山内一豊(やまのうちかずとよ)
1546(天文15年)〜1605(慶長10年)
*享年60歳



*初代土佐藩藩主
彼は尾張の岩倉で生まれる。
幼名は辰之助である。
父と共に尾張岩倉の織田敏信、信安に仕えた。
後に1567(永禄10年)頃には織田信長に仕え、1570(元亀元年)越前金ヶ崎合戦や姉川合戦で戦功を立て、唐国二百石を与えられる。
後に秀吉の家臣になり近江長浜で400石を賜わり賤ヶ岳の戦いや伊勢亀山城攻めや小牧・長久手の戦い等に従軍し次々に加増され1590(天正18年)小田原の役に従軍しなんと遠江国掛川5万石を領する事になる。
関ヶ原の戦いが起こると彼は東軍方につき、関ヶ原合戦そのものでは何の武功もなかったようだが「小山会議」にて居城掛川城を兵糧ごと徳川家康に明け渡すことをいち早く表明したことが家康に評価され、土佐24万石を得る。
尚、彼の妻千代の内助の功の話(彼女のへそくりで駿馬を買ってもらった話など)は有名である・・。
土佐入国後は旧領主長宗我部家の遺臣との争いやその対策に頭を悩ませたという・・。


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