たんぽぽ通信
来賓は座って          2004年10月31日(日)

 障害児者ふれあいのつどいが開かれた。昨日のような雨降りでなくて本当によかった。
開会式では、障害のある方は立って並び、来賓は座っている。いつも、このことに違和感を持つ。かといって、一人だけ立つわけにもいかず、今日も私は座っていた。
 会長さんが、「郡内の会議に行くと、いつも"あんたとこはええな〜"と羨ましがられる」と言われていた。相楽では草分けの"共同作業所"の奮闘や、養護学校も近くにある。保育所では、開設以来"障害児保育"は当たり前。学童保育も実施されている。障害児者への施策は行政も熱意を持って進めてきた。しかし、ノーマラゼーションの社会には、まだまだ距離があるのではないか…。
 午後から"枯露柿の里、宇治田原町へ”。ここでも、山砂利採取と産廃問題は深刻である。"ゴミ袋の有料化"問題も浮上。道から少し入ったところでは、昔ながらの"ドラム缶焼却"の煙も結構目に入る。有料化になれば、この煙は、もっと増えるのではないかと懸念。

 
文化の秋            2004年10月30日(土)

 精華西中学校の文化発表会・合唱コンクールを参観。劇や創作舞踊、踊りなども見たかったが、時間がなくて"合唱"を聞いて帰る。
過日、帰宅途中の中学生が歌を口ずさみながら数人で歩いていた。きっと練習に練習を重ねて今日の発表だったと思う。その足で、京阪名プラザへ。"季節を彩るドライフラワー"作品展のご案内をいただいていたので、早々に見に行く。gira sole花あしらい教室の皆さんの作品が展示されている。
一つ一つの花や木の実に注がれている愛情が伝わってくる。子どもさんの作品もあり、クリスマスリースやカードも見ものであった。
このギャラリーは時々覗かせてもらうが,なかなか発表の場がない文化サークルや個人の方にとっては"格好の場”となっている。
午前中に雑用、所用と忙しく済ませて、午後から、また、"野猿の宇治田原町へ向かう。
枯露柿があちこちで色付き、お正月用の干し柿作りの準備が進められている。
 そこで質問"サルたちは枯露柿は食べないのでしょうか?”

 
野猿…走る           2004年10月29日(金)

 朝から、宇治田原町へ。11月7日投票で町議会選挙が行われる。定数2減の14議席が戦われるが、そのことで、一人の獲得票が上積みされ、現職議員で出馬をしない方も多いとか。結果、無投票になるかもしれないという噂もちらほら…。選挙をしたいというのがわが陣営の思い。住民の方に”信"を問うための4年に1度の選挙である。選挙はあったほうがいい。
 山間の地域に入る。屋根の上に"迷子の子猿"が走る。すぐそばの山の中から親猿がキーキーと呼んでいる。動物園では見かけないような丸々と太ったサルたちである。
野菜畑は金網で囲まれ、人々はこの金網の中で、農作業をされる。サルたちは山の中から高見の見物。
少しでも隙があれば、たちまち野菜はサルたちの食事に。サルにとって、今の旬の野菜は"大根"。
サルたちにもそれなりの事情や、言い訳もあるかもしれないが、生産者にとっては本当に無念な話で、何とかうまく"共存"できる方法はないものか。
庭先でお年寄りが2人、「植えたねぎが心配で…」と見張り番をされていた。決してのどかではない"のどか"な話である。


赤い月              2004年10月28日(木)

 夕べは本当に寒かった。ちょっとおきて、布団を一枚重ねればいいのは分かっていてもそれができないで、体を縮めて朝まで我慢。
 午前中は"親子リズム会"で楽しく過ごす。午後は、町の戦没者の追悼式。遺族の方もご高齢になられた。ほとんどが女性の方。戦中、戦後の苦難を乗り越えてこられた年輪の重みが伝わる。
 夕方から会議に向かう。東の空に大きな赤い月が…。なんとなく不気味で神秘的な"月”だ。会議を終えて、今度は宇治田原町へ。町議選の打ち合わせに行く。
帰りはずいぶん遅くなったが、その頃には、月は秋というよりは冬に近い透明感で"りん”と輝いていた。

悲しい…             2004年10月27日(水)

 午前中は議員団の会議。お昼に事務局に行くと「行方不明だった新潟の母子が発見され、子どもが救助された」とニュースが飛び込んだ。「奇跡的、本当によかった」と、明るい声が飛んだ。命を落とされた他の方には惨い言い方だが、一条の明るいニュースとして、喜び合った。その後、議会広報の委員会をして、夕方から宇治田原町へ。簡単な打ち合わせの後、京田辺へ。そこで、ニュースの続きを聞いた。「お母さんはだめだった…」と。
 二人の幼い子どもを抱えて、突然の災害にあい、どんな気持ちで、子どもたちと過ごされたのか。思いをはせるだけで悲しい…。
 また、イラクで人質。マスコミも以前のようには報道しない。
小泉さんの一言「テロには屈しない…」。大義のなかったイラク戦争。自衛隊のイラクでの救援活動の報道も姿を消しているけど、国内にも、水がほしい人、食料がほしい人、お風呂に入りたい人、救援を待っている人がいっぱいいるんです。

無情の雨            2004年10月26日(火)

 町内の小学校の5・6年生の陸上交歓記録会が、宇治市の太陽が丘で予定されていた。初めの予定も流れて、2度目もまた雨で流れた。昨年は悪天候の中、実施をされたと聞いている。今日は、特に予定もなかったので参加しようと思っていたので、残念といえば残念。しかし、太陽が丘でやらなければならないと理由もいまいちわからない。
"交歓"というのなら、地元小学校グランドでもいいのではないか。というのが率直な感想。
この雨で、一番無情の思いをしているのは、台風や地震の被災地の方。小泉首相もヘリで被災地に飛んだ、と報道されているが、被災者の方への言葉がどうも空虚、実がないとでも言おうか、やっぱり"薄っぺら"な感じがしてならない。
知り合いの方に電話をする。「毛布と、シーツを送った。高齢でボランテァに参加できないので…」とのこと。自分にできること…何かしなければ。

ゴールドクレスト        2004年10月25日(月)

 クリスマス前に毎年、一番小さなゴールドクレストを一本買う。クリスマスが終わったら、地植えにして合計4本になった。
見る見る大きくなるが、その分、根が浅い。先日の台風で大きく傾いてしまった。少し身軽にしようと枝を払っていたら、丁度こられたのが、植木に精通されている知り合いの方。
残す枝を決める。内側の枝は払う。下向きの枝も払う。間隔を均等になど要領を教えていただく。ついでに。梅、さくらんぼ、桃、柿、柘榴などの剪定の仕方も教わる。
大切なのは、枝元はきっちり残さないできること。中途半端に切るとそこからまた、枝葉が出ることになり、木に負担をかけることになる。
 朝から、台所に"突っ張りだな"を取り付けようと奮闘していたので、うちの中も外も、どっちつかずで”ぐちゃぐちゃ”。
 午後から約束の会議があり、そのまま外出。夕方近く、最後の"ビラ配布”。日暮れが早いのを除けば、暑くも、寒くもなく、程よい運動である。
夜の会議に出て、本日は終了。でもまだ、台所は"ぐちゃぐちゃ”のままである。


コスモス祭り          2004年10月24日(日)

 午前中は、「精華西 9条の会」に参加する。長澤さんの話は「なぜ、今、9条改悪の流れが…」ということが、時の総理大臣とアメリカの関係など、とても整理されてわかりやすかった。戦争で、父親をなくされた方や集団疎開の経験談、戦争体験のない若い方もそれぞれに、平和への思いを語られた。
 お昼からすぐに、コスモス祭りに出かけた。洗濯物を抱えて忙しそうなお隣さんを無理やり誘って。先日の台風で、コスモスは寄り添うように支えあっている。新米の黄な粉もちも振舞われ、お抹茶をいただいて帰る。
 昨日、久しぶりにスーパーに出かけて、噂どおりの野菜の高値にびっくり!"畑の野菜たちを大切にしなくては"と、突然思い出したように畑に行く。
・葉とうがらし・人参葉とあげの炒めに・なすびのベーコンはさみ焼きなどなど。畑の野菜尽くしとなったが"安くてラッキー”な夜のお惣菜となった。

弱り目にたたり目       2004年10月23日(土)

 集中豪雨で被害をだして間のない新潟で、今度は地震。弱り目にたたり目とはまさにこれ。
台風といい、地震といい、いよいよ危ない"日本列島”である。
地震で、台風被害のことは、既にニュースの外だが、弥栄町の妹のところも、結構大変だったようで、屋根や、窓の修繕も、順番が中々まわってこないとのこと。裏手が山になっていて、地すべり対策で、コンクリートのよう壁をしてもらったところ、風の抜け道がなくなり、まともに窓に風が当たったとのことで、弱いところを"固める"だけの防災には、どこかに無理がくる、ということか。
 朝から、集金と、"民報"配布をする。以前はほとんど空き部屋のなかった"ハイツ"の空き部屋が目立つようになった。
精華台のマンションや、交通便利な駅西のハイツにいかれた方も多いのではないか…。これはあくまでも"私"の勝手な想像だが。


円山川・由良川        2004年10月22日(金)

 よく書き込んでいるが、実家は京丹後市の網野町。丁度、宮津市と豊岡市の中間にあり、どちらも子どもの頃の行動範囲の中にある。今度の台風で両河川が氾濫した。円山川の河川敷には"出石牛"が放牧されのんびりとした牧歌的な風景があった。由良川は渡ると京都に近づいたと思ったし、帰りは、もうすぐ"家"と思った。ゆったりとした水量はあったが、氾濫する川だという印象は薄かった。まさに"青天の霹靂”
予想できないほどの大きな被害に"言葉"が見当たらない。
 妹が、弥栄町に住んでいるが、ここでは窓ガラスがわれて、かなりの雨が吹き込んで浸水状態になったとかで、後始末に追われている。
明日はわが身の"天変地変”。心しなければ…と思う。
 10時から議会の仕事。昼過ぎから会議が一件。
つるべ落としの"秋の日"が"せかせかと夜のとばりをおろす。


研修…大佐町         2004年10月21日(木)

 昨日の台風の爪あとを見ながら、大佐町に向かう。岡山県の北、山口、広島、鳥取を県境に持つ、源流の里である。深い山を抜けて走る。手入れをされた杉林の杉がドミノ倒し状態で、根こそぎ倒れている風景をあちこちで見受ける。
道路の倒木を処理するために、それぞれ、自治体職員が出て作業をしている。きっと、夜を徹しての作業だろう。
 源流の町、大佐町は、"水"を守るために、食用油の廃油の燃料化をしている。
バスの停留所に、廃油・古紙・ペットボトル・空き缶などの回収場所が設けられ、"出しやすく、回収しやすく"しておられる。リサイクルした軽油は、公用車の燃料として使われている。単価はやや高くなるが、"水"を守るためのリスク、と割り切っておられる。
近々、新見市との合併がされるとのことだが、このような源流を守る街づくりが同じように進められるのだろうか。

 
バス停留所のリサイクル集積所

研修…新見市         2004年10月20日(水)

 台風23号襲来!行くべきか、やめるべきか、民生厚生常任委員会の研修は賛否が分かれたが、現地の新見市の方から「台風はめったに来ないから大丈夫」とのコメントもあり、予定通りの出発。山陽道で時々、強風はあったが、たいしたこともなくて予定通りに到着。住民参加の環境を守る仕組みづくりについて研修をする。
 そこから、明日の予定地、大佐町に近い宿泊地に向かう。
雨、風が急に激しくなり、車は小船のように揺れ、行く先々で、土砂崩れや倒木で交通閉鎖。途中のまちは、停電と、いよいよ台風真っ只中を進むこととなる。
閉鎖されていない唯一つの、山越えの細い道を抜けて、目的地についたのは、2時間遅れとなった。
 宿のすぐ上がダム。久しぶりの放流とかで、そばを流れる川は、一晩中、唸りを上げて流れていた。

 
うなりを上げて流れる高梁川

無投票…笠置町議選    2004年10月19日(火)

 本日告示の笠置町議選、10名定数で8時30分に届出したのは10人。しかし、午後5時までは届出があるかもしれない…。ということで、朝からお手伝いに。あいにくの雨、宣伝カーは軽トラック。樹木が覆いかぶさる山道や、足元まで水がきている石橋を渡り、4時間の宣伝活動。少しスピードを上げると、雨が矢のように顔に刺さる。合羽、ウィンドブレイカーなど、雨具3点セットも全てグショグショ。靴の中には水がたまり、もちろん頭はぬれねずみ。
マイクを積まない宣伝カーや、紙看板や無印の宣伝カーも走る。雰囲気的には無投票ちがう?でも、5時まではやることはきっちりやって、結局は無投票となった。
"合併問題"が取りざたされる中で、なんとなく"政治的無関心"が漂う選挙戦であった。

増えた交通量?       2004年10月18日(月)

 午前中は議会の所用で役場に。お昼過ぎまで事務局の方と、雑多な打ち合わせをして引き上げる。
夕方、7丁目に用事があったので出かける。帰宅時間ということもあってか、柘榴東畑線を走る車が急に増えた感じがする。精華大通り線に抜ける車と入る車で、4丁目から7丁目までなかなか渡れない。
これで、大型車が通行していたら、と思うと怖いものが…ある。"大型車の通行規制"は正解である。
 
精華台5丁目の"花いっぱい作戦"で育てられたコスモス園の草が刈られて、コスモスが顔を覗かせている。
蒔かれた時期が遅かったせいか、花たけは短く、気をつけていないと見落とすようなコスモス園だが、小ぶりながら花を精一杯つけている。
季節に咲かねば…。けなげなコスモスに拍手!

柿がない!          2004年10月17日(日)

 先日仕上げた、議員団の9月議会報告=せいか民報を朝から配布する。グりーンベルトを歩く。先週、孫たちと来たときにはたわわになっていた柿がない!一個も残されていない!とってはいけないものではないと思うが、散策している道すがら、だんだんと色づいてくる果実を見るのは楽しみなものである。
各地で”柿を食べに熊出没”とニュースになっているが、まさか…熊?ではないはず…。
 途中で、顔見知りの方に会う。議員活動についていろいろ意見をお持ちの方で、看板など景観にも神経を尖らしておられる方だが、今日も手ぶらで”犬”の散歩。話途中で”タバコ”を一本。さて、これらの後始末、”どないしはるお積りか?”


今年最後の運動会      2004年10月16日(土)

 こちらも、台風で延期になった孫の運動会。一週間遅れで行われた。保育所なので働くご両親にとってはありがたい。職員全員で和太鼓に取り組んでおられるので、年長児の演技は”和太鼓”。精華町のどの保育所よりも狭い園庭に大勢の子どもたち。いろいろ工夫をこらしてやっておられた。園庭解放に参加の親子にも参加の場があり、これは”いいこと”だと感心した。
 午後、光台地域を”病院のアンケート”で回る。訪問先ではみんな気持ちよくアンケートに応じていただいた。”カーテン”の間仕切りではプライベートが守れない。施設が古い。車でいきづらい。もし、診療所がなくなるのなら、保健センターへの転用をしてはどうか。信頼できる医者がいて、設備がよければ利用者は増えるのではないか。自分は若いが両親が入院となれば近くの病院がいい。など、20代〜60代までの方のご意見が聞けた。
一軒でのお話が長くなり多くは訪問できなかったが、存続・廃止いずれの意見にせよ、実際に面談してお話を聞くのは貴重なことだと実感した。


あなたはどっち?       2004年10月15日(金)

 プロ野球の選手会のストで、急展開した”新規参入”で、ライブドアと楽天がしのぎを削っている。朝、何気なくテレビを見ていたら、”あなたはどっち”と視聴者に尋ねていた。
私的には、どっちでもいいのだが、プロ野球に新しい風が吹くのは間違いないし、それはそれで楽しみである。
 朝から、議会の広報委員会で5時まで缶詰状態。第一次校正なので、削ったり、加えたりで紙面は真っ赤。最初の原稿をもう少し確実なものにしておかないと、後が大変だし、業者さんも大変である…といつも反省。
夕方から、”せいか民報”の印刷に。印刷機のご機嫌もよくて”スムーズ”に作業を終えたが、それでも帰宅は遅くなった。

 
秋風に揺れてコスモスが美しい。

町立図書館          2004年10月14日(木)

 お願いしたいことがあって、図書館を訪問。この4月から課長も館長も代わり、新しい試みや考えが導入されつつある。
事務所奥で懇談をする。同レベルの町村で年間40万冊の貸し出し実績は、全国6位。うち町外へは8万冊の貸し出しがあるとのこと。しかし、町外の方の”予約本”が多く、なかなか手が回らなく、先ず、町内での需要を細かく満たしたいとのこと.。町立図書館は交通の便もよく、土・日などは家族ずれも多い。
最近、無断持ち帰りなども増えて、”悩みの種”とのことであった。
 木津町議会の代表質問が始まり、新町長の所信が問われている。「合併問題」に関して、山城町と、加茂町に申し入れ、05年3月を目途に結論をだしたい。精華町とは温度差があり、申し入れない、とし、最終的には、7町村合併という方針は変えていない。「住民アンケートは無用」「情報は開示済み」と答弁をしている。
 どう見ても、「特例債」を利用した、駅前整備、庁舎建設、合併による「清掃センター建設」としか映らないのは私だけだろうか。


ひかりだい保育所運動会  2004年10月13日(水)

  台風で、こちらも延期になっていた運動会が9時30分から始まる。幼稚園と同じ敷地にあるので、それなりに朝から大変そうであったが、上手に調整をされて、今日は保育所が”主役”。
 町内では、187人と最大の保育所。今年から所長も替わり、主任の保育士も配置されて雰囲気も変わった。
 午後から会議、夕方からは、教育運動についての会議に出席。急に涼しくなり、草むらで鳴く虫たちの声も”細く”なってきた。

もう一度…夏?        2004年10月12日(火)


 台風で延期になっていた孫の運動会の参観に行く。城陽の私立幼稚園だが、運動会は鴻巣グランド、発表会は文化パルクを借りての実施。
それほど特色のある幼児教育をしている幼稚園ではなく、”のびのび教育”が売り物。娘が長男をどこの幼稚園に、とあちこち見学して「砂場が一番きれいな、ここ」と決めた幼稚園である。子どもたちの集合場所には大きな日よけテントが設置されて行き届いている。
しかし、ギャラリー席は暑い!夏日、再来である。
午後から、議会事務局にいって”議会広報”の若干の打ち合わせ。福祉課や社会教育課で所用を済ませ帰宅。

2万5千歩          2004年10月11日(月)

 先日、ちょっと顔を合わせてだけで話がまとまり、数年前までソフトボールをしていた仲間とハイキングに。実に何年ぶりかのことで、思い切って参加した。後、数年で60に手の届く人、60になって数年過ぎた人とそれぞれの”キャリアウーマン”。私は離れてしまったが、今でも週一回は練習をしている彼女たちは、みんな若い。
 行き先は手ごろな私市ハイキングコース。くろんど池まで往復する。帰りは、一駅分余分に歩く。それで2万5千歩。
子どもづれや、若いカップル、熟年夫婦、グループなど行きは立ち止まれないほどの人だったが、沢の水音を聞きながら心地よい汗を流した。40年ももっと前、自分も若いカップルで、何度かこの道を歩いたことを時々思い出しながら…。

 
ひたすら歩くのぼり道

新殿神社          2004年10月10日(日)

 アルプラザ木津店の北側に、こんもりとした森がある。この森の中にあるのが、”山田の宮さん”新殿神社である。室町時代につくられた、十三の塔は国の重要文化財となっている。樫の木や、しいの木がうっそうと茂り、その歴史の重みを感じる。今日はお宮さんのお祭り。子どものみこしが出ると聞いて朝早くから写真取りにお邪魔する。小学校一年生から6年生まで全員集まっておみこしを引く。少子化が進み、ここでは総勢17人、だんだん寂しくなっていく、とは地元の方の談。
 一方、台風で、お祭りを一週間延期したという、笠置町へ行く。もうすぐ行われる町会議員選挙の準備のお手伝い。
木津川と山の合間に細長く広がるお宅へのニュース配布。
アップダウンの繰り返しと昨日とはうってかわった暑さは、夏太りした私にはちょうどいい減量作戦となった。
  森の中の新殿神社

自宅待機            2004年10月9日(土)

 早朝から、”運動会中止”の電話が2件。予定されていた”合併講演会の中止”の電話も入り、誰に言われたのでもないが本日は”自宅待機”と自分で決めて、朝からいつもよりやや入念に掃除をする。(実は、普段はほとんどしない掃除)
台風の気配は余りない。秋雨前線活発といった空模様だったが、三重、静岡、千葉など太平洋沿岸沿いでは被害も甚大な模様である。
 昼過ぎ、娘の夫と孫娘2人が来宅。ウサギ大好きっ子なので、ウサギと遊ぶのが目的。抱っこ、なぜなぜといつになくスキンシップをされたウサギたちも大喜び?
雨もやみ、グリーンベルトを散歩。いつもは、空っぽのいがぐりしか落ちていないのに、今日は”クリのみ”がころころ。
思いがけない秋の収穫。食べるには小さい柴栗だが喜んでおみやげに。
 明日は、あちこちのお宮さんで”秋祭り”が予定されているが、さてお天気は…。
 孫娘とウサギ

終日、広報委員会       2004年10月8日(金)

 9月議会の広報づくりの第一回編集委員会。編集委員は各会派の代表と副議長の6名。午後4時半にやっと業者に原稿を渡す。
 雨足はいよいよ強くなり、止みそうにない。帰り道ジャンボ中村に買い物にいく。駐車場はいっぱいで、視界も悪く、かなり危ない。雨のせいか、店先の歩道にまで乗り上げている車もある。小さな子ども連れの買い物客の多い店なので余計に危ない。
 明日は、近くの保育所や、孫の保育所の運動会が予定されているが、多分、きっぱりと中止になるのでは…と予想。


まじ!親子リズム会      2004年10月7日(木)

 議会会期中はなかなか日程が合わなくて、ご無沙汰の親子リズム会。久しぶりに落ち着いて"親子リズム"を楽しむ。参加の子どもたちもすっかり慣れて、いつもだとまず、おもちゃに気が行くのだが、今日は”まじめ”に…。やっぱり、続けることが大事。
 午後、お隣さんとしばし井戸端会議。ほとんどが花と庭木の話で、お隣の庭に芽をだしている花苗と”ももいろタンポポ”の苗の物々交換。ついでに、近くの隅切り地の花壇にも移植をする。
 夕方まで”せいか民報”の原稿整理のためパソコンの前に座り、夜は会議へ。
台風、またくるの?地震もあちこちで間断なく発生。やっぱり怒ってる?地球……。


めっきり涼しく…        2004年10月6日(水)

 秋雨の後、めっきり涼しくなった。そろそろ、衣替えの季節…と思ったのは私だけ。世間はすっかり衣替えで、町の職員さんも"夏のエコスタイル"からネクタイ姿に。
気の早い"桜"や"ハナミズキ"の葉は色づき始め、はらはらと舞い始めた。
 午前中は議員団の会議。食事の後、議長室で雑談。先輩議員から、"議員の心得"などご高説を受け帰宅。
憲法9条の会を精華町の西地域で立ち上げようと、呼びかけ人のお願いに歩く。
"憲法9条"を守るという、その一点で共感をしていただける方たちとご一緒に、大きな輪を広げていきたいと思っている。


小さな運動会          2004年10月5日(火)

 4丁目の子育てサロンで"小さな運動会”。かけっこ・大玉ころがし・玉いれと多彩に。でも、大玉独り占めっ子、玉いれのダンボールにすっぽり入る子など思い思いで、それが結構楽しくて、外遊びのできない雨の日に格好のあそびとなった。
 午後から京都第一法律事務所に予約をしていたので、子育てサロンを早退して、依頼者の方と京都に向かう。
 精華町でも社会福祉協議会などの主催で"無料法律相談"が行われているが、一週間前予約で、その当日に電話をしても既にいっぱいで、なかなか予約が取れないとのことである。それだけ事案が増えているということなのかもしれない。
 帰って、その足で"議会報告"のビラまきをして、夜は会議へ。
帰宅すると玄関先で"ウサギたち"がぴよんぴょん。どうやらゲージの閉め忘れ。あぶないあぶない…。


化ける写真           2004年10月4日(月)

 パソコンを買い換えてから、しばらくは"うまく"いっていたのだが9月の終わりごろから写真が化ける。
新しい写真を貼り付けてふっと気がつくと、ウサギもコスモスも運動会もみんな"小林家"の写真に化けている。
自分の能力ではいかんともしがたく、娘に"SOS"を出すが、それも十分理解ができなくて困っている。
 午後から機関の会議。夜も会議が入っていたので、その合間に、先日作った議会報告のビラ配りをする。

 過日、自治会を通じて"花の種"が配られた。種の種類の注文をとっていただいたので、今回は"ももいろタンポポ"の種をいただく。すぐに蒔いておいたので、既に本葉がでてきた。苗は小さいが植え替えをする。
ポットの花がいいという方もおられるが、私は種をいただくのが好きである。ダリア、百日草、カーネーションなど育てたが、どんな花が開くか、楽しみにしている期間も長いし、育てる楽しみも大きい。
ももいろタンポポもはじめて育てるので、今から春が楽しみである。


運動会好き           2004年10月3日(日)

 以前住んでいて、今は長男、次男夫婦(子ども3人)が住む城陽の富野校区の運動会。みんな運動会好きなので出番も多く、ここは一番子ども孝行をと、孫のお守りに出かける。
 3歳の孫は出番が一度もなく「オレも走りたいねん」と鉢巻を離さない。すべてが終わってから、トラックを「ヨーイ 、ドン」と走って納得。彼らもまた、運動会好き?か。
 久しぶりの方に"いっぱい"出会う。昔、運動会の花形だった人が、それぞれに"孫"の手を引いてお守り役に。
夜はそろって近くで外食。にぎやかいというか、大変というか、でも、みんな元気で楽しいひと時…でした。


山城国一揆入門        2004年10月2日(土)

地蔵石仏小林家
 
運動会日和!といいたいところだが、今にも降りだしそうな空。幼稚園や保育所の運動会の日。近くの幼稚園の運動会の参観に行く。9時からとの案内をいただいていたので定刻に会場に行くがどうもおかしい。受付で聞くとお天気の都合で始まりは10時からとのこと。う〜ん、何とか連絡ほしかった!保育所にも行きたかったのに!
 午後から、"山城国一揆"をたどる半日ツアーに参加。"山城国一揆"の作者、東さんから入門編の話を聞いた後、稲屋妻城址跡を見学。城があったわけではなく砦ではないかといわれているが、今も、地元の共同墓地となっているところに地蔵石仏と五輪塔が祀られている。
山城町に場所を移して、上狛環濠集落や"小林家""狛どんの井戸"などを案内してもらう。山城歴史ガイドの浅井さんたちにお世話になる。
 京都と奈良の真ん中にあり、奈良街道の要所として古い歴史を持つ山城町、山と田畑の広がる精華町、その間に木津川が流れている。応仁の乱の戦国の世の中で、武器を使わないで、農民や国人が8年間も自治国を築いていた歴史に、今、学ぶことは多い。
宇治から相楽へ続く山城の地の歴史は、都に挟まれた"知恵"の歴史かもしれない。

わらを…つかむ         2004年10月1日(金)


  今日したいことは、あれとこれと思い起こして、道順と時間の配分をする。出来たての柘榴・東畑線を走って山田川の貸し農園へ。
まだ余り知られていないのか走る車は少ない。歩道は広くゆったりとしているが、歩いている人はなし。
 畑に着くと遠足の小学生がイナゴ取りをしている。運動会を明日に控えた幼稚園の園庭からは、鼓笛の音がいつにも増してボリュームアップ。
簡単な畑仕事を終えて帰ろうとすると"わら、いるだけあげるで!"と上の田んぼからおじさんの声。
コンバインで収穫されるので、今時、わらは貴重品である。早速お邪魔して10束ほど束ねる。ここでも子どもの頃の経験が生かされ、難なく束ねて2.3日田んぼを借りて干すことにして、山田荘のお宅を一軒訪問。
 お昼は役場食堂で済ませ、議会事務局へ。議会広報の原稿締切日なので、原稿の出され具合と内容にざーと目を通して、京田辺に。印刷物を済ませて、精華台で用事を済ませ帰宅。ちょうど一周りした勘定で本日は終了。今日の収穫はわらを…つかんだことと、ウサギが喜んで食べたこと…くらい?