たんぽぽ通信
さてGWは          2004年4月30日(金)
 
とりあえずGW始まる。
祝園駅で朝の宣伝をする。いつもに比べて通勤の方もやや少なめ。議員の仕事はほとんど年中無休。土日も祝日もほとんど関係なく、この日は休みという日はない。これは宿命?
かも知れないけど、勤め人だった頃のほうがプライベートタイムはあったような気がする。
 どないしてでも行きたい所もないし”まあいいか”というところで、特に予定なし。みなさんのご予定はいかがですか?
 明日はメーデーに参加します。木津のいずみホールで9時30分からです。


あいた口が……       2004年4月29日(木)
 
あいた口がふさがらない…というのはこんな時に使う言葉か。閣僚+菅代表の国民年金不払い事件。これこそ”自己責任”弁解は何回聞いても”言い訳”に過ぎない。
 我が家の子ども達が丁度、大学生だった頃に「20歳以上の国民年金強制加入制度」が始まった。当初は減免制度もさほどなく、学資+下宿代+国民年金と過重な負担が親の肩にのしかかった。毎月算段しながら、2人分の国民年金を「子どもが将来不利益にならないように」と払い続けたものである。おまけに、7年も大学に通っていた子どももいて結構苦労したものである。
収入のない学生にまで科した国民年金、どうしてくれるの未納議員さん。
 自分が公務員を辞めたとき、すぐにきました「国民年金納付書」でも、いざ、年金受給をしようとしたらその手続きの煩雑なこと。頂いている国民年金は月一万円なのですが…。
 そして許せないのは、「強行採決」もっと国民の声を聞け!といいたい私。
午前中は親子会。午後から京都で会議、夕方”お父さんとお留守番の孫3人”の顔を見て帰宅。小さな会社づとめのお母さんは、祝日も出勤でお父さんが育児係なのです。


古い”草の根”あつまる     2004年4月28日(水)
 
ふるい話だが、”ガラスのウサギ”の上映運動をきっかけに「精華町良い文化を育てる会」を結成したのは20数年前。当時は、ホールもなく町立体育館、小中学校の体育館、集会所などを借りて、映画や人形劇、楽団などの上映や公演活動を展開。大きいものでは、中国の雑技団、人気者では「魔女の宅急便」「となりのととろ」など、”生の文化を子ども達に”と精力的に活動した。その後、”子どもを中心においた街づくり”を考えようと秋葉先生を講師に20回の講演会を実施。
いろいろ事情もあってここ数年以上は休止していたが、再開の機運が高まり、久しぶりの再会をした。
 当時とは街もずいぶん変容したし、行政誘導の文化活動も増えてきたけど、”やっぱり何かしたいね”ということでまとまり、今後に向けて活動再開の話が弾んだ。
古い”草の根”は今も健在である。草の根は強い!
 お詫び
過日の通信で”せいかだい保育所”の開所時期を平成18年春と書きましたが、平成17年春”の間違いでした。訂正してお詫びをします。


………です             2004年4月27日(火)
 
朝の8時に電話がなる。「も……」声が出ない。特に喉が痛いわけでもなく、昨日から「風邪気味」とは自覚していたが。
無口で過ごせるところに出かけようと”美容院”へ。「演説し過ぎはったん?」しゃべりたくないから来てるのに聞かんといて!
 先日から作りかけたペープサートをつくる。鉛筆画で、カラス、さる、象やキリンなどなどを描いて、切り抜いて厚紙にはる。最後に棒をつけて、色止めをする。思っていた以上に手間がかかり、まだ途中である。
子育てサロンで見せてあげられたらいいな〜と、自分が楽しんでいる。
どうしょうもなく気分が疲れているとき、鉛筆一本と、紙切れがあれば、身近なものを何でも描く。それだけで結構ストレス解消になる。実に安上がりな松田流ストレス解消法。でも、肩こりは否めません。


北から、じわ〜と合併問題    2004年4月26日(月)
 
生まれ育った京都府北部の網野町はもうない。「どちらのご出身ですか」と聞かれたら、「京丹後市です」と答えるのだろうか。丹後6町がこの春合併した。
宮津を中心にした与謝地域、福知山を中心にした福天地域、中丹、口丹とそれぞれ、法定合併協議会がつくられ、いろいろ、問題、課題はあるものの一定の合併への足がかりは出来た
.そこで、再度じわ〜と、この南部相楽地域にも合併話が取りざたされてきた。
 山城町が木津町に申し込んで、「吸収合併なら」といわれて断念したのは、新春早々の話。
今度は、加茂町が木津町に申し込みに。木津町の条件は、木津町の基盤整備や駅前整備、庁舎建設など遅れているインフラ整備に合併特例債を優先的に使うこと。木津という名前を新市名に使うこと。吸収合併とすることなどであると聞く。
京都府の意向は、先ずできるところから合併をして、段階的に7町村合併を進めることか。
さて、新町長は、「当面自立の道をめざす」としながらも「合併協議には積極的に参加」と表明している。
このじわ〜とくる合併論議にどう対応するだろうか。目が離せない。


国保病院 その2         2004年4月25日(日)
 
集金をしながら病院の話が2つ。
一つ目は精華病院に家族が一ヶ月入院された方でご本人は、他の病院の看護士さん。
 ・ベッドが手動式で、患者自身が作動できない。動けない患者は天井を見て過ごすことが多い。
 ・食事がおいしくない(2年前から業者委託となった)
 ・一ヶ月間、入浴しなかった。
 ・医師の、患者や家族への説明が不十分。
 雨漏りやすきま風、トイレ、汚物あらいなどの施設老朽化の問題もあるが、病室の一つ一つの設備が、2〜30年前と同じで、転院を希望する患者さんが多かった。というのが感想。
私も夫の母がお世話になって、一番困ったのは食事の介助であった。完全看護といいながら、「食事の時は出来るだけ家族で」と申し渡され、いけないときは肩身の狭い思いをした。仕事をしながら、朝、昼、晩と食事介護に通った苦い経験がある。
町立病院は、残してほしいけど抜本的な改善をしてほしいし、しないと生き残れないだろうというのが意見。同感である。
二つ目は開業医さんの話。体調不良で近くの医院に行った。「検査結果はFAXで送りましょうか」「FAXはありません」というと、夕方検査結果を電話で報告してくれた。「何かあったら電話してください」といってお医者さんの携帯番号を教えてくれた。
一次医療の分野で、この開業医さんと同じサービスは難しいにしても、この気持ちは大事だと思うし、一次医療は開業医さんに任せるにして、二次医療の分野で、開業医さんと連携して専門性を持つことは出来るのではないか。
精華病院のあれこれを思う毎日である。ご意見をお寄せ下さい。


国保病院を考える         2004年4月24日(土)
 
昨秋の町長選挙のとき、大きな争点になったのが、町立国保病院の存続だった。前町長は、国保病院の老朽化、赤字を理由に、民間病院の誘致に熱心だった。任期の4年間に老朽化はいよいよ深刻になり、赤字も大きくなった。それは、病院職員の責任ではない。
「病院存続」を公約にして当選した新町長は、いまだに、「存続」を明言しているわけでもなく、第3者評価を得て、経営改善委員会を立ち上げて考えるというもので、「存続させるためにどうするか」という視点はない。
公約どおり、存続を前提にするなら、「そのためにどうする」「どうしたい」という自らの思いがあってもいいのではないか。
「開業医が増え、民間病院も進出」「国保病院は赤字…」という宣伝がされている。「開業医が多くて、民間病院の多い、京都市内などに市立病院は不用」「赤字は罪悪」裏返せばこんな論法になる。
 病院が出来た経過はともかくとして、小さな町で自前の病院を持ち続けてきた、このことは、精華町の大きな誇りではないか。
こんな議論をしている間にも、施設の老朽化は進み、患者の信頼感も薄らいでいく。
「存続のために汗をかく」これが、公約ではないのか。「判断のために汗をかく」のでは遅すぎる。町長さん。

 
走る…朝              2004年4月23日(金)
 
早朝の駅で宣伝活動。今朝はバスの連絡が悪いのか、階段を駆け上って通路を駆けぬける人が多い。朝からこれでは疲れも倍増。京都市内に住んで大阪の心斎橋まで通勤をしていた頃も走りに走った。もちろん、階段は一段飛ばし。若かった。
思いがけない青年に会う。3年前の選挙のときに、はがきをデザインしてくれた青年。「覚えてますか、俺のこと」美大を出てデザインの仕事をしているとか。頭のてっぺんからつま先まで「決まっている」
 9時から役場で議会の仕事。午後は演説会の会場設営。夜は会場で受付をする。準備した椅子は満席で、志位委員長の熱のこもった演説を体育館の外で聞く。
事務所で仕事をしている職員さんが、年金の話が始まると、身を乗り出して、聞いていた。
参加をされたみなさん、ご苦労様でした。


ペープサート            2004年4月22日(木)
 
親子リズム会に来たAちゃん(中1)と、ペープサートをつくる。「金魚が逃げた」「りんごが食べたいねずみ君」の2冊の本を読んで、「ねずみ…」のほうに決定。ねずみを書いてくれたのはAちゃん。最初は緊張していたが、書くうちにすっかり手馴れて、作業はとんとん拍子。あっという間に時間が過ぎて、でも出来上がらなくて、次回に持ち越す。
 午後から、病院問題を考える会のお誘いに開業医さんや、元職員さんを訪問。その後、会議が2つ。疲れました。

怒る…おじさん           2004年4月21日(水)
 
子ども会の”古紙回収日”9時ぎりぎりに出しに行く。ちょうど、回収のおじさんが積み込んでいるところに出くわす。
「ちょっと、これ見てんか。ゴミのうえに新聞が入ってんねんで。」大きな袋の中に不燃物が入ってそのうえに、新聞紙が心ばかりのっている。おじさん怒って当たり前の状況になっている。古紙は再生資源、ごみとちゃうちゅうねん。
 午前中は議員団の会議。午後も会議に出て、今日の一日はおしまい。
 明日は、親子リズム会、午後は街中を歩きます。デジカメをもって写真もとりたい気分です。


午前様               2004年4月20日(火)
 
といっても、飲んでたわけでも、カラオケをしていたわけでもなく、「せいか民報」の印刷に行ってたわけで…。
1万2千枚の両面刷りはそこそこ時間がかかったわけで、午前様となった次第です。
最近、議会報告をする会派も増えて、しかも「カラー」でなかなかのものになってはいるけど、わが会派は、そんなお金もなく、今も昔も手作りでやっている伝統の一品の「議会報」それが「せいか民報」なのです。
 午前は、4丁目の子育てサロン、午後は議会広報委員会で5時までばっちり。夕方、メールで質問を受けていた方を訪問して、夜なべ仕事が「印刷」と多忙な一日でした。

がらぽん              2004年4月19日(月)
 
朝から雨。野菜のうえ時と、張り切って苗を買いに行く。なじみの苗屋さんは城陽の長池にある。FAXのリボン切れが心配だったので、アルプラに行く。電気屋の手前にある眼鏡屋を覗いたのが運のつき。言葉巧みにすすめられて、検眼までしたもので買わないわけにいかず、「めがね」を買ってしまった。そこで抽選券を20枚、期限は今日まで。まわしても出る玉は白球ばかり。いっぱい並んでいる「自転車」本当に当たるの?例に漏れず、今日もくじ運に恵まれず敗退。
 午後、八幡のケーキ屋さんに頼まれて、町内のイチゴ農家を紹介。前大崎町長のお気に入りのイチゴやさんを紹介。私もお気に入りだが、注文殺到で、すでに来年の予約も入っているとのこと。
 雨は、だんだん激しくなったが、思い切って畑へ。夏野菜を植える。もちろん、ヌレネズミ…でも、みずやりは無用。良かったのか悪かったのか…。

ウサギの巣づくり         2004年4月18日(日)
 
昨日から巣づくりをはじめたウサギのお母さん。干草を加えてゲージの隅っこに運ぶ。自分の毛を抜いて運ぶ。他の2羽は知らん顔。今朝見ると、つくった巣はゲージの外に追いやられ無残な姿に。赤ちゃんも生まれていない。ちょっと残念だけど半分以上はホッとした気分。ほっておけないので朝から掃除。以前にも書いたが、逃げないウサギ達は、ゲージをはずしても逃げない。
 昨日に続いて演説会のお誘いに。「小学校では、30人以上のクラスに補助教員がつくのに、幼稚園は35人以上でないとつかない、年中さんでこの人数は大変」「定年まで後2年。健康に自信がなくて辞めたいけど、年金で生活できるかどうか不安」などいろんな声をお聞きする。
6丁目の集会所周辺に新しいお家がいっぱい。鹿の台が一層近くに見える。


やさしいおかあさん       2004年4月17日(土)
 
昼下がり、表で用事をしていると、後ろ向きに歩いてくる若いお母さん。ベビーカーをひっぱって…。おもわず「どうかされましたか」と尋ねる。「西日が余りにきついのでかわいそうだと思って」暑い日差しから赤ちゃんを守るために後ろ向きに歩いていたのだ。「お気をつけて…(やさしいおかあさん)」
 4月23日の演説会のお誘いに歩く。今はどこを歩いても春。街路樹の若葉や、庭先の花が色とりどりで美しい。花水木の季節…到来。

学童保育のお迎えは      2004年4月16日(金)
 
午後、保護者とご一緒に担当者と会う。学童保育のお迎えは、原則保護者ではないことが判明。暗くならないうちに、同じ方向に帰る子ども達が、集団で帰宅。集団で帰らない児童のお迎えは、各保護者がお迎え。
親が帰るまで、保育をするというのではなくて、放課後の一定の時間を安全に保護をするというのが趣旨らしい。
自分の中にある学童保育とずれがある。自治体によって相当違うらしい。
夕方から畑に行く。伸びすぎたほうれん草やグリーンボールを収穫。沢山あったのでおすそ分けをして帰る。
気がつけばここのとこ、野菜ばっかり食べてるな〜と思いながら帰宅。


春の風邪?           2004年4月15日(木)
 
午前中は親子のリズム会。ただし、今日はおしゃべり会。
午後は京都へ。かえってすぐに、”年金学習会”朝から、いつもの元気がなく、何となく不調の松田は学習会は途中でエスケープ。微熱あり、春の風邪か…。
 明日は、早朝の駅頭宣伝を予定。言い出したのは私。今日は早く休んで体調を整えます。


学童保育のお迎えは     2004年4月14日(水)
 
終日、議会広報委員会。第一次校正をする。何しろ元原稿がかなり個性的なもので、紙面の一体感を出すためにかなりの校正と組み替えが必要。業者泣かせの校正原稿となる。
 学童保育、正確には”放課後児童健全育成事業”を利用している保護者の方から相談がはいる。
仕事の都合で6時に迎えにいけない時がある。町は「保護者の迎え」を原則にしている。「現場は、時間になったら子どもを返す」という。一体どちらが正しいのか、といった内容。
根本的には、6時の迎えは保護者の実態に合っていない。保育所は6時30分から、今は7時までとなっている。
制度の始まりが違うとはいえ、児童の安全を守るという意味では同じ。
 短期間だが、私も学童の指導員の経験がある。いつまでたっても迎えにこられないお母さんがいた。お断りをして、その子のお家で待ったことが何度もあった。仕事の領域を超えていたかもしれないが、冬の寒さの中で、子どもだけを寒空の下で、母親の帰りを待たすことはどうしても出来なかったからである。
 保育所ではさらに、そんな経験が多くあった。どんなに気持ちが焦っても、アクシデントは避けられない。「遅くなって本当にごめん」と息せき切って迎えに来る母親を責めることは出来なかった。「子育ての時にはいろんなことがあるよね。」一番不安になっているのは子ども。その子の前で母親を責める事はできなかった松田でした。

いらだち             2004年4月13日(火)
 
まだ、解放されない拘束された3人の方。情報は錯綜しているというが、知らされていない情報もかなりあるらしい。
11日未明に出された解放声明は一体何だったのか。”ぬかよろこび”というにはあまりにもむごい。家族の方も次々に体調を崩しておられるとか。今までつくった給水設備を現地に任せて、引き上げるということは出来ないのですか自衛隊。
 午前中は議員団の会議。午後は議会だよりの校正を議員団室で。夕方は4月23日の演説会案内に回り、夜会議。
めまぐるしい一日でした。


冬物クリーニングへ      2004年4月12日(月)
 
あったかいというより暑い。ウサギ達の水の飲み方も激しくなってきた。衣類の調節が難しい。長袖だと袖が邪魔になるし、半そでではまだちょっと…といったところ。冬物は思い切ってクリーニングへ。
午前中、少し時間を作って畑へ。お彼岸に植えたジャガイモが発芽。夏野菜を植える準備をする。雨模様を見て苗を植えよう。午後は議会会派室へ。政務調査費の清算をして残金を返還。この調査費のおかげで、研修にいったり、書籍を買ったりできるわけでありがたい話である。でも、それは結果として、住民のみなさんにお返しできるものでないといけないわけで、責任もまた重大です。

いちごで幸せ          2004年4月11日(日)
念願のイチゴ狩りに、孫達がお友達家族ときました。ハウスの中は暑いのでみんなは外でイチゴを食べていましたが、彼だけは最後までハウスの中でご満悦でした。今日のハウスのいちごはとても甘くて大粒のいちごでした。
京阪奈公園はいっぱいの人で、風に桜が舞っていつもと違う風情がありました。もう初夏の雰囲気でした。
午後からポスターの張り出しとびら配布で、ずいぶん歩きました。精華台にたくさんある”赤目がし”の生垣が今とてもきれいです。


自分の写真を載せます    2004年4月10日(土)
 
今日は自分の写真を載せます。西山とき子参議院議員とご一緒しました。光台と精華台で街頭宣伝一箇所づつ。西山さんはイラクで拘束された3人の方を救おうと心を込めて訴えられました。12年間の豊かな実績をもつ本当に身近な議員さんです。6月の参議院選挙では、なんとしても3期目、国会へ送り出したいと、決意を新たにしました。
共産党演説会のお知らせ
 日時  4月23日(金)午後7時30分開場
 場所  京田辺市中央体育館
 志井和夫委員長、西山とき子参議院議員がお話しをします。

お越しをお待ちしています。

予想通り、少し太めになった松田です(写真は正直)。
 
午前中は近くの星の光幼稚園の入園式に出席。初めての体験で先生から離れられない新入園児も。でも、これで先生との関係はばっちり。”慣れない子どもさんはいない”これは自分の経験からの確信です。

どんな手立てが…        2004年4月9日(金)
 
心配されていたことが現実に…3人の民間人が拘束される。戦争状態でないはずのイラクでなぜ?
3人の命運を握った小泉さん、助ける手立てがありますか?自衛隊撤退以外ないのではありませんか?
18歳の青年は、知り合いの息子さんの知人だそうで、「若いのに本当にえらいやつ」だそうで、この戦争で犠牲になるなんて耐えられないことです。
この戦争で、何人の方が命を落としたことか、どこの国の人であっても、それは許されないことなので…。戦争それ自体が許されないことなので…。もう時間がありません。小泉さん。本当の勇気って何なんでしょうか。
 午前中は議員団の会議。午後から山城地域の共産党議員の会議。女性議員が12人います。それぞれの地域で本当に奮闘されている方ばかりで、教えられることが多いです。

弾薬庫への道          2004年4月8日(木)
 
府道を京田辺に向かって走って、JA狛田駅を越えて一筋目を左に入って行くと少し広い地道がある。その突き当たりにかかっているのがこの橋。今はかなり朽ち果てているが、以前は鉄橋であった。戦時中にほうその弾薬庫から鉄道が敷設され、弾薬の搬出に使われていた。
 30年ほど前は、歩いてこの上を渡ったものである。久しぶりに訪れて”保存”するなら今のうち、このままおけばそのまま朽ち果てると思った。これまさに”戦争遺跡”である。
 中学校の入学式に出席。新一年生は131名。うち女子が73名。圧倒的多数である。この中に、小学校の時に学校に行けなかったAちゃんがいた。渾身の力を振り絞って、勇気をだしてきたんやね…と心のそこから拍手を送った。
いろいろとお祝いのことばはあったけど、私は一言”よくきたね””明日も来てね“と言ってあげたいだけでした。


しらなかったよ…君のこと   2004年4月7日(水)
 
東光小学校は96人の一年生が仲間入り。入学式に出席しました。保育所時代に一緒だった子どもさんも何人か一年生に。ご近所の子どもさんもみ〜んな”ぴかぴか”でした。在校生の歓迎の歌「知らなかったよ君のこと…」素敵でした。
昨夜も”塾に行かない我が子を絞殺”というテレビニュースが伝えられていました。これらのニュースは毎日のように報じられていますが、本当に痛ましいことです。今、子育て中の”親”を育てたのは、私たち世代。「今の若い者は」というだけでは済まされない、責任の一端があるのでは…と思う毎日です。
11時から議会広報委員会。3月議会の広報づくりに入りました。これが、結構骨の折れる仕事なので…あります。


れんげ・たんぽぽ        2004年4月6日(火)
 
東畑に抜ける沿道の野の花がきれいです。たんぽぽはかなり群生していてついつい車を止めてデジカメに。有名になった東畑町有地の登り口もたんぽぽでいっぱいです。今は少なくなった蓮華草もきれいです。

    
 
午前中は4丁目の子育てサロンに。新学期が始まって参加者はいつもより少なめでしたが、絵本の読み聞かせグループの方や、ピアノの上手な方とボランテァの方も多彩で、最後にはクイズも用意されて、ついに「帰りたくない」とダダをこねる子どもさんもいて、楽しい半日でした。
 午後は会議で京田辺に。京田辺市では、学童保育に待機者が出て今問題になっています。同じ学年で、生年月日順に入所を断られたとか。こんな選考基準、あまり聞いたことがありません。他所のことながら気になる話です。


強いね〜阪神          2004年4月5日(月)
 
開幕3連勝…強い阪神。相手が弱すぎ?4人の子どものごひいきは阪神、巨人、ダイエー、横浜と4人4様。ちなみに私は弱い阪神を応援してた。これって勝てない”ハルウララ”びいきの心境と一緒かもしれない。
 昼前にいちご園に取材に行く。春休み最後とあってか、親子連れの団体で大賑わい。ハウスに入ってイチゴを一ついただくが「すっぱい!」これって何となく昔のイチゴの味。
多分、ハウスによってイチゴの味はずいぶん違うんだろうな〜と、でも料金は一緒だし、とやや複雑な気分。
 午後は、議会広報の原稿書きを会派室で。夕方からまた、会議があるので、今日は早い目に通信を書いています。
明日は、4丁目集会所の子育てサロンに行きます。10時からです。


桜ほろほろ涙雨         2004年4月4日(日)
 
演歌の一節のようだが、朝から花冷え。お花見を予定していた方には残念な日曜日。団体をくんでイチゴ狩りを予定していた孫達も断念!
なぜか、桜の頃は雨が多い。雨で散るより、風に吹かれて散る桜の方が”格好”いい。
午前中は、地元自治会の総会。毎年工夫をされて、着実に進めておられるのが実感できる。おしゃれな木造の集会所の管理がこれからの”お荷物”。早めはやめの手入れが大事とのこと。自分に出来ることは精一杯お手伝いをする積り。
午後は、年金学習会。結論は”年金100年の安心”はないということ。150兆円と言われる年金基金の積み立て金の使い道も目が離せない。
参加者のみなさん、雨の中ご苦労様でした。


訪問デー             2004年4月3日(土)
 
行こう行こうと思いながらなかなか行けなかったお宅を次々に訪問。世間話や議会の報告やらであっという間に時間が過ぎました。
昼過ぎから、貸し農園で畑作業。周りの畑はすっかり手入れされ、夏野菜を植えるばかりになっていました。我が農園はと言えば、菜花、大根、水菜などが花盛り。冬の間いじけていたほうれん草やうまいななどは、思い切りよく伸びていて収穫できました。
畑から、桜ヶ丘の桜並木がとてもきれいに見えます。スコップで土を起こしながら、遠目に桜を見てのどかな一時を過ごしました。


小さな車がきました       2004年4月2日(金)
 
童仙房で愛車のエスクード”のまど”が煙をあげてから不自由をしていたが、新車が来ました。といっても小さなバン。”のまど”というのは”遊牧民”。この名前が気に入って10年間乗っていたが、いよいよさよならをした訳でちょっぴりさみしい気も…。
 午後から議員団室で事務整理。夕方からわが党の府会議員や山城地域の各市町の関係者の懇談会に出席し、それぞれの3月議会での様子を交流しました。


友達と               2004年4月1日(木)
 
学校に行けないAちゃんが、町内の学校に行けないMちゃんを連れて一緒に遊びに来てくれた。2人とも小さな子ども達が大好きで、”親子リズム”に来た子ども達を抱っこしたり、おもちゃでお相手をしたりして、気持ちも少しはほぐれてきた様子。
こんな素敵な笑顔を持つ子ども達の心を、凍りつかせてしまったものは何なんだろう。
まだ琴線に触れることは出来ないけど、あなた達のそばにはあなた達のことが”気”になっている、こんな”おばちゃん”もいるんだよ!ってこと、知ってほしい…と思ってる。
 連日のように”人事異動”が新聞報道されている。これもニュース?なんだ。精華町職員の異動は結構大幅異動。教育委員会部局では、部課長総入れ替えがあったり、本庁の部長が消防長になったりとかなり変則的。これで、”新生”精華町なるか。期待と不安の”4月”の幕開けである。