁場になったのは、私の経験では初めてである。
その内容は
行財政改革…特に人件費・公用車などについての削減が問題にされる。職員定数なども取り上げられたが、人数もさることながら、その仕事の内容が問題。目線が住民の側にあるかどうか、そんなことも吟味して欲しい。
防災計画…ハザードマップの作成や、避難誘導、すす谷川の防災は注目の的、何人かから質疑がされた。
来年度中には、分かりやすいマップが出来る予定。地区避難所(集会所)の耐震調査も課題に。
病院問題…審議は病院対策審議会にゆだねられる。第3者評価の公表もそれまでお預け。
南部地区のコミュニティセンターを…中長期的展望で考える。という気長な答弁。
駒田駅周辺整備・介護保険などの質問も出されたが、従来からの説明の枠を出るものはなかった。
 明日から常任委員会が始まる。

一般質問…1日目     2004年12月13日(月)

 今日から一般質問。10番目の松田で時間切れ。後の8人は明日が登板となる。
合併問題…4人の議員が質問。論点はまちまちだったが、町長の答弁は一貫して「合併は否定していない」「合併協議の申し入れはしない」「機が熟していない」というもの。
児童の安全について…奈良富雄の事件を受け、多くの質問が出たが、スクールヘルパー、防犯ベルなどの取り組みを強調。学校・保護者・地域が一体になってという答弁で、具体的に、どう手をつなぐかというような提起はなかった。(残念)
駅前商業施設…12月11日に株式会社ELCと株式会社シードの協議が整った。平成18年春の完成を目指す。
 松田の質問は最後となった。質問事項が多いこともあったが、答弁も長く、最後まで詰め切れなかった。(反省)
水道の水銀問題では、最後に「公開」「透明」な行政のあり方について、町長に決意を求めた。(詳細情報は後日報告します)
 夕方、約束していたお宅を訪問。すこ〜し"長話"になり、夜の会議は遅刻となる。

亀岡に            2004年12月12日(日)

 党機関の会議で亀岡に早朝より出かける。たいていは車だが、駐車場がないということで、JRを利用する。
亀岡市も京都の通勤圏にあり、人口は増え続けているが、降り立った亀岡駅は昔さながらの駅であった。
熱心な討議が終日続いた。台風23号で被害を受けた府北部からは、生々しい報告と共に、復興に向けたエネルギーあふれる活動が報告された。
 天気予報が当たって、会議が終わる前から雨模様となる。
暖かいとはいえ、南部と違い、雨は冷たい。
 帰宅するとFAXや留守電に用件が入っていたので休むまもなく、用件を済まし、明日の議会準備をする。

 夕方、ウサギの食料を買いにコーナンに立ち寄る。すでにクリスマスグッズが値下げされている。ついフラフラと買ってしまったのが”ぷよぷよスノウマン”。今流行りの踊って歌う代物だが、これって一体誰のために買ったのか…分からない。


汗ばむ12月         2004年12月11日(土)

 昨日よりさらに暖かい。こんな12月があってよいのだろうか?と思いつつ、汗ばみながら午前中は地域を歩く。
ご近所でも庭木の剪定や洗車と外で作業をされている方が目に付く。
そろそろ、暮れの大掃除もかかり時か…。しかし、13日から始まる議会の一般質問がどうもうまくまとまらない。
午後からは、そちらの作業に専念する。夕方から友人たちとの夕食会。
食べる。しゃべる。笑う。集まったのは女性9人。女性が3人で”かしましい”というから、その3倍と+αである。
年に1、2度しか会わないのだが、久しぶりに会っても、毎日会っているような気の置けない仲間である。
 夕方、テレビをつけると"押尾コータロー"がゲスト出演をしていた。彼は売り出し中のギタリストだが、売れない頃もあったわけで…。少しは知り合いだった頃もあったので、ついつい見てしまったけど。メジャーになってよかったね!押尾君。と独り言。


議会報告…そのT     2004年12月10日(金)


今日から24日までの会期で12月定例会がはじまりました。
自分的にポイントと思うところを報告します。ぜひご覧ください。

町長挨拶

 病院問題ー12/10付け京都新聞で、〔国保病院の存続困難・精華町方針を固める・民間委託も視野〕と報道されたが、新聞社の単独取材で、公式発表ではない。としながら、結果的には「抜本的改革は困難」と述べた。病院対策特別委員会での審議を待たないで、ここまでの結論を出すのはいかがなものか。

行政報告
 「近畿地方交通審議会答申」−京阪奈新線・ほうその分岐が高の原延伸と対等な位置づけに。
 「学研都市 新時代プラン」−府が年内策定の予定・新産業創出を目的にした交流センター機能など地域産業振興に配慮した施策の打ち出し。環境共生住宅など多面的土地利用を促進。
 「消防職員4名新規採用」
 「駅西商業施設」ー平成16年11月15日に"レイコフ"との協定書を白紙撤回・近く1社に絞り、株式会社ELCの臨時総会で事業計画を決定の予定。
 「ほうその駅前不審物への対応」
 「旭簡易水道第二水源水質異常」−現在原因は調査中

議案
 教育委員会委員の選任 弓矢 美弥さん(再任)
                 伊藤 二三男さん(新任)
 平成16年度一般会計補正予算
     6千775万円を加えて133億2千528万円とする。
 他、特別会計補正予算4件
 契約 1件
      以上は、即決で可決。
 条例ー職員給与・手当て関係と税関係(常任委員会に付託)

  
 松田は、一般会計の保育所アルバイト賃金について、障害児加配保育士のあり方について、質疑をしました。

おもちゃも通販        2004年12月9日(木)

 自宅でしている親子リズム会に、また新しいお友達が増えた。会話が弾む。今日は"おもちゃ"のことで持ちきり。
過日、息子の「お嫁さん」がPCの通販で買ってくれた、かわいい木づくりのままごとセットが、今人気のおもちゃ。話によると、品切れで"オークション”にかかっているらしい。
私などは、通販ショッピングにはまだまだ抵抗があるが、将来的には、こういう「お買い物」にも、今から慣れておかないと…。若い母さんたちと話していると、教えられることや、自分の日常にない情報などが得られて"新鮮"で楽しい。
 午後は"自宅学習"に励み(?)夜は会議に出席。近隣町の"合併"の動きなどの情報も交換された。
12月議会は、明日から開会。さて、精華町長はどのような"コメント"を発するか.聞き耳を立てることにしょう。


議員定数削減問題       2004年12月8日(水)

 63年前の今日、真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まった。その記念日。早朝からほうその駅前で"平和への訴え”をする。私の誕生の3ヶ月前の話。田舎で育ったので、直接的な戦争の体験はないが、食べ物の記憶は今も時々思い出す。
"すいとん"は言うまでもないが、ある日「今日はおはぎやで」といわれて喜んで食べたら、中身はみんなジャガイモだったり、配給のある友達のうちの"乾パン"や"干しアンズ"が欲しくてたまらなかったことなど…。
小学校のときに広島の原爆の映画を見て、"戦争はあかん”と心のそこから思い、その思いは今も続いている。
 午後から総務消防委員会が開かれ、継続審議となっていた"議員定数削減"の議員提案の条例が審議された。
反対・賛成討論がされた後、採決。賛成3・反対2で採択されたが、"少数意見"が付された。
10日から始まる本会議で、委員長報告がされ、それについての採決がされる。傍聴者として参加したが、本会議ではしっかりと質疑をしたいと思っている。
 夕方、来客があり、夜も来客ありで、話し込んですでに、今は9日。遅くなりました。

あわてんぼうのサンタクロース
                  2004年12月7日(火)

 一足早いサンタクロースが、4丁目集会所に登場。プレゼントは本当にささやかなものだったけど、子どもたちは大喜び。みんなでつくった帽子をかぶり、持ち寄ったデコレーションを飾り、ほのぼのクリスマス。
中心メンバーで来年の打ち合わせを簡単にする。サークルというよりは、やっぱり"フリースペース"でありたいというのが一致した意見。
 午後は議員団の会議。12月議会の打ち合わせや討議、議会運営についても意見の交換をする。
庁舎2階に、行事などの電子案内板が登場。住民の方からの要望や、議会で検討されてきたことが実現した。今後は、テレビ画面の一角に表示され、電子表示板は一階に移される。
 夕方、出かけようと準備していると、ご近所の方が来宅。
ちょっとした相談事を受けていたが、解決したとたいそう喜ばれて、厚いお礼を言われる。
そんなに丁寧に、とかえって恐縮する。外出を取りやめ、自宅学習(?)に切り替える…が、進まない。

北風が…            
2004年12月6日(月)

 当たり前だが、北風が吹き始める。やっと"冬"らしくなってきた。いつもだと、すでに屋内に入れている"夏の花"も野ざらしのまま。いまだに蕾をつけている"ハイビスカス"も野ざらしのまま。せめて、と思い軒下に入れる。
 朝から、"後援会ニュース"を持って知り合いのお家に宅配。議会の日程を待っておられる方もいるので、これは欠かせない。午後からは、会員の方に宅配する。結構歩いたので、夕方にはアレルギー疾患持ちの足裏が腫れて痛み出した。
夜は、先日出席した、"西部塵埃処理組合"の報告書をまとめたり、その他若干の事務整理をする。
 いつものことだが、議会前になると狭い台所兼事務室(?)は書類が散乱し、ひどい状態に陥る。
毎日のように、"喪中はがき"も舞い込む。ぼつぼつ、年賀状を準備する季節かも…。
 

集会所の掃除         
2004年12月5日(日)

 朝から集会所の掃除当番。毎月一回交替で掃除をされている。昨夜の風で木々はほとんど葉っぱを落とし、道は落ち葉のじゅうたん。
早めに行ったつもりだったが、既に掃除は華僑に入っていた。ご近所の方と2階ホールの雑巾がけをする。昔の学校の廊下の掃除のようにヨーイドンで雑巾がけをするが、途中で息切れ。少し早めに引き上げて、会議へ。
 機関の会議で一日缶詰状態。今後の山城地域での、運動方針などを議論し、決定する。
久しぶりに、息子たちのうちに立ち寄る。丁度、買いたての"クリスマスツリー"の飾り付けが終わったところで、孫たちはことのほかうれしそう。一言、言ってくれればこれくらいのプレゼントは出来たのにと思ったが、言わなかった。
"超未熟児"で生まれた末孫も2歳の誕生日が過ぎて、元気に成長。
多忙な"ばあちゃん"はなかなか、孫の相手が出来なくて、これは、私のささやかな"悩み"の一つである。


教育署名…雨の中      2004年12月4日(土)

 昨日、フラワーセンターで撮影した写真。名前は不詳(私が知らないだけ)。久しぶりに訪れたが、来客は本当にまばらで、東大阪からこられた親子の方は"本当に好きなだけのびのび遊べるけど、あんまり人がいないのも寂しい"と言われていた。シーズンオフだが、咲く花はしっかりと咲いている。
 昼前から降りだした雨。野菜や花たちは待っていた雨だが、お昼から"教育署名"のお願いに歩く。ほとんどのお家で、玄関先やガレージの雨の当たらないところに案内してくださり、署名に協力していただく。
少人数学級・バリアフリー・安全対策・施設改修など切実な教育への願いの署名で、「雨の中、ご苦労様です」とねぎらいの声もいただく。
12月議会に提出するが、審議の結果はどうなるか。
雨がひどくなり、切り上げるが、時間があれば”もっとまわりたいね”というのが感想。


やっぱり不安          2004年12月3日(金)

 ほうその駅前のロータリー工事現場から"手榴弾58個”みつかる!と各紙で報道される。先日は木津町で"奈良時代の建物跡”みつかる。埋蔵物の発見でも"天と地"の違い。
地元の方の話によれば”弾薬をつくっていたんやから、いろいろあるやろ!”と、こともなげだが、本当に何が出てくるかわからない。
町のHPでも、すばやく情報が発信されていたが、先日から報道されている、簡易水道の"水銀問題"は発信されていない。
 学童の下校時間、いやに空の上からやかましい。京都府警のヘリコプターが「よいこの皆さん、気をつけて帰りましょう…」といった呼びかけをしている。
ヘリコプターには、他の機能もあるかもしれない…が、空から言うより、もっと警察官を増やして、身近なところで"役"に立ってよ!と、独り言。
せっかく出来た近くの交番に、おまわりさんがいない、というのはよく聞く話。何かあって、飛び込んでも役に立たないわけで、これは困る。
さらに、東光小学校前に行くと、今度は"馬"に乗った"おまわりさん”に遭遇。何のイベントかは知らないが、馬の後ろに"排泄物処理係”の方が、ちりとりを持って随行。
まるで、"漫画"の一こまのようだが本当の話。
何のイベントかは、明日の朝刊に載るかもしれない。いつもの、新聞記者の姿もそこにあったから…。

久しぶり!
             2004年12月2日(木)

 松田宅で開いている"親子リズム会”に、不登校中のAちゃんが来る。本当に久しぶり!
中学一年生で、入学式に行っていたので少しは"安心”していたのだが…。
テストだけは受けに行っているとの事だが、それ以外はずーと在宅。時間を間違えて早く来たので、早速掃除のお手伝いを頼む。最後まで、子どもたちのそばにいて"ニコニコ"していたけど、来週も来れるだろうか。
どんな場所でも、出かけられるところが欲しいというのが彼女のお母さんの願い。
教育委員会にも何度となく"適応指導教室"の設置を求めているが、この願いは届かない。

NTT北側の歩道に街灯が増設された。9月議会で設置を求め、その後すぐに準備に入ったらしくて、早い設置である。南陽高校生の通学路になっており、これから効果を発揮しそう。
電柱埋設地域なので、難しいとの話であったが、随分ご苦労いただいた結果だと、高く評価。
まだ、電灯はついていないが、楽しみである。


カラスと…目が合う         2004年12月1日(水)


 朝から熱いまなざしで目が合った…といっても相手は"カラス"。ビニールゴミの日なので、ステーションに行くと、"燃えるゴミ”でもないのにカラスが一羽。まさに、臭いのついたビニールゴミをつついている最中。思わずしっかりと目があってしまった次第。しばらく見つめ合ったが”カ〜〜"と一声鳴いてヒョコヒョコと駆け出していった。(ナイロンゴミはしっかり洗ってから出してよネ)
 午前中は議員団の会議。12月議会の議案を検討する。補正予算が若干と契約案件が一件。教育委員の人事案件などである。一般質問は18人が提出。(日程は議会報告をご覧ください)
 
 夕方から、宇治の市長選挙のお手伝いに行く。結婚してすぐに住んだのが宇治市伊勢田町。夫の勤務する会社の中の社宅住まいがそのスタートで、私の本籍地は、その会社の中にある。
周辺はほとんどが田んぼや畑でのどかな風景で、4人の子どもたちはその中で生まれ、乳幼児期を過ごした。
小倉の駅前から急速に宅地開発が進み、会社のそばまで、開発が押し寄せた頃、城陽市に転宅した。伸び盛りの町であった。
そして今、伸び盛りの精華町に住んでいる。
なぜか、伸び盛りの町を追いかけているような感じがするが、これは、結果で意図したことではない…のだが。