たんぽぽ通信
デイサービスセンター起工式    2004年8月26日(木)

 1週間ほど前から、パソコンが不調で、エラーの積み重ねで深刻な状態に陥り、ついに昨日は起動しなくなった。
ご近所の方で”堪能”なかたに無理をお願いして、見事復活した。素人同然のおばさんの操作に、混乱を起こしたパソコンこそ気の毒といえば気の毒。それ以上に気の毒なのは、夜遅くまでお付き合いくださった方。ありがとうございました。
 11時から、デイサービスセンター新築工事の起工式に出席する。かしのき苑の駐車場奥のテニスコート地に新しく建築されるもので、2階建て、延床面積412坪の建物。現在、かしのき苑で行われているデイサービスをより充実して実施するためのもので、このことによりかしのき苑は本来の地域福祉の拠点として、機能することになる。来年の3月31日が完成の予定である。
 午後から会議、夜も会議と会議づくめの一日だった。

 
部落開放・人権政策確立要求
   山城地区実行委員会総会  2004年8月24日(火)

 朝から、ご近所の新聞集金にまわり、社会福祉協議会を訪問する。届け物もあったが、子育てネットワークについて聞きたいこともあり、コーディネーターの方と懇談をする。
 午後から、部落開放・人権政策確立要求山城地区実行委員会総会に出席する。議会から2人出席との依頼で、常任委員会を代表しての参加である。順番ということで参加したが、参加者のほとんどは行政の職員さんであった。
 保育所時代に”同和保育”と長年かかわりもあったので、久しぶりに会う知った顔の人も結構いる。
”望ましい人権救済制度”と題して、記念講演があった。基調報告・役員選任・総会決議もあったが、会計報告はなかった。通常総会であれば、それもあっていいはずなのに…。と思ったがそのことを聞く場面もなかった。
他のところでされているのだろうかそれらの報告。


雷被害                 2004年8月23日(月)

 多分8日ごろだったと思う。娘と孫たちが泊まりにきていた日にすごい雷が鳴った。「これは近い!」と思ったが落雷の雰囲気はなかった。
4丁目にお住まいの方が「雷で、パソコンも電話もテレビも一度にやられた」「2日ほど電話が一本も入らないし、テレビも4日目ぐらいに映らなくなって、おかしいなと思っていたら、雷のせいだった。一時に思いがけない出費になって」と嘆いておられた。
防ぎようのない天災で、文句の言いようもない。ただただお気の毒というより他はないが、いつ自分の家に降りかかるかもしれない天災である。
 我が家のパソコンもこの4,5日”絶不調”。そのたびに、今のパソコンを設置してくれた次男に電話をしてひんしゅくをかっている。すべてが解ってやっているわけでもなく、一つトラブルと結構大変で、画面を変えるとこれまた説明は英語が並ぶ。
わかる単語もあるが、わからないのもあって、これまた大変で、日本で買って日本で使うパソコンになんで”英語なん!”と一人でブチブチと文句をいいながらやってる始末。
 お昼過ぎまで来客があり、午後から予定していた仕事は雨に出鼻をくじかれ断念し、在宅で文書などを整理する。
雨は夜になっても続く。

平和への願い            2004年8月22日(日)

 精華町は”非核宣言”をしている。毎年”平和祭典”が行われている。今日がその日。10時過ぎに見に行く。今年はパネル展示と映画の上映がされていた。湾岸戦争の写真がパネル展示されていたが、図書館の来館者は多かったが、パネルまで足を伸ばす人は少ない。もう少し、パンチのきいた取組みはできないものだろうか、と思う。
 一番暑い真昼時に畑に行って白菜の種まきをする。玉のような汗を流しながら自分でも”なんで、こんな暑いときに…」と思いながら蒔きおえる(といってもほんのわずかだが)。
 夕方から共産党後援会の方と夕食会をする。なんといっても圧巻は、96歳の女性の方。お話も、食事もしっかりとされ、足元も危なげなく、長生きするならこんな風にと、お手本にしたい方。
70代の方からは、機銃掃射の下を潜り抜けた話や、こども時代にいつも戦争があった生々しい体験談、オリンピックをテレビ観戦しながら、「平和でこそ…世界中の誰でも、どこでもこんな風であってほしい」と思っている、など平和への願いがこもごもに語られた。平和だから、こんなに和やかに、楽しいひと時がもてる…これは実感です。

夏まつり                2004年8月21日(土)

 午前中は”病院問題を考える会”のアンケート調査で、訪問活動をする。地域医療と自治体病院のあり方について”考える会”では多くの方のご意見やご要望をお聞きするための活動をしている。訪問先ではほとんどの方が快くアンケートに協力してくださり、いろんなご意見を寄せてくださる。
 夕方から、光台の”夏祭り”に参加する。フリーマーケットや福引、太鼓や幼稚園・保育所のこどもたちの歌、夜店(昼店?)も盛況で、盆踊りも年々参加者が多くなり、大変な賑わいである。
5丁の自治会が一つになってされるのもいろんな出会いがあって楽しい。
もともと、祭り好きな私は、今年も盆踊りに参加して楽しいひと時をすごした。来年こそは浴衣がけで…と毎年思うのだが、さて…。
  夏祭り風景


議会だよりのつくりかた       2004年8月20日(金)

 京都府下の町村議会の”議会だより”研修会に参加する。3年前に議員になって、すぐに”広報委員”になり、議員経験と広報委員の経験と同じ、というのが私の経歴。おまけに、今は”委員長”ということで、それなりに責任も重い。
毎年この時期に行われている研修会だが、今回の講師の方は、元議員で、長年議会広報をつくる続け、議員を辞めてからは”自治体広報研究所”を主宰し、おまけに生業は印刷屋さんという”広報職人”のような方。
精華町の議会広報誌もクリニックを受けたが、細かいところは置くとして、「内容、技術ともに優れた広報」という講評を得た。
100号を超えた広報誌はなく、精華町議会が早くから広報誌を手がけてこられたことは、他町が超えることのできない実績である。
あと少しの工夫で”最優秀”の仲間入りができそうである。

   朝夕少しは涼しくなって、朝顔、芙蓉ときれいに咲き始めました。

固定資産税9割助成?       2004年8月19日(木)

 8月14日付け京都新聞報道によれば「精華町は町内への企業誘致を図るために進出企業やベンチャー企業の助成制度を創設」「上限3千万円の助成、地元雇用者一人当たり30万円助成を3年間、固定資産税の9割を助成」「2002年4月にさかのぼっても特例で対象」とある。
 9月議会で条例案を提案とあるが、こんな話のかけらも聞いてはいない。
優良企業を誘致して、経済基盤を強固にすることはもちろん大事なことだし、将来を見通せば必要なことだと思う。しかし、毎日生活している人が何とかしてほしいと願っていること、例えば、狛田駅前整備には、補正で積み上げても5千500万円。コミュニティバスの運行はお金がないからといって先送り。なのに、1企業に3千万円助成、固定資産税もまけてあげる。何かしら、つじつまが合わない。
 しかも、議会に知らされない前の新聞発表。9月10日開会(予定)の定例会でその辺はきっちりと確認したいものである。
今日は、3つの会議に出たが、国民健康保険料や介護保険料の負担のことが問題になった。もし、お金があるのなら、住民負担の軽減のために使ってほしい。そのほうが「定着人口」につながるのではないかと思うのは、私だけだろうか。

犬と交番               2004年8月18日(水)

 昨夜の雷雨はすごかった。今朝になって聞いた話だが…。
お隣にとても賢い2匹の犬がいる。たぶんテリア系だと思うのだが、何回聞いてもその種類が覚えられない、珍しい種類の犬である。
昨夜、いつもよりよくないているのは知っていたが、気にとめないでいた。ところが、雷に驚いて家から脱走。探し回ったが見つからず、思い余って交番に行ったところ、そこで保護されていたとの事。ATR西側の車道で発見された方が、車を止めて保護し、交番に届けられたとのこと。
遺失物扱い?されたかどうかは知らないが「本当に親切な方がいて助けられた」と、喜んでおられた。暑い夜の心温まるちょっといい…はなしなのでご紹介まで。
 午前中は、参議院選挙で支持していただいた方を訪問して、お話やら要望などを聞かせていただく。
「こどもは減るわ、年金は減るわ、歳をとってもいいことはあんまりない」「憲法9条はやっぱり守って行かんとあかん!」「住んで10年になるけど、近くにお店もなくなるし不便さは変わらない!」などいろんな声が聞かれた。
 夕方、議会事務局に出向き、研修報告を提出する。

柘榴東畑線と大型車        2004年8月17日(火)

 工期が大幅にずれ込んでいた、柘榴東畑線の開通が近づいてきた。便利になる反面、交通量が増え、光台を通過する車が増えることは必至。
以前から、自治会の方たちも署名運動をし、事あるごとに大型車の通行規制の要望をしてきたが、今日、町の担当課から電話が入った。「自治会とともに、交通規制について要望を行います」と。
木津警察署の言い分は、地元からの要望があっても、町からは何にも言ってこない、ということだったので、これで言い訳も通用しなくなるはずである。
 議会事務局から、9月議会の一般質問の通告書が届き、いよいよ議会準備もおこたりなく進めなければ…。
資料を集めたり、関係の書類を読んだり、終日”お宅”で過ごす。時々、ウサギのあかちゃんに癒されながら…。

無念の送り火            2004年8月16日(月)

 10年前の今日、京都の大学病院の6階の集中治療室の窓から、5山の送り火を見た。その場所は、送り火を見るのには絶好の場所でそこにいるだけで、すべての送り火を見ることができた。ベットで動けなくなった夫にたぶん最後になるだろう送り火を見せようと手鏡を用意して、送り火を映した。「もう見たくない」と夫は言った。その月の終わりに帰らぬ人となった。
病室から見た送り火は、今も私の目に焼きついて、その情景も忘れることができない。送り火の中に”無念さ”を封じ込めてしまった私は、その時から「2度と送り火は見ない」と心に決めている。
お盆も終わり、いよいよ”秋発進”。夕方、畑に行く。不調だった夏野菜のリベンジをかけて、お盆前に手入れをしておいたナスやトウガラシ、オクラなどが期待にこたえて復調。秋本番までがんばってもらわないと…。

 
誕生して一週間。うさぎらしくなりました。白いほうはギォ〜ギォ〜と怒っています。

愛ちゃんのおかげ         2004年8月15日(日)

 高校野球、オリンピック、プロ野球も目が離せない。スポーツ観戦に忙しい夏である。こどもの頃から”ソフトボール””卓球”をしてきた私にとって、この2種目は特に興味がある。
「スポーツは何をしてはるの?」と聞かれて「卓球」というと「ああ、ピンポン」といわれることが多かった。テレビ放映も先ずされなかった(ソフトボールも)。しかし、今度のオリンピックは違う。
15歳の少女”愛ちゃん”のおかげで、全試合が放映されているし、ソフトボールも期待の種目となっている。
 卓球は50歳過ぎ、ソフトボールは60歳前までクラブに入ってズーとやっていた。”愛ちゃん効果”にあやかって、もう一度ラケットを握ってみたい衝動に駆られるが、目と足がついていくか…が不安である。年齢に見合ったやり方でやればいいのだが…。
それもまた、心配で…ぐずぐずと踏み切れないでいる。

ひまわり園             2004年8月14日(土)

 実家のある京丹後市の網野町に向かう。夕日が浦海水浴場も近いので、海は初体験の孫3人と、その両親、息子に娘と総勢8人の大移動である。途中で野田川町のひまわり園に足を伸ばす。1万5千本のひまわりの中を歩きたいと思っていたのだが、そのほとんどはずっしりとした実をつけて花の時期は終わっていた。例年になく花の季節が早かったとのことで、イメージと大きく違い、残念だったが、遅咲きのコーナーがあって、そこで”ひまわり撮影”をすることができた。
普段は兄が介護をしている94歳になる母は、お盆の間は”ショートステイ”で近くの特養にお世話になっている。久しぶりに訪ねる。どちらかというといつも静かな母だが「長いこと見なかったなー」と急に饒舌になり、何度もデイサービスでしている”手踊り”をして、とても楽しそうに声を立てて笑っている。「もう帰るわ」というのがなかなか切り出せなく、後ろ髪を引かれながら海辺に出る。
 ホテル並みの民宿が立ち並び、ちりめん織りの機音は鳴りを潜めた。大勢の海水浴客で賑わっているが、昔の透き通るような海と、こども心にあんなに広かった砂浜は、今はもうない。

 
ひまわり園で。この夏、太めになった私。

丹後寿司              2004年8月13日(金)

 今日からお盆。いろいろあるけどしばし休止して本日は家族サービス、というよりはサービスされ日。
以前から、久しぶりに作ろうと思っていたふるさと”丹後”のお寿司をつくる。田舎に行くといつも母が作ってくれて、我が家の子どもたちも好物の”おすし”で、缶詰のさばを甘みもを強くして、そぼろ状にして、それを、箱寿司のように仕上げるおすしである。干ししいたけや錦糸玉子も一緒に押してしまう独特の丹後の味である。海に近く、鮮魚も手に入りやすい場所にありながら、なぜ、”缶詰”を使うのかはよくわからないが、お祭りや、お祝い事には欠かせない一品なので、いつでも手にはいる”缶詰”が重宝されたのかもしれない。さっぱり風味の京風ちらし寿司とはまた違う、ややジューシーなおすしである。
できばえはまずまずといったところ。田舎で過ごす”母”のことなどもちょっぴり思い浮かべながら…台所仕事に精を出した一日でした。


お盆準備              2004年8月12日(木)

涼しい間にと思い、早朝からお墓参りに行く。この一年で、新しいお墓がずいぶん増えた。久しぶりにこられた方が迷子になっておられた。
お仏壇の掃除を済ませて、お供えをしたのは夕方。これでやっと、先に旅立った、夫の両親や、夫も懐かしい(?)我が家へ帰って来れるはずと安堵する。
夕方、祝園駅に娘を迎えに行く。お盆とあってかロータリーはお迎えの車が多い。久しぶりにお盆は家族水入らず…という方も多いのではないでしょうか。

2尺の物差し            2004年8月11日(水)

 寸や尺が物の長さを計る単位だと知っているだけで、年がわかるかもしれない。今はすっかりメートル法に統一されて”死語”になっているが、今日”2尺”の物差しを買った。もちろん竹製である。
朝から、お盆のお花やお供え物を準備しながら、その道々で訪問をする。午後は会議が一件。その後、美容院に行く。
子どもさんが精華台小学校の4年生で、今、3クラスでみんな40人学級。夏休みに一人転入生があれば、秋にはクラスが増えて、クラス替えがある。クラスや友達や先生にもなれているのに困ったことだ、という話を聞く。
4月のクラス編成で、40人か、40人に近いクラスは弾力的にクラス編成はできないものか、と以前にも議会で求めたが、年度途中でのクラス再編はやはり、デメリットが多い。養護施設も開所されるし、新しいお家も建っているし、転入生のある見込みのほうが大きい。”弾力的クラス編成”何とかならないものだろうか。
 話はそれたが、夕方になって妙に”サンパル精華”閉店のことが気にかかり出かける。ほとんど閉店準備が進んでいる。
そこで見つけたのが2尺の物差し。糸やボタンなどが安く売られている。
「この後、どうされるのですか」と、むごい質問。「まだ決めていない…」とのこと。ほうその保育所に勤務していた頃、この市場の方たちの多くの方が子育て真っ最中で、子どもさんを保育所に預けにきておられた。活気にあふれたお店だった。深い事情はわからないが、「閉店」の道しかなかったのだろうか。地元業者育成というのは、「看板」だけなのか…など、2尺の物差しを手に”計り知れない”思いが錯綜した。

 
生後3日目のウサギの赤ちゃんです。

相楽議員研修会
 
「相楽郡における今後の町村のあり方について」
 〜市町村行政改革支援委員会の提言を踏まえて〜

                    2004年8月10日(火)

 町村合併について、知事に勧告権など大幅な権限が委譲され、それを受けて作られたのが「市町村行政支援委員会」なのだが、東部3町から出された要請に応じて、助言・提言をした、その委員会の委員長の真山達志さんの講演を聞く。
聞きっぱなしにならないように、あらかじめ議長会会長にお願いしていた、質疑の時間もあった。
講演と質疑の中で明らかになったことの一つは、「木津町を中心とした合併は、期待と夢で、交通の要所であることや、国、府の機関が集中していることなどで、さほど検証されたものではない」ということ。
受け止める側と、発信する側の”重み”がずいぶん違うと実感した。
冒頭の挨拶の中で、相楽町村会会長(山城町長)が「合併の主人公は議会であり議員」といわれたのには驚いた。確かに住民の代表は議員であるが、自分たちの町や村の行く末を決める時に、「議員が主人公」では、住民自治が泣くのではないか。それとも、相楽の議員さんは、選挙公約で合併の是非を明白にして、その信託を受けて議員になったのだろうか。
「主人公は、そこに住む人たち」、町長でも、議会でも、議員でもないはず…である。許されるなら、私はそのことについて質疑をしたかったのだが…。


あふれるペットボトル       2004年8月9日(月)

 自分ではあまり買わないが、子どもや孫たちがくると急に増えるものに、ペットボトルの空き容器がある。一度にするのは大変なので、空っぽになったらすぐにラベルをはずして洗っておく。
少したまったので、コミュニティホール前まで放りに行く。以前行ったときもそうだったが、山のように積まれ、それでも入りきらなくて四方に置かれている。中には、ラベル付、蓋付の物も結構ある。以前、自治会の役員さんで掃除の担当になっておられる方が、マナーの悪さを嘆いておられたが、まさにその通りである。
「回収の回数を増やしたら」とか「回収場所を増やしてほしい」などの声も上がっているが、消費しない努力と、作らない努力もこれからは求められるのではないか、と思っている。
 お昼ごろから、議会事務局に行く。居合わせた総務部長と庁舎内の分煙や環境の認証問題などについて話をする。
秋ごろから具体的な提案や実行があるらしい。

"山羊”の行く末          2004年8月8日(日)

 昨夜お泊りをした孫娘たちもご機嫌よくお目覚め。きっちりと朝食をとった後、姉は、少しお勉強、妹は昨日から虫かごに入っている”カマキリ”をかごから出してお絵かき。
カマキリは、作り物のように動かなくて”モデル”には最適。しかし踊りだすと、その動きは”絶妙”である。カマキリの真意はわからないが、”カマキリ踊り”を見たのは私も始めてである。
 昨日から”巣作り”をはじめたウサギ達にも目が離せない彼女たちは、出たり入ったり大忙しである。
 コーナンの動物たちに会いに行く。子犬がほしい彼女たちだが両親の”OK”が出ないので、ホームセンターの動物たちは、彼女たちにとってはお友達。ペットブームで、子犬たちの入れ替えは頻繁だが、猫、ウサギたちは馴染み顔が多い。
気になるのは”やぎ”。ゲージには上の柵もつけられていよいよ窮屈そうで、体を小さくして入っている。
子どもの頃、土手などで放し飼いになって”3匹やぎのがらがらどん”のようにたくましい山羊を見ている私は、この山羊のことがどうしても気になって仕方がない。かといって、買い取ることもできず…いつも、この山羊の行く末のことを心配している。
 金魚すくいの金魚は、我が家の水槽で元気に泳いでいる。
動物好きは、確かに孫たちにもしっかり受け継がれている。

4/6 孫と             2004年8月7日(土)

 8,5,4,3歳の孫4人と夏休みをする。城陽の久津川と富野荘に迎えに行く。2日ほど前には膨れるほど水のあった木津川の水も川原を見せはじめ、魚つりの方が三々五々に釣り竿を伸ばしている。そういえば、若い女性の知り合いの方も、木津川の入漁権を買って、釣りに夢中になっていたけど、今はどないしてるんやろ、などと思いをめぐらしながら車を走らせる。
 城陽は、今、はすの花とイチジクが旬。はすの花は12日までが勝負。
 4人の孫を連れて、食事をする。驚くほど行儀もよくて、その後夕食の買い物。子育ての頃、4人の子どもを連れ歩いていたのを思い出し、「ああ、いつもこんなんだった」と、ついつい感慨にふける。
夕食は孫の両親たちも集まってにぎやかに食事。二人の孫娘と、娘は久しぶりのお泊りです。


Peace 9            2004年8月6日(金)

 広島が被爆して59年目の夏。憲法9条をないがしろにしょうとする動きが活発である。広島の秋葉市長の平和を求める言葉の重みに引き換え、小泉首相のあの通り一遍の挨拶は、なんだ?と毎年思う。
 早朝の祝園駅宣伝をする。「憲法9条を守りましょう」と声をかけながらのビラ配り。意外と多くの方がビラを受け取ってくださる。午後、京田辺の市会議員に会う。「Peace 9」と書き込まれたティシャツを着て、「今日は一日、平和宣伝をした」とのこと。加茂町では、6つのお寺で一斉に梵鐘をならす取組みがされた。
精華町でも、一工夫をして平和への訴えを大きくしていかねば…。

 
トンボつり           2004年8月5日(木)

 年の頃は5,6歳の男の子。近くの電柱で「誰か着て〜」と大声で人を呼んでいる。
通りがかりの子犬を連れたおじさんが「どないしたんや?」「あんな、せみ捕まえたけど、手でようつかまんねん」と男の子。「どこ持ったかてかまれへんわ」とすたすたと遠ざかる。
尚も「だれかきて〜」と男の子。ついに松田おばさん登場。「あんな、あぶらぜみ捕まえてんけど、網からようださんねん」網からそーと出して「ここをもちや」と手を添えて持たせる。「せみは長生きできないし逃がしてやったらどうや」というとそのまま手を離して逃がす。
「今度、ひよこ捕まえるわ」男の子の目線に入ったのはすずめ。
その後、トンボ採りにしばらく付き合う。「塩からとんぼか、おにやんまを採りたい」と男の子。あぶらぜみや、おにやんまを知っているのになんで、すずめがひよこなん?
カマキリも怖いし、結局手のひらに乗せたのは団子虫だけだったけど、見ず知らずのおばちゃんとよ〜く遊んだね、ボク。
いや、遊んでもらったのはおばちゃんかも知れない。
 

クーラーなし          2004年8月4日(水)

 終日、クーラーを作動しなくて済むほど涼しい一日だった。急に涼しくなったせいか、それとも、夏の疲れが(今も夏だが)出てきたのか、ぼんやりとした一日だった。収穫してたまっていた夏野菜をそれぞれに調理したり、漬物にしたり、食べたりした。
水不足の中で、それでも水気を蓄えて大きくなった野菜たちはそれだけで、とてもけなげである。
夕方から、”せいか民報”の配布に出かける。もっと早くと思っていたが、”蜂事件”もあり遅くなってしまった。腫れていた手も、依然と同じようにしわとしみが順調に浮かび上がり、ほとんど元通りになった。やっぱり、これが”私の手”。
 夜になって、昨日近所で交通事故に遭遇された方が、報告にこられる。自転車の子どもたちも大過もない様子で本当によかった。「もう、車に乗りたくないけど、ここでは、車がないと生活できないし…」。雨の中を歩いて帰られた。


自転車とこども        2004年8月3日(火)

 来客を送り出した夕方近く、近くで救急車のサイレンが止まる。外に出てみると、すぐ近くの四つ角で事故があったらしい。
自転車にのった4人の男の子が大きく左折をして、徐行をしていた車にぶつかった。自転車も車も損傷はなく、子どもたちはいたって元気で外傷もなかったが、念のために病院に運ばれた。車が停止に近い徐行をしていたので、大事にはならなかったが、時々”アレッ”と思うほどのスピードで駆け抜ける車もいる。
頃のいい坂道で、自転車のスピードも結構出る。そして、今は夏休み。自転車遊びの子どもたちも多い。
 我が家の子どもたちもちょうど小学校の低学年で、自転車遊びが面白くなりだした頃、ご近所の方から「お宅の子どもさん、本当に危ない!今日も車に当たりそうになっていた。お母さん、しっかりと教育してください!」とお叱りを受けたことがある。
その通りなので、子どもたちに厳しく言い聞かせた記憶がある。
お互い気をつけなければ…と思う。


4億4千万円         2004年8月2日(月)

 書きそびれていたが、7月27日付で町長から文書が届いた。内容は、”平成16年度地方交付税(普通交付税)の決定について”というもので、当初予算で8億円見込んでいた交付額が約4億4千万円の増額になったというもの。取り崩した財政調整基金の戻しや赤字法人の税の還付にあてる予定、とある。
文書の性格は”報告”なのか”お知らせ”なのかわからないが、使い道についてまで予告がされている。丁寧といえばそれまでだが、使い道については、議会でも審議がされるはず。ちょっと早計…過ぎないかと素直な疑問をもつ。
 木津町長が辞任。「国とのパイプを持ちたかった」というのが彼の弁明だが、パイプがなければ地方政治ができないということこそ、政治のゆがみ。9月早々には町長選挙が予定されるが、先日書いたように、”合併の是非論”が一つの争点になるのは必至。隣町の選挙では済まされないことも必至。どなたが名乗りをあげるのかも興味深いところである。
 一難去って…というか、選挙去ってまた選挙…です。

泣きたい気分        2004年8月1日(日)


 他にも用事があったので、息子の家に行ってついでに遣り残しの植木の切り込みをする。切り終わって片づけを始めたところへ”ぶ〜ん”と音を立てて蜂が…。振り払ったその手を”グサリ!”(チクリというものではなかった)。近くに巣があるわけでもないのに、それは勇気のある蜂で、一匹だけでかかってきたわけで、見事にやられた。
ハチ月早々のハチ騒動で、その痛さも半端ではなかったが、なぜか、バッグの中に”虫さされの薬も入っていたのですぐに、薬は塗ったがそれでも”痛い”。本当に”泣きたい気分”で片づけを終えた。
 夜は光台5丁目集会所で、柘榴新配水池の工事説明会に出席する。新しい進入路を作ることで、地元の了解を得て終わったが、元はといえば、公団の説明不足から発生した問題である。誠意があるのなら、この説明会に同席するぐらいのことはあってもいいのではないか。道を作るためのお金を出すというだけでは…スッキリしない。
子どもずれの若いご夫婦の参加が多く、総勢で30名を超える参加者であった。