上杉(山内)顕実(うえすぎ(やまのうち)あきざね)
????(????)〜1515(永正12年)
*享年??歳



*山内家当主で別名は四郎で幕職は関東管領である。
先代・顕定には実子がいなかったため、上条定憲を初め複数の養子がいた。
しかし、長尾為景討伐のため越後へ出陣して敗走・自害の際に、遺言として古河公方・足利政氏の弟すなわち顕実を養子にして後継に指名した。
だが、この頃政氏・高基父子は不和となっており、政氏方の顕実と高基方の同じく顕定の養子だった上杉憲房が対立してしまう。
憲房家臣・長尾景長に居城・武蔵鉢形城を攻められた顕実は敗走、古河城に逃れた。
関東管領在任期間は、僅か2年足らずだった。
1515(永正12年)にハンセン氏病を患って、療養のため赴いた信濃国諏訪の温泉で没したといわれる。

この投稿は伊東義祐さんです。どうもありがとうございました!!
 
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