→トップ

プロローグ

 インドに通い始めて、10数年経とうとしています。インドには何かある、自分を変える何かがある、という思いは今も変わりなさそうです。
 京都のNGOの現地駐在を願い出て、3年間の予定でインド・ウダイプールに滞在しだしたのは1994年のことでした。私の与えられた仕事は、さしあたりウダイプールに活動の拠点をつくることです。州政府の管理するシティパレスのすぐ前にあるお寺の2階を事務所として申請していました。なかなか許可が下りません。民間のビルの一室をあたってみました。資金が足りません。そのうち、事務所がなくてもいいではないかという気持ちになってきました。
 本来の仕事は文化交流です。ある日仮事務所につめて雑談をしながら紙飛行機を作っていました。さっそく出来上がった紙飛行機を表に出て飛ばしました。前は大通りになっていて左に行けばシティパレスに行きます。車や人、牛も犬も時には象だって行き来します。私の飛ばした紙飛行機は高く舞い上がりやがてストンと落ちました。拾いに行くと、「ナカムラヒロコ、知ってるか?」 私の飛ばした飛行機の前にちょこんと座り込んで、私に英語でしゃべってきます。すぐに彼は歩けないんやとわかりました。とたんに非常に興味がわいてきます。「TVダイレクター、友達」と言います。そして、「今から、遊びに来ないか?来い来い!」と言うのです。
 彼の名前はラクシミー。彼はその後ずっと私の活動を支え協力し私にはなくてはならない人になりました。彼はかってはマハラジャに仕える音楽カーストの出身です。現にお父さんはハーモニアムの奏者、お母さんは音楽の先生、兄はシタール奏者。彼の家はパレスのすぐわき、周りには同じカーストの人たちも住んでいます。
赤いターバンの男がラクシミー
ラクシミーの家で盛り上がる
 彼は私のここに来ている目的を聞いていろんな音楽家や友達を紹介してくれました。そのうち、日本との交流の第一番目として、サリーンさん一家を日本にという計画が出来上がりました。翌年1995年5月来日、およそ一ヶ月学校などでインドのダンスを子供たちに見てもらいました。そのあくる年、今度はインドの音楽とダンスを日本に紹介しようと計画しました。ラクシミーを団長にシタールをひく人、タブラプレーヤー、ラジャスタンのダンスを踊る女の子二人を決め日本につれてくることができました。多くのインドと日本の人たちのおかげで思い出多い交流ができたと思っています。そうして、三年目日本にインドのアーティストをよぶべくすべての段取りを終え、インドに迎えに行きました。ニューデリーのジャンパス通りをホテルに戻ってウダイプールに行こうとしていた時です。
 まっすぐ歩こうとしても左に傾きます。これはどうしたことか。とりあえず、ホテルに戻りました。ウダイプール行きの飛行機の出発時刻も迫っています。リキシャをつかまえ乗り込みました。空港までの道路は車でいっぱい。排気ガス規制の始まったばかりのニューデリーでは、リキシャの乗客はもろに排気ガスを吸ってしまいます。急に気分が悪くなりました。空港に着くとふらふらして歩けません。それでも搭乗手続きをすまし、このままウダイプールに行くべきか、それともニューデリーにとどまるか散々迷った挙句、ともかく行こう。しかしそう決めた限りは自分の身体がどうなるか覚悟を決めておこうと言い聞かせたことを思い出します。私には心筋梗塞の前歴があります。
 小脳の梗塞でした。ウダイプルの病院に入院、その後ニューデリーのアポロホスピタルに移る。家族が迎えに来て、日本に帰ったのは、桜の咲くころになっていました。私の計画はすべて流れてしまいました。それどころか、その後も日本の病院に入院しなくてはなりませんでした。今ではすっかり元に戻りはしましたが、その当時、右半身感覚の麻痺、焦点がだぶる、飲み込み障害、頭痛などが残っていました。
 あれから早くも8年余り経ちました。毎年今もインドに行っています。この2月のインド行きは私にとって最も収穫の多いたびになりました。少し大げさに言えば、私は今までの私とは違った新しい人生を歩みだしているような気がしています。インドの地でインドの人達と接して生まれ変わったような気がしてなりません。心のそこから力がわいてきます。
 このホームページは、この先インド・ウダイプールでしようとしていること(「ウダイプールからの手紙」)、それと私の日常の生活(ブログ"as it is")を、そして「ウダイプール風景」「遊遊ウダイプール」「ウダイプール旅情報」などを定期的に載せていこうと思っています。お付き合い下さい。どのように展開するのでしょうか。  2005・7・2記す。

追伸:
・今回、私のウダイプールに関した日常の通信を作りました。「ウダイプールくらぶ」で す。ブログです。コメントなどかいてみてください。  2006・5・17記す。
「リンク集」を作りました。覗いてみてください。   2006.9.20記す。
・インド・ウダイプールからの日記をまとめました。   2007.7.7記す。 


▼管理人のプロフィール
   奥村 武 (インドではラケーシで通す)
25年の教師生活のあと思うところあってインドに。インドと市民レベルでの国際交流をめざすNGO京都市民外交協会の現地駐在員としてインド・ウダイプールへ。2度インドのアーティストを日本に招聘。95年96年京都・大阪・神戸でイベントをする。翌年インドで脳梗塞で倒れる。幸いにも、インドの友人たちに助けられ日本になんとか帰る。2年のリハビリの後、またもやインドに通い始める。インドに学校を作りたいと模索するが、今のところ出来ず。インド・ウダイプールの人達に何かエエことをしたいと念じている。奈良に近い京都・木津に在住。趣味は読書、陶芸、庭つくり・・・英会話はなかなか上達できない。娘夫婦と同居。4人家族。2009年初孫誕生




→トップ