たんぽぽ通信
痛い!足首捻挫       2003年12月30日(火)
 
息子の家で近くの孫とお餅つき。とはいっても、臼ではなくて機械でこねこね.。保育所で餅つきを見ている孫は少しがっかり。
用事を終え帰ろうとして、玄関先で階段を一つ飛ばして思わず”ぐにっ”。左足首を捻挫してしまいました。痛いの何の、思わずあぶら汗がだら〜と流れ、背中に悪寒がゾ〜と走りました。
ミッションカーの運転は無理と家まで送り届けてもらう始末。
階段の手すりがこんなに役立つとは思いませんでした。
まあ、転倒しなくてよかったと、1人で負け惜しみを言って、今日は早くお休みです。


関西の"雄”          2003年12月29日(月)
 
昨日深夜、スポーツニュースを見ていたところ,細かいチェックだが若い女性アナが「関西のオス、同志社が…」と報道。それって"ゆう"と読むんちがう、と思わず独り言。どなたか聞いていた人いませんか?ちなみにチャンネルは”4”でした。
胆管癌で入院されていた方が一時退院と聞き訪問。化学療法か、在宅ホスピスか1月はじめには結論を出さないといけないということで、ご家族ともども悩んでおられる。入院中に緑黄菌感染をしたこともあって余計に慎重になっておられる。「不思議なもんや。死ぬと分かっても、死ぬことは何にも恐くない」と淡々と話される。言葉だけの慰めは通用しないことを、癌に負けた夫を持つ私は痛いほど分かる。
迷惑かもしれないが、度々お邪魔して何気ない世間話が一番だと思う。時間を共有することが、その人が私の中に生きることだと、これは夫の教訓である。

「議会」のページ更新しました。覗いてください。


あちこち掃除         2003年12月28日(日)
 
先ず、ウサギ小屋。夫婦と子どもの3羽が同居している。差し上げたウサギはスマートに成長しているが、我が家のウサギ達は丸々と太っている。
 次は、お墓。木津川の堤防下にあるので、近くの竹林の落ち葉が積もる。お向かいと両隣が空き家なので、落ち葉も多い。掃除やお参りの人でいつになく賑やか。
その後、1人住まいの息子の家に。
毎年思う。「もう少し早くからしといたら…」と。そして、年を重ねていく。今年も後3日で、来年です。


寒い…             2003年12月27日(土)
 
毎日書こうと思いながら、夜遅くなって諦めてしまう通信です。24日で議会が終わりました。最終日に「イラクへの自衛隊派遣」反対の意見書を提案しました。私は賛成討論をしました。「どんなに言葉を操っても、イラクは戦場。戦争に参加しない、武器は持たないことを誓った"憲法9条"をもち、世界の平和のシンボルとなっている。今この憲法を踏みにじって、戦場に自衛隊を送ることは許されない…」といった内容です。他の議員さんにも賛同を切々と求めましたが、賛成少数でした。
一方、公明党が提出した「派遣賛成、慎重に」との意見書に我が陣営は質疑をしました。しかし、質問に対する答弁が、聞けないばかりか、意見書の間違いを指摘しても返答ができないという事態でした。2名の議員は退席しましたが、他の議員は全て賛成しました。説明もできない意見書…出す?
 本日は、後援会ニュースを配りました。本当に寒くて、手がかじかんでしまいました。寒くても、網戸やガレージを洗ったり、洗車をしている方がおられました。いよいよお正月の準備たけなわといったところでしょうか。
ジャンボ中村で、大きなかぶを一つ買いました。お正月の”あちゃらづけ”をつけなくては。これが好物の離れて暮す娘がいるものですから。



歩いて集金          2003年12月23日(火)
 
新聞の集金に回る。風もなく運動不足解消も兼ねて歩いての集金。でたところでご近所の人と立ち話。落ち葉の始末の苦労話やゴミステーションの掃除の話をひとしきり。「緑はいいけど落ち葉がかなん。緑葉樹に植え替えて欲しい」「でも紅葉はきれいだし」何でも全てよしという訳にはいかない。
「年金制度が不満」という話も出る。行く先々でいろんな話をしながらほとんど一日町内を歩く。選挙のカンパもたくさんの方に頂いて、一年のお礼を言いながら終了。
 議会も明日で閉会。しかしである。議会広報の仕事が始まる。たくさんの原稿を書かねばならないが手付かずである。ついに今夜も書けずじまい。また駆け込みで明朝頑張ります。


光る歩道           2003年12月21日(日)
 
夕方、祝園駅に降り立ちました。駅前の大通りを歩いていると、足元がピカピカ光ります。ビー玉のような電球が歩道に埋め込まれ赤や青、黄色に光ります。「これっておしゃれやけど、ここまでやるか」ちなみに駅をおりて歩いていたのは私一人。公園の不気味なカリオンの塔が黄色の光を放ち、ちぐはぐ感は最高です。
駅前ロータリーに花を植えるお金はなくても、こんなことはするのね〜。と余計にちぐはぐ感が増します。一度駅前から役場まで歩いて見ませんか。夜に…。



ちらちら雪が…        2003年12月20日(土)
 
寒さが"ドカーン"とやってきた。車も雪で薄化粧。朝から孫達のクリスマス音楽会に参加。「世界が一つになるまでみんなで手をつなごう…」子ども達がうたう歌はみんな希望にあふれた素敵な歌ばかり。
午後から、我が家で”クリスマス会”。全く宗教とは無関係にプレゼントの交換や食事を楽しむだけだが…。伝い歩き真っ最中の孫がいるので、楽しむというわけにもいかず、てんやわんやの半日。
 長女の長男が小学校4年生で最年長。サンタクロース神話もくずれて一緒に買い物に行く。「高い物はだめよ」と母親に言われ「貧乏なお母さんのそのお母さんはもっと貧乏」といわれている彼は、欲しい物と値段の兼ね合いを懸命に計算している。ちょっぴり見栄を張って、でも今あることを"幸せ"に思ったおばあちゃんサンタでした。天国のおじいちゃんサンタも見ていたでしょうか?

木津町の子育て支援センター訪問
                2003年2月19日(金)
 
17日、民生厚生委員会が開かれる。付託された案件はなく、陳情が2件。
?医療制度改悪?年金制度の改悪に議会として意見書をあげてほしいという陳情。健保負担金の増額や、医療診療の引き下げ、薬価の引き下げなど、患者と医療機関に負担を重くする改悪に反対の意見を述べる。開業医さんの話だと、薬価の改定で、薬を出すだけで赤字になることもあるとか。本当に必要な薬が、患者の手元に届かないことになりかねないのが今の医療現場。また、医療費負担の増大で、「診療抑制」も起きているとの事。病気のときには,安心して医療が受けられる制度がほしいものです。
年金制度の改悪も、大きくのしかかっています。無年金障害者の問題や、制度の改悪で、とりわけ専業主婦や、パートの仕事を選択した女性には重い負担となります。
意見を述べたのは、松田1人。他の委員からは何の発言もありませんでした。
 その後、木津町の子育て支援センターを訪問しました。松田は、以前、センター設置を求めた際に訪問していましたが、その頃よりも、もっと需要が増えているとの事。精華町でもやろうと思えばやれる施策。2つの保育所にはそのための部屋も用意されているはず。核家族で子育てをする家庭が増え、地域でのお付き合いも変わってきている、毎日のように、児童虐待が報道されている昨今、やればできる施策はやれるところから、やれる範囲でやっていく、こんな簡単な決断がどうしてできないのでしょうか。いや、やる気がないのでしょうか。同行した委員さんや、行政関係者はどのような感想を持たれたのか…は聞けませんでしたが。


パーマをかけました    2003年12月16日(火)
 
2年ぶりにパーマをかけました。30年来同じ美容院に行っています。座っただけでいろいろ注文をつけなくても済むし、世間話もそんなにしなくても済むのが気に入っています。
ほとんど、夢を見るくらい寝ています。
明日は、新町長になって初めての「病院対策特別委員会」が開かれます。結論は分かっているけど、老朽化の進む国保病院のあり方,もっと広く,住民のみなさに意見を求めたら如何でしょうか。


次男31歳…誕生日でした 2003年12月14日(日)
 
終日、機関会議。帰ってもなんか落ち着かなくて、末っ子の次男の家に直行。今日は彼の誕生日でした。すっかり忘れていたのだが、偶然でした。「虫の知らせ」というのでしょうか。2女2男の4人の子どもは全て12月生まれ。長女と長男は同じ誕生日です。これには少々訳があります。夫の会社の中にある社宅を借りての生活で「超貧乏」だった私たちは、「ボーナス」を当て込んでは出産をしていました。
 子どもを生むなら30歳までと決め込んで、ぎりぎり30歳で生んだのが彼です。今は3人の子のお父さん。共働きで奮闘中です。プレゼントは何もなかったけど、みんな元気で何よりや、と言い訳をして帰ってきました。



マンスリーマンション    2003年12月13日(土)
 
久しぶりに予定のない一日。年末に向け、こんな日こそ窓拭きの一つもと思いつつ、身体の準備が整わずだら〜とした一日。風邪もひいているが大きくは”年のせい”。
 ご近所の方が見える。チャイルドトランペットの苗木の交換をする。家は黄色で、頂いたのはピンク。寒さに弱いので冬は家の中で越冬させ、春に植え込む。来年は二色の花が楽しめそうだ。
 夕方、桜ヶ丘にマンスリーマンション建築問題の話を聞きにいく。住宅地の真ん中に今はやりのウイークリー・マンスリーマンションの建築計画があり、地元からの反対運動が起きている。
 9月の初めに話があり、地元では住民の大半の方の反対署名を添えて、町に請願に行き、その後、地権者とも何度か交渉をしている。12月議会には、規制条例の要望が出されている。
現場は、すでに工事の準備がされ、その近くに反対の看板が立てられている。近くの空き地は、夏草がそのままの背丈で立ち枯れ、路上駐車の車が列を作っている。
 住民要望があって、町がどのような行政指導をしたのか定かではない。たとえ、合法的な建築であったとしても、住民多数の要望がある以上、行政として何らかのアクションはいるのではないか。終結は「条件闘争」であったとしても、その一点は明確にしなければならないと思った。



新町長に問う        2003年12月11日(水)
 
昨日から、一般質問。16人の議員が質問。本日午後4時過ぎに終了。
それぞれの立場から、町長の所信や、選挙公約について質問したが、議論がかみ合わない場面が多い。
病院問題:医聖会に逢いにいった。国保病院は,お年寄りが寂しい思いをしなくてもいいように、汗をかく。
合併問題:押し付けの合併はしない。枠組みが先にあるような合併はしない。
東畑用地:本年度の3月議会までには結論を出す。
松田の質問には
 子育て支援「子どもを守り育てるまちづくり」
   最後まで町長の思いは聞けなかった。今あるレベルを落とさないなど、具体的な提案はなし。
   公立幼稚園は…考えていない
   中学校給食…検討にはいる
   保育所の建て替え…計画はない
 「適応指導教室」の設置
   設置しない…太陽が丘の陸上記録会、京阪奈ホールの文化発表会など精華町は教育に力を入れている。
 障害児教育
   特別支援教育について聞いたが、制度の説明に終始。
   スムーズに移行と答えるのみ。障害児教室はなくさない   。
特に、教育長の答弁は、全然かみ合わず、質問の趣旨が分かっていないのではと、何回も思った。国や、府の事を聞いているのではないのに、そればかり。精華町はどうするの?と言うことの返答なし。一時間の持ち時間のほとんどが答弁。ストレスがいっぱいたまりました。





病院その後         2003年12月9日(火)
 
12月議会が今日から始まる。町長挨拶の中で一つ。町長選挙前に紛糾した病院問題で、医聖会の進出は決定的となった。用地代の5億円を町が用立てることとは全く無関係に自力で進出。この地はそれだけ医療市場として魅力的なところなのだろう。結果5億円は減額補正されることになり”使わなくてよかった”という結論になりそうだ。しかし、現国保病院は「廃止,縮小も視野に入れて再検討」とか。現町長が議員だったとき、5億円支出の採決のときに議場を退場したのはそうゆうことだったのか。今後の進展に注視したい。
 自衛隊のイラクへの派遣が決定された。夕方祝園駅で「反対」の宣伝活動。労働組合の人、地域の人合わせて11人で行動。ビラ折を手伝ってくれる中学生もいたりして賑やかに。しかし、時間が早いせいか駅に降り立つ人は少な目で、やや、拍子抜け。ビラを受け取る人は多くて、関心の高さを感じる。「この戦争誰がおこした戦争やねん、国際協調というなら、それは世界中の全ての国と違うの小泉さん」と言いたい松田です。



松田も歩けば…       2003年12月7日(日)
 
できるだけ議会の前と後で後援会ニュースを届けるようにしている。歩いていると近くで車が止まる。「障害者医療費について話を聞いてください」とNさん。「ニュースを見て相談が…消費者金融の多重負債を清算したいのですが」「保育所は65歳までの親と同居は入所できないのですか」などなど相談が殺到。本当に悩みの多い師走である。
 保育所の保育士が主催する「精華っ子」に参加。4回目の今日は「つながり遊び」若い保育士が中心になって、地域に開かれた保育所づくりをめざしてとりくまれている。
子ずれ保育士の子どもさんを抱っこして参加。やっぱり、どこに行ってもおばあちゃんの松田。久しぶりの方にもいっぱい会えてよかった…です。


あったか過ぎ…?      2003年12月5日(金)
 
裏庭のミニトマトはいまだに赤い実をつけ続けている。秋野菜の種まきができなかったので、捜し求めた玉葱の苗をやっと植えた。貸し農園の野菜たちの多くは虫達の食料になりレース状の白菜や、水菜が目立つ。土手にたんぽぽが咲き、紋キチョウが飛ぶ。てんとう虫もまだまだ元気。本当に12月?
冷夏、暖冬、地球はやっぱり病気ですよね、きっと…。


うれしいことがふたつ    2003年12月4日(木)
 
「我が家には学校へ行けない子がいます。」春の共産党のアンケートにこんな相談があった。早速電話をして、家庭を訪問。9月議会で「フリースクール」などの要望を議会でとりあげる。その後も家庭を訪問したが状況は変わらなかった。「一度、松田の家に遊びに来てね」と誘っていた。学校に行けない子が、毎日どんな一日を過ごしているのか、いつも心の片隅に引っかかっていた。昨夜、「行ってもいいですか」と電話があり、今日「おはようございます。」と遊びに来てくれた。
親子リズムに来た親子と一緒に半日を過ごした。一つでもいける場所を増やしていくことが、彼女の心を開くことに繋がれば、こんなうれしいことはない。
 これは、昨日のことだが、先日、難聴の子どもさんのことを書いた。早速家庭を訪問した。お母さんが「学校で難聴児クラスを作ってくれると教育委員会の方から連絡があったところです。最初は、場所も、予算もありませんといわれてとても心配していたけどこれで、ひとまず安心です。」と報告を受けた。本当によかったと自分のことのようにうれしかった。一人一人を大切に、とは言葉の上では簡単だが実際はなかなか難しい。障害児教育のことをしつこく教育委員会に言い続けたことが少しは役立ったかな、と自画自賛しながら心温まる一日だった。



西山とき子さんと懇談    2003年12月2日(火)
 
現参議院議員の西山とき子さんを”丸ごとウオッチ”する懇談会に参加。八幡、京田辺、宇治田原、相楽郡の日本共産党の女性議員が参加。総勢で15人。
和歌山の白浜で誕生、徳島で育ち、京都へ。12歳で医者の父に死別。三人姉妹のおてんば末っ子。京大卒業後、児童相談所勤務。その後、共産党の専従となり、12年前に参議院議員に初挑戦し当選。これが彼女のザーとした略歴。
3人の子どものお母さん。「家族色の政治」がモチーフの温かい人柄。今でも、国会では緊張の連続とか。それぞれの女性議員が西山さんとの思い出を披露したり、注文をつけたりで賑やかな懇談会に。京都選出のただ一人の女性議員。貴重な議席を来年6月の参議院選挙で守らなくては。
 早朝、祝園駅で、イラクに自衛隊を派遣しないで、と宣伝。午前中、地元小学校の校長先生を訪問。学校の抱える問題や、障害児教育、学校の二学期制、精華町の教育行政について懇談。たくさんの示唆をいただく。
「来年から、難聴児童が入学します。対応について今相談中です。」こんな話を聞いたところに「うちの孫が難聴で…。来年から小学校に入学を予定しているけどいろいろ心配で」と電話が入る。あまりの偶然に驚く。力になれることがあればと思う。



おめでとう…あつし
        2003年11月30日(日)
 昨年の昨日、1450gで誕生した6番目の孫、敦志くんが満一歳になった。妊娠中毒症で、母体で成長しない子であった。生まれるまで心配で、息子の言葉を借りれば「ハムのかたまり」のようだったとか。産声もなかった。一ヶ月以上保育器で暮した敦志君だが,今は2,3歩歩けるようになり,小さな兄達のまねをしていたって元気な、保育所っ子である。
幼い3人の男の子を保育所に預けて働きつづけている、息子夫婦にエールを送りたい。
今日になってお祝いに行く。ちょっと変だが、プレゼントはプーさんのホットカーペットのカバー。早速広げてみんなでころころと遊ぶ。
 今朝は、「日本人がイラクで死亡」のニュースが駆け巡っている。人は小さなことで幸せになれるのに、何故、国や権力は大きな不幸を平気で、人に押し付けることが出来るのでしょうか。幸せは小さくていいのに…。