

"要冬眠…”か 2004年1月31日(土)
体調のことばかりで申し訳ないけど、昨日まで38℃を超えていた体温。今朝起きるとない。というよりなさ過ぎで、検温すると35,3℃。ついに低体温動物に、これは冬眠しかないと思い、午前中の用事を全て諦めて再びベッドの人に。というより、起きていられない状態、というのがあたっている。
昨年の12月にもよく似たことがあったのを思い出し、これは"病気"。週が開けたら病院へ行こうと決める。
午後は「病院問題を考える会」「教育講演会」にはしごで参加。むくのきセンターにはいってびっくり!玄関にまだら模様が…。職員に聞くと「汚れ落としに漂白剤を撒いた」とのこと。じゅうたんの掃除のマニュアルはなかったのだろうか。常識でもわかることといえばそれまでだが、とにかく玄関フロァは台無しになっている。
「病院…」の方は途中で退席したのでコメントはできないけど「教育…」の方は、倉本頼一(滋賀大助教授)さんの講演。最近の数々の悲惨な事件の加害者の生い立ちから、今の子ども達の抱え込まされてる問題をリアルに探るもので"重い"話が多かった。池田小の"宅間被告"が生まれる前から母親からその存在を拒否されていたいたと言う話は印象的だった。
"自分の存在の価値"が、自分の中で認められる。そのためにはまづ、誰かが認める。それはきっと一番身近な家族ではないか。
自分自身、多感な小学生だった頃、同じようなことを思い悩んだことがあった。本質は変わっていない。今もむかしも…。しかし世の中は変わった。
随分長くなったのでこの辺で終わります。明日からは「2月便り」をごらん下さい。
臨時議会開会 2004年1月30日(金)
2004年初めての議会が開かれました。男性議員の何人かは着物で登場していました。議場にパソコンを持ち込んでもいいことになったので、早速試してみましたが、議場の椅子は深く沈む椅子なので、ずーとパソコンを打っているととても疲れる事を発見しました。
臨時会の詳報は"議会"のコーナーに入れました。ごらん下さい。
朝、出かけようとすると電話が入りました。不登校の子どもさんを2人抱えたお母さんからでした。
「適応指導教室」開設を議会で求めていることを知って「自分にできることは何かないでしょうか」という内容でした。
教育長は「つくる気はない」とこともなげに言うけれど本気で当事者のことを考えたことがあるのだろうか。このことはいい続けなければと強く思った次第です。
”風邪、本格派” 2004年1月29日(木)
咳、鼻水、そして熱。風邪が3拍子揃った。"風邪、本格派”である。
朝は"親子リズム会” 午後は議会へ。用事を最小限度に押さえ込みバタンキュウ。時々電話、来訪者があり、休んでばかりはいられない。
本日は、これ以降おとなしく休眠します。
”玉しだ”は強い 2004年1月28日(水)
朝から会派会議。12時過ぎまで続く。1時から"議会広報"の最終校。結局午後4時過ぎまで"欠食"。お腹ぺこぺこ状態になる。
風邪もあって食欲はいまいちだが、この空腹感には勝てない。途中で簡単食事をして、教育会館へ6時からの会議に出席。帰り道"くしゃみ"を連発。くしゃみをする時は必ず目をつむることを発見して慎重に運転してかえる。
話は突然変わるが、先日城陽の”古家"に立ち寄る。手入れができない分、「強いものはより強く」「弱いものはそれなり」に育っている庭を見る。玉しだの勢いはとどまるところを知らず、岩の割れ目に群生している。自然の雨だけでもこんなに強く、生きつづける"しだ"に感動して思わずシャッターを切った次第である。
古庭の強い玉しだ
コーヒーが飲めない 2004年1月27日(火)
毎朝飲むコーヒーが今朝は飲めない。胃の辺りがムカムカ、乾いた咳がでる。人並みに風邪を引いたか?なのに冷蔵庫の掃除に取り付かれてしまった。古いもの(ほとんど)を処分。ゴミを分別した頃よりボツボツ熱が…。
夕方から、"国際婦人デー"の実行委員会へ。講師の依頼や内容などトントンと決まる。相楽でもこの集いは長い歴史を持つ。私は途中で10年くらいのお休みはあったが30年来のお付き合いである。
1910年、世界の女性が「パンと権利と平和」の為に立ち上がる日として、世界中の女性が思いを一つにする日である。
精華町でもやっと"男女共同参画社会"が話題になり、役場に"女性政策係"がつくられ、アンケート調査などが実施された。議会に女性が出たのが3年前。町の3役、管理職も全て男性という中で、女性の思いがなかなか「まちづくり」にいかされないというのが実態。
国際婦人デーの原点を大切にしたい。
怪文書2通 2004年1月26日(月)
昨年の暮れ"京都南部をよくする会"年が明けて"巨悪を見逃さないメンバー”から、怪文書が送られてきた。聞けば相楽の各議員に送られているとか。1月22日付けで山城町長の公式文書が届く。
中身は「山城町が城南土地開発公社から先行取得した土地について"不正"があった」という抗議文とその弁明文である。利権をめぐって何かがうごめいているのはわかるが、何故「議員」あてに送られてくるのか。政治的意図があるのか…。いづれにしても不愉快な文書である。
利権で動く政治…。議員になってからも多くの疑惑は抱いたが確証に至らないことが多い。
大抵は、巧妙に仕組まれているわけで,今回の怪文書が何を意味するのか定かではないが、利権と政治をめぐって何かがうごめいていることは確かである。
啓蟄にはまだ早いが、土の中でうごめくものは何か。
複合機はいる 2004年1月25日(日)
朝8時30分から会議と思い、目的地へ。夜の8時30分の間違いだった。思い込みはこわい。
午後になって"プリンター"のセッティングに家族5人で息子が来宅。昨年からどうも不調になっていたのだが我慢。やっと新しいのに買い換えた。コピー、FAX,スキャン、Eメールもついた複合機。多分機能で使いこなせるのは半分くらいか。
賑やかな男の子3人のお守りをしながら食事の準備。
夜は間違いなく機関の会議へ出かけた。
集金やさん 2004年1月24日(土)
朝一番、といっても10時に貸し農園に行く。今年の賃料の支払いの為である。会計を引き受けてくださった方が本当にきちんとされた方で、全てお任せ状態でお世話になっている。昨年秋に手入れができなかったので、今は何一つ収穫物はなし。お寒い松田の畑である。
午後は「機関紙」の集金やさん。寒いので表に出てきていただくだけでも気の毒だが、ついつい玄関先での長話が続く。
「扶養手当がなくなったし、子どもにお金がかかるし何か仕事をしたいけど、今は仕事もなかなか見つからない」
「トリも牛も危ないし、去年は鯉も病気になって安心して食べられるものがない。大体大きなスーパーが進出した頃から食物連鎖がくずれたんと違いますか。もっと農業を大事にしなあかんのと違う?それにしても"議員の学歴詐称事件”もあきれるわ」と話はとめどなく続く。
いろんなお話を聞いて、ふと空を見るとほそ〜い三日月が…。本当に冷たそうな三日月。これが満月だと少しはあったかい?と思いながら我が家に向かう。
ユニバーサルデザインの町 2004年1月23日(金)
22日、寒い寒い京都を出発。議会からの研修で、東京の町田市へ。1970年からはじめられたバリアフリーのまちづくりを研修。物理的なバリアフリーは当たり前。今、障害者のためのバリアフリーではなく、全ての人が使いやすい「ユニバーサルデザイン」のまちづくりや、情報や心のバリアをなくする取り組みがされている。
広報物は全て14ポイント、どこに行っても同じデザインの案内板や電光掲示板の案内、点字版の上には「物をのせないで」などの文字が書かれており、本当の福祉のまちづくりを実感する。高齢者や、ベビーカーなどにも優しい配慮があちこちに見られる。
公共施設のトイレは、「みんなのトイレ」と表示され、男子用、女性用と2つが設置され何れもベビーチェアがあり,人工肛門などを使用している人のための「オストメイト」対応の汚物流しなども設置されている。
子どもセンターは親子トイレ、一番使いやすいところにエレベーターがあり、音声の案内もある。(実は松田の家も親子トイレがあります)
松田の家の親子トイレ 子どもに好評です。
書き上げればきりがないが、駅前はペデストリアンデッキがありその続きに中央公民館があった。地権者がオーナーのビルに間借りしている。ほうその駅前などの施設のあり方にも参考になるやりかたである。
今日は、東京都庁を見学。案内されるだけで2時間はかかった。防災センターや議場、屋上庭園など見学。
玄関フロアは節電のために薄暗く「これは都民に不評です」とは、職員さんの弁。45階の道路向かい2つのビルを5階部分で渡り廊下で結ぶ巨大な都庁。「安普請なので、あちこちにぼろが来てる」とこれも職員の弁だが、その威容さは、外観も内観も本当にすごいです。
都庁展望室(45階)から都内をみる
提灯デモ 2004年1月21日(水)
小さなお腹にガラスの破片が突き刺さる
満腹するほど一杯になったことのない小さなお腹に
クラスター爆弾で
幸せをつかむ筈だった小さな手がもぎとられる
産まれてくる赤ちゃんが
5体満足だと
信じられない世界がある
湾岸戦争が残した劣化ウラン弾で
明日は今日よりちょっぴり幸せにと
母と子が願い
人は今まで歴史を刻み生きてきた
限りある命を
不条理にうばってもいいと
そんな理由がどこにあるというのでしょうか
「自衛隊のイラク派兵に反対する集会」に参加。「イラク戦争の真実」(日本平和委員会・日本電波ニュース社制作)のビデオを見る。アメリカの世界戦略という言葉がぴったりの映像を見る。子ども達の映像が焼き付いてはなれない。
その後、木津町内をデモ。本当は昼間に、もっと大勢でできるといいのにと思いながら歩く。
雨の中、声は大きくシュピレヒコール
早春賦…ビラ配り750枚 2004年1月20日(火)
風こそ少し冷たいが穏やかな日和。暮れに痛めた足首にちょっぴり不安はあるものの思い切ってビラ配布。
議会ごとにつくっている議会報告を中心にした「せいか民報」を750枚、一気に配布した。
一時間ほどは"タッタッタッ"とリズムよく、だんだんと"タ〜ッタ〜ッ"とリズムが間延び。学校から帰った子ども達が道端で懸命に縄跳びをしている。跳んではノートに書き込みをしているので「宿題?」と聞いてしばらくお付き合い。
そのうちまた、元気を取り戻して"タッタッ"と歩いて終了。
本当によく歩いた。足はといえば赤く腫れて"パンパン"だが、気にかかっていた仕事を一つ済ませて"気分は上々”お天気に感謝の一日でした。
明日は相楽会館で午後6時から「イラクに自衛隊派遣反対」のミニ集会とデモンストレーションがあります。「相楽の暮らしと平和をまもる共闘会議」主催です。ご参加をお待ちしています。
真っ赤なゲラ刷り 2004年1月19日(月)
議会広報の第一次校正を2,3日前からしている。結果「ゲラ刷り」は赤鉛筆で真っ赤に。ということは第一稿のいい加減さに原因があるわけで、業者さんには申し訳ないことだ。本日は終日この仕事にかかりきり。解放されたのは夕方だった。
夜は「機関会議」で八幡に。いごもり祭りにいけなくて残念。
訃報が一通入る。南山城村で以前村会議員をされていた三嶋さん。50年以上も日本共産党と共に歩んでこられた先人。自宅近くのR163のやまなみホール前で交通事故に遭われたとのこと。R163の危険を一貫して主張してこられた方が、なんというめぐり合わせか…。痛ましいことで言葉がない。
とんど(植田区) 2004年1月18日(日)
議会広報の取材もあって植田区のとんどを取材。もやの中早朝7時に到着。すでに火が付けられ始まっていた。子どもが参加できるようにと今年から日曜日になったとのこと。時間がたつにつれ、金網や「焼き用」のお餅、芋など持参で次々と参加者が増える。今でも旧地域では行われているところが多いが、ニュウタウンではこの習わしはない。
お正月飾りを「ゴミ」に出すのもなんだか気が引けるし、火を囲んで地域の方が集うのは、それなりにいいものだと実感する。
午後は、昨日お知らせした「後援会の新春の集い」30名あまりの方が参加され、町政・教育・障害児教育・平和などなど多岐にわたって報告や、思いを語られた。あっという間の2時間だった。
明日は、ほうその神社で「いごもり祭り」があります。大きなたいまつに火がともされ、今年の豊作を祈って「お田植え」などが行われます。夜7時ごろがたいまつ点火の予定です。
勢いよく”とんど”
竿の先にお餅をつけて「焼きたいけど熱い!」
雪、積もる 2004年1月17日(土)
窓の外が白い。予報どおりの雪。京都市長選挙の広原さんの応援に行くことになっていたので、一瞬たじろぐ。
私の田舎は京都府の北、網野。子どもの頃は雪の中で春を待った。雪を見るとどこか子どものように、心の片隅ではしゃぐ自分がいる。
城陽に入ると雨に変わり、雪景色はなかった。伏見の町をハンドマイクで宣伝。
京都の町も変わりつつある。最近特に「高層マンション」が増え景観が変わった。結構、方向音痴の私は、京都を歩くときに山を見て東西南北を探る。だから山の見えない京都は困るわけで町並みは守ってほしいと願っている。
青春のとき(随分むかし)を過ごした京都は、いつまでも京都らしくあってほしいと願いながら「広原もりあき」さんの支持のお願いをした。
明日は午後2時からかしのき苑で「日本共産党精華町後援会・新春のつどい」を開きます。寒い中ですがどうぞお越し下さい。
京阪奈プラザ横の雪景色 雪の花が咲いたよう に並木がきれいでした。
もう一匹の愛犬…? 2004年1月16日(金)
犬に対して失礼かもしれませんが、「小泉首相は、ブッシュ大統領の愛犬」と、ニュースステーションのコメンテーターが発言。ついに自衛隊がイラクに向け派遣された。それも、迷彩服を着て。まさに「派兵」。戦時中を生きた人々には「出征兵士」とイメージが重なった人もいたのではないだろうか。
1942年生まれの私には記憶にない2人の叔父がいる。2人とも「戦死」。墓石だけが記憶にある。
今ある日本の平和、失った多くのものの上にある平和。だから大切にしたい平和。小泉さんは言う。「日本だけが平和に甘んじていていいのだろうか」と。しかし、日本が平和であることは世界の「誇り」ではないのか。多くの人の意思で「平和憲法」を守ってきたことは「誇り」ではないのか。
イラクへの道は戦争への道。許すことができません。
華時計は…? 2004年1月15日(木)
保守費用が高くつく、無駄使い。という意見の一方で、急行停車の記念モニュメント、精華町玄関のシンボルとして残してほしい。賛否両論に分かれて議会でも論議がされた駅前の"華時計"がついに姿を消した。「一事、他の場所で保管をし、駅前整備ができた時に何らかの形でシンボルを考える」これが前町長の約束であった。
時々、不調で「花」が揃わなかったり、ぽつんと残されていたりしていたが、それはそれで一つの愛嬌であった。
「華時計」の愛称は「フラッピー」。名付け親は私も知っている小学生の少女。採用されたときに家族中で喜び合っていた姿が今でも目に浮かぶ。
約束通り,どこかに保管されたのか。今度はどんな姿で現れるのかわからない。でも、名前をつけた少女の夢だけは壊してほしくないと願っている。
寒さのせいか、風のせいか、ガス給湯器が壊れてお湯が使えなくなってしまった。修理を頼んだりで落ち着かない一日であった。
えっ、うそー 2004年1月14日(水)
夫婦と子ども3羽のウサギがいる。子どもは息子と信じていた。2日ほど前から暴れまわるので、女性のお母さんを別居させていた。ところが…である。息子が出産をしていたのである。娘だったわけで思わず「えっ、うそー」と言ってしまった。母ウサギは出産前になると、自分の毛をいっぱい抜いて、枯れ草を運んで巣づくりをする。初産の娘ウサギはそんな知恵もなく予告なしに、ただただ産んでしまったのである。
午前中は議員団の会議。「北は雪降ってるな〜」といわれ窓の外を見ると、遠くの山が白く雪化粧。「あれは比叡山や、お天気のいいときは比良山も見えるで」。
庁舎の6階から、そこまで眺望できることを知らなかった私はびっくり。比叡山を見たい方はどうぞ、庁舎6階をおたづね下さい。白い山が見えます。
あぶない親子 2004年1月13日(火)
我が家の親子も結構あぶないが、今あぶない親子がマスコミを賑わしている。それは”にわとり”と”たまご”。
鳥インフルエンザと古い卵の話。よく「鶏が先か、卵が先か」などといわれるがこの話はほぼ同時に出てきた。卵の話はあまりにもお粗末で言葉もない。全く消費者を馬鹿にした話ではないか。以前と違って今スーパーにはいろんなブランドの卵が並んでいる。ブランドをつくる為に、鶏の食生活も乱されているのではないだろうか。
昔、田舎では多くの家で鶏を飼っていた。餌は"菜っ葉と米ぬか、それに貝殻"などであった。ブランド卵はなかったが新鮮だった。卵を産まなくなった鶏だけが"食用"になったが、まさに"古鳥"で歯ごたえがあったことを覚えている。
"うし"もあぶない。人には"新型肺炎"も襲いかかる。人があまりにもいろんなものを望みすぎ、つくり過ぎたせいではないのだろうか…と思う松田です。
新成人388人 2004年1月12日(月)
風もなく穏やかな一日。午後から成人式に出席。一足先に出向いて"ご成人おめでとう"の街頭宣伝をする。
女性のほとんどが振袖姿。男性はグレーや紺のスーツで決めている。中に羽織袴姿も数人。彼らは去年もそうだったが、「野次組」である。昨日の出初式と違って式典はいたってシンプル。30分で終わった。
教育長が「随分昔のことですな〜」と感慨深そうに一言。私は、20歳のときは、京都で「貧乏学生」だったから、成人式に参列した記憶もなく、ひたすらアルバイトをしていた。
知人にも何人か会った。みなさんなんとなくそわそわと落ち着かない様子。心からおめでとうを言わせていただく。4人の子どもの親として、なんとなく肩の荷物を一つ下ろしたようなそんな気持ちと、子どもを成人させたというような誇りが入り混じってそわそわしてしまう気持ち、とてもよくわかる。
式場で隣に座ったMさん。「今の子は、屋内でもショールとらへんのか。親が教えへんのか」「あれは、ファッション。寒いししてるのと違うで」。そういえばみなさん本当に白いふわふわのストールをしていました。
振袖で成人式
消防出初式 2004年1月11日(日)
暖冬とは言うものの例年にたがわず出初式は寒い。見てる側は何機ものストーブが置かれているが、消防団の方は寒風の中、一時間以上立ち詰めであった。儀式・形式は大切だがちょっと長い過ぎないかと、見る側の感想。
精華町には、単独の消防署がある。歴史はよく知らないが、ほうその弾薬庫があることに起因していることは確かである。ちなみに相楽の他の町村は広域で消防署を持っている。
地元の方の話によると、終戦間もない頃、アメリカ兵が大勢精華町に駐留していたそうで、キリスト教会、病院がいち早くできたのもほうその弾薬庫と深いつながりがある。
JR下狛駅から煤谷川に沿って少し行ったところに、今でも古い鉄橋が架かっている。自衛隊からJRまで軍用列車が走っていた名残で、今は道路になっているが、道端に陸軍の道標が残っている。「戦争遺跡」にという運動もあるが、地元の方でもこのことを知っている方は少数になってきている。
消防と病院,そして教会と一つずつ見ればそれなりのものが、実は「ほうその弾薬庫」と深く関わってつながっているのである。この辺のことはもう少し確実に検証しないといけないといけないと思っている。「精華町昔話」ご存知の方いろいろと教えてください。
寒風をついて放水。精華台小学校で。左校舎は増築された8教室。去年までは山に向かって放水されていたがちょっと窮屈に…。
掌蹟胞膿症 2004年1月10日(土)
高齢になって手のひらと足の裏にブツブツと赤い湿疹ができ、その後、膿をもってそのうちかさぶたになってその部分の皮がむける。というのがこの病気です。実は私の持病です。55歳くらいから急に出始め、最初は金属アレルギーではと言われ治療をしていたが一向に治らず、いまだに引きずっている。
保育所で"はだし保育"を始めて以来、自分も裸足で過ごしているが、足元の冷え込みもなく、自称「足の裏美人」というくらい柔らかい足の裏をしていた。この病気「柔らかいところが好き」な得体の知れない病気なのである。どなたか経験をお持ちの方、治療法があれば教えてください。
というのは、捻挫の際に「包帯」を巻いていたところ、この病がひどくなって困っているのです。
なんだか、暗いじめじめした話でごめんなさい。
カサブランカ 2004年1月9日(金)
暮れに奮発して買ったカサブランカ。つぼみが7つありました。。今、花が4つ満開。玄関を開けるととてもいい香りがします。ああ〜買っておいてよかった、と玄関を開けるたびに1人で喜んでいます。
議会広報の編集委員会が終日。各議員さんの一般質問の原稿、16人分。それぞれに個性豊かな議員さん。原稿も個性にあふれ、加筆、除筆も至難の業…なのであります。
行政用語、議会用語も飛び交って「読んでわかるかしら」と疑問もふつふつ。結構疲れる一日でした。
夕方から、相楽地区労働組合協議会の会議に出席。「イラク自衛隊派遣」反対の取り組みについて協議する。
1月21日に相楽全体で取り組むことを決定。「平和であって欲しい」「憲法まもりたい」「アメリカの戦争に巻き込まないで」「戦争のあるイラクに自衛隊を送らんといて」こんな想いを一つでもお持ちの方、1月21日に"相楽会館"にお集まり下さい。午後6時からです。ご一緒に"デモ”りましょう。
再開しました 2004年1月8日(木)
りん君、みち君は先輩。けんた君は新人。3人で遊ぶ。先輩の2人は我が物顔で部屋の探索活動。けんた君は新人ながら落ち着いて、でも先輩に少し遠慮しながら仲良く遊ぶ。
お母さん達も、九州、岡山、京都と出身地は様々。人の出会いは本当に不思議です。
昨日で最後と思っていたのに、年賀状が一通。お正月に入ってから書く人が、自分だけでないことが分かって、なんだかほっとする「おそい年賀状」でした。
赤ちゃんりずむ会再開します
2004年1月7日(水)
昨年の一月から始めた「りずむ会」最初の赤ちゃんもみんな満一歳のお誕生日を迎えて、すくすく成長。12月は風邪などで顔ぶれがそろわなかったけど、明日から再開します。
今日、早速新しい方から電話が入る。「引越しをしてきてお友達も近所にないし」とのこと。明日は顔ぶれがそろうか楽しみ。もちろん新しい方も大歓迎です。
本日、日本共産党の議員団の初会議。毎週水曜日に定例会議を開いて論議。白熱して午後にずれ込むこともしばしば。新年のこともあり今日は午前中で終わる。
合併問題、病院問題、東畑用地をはじめとする公共用地の活用問題や、駅前整備など、課題は山済み。わが党としても責任の持てる提案ができるようにしなければならない。まちづくりと、自主財源問題も大きな課題だし提言を持つべきだと思っている。何はともあれ、実践と学習あるのみと自分に言い聞かせている松田です。
松葉杖お返し 2004年1月6日(火)
暮れに病院で借りた松葉杖をお返しに行く。保証金3000円なりのキャッシュバック。ついでに診察を受ける。といっても包帯の交換のみ。「痛みがなくなった頃が一番危ないので気をつけて」と忠告を受ける。
足首を捻挫したのが年末の30日。31日に食材の買出しとおせちをつくった。片足で突っ張って立ったままで半日台所仕事。おなべが噴出してもすぐに飛んでいけなくて、何度も吹きこぼしをする。
ま、いろいろあったが後は「日にち薬」。
今年こそ何かスポーツをともくろんでいた矢先だったので、やや出鼻をくじかれた感じ。この辺で「一年の計」を練り直していよいよ2004年のスタートをきるか!と勇ましいのは気持ちだけ。
いや、気持ちだけじゃなくて本気を出してスタートします。
賀詞交換会に出席 2004年1月5日(月)
商工会主催の賀詞交換会に出席。地元国会議員や府会議員の挨拶などが続いた後、名刺の交換会。女性が少ない。教育委員長、婦人会会長、商工会の役員他総勢で数人の女性。ここでも精華町での女性参画社会の薄さが伺われる。今年はこの辺ももう少し掘り下げなければと思った次第です。
2004年本年もよろしくお願いします。
2004年1月4日(日)
好天に恵まれたお正月もはや4日目。もうお正月とは言わないかも知れませんが「本年もご愛読くださいますよう、よろしくおねがいもうしあげます。」
昨年の暮れ。思わず足元が乱れ、何でもないところで足首を捻挫し、病院行きの羽目に陥ってしまいました。
おかげで、予定は大きく狂いましたが、病院でお借りした"松葉杖"も飾り物状態で過ごすことができました。
今年は、足元をしっかりと見て一歩ずつ歩かねばと思っています。
2004年が平和で明るい一年であることを願っています。