たんぽぽ通信
"いい雨”           2004年5月31日(月)
 
一時きつかったけど、いい雨だった。畑の野菜も庭の花も、これで一息。東畑あたりの田植えは終わり、役場周辺は準備万端。やがて精華町の田んぼ全てに水がはられ、田植えが終わり、田園風景が一変する。
私の田舎の田んぼは山間の”棚田”が多く、"じゅる田"と呼ばれる湿田で、機械の入る余地のない田んぼ。今はほとんど"山”になっている。"ヒル"や"たがめ”がくっいたり、刺したりして、子どもごごろに"恐怖"と背中合わせの田植えだったことを思い出す。
 昼過ぎから、役場で用足しをして、夕方から"女性"ばかりの会議。
いよいよ、6月議会の準備をしなければ、と気持ちは少々あせるものの、まだ、その気になれなくてもたもたとしている。
議案書は本日届けられた。15年度の減額補正と16年度の補正予算が主な内容。10日から開会である。


"にゃんにゃん”のおばあちゃん
                 2004年5月30日(日)
 
長女は2世帯の同居家族。こどもが生まれた時に同居のおばあちゃんと区別をするために、当時猫を飼っていた私は”にゃんにゃん”のおばあちゃんと命名され、以後ずーとその呼び名は変わらない。
 夕方少しの時間を見つけて、次男のこども達にあいに行く。5歳の孫に「おばあちゃんは、”にゃんにゃんたかえ”というおなまえか」と聞かれる。
私の憧れのおばあちゃんは、さとうわきこさんの絵本に登場する”ばばばあちゃん”。
少しとぼけてるけど磊落でふところ広い”ばばばあちゃん”。
同居人はどうやら”犬”と”猫”。
今度、呼び方を変えてもらおうかな。猫がいないのでさしづめ”ぴょんぴょんのばばばあちゃん”とでも。
でも長すぎるので、”にゃんにゃんたかえ”でもいいか!


暮らしの中の政治      2004年5月29日(土)
 
 
西山とき子参議院議員がかけつけ、国会報告。大企業いいなり、アメリカいいなりの政治ときっぱりと対決する宣言。
厳しい労働条件の中で、懸命に仕事。過労で入院したら点滴だけで9万円の治療費。自分もかえて、政治もかえて(38歳男性)
憲法の中で、自公民が変えたいのは9条。今は日帰りで”爆撃”ができる時代。国民保護法案は”国民”を守るものではない(政治学者)
市田さんとは竜大の職員組合の同僚、包容力のある、曲がったことを許さない人(竜大名誉教授)など、精華町在住の方から発言があった。
 松田は時計とにらみっこをしながら、司会進行をつとめた。

”山幹”サーキット      2004年5月28日(金)
 
早朝の駅宣伝の後、役場前で宣伝。山手幹線は通勤時でひっきりなしに車が走る。時々2車線を競争して、猛スピードで追いつ追われつ競争して走る車がいる。
制限速度は50K、100Kは出ている。こんな時こそ、スピード違反取り締まってほしいもの。
昼過ぎには、のんびり渡っている”亀”も発見。まだまだ、亀やへびも渡る道だからゆっくりと走ってほしい。
議員団の朝のミーティングの後、訪問者。以前、2階ロビーでお会いした81歳の男性。わざわざ、6階まで上がってこられた。中国語、英語に精通。英語辞典と精華町の英語広報誌”いちご”をかばんから出して、その上、”万葉仮名”と”山城国一揆”の話など、切れ目なく続く。長い人生の中で、話したいことがいっぱい溢れている…といった感じ。
 午後は宣伝カーで走る。
明日は役場の交流ホールで、午後7時30分から、西山とき子参議院議員が国会報告をします。今、参院で審議中の国民年金法案についても、生生しい報告が聞けるのではないかと期待をしています。ぜひお越し下さい。

初夏の若鮎         2004年5月27日(木)
 
もう夜の10時。いま、鮎の甘露煮をしている。夕方ほんの一瞬帰宅した折に、ご近所から天然物の若鮎を頂いた。その後すぐに会議があったので、お預けにして外出。塩焼きの予定だったが気分が変わって、暗闇の裏庭で”山椒”の芽を摘んで甘露煮に。以前”梅干”を入れたことを思い出して、これは自家製の塩分過多の梅干も入れてみる。
 出来上がりは上々で、これは後の楽しみにしてまづ”通信”の書き込み。
午前中は親子会。午後、少し町内をまわる。ここでも「近くにお店がほしい」と切実な訴え。「仏さんのお花も買えない」「手押し車で買い物に行っていたおばあちゃんは、今、どこにかいものにいってはるんやろ」など。
 美容院で「散髪」、その後一時帰宅して”鮎”の話に戻るわけで、今日も結構な「忙しさ」の一日でした。

あの世で”年金”       2004年5月26日(水)
 
またまた、リアルな夢。明け方近くに見る。あの世の夫と”年金”の話をする。あの世の夫は、あの世で”年金”を受給していた。現世でも、自分の給与をひた隠しにしていた”夫”は、やっぱり、”年金”もひた隠しにしていた。
ここのところ、年金問題ばっかり話題にしているので、ついに、夢にまで年金問題が…。重症である。
 夫は、40年近く”厚生年金”をかけていたが、亡くなった2ヶ月前に制度が変わり”遺族年金”は支払われなかった。
いわば、かけ損。あの世で、払ってもらっても所詮”あとの祭り”
 真面目なサラリーマンが払い続けた”厚生年金”一円も受け取らずに、一体どこに行ってしまったの?
 朝から議会事務局へ。午後は畑で”玉葱”の収穫。葉が短く、玉は硬くて大きさもころあいで、今年の出来は”まずまず”
夏野菜も順調で、ぼちぼち収穫も。
 夕方近くから、町内を歩いて用足しに。日が長くなり、気がつけば7時を回って、それでも何となく夕方と夜の狭間がハッキリしない…。いい季節です。


ついに…           2004年5月25日(火)
 
近くのコンビニについに”生鮮食料品”が並ぶ。野菜やお肉などが置かれている。”近商ストア”閉店の余波。
 過日、跡地利用について役場に問い合わせをしていたが、再度聞きにいく。地元業者や進出予定の大型店などに打診をしているが、まだ返事がないとのこと。閉店の予告があったのも、3月に入ってからとのことであった。
 土地や家を買う時に、近くにお店のあるなしは結構重要なポイントになるし、固定資産評価にも影響があるはず。私がいまの土地を買った時、「近商ストアは期限付きです」という説明はなかった。車に乗れなくなっても、何とか生活できるというのが一つの判断であった。なのに…である。これって考えようによっては”詐欺”のようなもの。
 ご近所からの空き地の雑草対策について、衛生課に実情を話しに行く。ついでに光台地内で気になる空き地についても話しておく。
 午前中は議員団会議。夕方から宣伝カーで、5月29日の役場交流ホールでに西山とき子国会報告会の案内をして町内を回る。


”へしこ”味わう        2004年5月24日(月)
 
おしゃべりしながら昼食をどうぞ、とお誘いを頂く。つくってくださるのは、75歳の女性。本来なら私がご招待をすべきところだが…。一つ一つの食材を本当に丁寧に調理される。その中に一つ、小さな”へしこ”があしらわれていた。丹後生まれの私には懐かしい一品。いわし、さばなどが一度に沢山水揚げされた時に糠漬けにする保存食で、子どもの頃のお弁当によく入っていた。塩分がきつく辛いので少しあればご飯は進む。同席した若い方は少し食べずらそうだったが、私は懐かしくおいしく頂いた。いまは買えばそこそこ値段のはる、いかの塩辛も自家製の保存食でいつも食卓にあった。冷蔵庫のなかった頃の”生活の知恵”である。
 2,3日続いた雨と、陽気で空き地の草がみるみる成長。3人の方から空き地の雑草について”苦情”をお聞きする。アレルギーで悩んでいる方もいて、早い時期の除草をお願いしたいものである。


夢                2004年5月23日(日)
 
他人の”夢”の話はあまり興味がないかもしれないけど…。
奇妙な夢を見た。行こうと思いながらなかなか訪問できないお家があり気になっていたら、ついに夢に出てきた。
ところが、迷い込んだところは、赤い鳥居がいっぱい並んだ神社。まさにカラー写真のようにカラフルな夢。行くほどに道がわからなくなり、おまけに車のブレーキは怪しくなり「きっとこれは狐にだまされてるんや」と気づいたところで目が覚める。夢とわかって”夢”を見るときってありませんか?
 朝から”5月29日、西山とき子と暮らしの中の政治を考えるつどい”の案内ビラを配布したり、集金でお邪魔したりして、いろんな方といろんな話をする。
庭先のバラやサフィニアなどの季節の花が美しい。


ふれあいまつり        2004年5月22日(土)
 
”乙女浄瑠璃・津軽三味線・バンジョウ”と多彩な出し物でかしのき苑は超満員。当初は、町内の保育所の子どもたちの歌やおどりの発表で、きわめて質素だったが、年々出し物は立派になる。
お昼前に文化フェスティバルを見にいく。いけばな、絵画、書道、写真などが展示されている。文化協会に参加のクラブ発表会。ふところ広く、クラブに入っていない方からの作品も募集されて展示されるともっと幅が広がるのでは…と思った。


新車、1000K点検      2004年5月21日(金)
 
早朝の駅頭宣伝は定例どおり。雨もやんで通勤通学の方も”ホッ”とされた表情が伺える。それにしても、駅通路の雨漏りはだんだんひどくなる。特に東側のエレベーター前はひどい。ウッカリしていると滑るかも知れない。早く修繕をしてほしいものである。
 お昼前から、児童育成課、教育委員会、農林商工課などを訪ね、懇談をする。遅い昼食を済ませ、車の点検に。1000Kはとうに超えていたので気になっていた。今、お騒がせの”欠陥隠し”も気になるところである。
 新車を買って、そのまま走り出したところ、ガソリンが底をついていたことを思い出し、そのことを話すと、「時々新車でガス欠になった話は聞く」と業者さんの話。買った時ぐらい、せめてガソリン半分ぐらいは入れておいてよ、というのが私の意見。
 夕方からチラシやニュースの印刷。お手伝いの方もお願いして、夜遅くまで作業をして、本日終了。
明日は、ふれあい祭り、文化祭などにも行く予定、忙しい土曜日になりそうである。


三角関係のもつれ?    2004年5月20日(木)
 
といっても”ウサギ”の話。昨日から狭いゲージを暴れまわる。声を上げて鳴く(ウサギが…)メスが2羽、オスが1羽の雑居なので、もつれることが多いが、こんなに暴れるのははじめてである。やむなく、オスのみ隔離。「借りてきた猫(?)状態」に静かになる。ゲージを増やすか、イチゴ園に養子に出すか思案のしどころである。
午前中は「親子リズム会」雨降りが続くので今日はどうして過ごそうかと思案をしていた、とおかあさん。
午後、「西山とき子号」で町内を街宣。夕方祝園駅で働く仲間のみなさんと、「年金法案白紙撤回、廃案を」のビラを配布。お隣で「車の税金は5月31日までに」と府の職員さんがバンドエイドを配って啓発活動。内心「この費用もきっと馬鹿にならないだろうな」と思う。
とどめは、夜の定例機関会議に出て本日の予定終了。

"たべチャお”        2004年5月19日(水)
 
日付は20日、でも通信は19日分です。午前、午後と会議があり、残りご飯で”焼き飯”を作り食べ終わった頃に電話。
「”良い文化”の会議をしています。」すっかり記憶から飛んでいたので慌てて出向く。お互いにやりたいことをいっぱい出し合って話はなかなかまとまらないが、楽しい会議。
仲間の1人が”たべチャお”を持参。南山城村の童仙房産でできたての食べるお茶。細かい粉末になっていて、そのままふりかけにして良し、料理に使って良し、お茶にして良しという、健康食品の優れもの。早速、そのままお湯に溶かしてお茶にしていただく。TV取材もあったとかで問い合わせも殺到したとか。ヒット商品間違いなしの地場産商品である。
 さて、精華町の”万願寺とうがらしじゃむ”売れ筋はどうなんだろう?
地元のみなさんはご存知ですか、この地場産”じゃむ”。


鳴く”ぽっと”         2004年5月18日(火)
 
二日ほど前から、給湯をするたびに”ギューギュー”とぽっとが鳴く。原因がわからない。寿命というにはまだ早いのだが…。
 午前中は”子育てサロン”に行く。10時過ぎてから続々と集まってこられる。何人かの民生委員さんも見学に。
お昼過ぎ、近くのコンビニへ買い物に行く。光台唯一のお買い物どころの近商ストアが閉店をしてからやたら忙しくなって、商品の種類もいろいろ要望があって”うれしいけど大変”と、こぼしておられた。
高齢者の方や、車にのらない方、保育所のお迎えのお母さん達が利用していた近商ストアが無くなったのは痛手。近々、南都銀行のキャッシュコーナーもなくなるとか。
ますます生活不便地域に…。道が出来、バスは走っても安心して老後が過ごせない街に…。近商跡地利用の情報、どなたか教えてくださいませんか。


なんじゃ?!         2004年5月17日(月)
 
年金問題の未納、未加入問題はまだまだ続く。小泉総理、そして、小沢さん。身の引き方の一つ一つに政略的ねらいがぷんぷんと臭う。公開するなら1,2の3で一斉に出せないのか。CMではないが”なんじゃこれ”である。
 雨上がりの畑をのぞく。昨年植えていたピーナッツがあちこちから芽吹いていた。近くの畑のおじさんが、なすびは藁敷きをしたほうがええでといって、藁を運んでくださる。
コンバインが幅を利かせる今の農作業ではなかなか藁が手に入らないので大助かり。
 午後から夜まで4つの会議が立て続き、頭は”パンパン”になり、思考停止状態。
明日は、4丁目集会所で”子育てサロン”があります。松田も参加して簡単な手遊びやリズム遊びを予定しています。

雨でお流れ          2004年5月16日(日)
 
予定している用事が山ほどあったが、雨でお流れ。というより、やる気が失せたというほうが当たっている。忙しかった昨日の疲れもかなり尾を引いて、雨とのダブルパンチ。
悪いことは重なるもので、ドアに指を挟んで人差し指を怪我。
「自分で決めたことせんとあかんで!」という声と「たまにはこんな日もあってええのんと違う?」という声が自分の中でぶつかり合う。今日は後者の声の勝ち、というわけで、昼過ぎに少し外出した以外は、”お宅”で好きなことをする。
 夜も久しぶりに時間があったので”女子バレー”を見るが残念ながら今日は完敗。
 さて、小泉さんは急に訪朝を決意。手土産には一体何を?そして、持ち帰るお土産は何?

こども・平和・いのち     2004年5月15日(土)
 
午前中は相楽の年金者組合の総会。年金生活者になっても、民主的な活動を続けていこうという方が集まって組織されている全国的な組織で、「これからは年金生活者が社会のリーダー」などの話も出て、みなさん意気軒昂である。
午後から京都へ。”こども・平和・いのち”子どもたちの今を考えるシンポジュームに参加する。基調報告は田中昌人京大名誉教授。パネリストに「不登校自殺」の著者木下秀美さん、かみの診療所の尾崎昇小児科医、NPO法人「ほっとスペースゆう」の工藤充子理事。最後に西山とき子参議院議員の国会レポートがあった。工藤さんは、私が保育所長だった頃、京都府の児童課長、その後宇治児童相談所長を経て、退職後ボランテァで、子育てにかかわっておられる。西山さんは、大学卒業後セラピストなど経験されて参議院議員に。国会でも児童虐待や、乳幼児医療費の無料化に力を尽くしてこられた。
「こども達を守る一点で人類は一つになれる」田中さんの言葉が重く心にひびいた。党派も国境も越えて”子ども”を真ん中においたとき、気持ちは一つになれるし、平和もまた、守っていける。
夜、お参りに行く約束があり、お供えのお花を買いに馴染みの花屋さんへ。「カサブランカは、一本千円」といいながら「サービス」と言ってつぼみの固いカサブランカを一本つつんでくださった。ラッキーなお買い物であった。

大先輩             2004年5月14日(金)
 
定例になった早朝の駅頭宣伝。昨日の雨がうそのようにあがり、朝日がまぶしい。今日も本当に久しぶりの方に出会う。20年前の保育所の保護者の方で先方から声がかかる。「もう孫が4人も」と報告を受ける。
 午前中は議員団会議。遅い昼食を済ませ6階にあがると、「下のロビーで誰か待ってはるで」とのこと。再び2回ロビーへ。「昭和28年に町会議員をしてたもんやけど、その頃のもんはみんな逝ってしもうて…ほうその弾薬庫のことでぜひとも伝えておきたいことがある」と当時の議会の様子を話された。「今のもんは、選挙の時にはきれいなことをいっぱい並べているけど、どれだけ真剣にやっているんや!」とお叱りも。ご指名は松田ではなかったけれど、共産党の議員に話したかった、ということで居合わせた松田が話を聞くことになった次第。
 まだまだ知らないことが山ほどある。今、議員の定数削減の動きも出ているが、精華町議会の歴史を紐解くのも大事かもしれないと思った。


阪神、本物?         2004年5月13日(木)
 
阪神の今日の一勝は大きい。ゲーム差も2.0と久々の落ち着いた首位。巨人のホームラン連続記録を止めるのは阪神…と信じていた。それにしても、巨人の阿部選手はすごい。なみいる巨人の4番バッターで本物は阿部さんかも知れない。
 午前中は子育てリズム。「小児科はどこがいい?」「産婦人科は?」と病院の話で持ちきり。開業医さんも増えて、どこともとてもサービスが良くて、おもちゃをくれる小児科さんとか、看護士さんの愛想はどこがいい、とかはなしは続く。こうして、忙しい病院と、そうでない病院に色分けがされるのか、と思う。
 夕方溢れて降りだした雨の中、孫を保育所へ迎えに行く。
帰りも土砂降りでそのまま、会議に出て遅めの帰宅。

 
針と糸…久しぶり       2004年5月12日(水)
 
水曜日の午前中は”会議”と相場が決まっているのだが、今日は予定が変更されたので、いつも行けない「年金者組合」の女性の定例会に参加。古布を使って、「馬」と作っておられた。久しぶりに糸と針を持って挑戦する。子育ての頃は「ミシン」もよく使ったし、編み棒も持ったがここのとこずーとご無沙汰をしていた。皆さん、口も八丁手も八丁、1人、男性が参加されていたが、彼は奥さんの「アッシー」で特別参加。
お昼は持ち寄りディナー、スペイン風炊き込みご飯も出てご馳走になる。
 夕方、時間をつくって3人子持ちの息子宅へ。1人は風邪、1人は水疱瘡でてんやわんや。もちろんお母さんは仕事お休みで、今月は日給月給になるかもしれない。相変わらず「役立たずの姑」の私。明日は少しはお手伝いをしないと…。

 
参加者のみなさんと記念撮影

掃除当番            2004年5月11日(火)
 
お隣からゴミステーションの掃除当番が回ってきた。一ヶ月交代でまわされる。今日のゴミ回収は11時30分ごろだったので、午前中の掃除もできてさっぱりとしたが、遅いときは午後の3時を回ることも珍しくない。何とか午前中に回収してほしいという声がだされている。
5丁目に新しく越してこられた若い方も「午前8時まで出してください」と書いてあるので、慌ててだして、バケツに水を汲んで今か今かと待っていたけど結局は午後の3時半ごろで、掃除をするのに待ちくたびれた。慣れないのでご近所に迷惑をかけたらあかんと思い、掃除当番の時は緊張する。」と言っておられた。
 以前、この問題を議会でも取り上げたが、前向きの回答はなかった。8時までに出すということは、8時から回収をするということではないのか。もちろん、順番のあることだから、どこかが遅くなるわけだけど、消防車が増えているほどパッカー車は増えていない。人口は増えているのだけれど…
 2004年4月1日現在、精華町人口は33,802人です


2大?政党           2004年5月10日(月)
 
先般の衆議院選挙で、2大政党の旗を揚げて意気高く、次期政権は我のものと「ネクスト閣僚」まで発表、投票された多くの方は「マニュフェスト」に夢を託したのでは?
年金未納問題で政界は大揺れ。しかし、まだ問題点は整理されたわけでも、解決したわけでもない。「3党合意」というが、代表辞任と引き換えの「カード」にするのも、全く国民無視。0から出直してほしい国民年金問題。
 雨が降ったり止んだりとても不安定なお天気。3つの会議の間に、他会派の議員さんとおしゃべりしたり、道であった人ともおしゃべり。「子どもって何で土、日に熱出すのんやろ。町内で見てくれるとこないし何とかならへんの」「年いったら、どないして郵便局や銀行いこうかと思ってんねん」「こんなこといちいち言うていくとこもないし」…。小児科の夜間担当医問題、コミュニティバス問題、俎上に上がっていいるのになかなか進まない。責任は私たちにも…。

"女性のつどい”に参加    2004年5月9日(日)
 
京都の女性が集まった。800人。子どもが進学のためにアルバイトをしたら、保護費を削られた母子家庭のお母さん、22歳の息子が過労死をしたお母さんなど西山とき子さんに願いを託した女性から、”どないしても西山さんを国会に”という訴えがされた。市田忠義さんの高校時代の恩師でいまも親交のある方から”市田さんの人柄”が紹介され、西山とき子さん、市田忠義さんのお話があった。
きたがわてつさんのコンサートもあり、会場は熱気と歌声に溢れた。この熱気を京都の隅々まで伝えていくのが大事。
 花屋さんには、カーネーションが溢れていたが、残念ながら私の手元には一本も届かなかった。ここ、2,3年は敬老の日のほうがメインになってきたようで、やっぱり「母卒業」か。そういえば、去年も売れ残ったカーネーションの鉢を安くなってから買った記憶が…。
 

リタイアいろいろ        2004年5月8日(土)
 
定年まで5年残して、10年残して退職した。という話をよく聞くようになった。真面目に一生懸命働いてきた人たちばかり。「もう擦り切れそう、ぼろぼろになりきらないうちに辞めました」或いは、家族が見かねて「もういいよ、仕事をやめて充電したら」といってやめた方も。
でも、働き手が1人の場合はそうもいかない。ましてや、年金支給年齢が引き上げられ、いやでも応でもぎりぎりまで働いて、その後、数年はお金の心配をしながら「食いつなぎ」後は「年金生活」。しかもその年金制度が怪しい。
何しろ、定年もない、年金制度も知らない人たちが決める「制度」だから、怪しい。
 20年ぶりになる、保育所時代の元保護者の方を訪問。成長した子どもさんの話や昔話に花を咲かせる。偶然といえば、帰り立ち寄ったコンビニで声をかけられたのも、5人の娘さんを保育所に預けておられたお母さん。そばには小さな子どもと若いママ。いつも、おんぶをして散歩に行っていたのがその若いママ。「末の娘は今、保育士の勉強中やねん」とうれしい報告。


学童保育訪問         2004年5月7日(金)
 
早朝、といっても6時50分から祝園駅で宣伝活動。7時30分ごろが通勤のラッシュ。8時近くになると乗る人と、降りる人の流れががらりと変わる。
「訪問看護を受けたいけどどうしたら…」という相談を受ける。1人で留守番のおばあちゃんが、決められた薬が飲めなくなったとのこと。その上、毎日「○○が無くなった」と騒動を始めたとか。夫の母でその経験は豊かな私は、ご苦労が手に取るように判る。だからといって責めるわけにもいかない。
午前中は議員団の会議。午後は、京田辺の市会議員と学童の保護者の方とご一緒に、学童保育を訪問する。
精華台と東光の学童保育は、利用者の急増でパンク寸前。
ついに待機者がでたとのこと。京田辺市で学童の定員は230名、精華町では現在290名が利用している。
施設は、両方良く似ているが、あとから出来た精華台は充実した施設となっている。
今年度、東光は学童保育を増築する予定になっている。一日も早い増築と待機者解消が待たれる。
京田辺市の保護者の方が「精華町へ引越ししてきたいくらい」と言い残して帰られた。

野小屋の火事?        2004年5月6日(木)
 
朝飛び起きた。頭の中はすっかり金曜日に出来上がっていて、すわ”早朝宣伝”と思っていたからである。やっぱり連休ボケか。
落ち着いてから、今日は木曜日、親子リズムの日がよみがえる。男の子5人とおかあさんで楽しい一時を過ごす。
夕方、教育会館で用足しをして、その足で京田辺に。行きは府道、帰りは24号線を走ったが、その道で5枚の「告別式」案内看板を見る。それぞれの看板の向こうにそれぞれの沢山の”悲しみ”がある。それにしても数が多い。
24号線下の河川敷で野小屋の火事があったらしく、消防車が止まっていた。大きいけど、どこか心もとない春のおぼろ月を見ながら帰宅。

こどもの日            2004年5月5日(水)
 
子どもだった頃のこどもの日はうれしかった。お手伝いからも放免されて、何となく”主人公”のようで一日遊びほうけていても小言を言われない日であった。
子ども4人と配偶者2人、孫6人が集まった。やっと、みんな座って食事が出来るようになった。めでたしである。
夕方、孫娘を連れて買い物に。小物をプレゼントする約束で行ったが、ほしいものがなかなか決まらない。というより欲しそうな物がありすぎて決められない。
 日本の子ども1781万人(4月1日現在、15歳未満)、昨年より20万人少ないと発表されている。少子化現象はますます色濃くなってきた。我が家でも2/4は、”結婚願望ほとんどなし”症候群で、一人身の”おっちゃん””おばちゃん”をしている。
 ゴールデンウイークも終わり、明日からはまた、日常にかえります。


雨で中休み?          2004年5月4日(火)
 
朝から雨、午後からますます雨脚がひどくなり、本日は小休止。昨日植え込んだ花苗もこれで一息。
まともに、家中を掃除、午後から城陽の息子の家に出向き、また掃除。
夕方、大阪に住む娘が久しぶりに帰宅。独り者の息子も呼んで、3人で食事。
”よもやまばなし”で、この通信が進まない…のです。

憲法記念日           2004年5月3日(月)
 
1947年の5月3日に今の憲法が制定された。今日はその記念日。もう二度と戦争はしないと決意し制定された憲法を誇りに思い、祝う日なのだが、最近は雲行きが怪しい。
"改憲“”創憲”などということが言われ、今の憲法は古いとか、時代にあっていないなどといわれる。確かに文体は古く、今風ではないかもしれないが、その精神は揺るがず今も真髄をついている。
 午後から畑に行く。「明日は雨かな〜」と空模様を見ながら、次々と作業にこられ、貸し農園は賑やか。借り出してから3年。最初は不慣れだった方も、すっかりなれて夏野菜の手入れに余念がない。163号沿いにあるので、車から覗いて「おっちゃん今は何をつくってんね」とわざわざ声をかけていく人もいる。
お互いの畑の品評をしたり、物々交換をしたり大勢で作業をする事は楽しいことです。


庭への頂き物          2004年5月2日(日)
 
新緑がまぶしい。この時期になると、庭の草達も勢いずく。
朝の一時、庭の手入れをする。家の周りの雑草の中に、植えたことのない花の芽を見つけることが多い。ご近所の庭から、風や小鳥達が運んでくれた”贈り物”の種が、この時期になると芽吹く。”はなみずき””桜草””すみれ”などお隣からの自然の頂き物。
 お昼前から、告別式のお手伝いに出かける。2時が出棺。斎場は宇治、帰りは6時ごろになるとか。やっぱりもう少し近くに斎場がほしいもの。お約束では加茂町さんの受け持ちとか。焼却炉は木津町さん。早く…してください。

入れない”身障者用駐車場”  2004年5月1日(土)
 
土曜日のメーデー。家族連れの方が大勢参加。イラク戦争反対や、年金改悪反対のデコレーションが目を引く。毎年コンテストが行われているが、今年も常連の南山城養護学校の分会が優勝。
ウサギの好きな長女の娘が遊びに来る。駅まで迎えに行って途中の駅西にある”カリオン”の公園に立ち寄る。総工費2億円といわれている公園である。
駐車場がないのでやむなく路上駐車をする。いつもはいない警備員が飛んできて「ここにとめたら困る」とクレーム。じゃどこに止めたら、と聞くと役場駐車場にという。
ここを通るたびに不思議に思っていたことがある。それは、「身障者用駐車場」はあるが、ポールが立っていてはいれない。名ばかりの駐車場である。
第一、公園に警備員が配置されていることが珍しい。理由を聞くと「藤棚のうえまで上って遊ぶ」「ボールが飛び出して危ない」「自転車が散乱」危ないので警備をするとのこと。
町内に警備員のいる公園って他にある?自転車置き場のある公園ってある?以前、子どもがほしいといっていた公園に自転車置き場できた?
この公園は”特別の特別”な公園なわけ?
いっぱい質問を投げかけて、でも”藤”がきれいなので写真をとって”トップページ”に。
  カリオンと藤棚