その一 旅立ちの朝






「マスター、水のお代わり」
 砂漠の町の閑散とした安宿に悲しい響きがこだました。
「ファインちゃん、今日も朝ご飯は水なのかい?」
 宿屋の主人はそう言って、カウンターに座っているハーフリングの少女に声をかけた。その少女は足の長い椅子に座っていて子どものようにも見える。しかし、このハーフリングという種族は、大人でも人間の半分の身長くらいまでしか成長しない。ファインは小さな子どものように見えるが立派な冒険者だ。
「う、マスター。痛いところをつくわね。まだ絶食3日目だよ」
 そう言って、ファインはグビグビと喉を鳴らして目の前に出された水を飲み干した。
 ここは砂漠の国サリサ王国。その砂漠の中心にあるオアシスの町。このオアシスの町は月に2回、商人達が全国から集まりバザーが開かれる。それに便乗して冒険者達も砂漠を越えるキャラバンの護衛や商人の用心棒としてこの町にやってくる。カウンターに座って水を飲んでいるこの少女も、お金目的にここオアシスの町にやってきていた。
「ねぇマスター、なんか仕事ないのぉ。仕事か無いとこのまま餓死して死んじゃうかも」
 ファインはさも物欲しそうにマスターを眺めるが、マスターは苦笑いして壁を指さした。その壁は依頼のチラシを貼り付けられるようになっていたが、一枚たりとも張り紙は貼られていなかった。
「紹介してあげたいのは山々なんだけどね、うちもなかなか仕事が集まらなくてね」
 バザーの時期だというのに、見回すとファインの他には誰も客はいない。つまり、この店もそれほど流行っていないのである。お互いなんて不幸なんだとばかりに、マスターとファインは顔を合わせて深いため息を吹いた。
「何やってんの〜、二人して朝っぱらから黄昏ちゃって〜」
 2階からパタパタと軽い足音を響かせて一人の少女が階段を下りてきた。腰まで伸ばした髪の毛を真っ赤なリボンでポニーテールにして括っている。着ている服も彼女のオーダーメイドで、ショートマントに炎の刺繍をあしらったペンギンスカートと奇抜なデザインをしていた。
「いいじゃないの、黄昏たって。シーナ、あんた今の現状を解ってんの」
 ファインはシーナを自分の隣に座らせる。そして、ファインはシーナに自分たちの置かれている、貧乏で明日の生活費の心配をしなくてはいけない現状をとっぷりと言って聞かせた。
「解っているわよ〜、それくらい〜」
 シーナはそう言って頬を膨らませる。そのトロい口調と同様、のんびり屋の彼女はファインの小言などものともしなかった。シーナは自分の財布を開いて2枚の金貨が入っていることを確認する。
「マスター、Aランチ〜」
 シーナはにっこりと微笑んでマスターに朝食Aランチを注文した。
「あんた!やっぱり解ってないじゃないの。」
 そう言ってファインはシーナの胸ぐらをつかんで彼女につめよった。しかし、シーナも負けてはいない。
「だって、だって!今日こそはフェイちゃんが仕事をもらって帰ってくるはずよ。そしたらその仕事をパッとやって生活費を稼ぐことができるかも〜」
 そう言ってシーナはファインの腕を振りほどき、運ばれていたランチを食べ始めた。
 ファインはそんなシーナを見て、なんでこんな先見性のない奴とパーティを組んでいるのかと悩んでしまい落ち込んだ。3日前に仕事を探してくると言って宿を飛び出したまま音信不通になっている、もう一人の仲間フェイはいったい何やってんだろう。ファインは再び頭を抱えこんでカウンターに突っ伏した。その時、突然店のドアがけたたましく音を立てて開いた。
「ただいまー」
 やけに高い声が閑散とした宿屋に響いた。ドアを開けて入ってきたのは背の高い整った体型の女だ。彼女は音も立てずに二人に近寄っていった。それはシーフと呼ばれる者の技能だ。
「ん〜、フェイさん。いったい三日も何やってたのかなぁ〜」
 彼女が近寄ってくるとファインは席を立って彼女に飛びかかると胸ぐらをつかんでいた。ファインは眉間にしわを寄せてフェイを睨む。
「なにって、仕事を探してきたんじゃないの」
 フェイはぶっきらぼうに素っ気なく答えた。ファインはあまりの怒りに顔を強張らせている。ぽかんと二人を見ていたシーナはそれを聞いて得意満面だ。
「ほらねぇ、フェイちゃんがきちんと仕事を持ってきてくれたじゃないの〜。ファインちゃんは神経質すぎるのよ〜」
 しかし、ファインはシーナの事をまるで無視した。そして、フェイを指さし詰め寄った。
「どこの世界に『すぐ帰ってくる』と言って、三日も留守にする奴がいるのよ!」
 3日前、フェイは「バザーの時期だからすぐにでも仕事は見つかるよ」といって、鼻歌を歌いながら宿屋を出ていったのだ。しかし、すぐには帰らず。余裕で三日もの時が流れていた。
 フェイはおやおやと肩をすくめ、ファインを見下ろしてきっぱりと答えた。
「ここにいるじゃないの。」
 ファインは絶句しモゴモゴと口を動かしながら言葉を飲み込んだ。怒りで握った拳がわなわなと震えている。しかし、一応肝心な仕事のことを聞かないうちにはフェイの奴を簀巻きにすることもできないと思い、作り笑いを浮かべながら口を開いた。
「ところで、仕事のことはどうだったのよ」
「勿論、ばっちり三日間かけずり回って依頼を受けてきたわよ」
 にっこりと答えるフェイであるが“三日間かけずり回って”と言う部分は嘘だった。彼女は初日酒場で情報集めをしているときにかわいい娘を見つけて言い寄り、そのまま彼女をだまくらかして2日間も泊まり込みレズプレイを堪能していたのである。フェイはかわいい女の子を見つけると、すぐに手を出して手込めにしてしまう悪い癖があった。ずっと快楽に溺れてればいいところだが、ふと仲間のことを思いだし仕事を請け負って戻っていたというわけであった。
「さっすがフェイちゃん、頼りになるなぁ。どこで受けてきたの仕事」
 シーナがランチを食べながら微笑んで尋ねた。シーナは仕事という話を聞いて余裕たっぷりの微笑みだ。よくぞ聞いてくれましたとフェイは自信満々に答えた。
「3日もかけてシーフギルドのマスターから聞き出してきたってば。信頼できるネタだから安心していいよ」
 ”安心できるネタ”この言葉を聞いたとき、ファインは直感的にイヤな気がした。今までにフェイが“安心”の2文字を出したときにはろくな事が起こらなかったからだ。彼女が”安心”と言って受けた仕事が実は強盗の手助で、危うく牢獄行きになりそうになったことも有るくらいだ。
「ほんとに安心なら早く内容を教えなさいって」
「聞きたい?」
 フェイは悪気があってはファインを茶化しているのではないのだが、3日も水飲みで生活していたファインにとってはそんなフェイの些細な言葉も怒りの対象となってしまうのであった。
「殴るわよ・・・」
 ファインはスッと右足を下げて拳を握りしめた。彼女の目は完全にすわっている。その奥では本気の怒りが燃えていた。シーナはただニコニコと笑って二人を見ているだけだ。そして、ファインの拳が繰り出される瞬間だった。
「ちょ、ちょっとタンマ。言います!言わせてファインさん」
 あわててフェイはメモ帳を懐から取り出しページをめくっていくと、ファインとシーナにメモ帳を突きつけた。ハーフリングは小柄ながらも戦士としては一流だ。殴り飛ばされたら、シーフのフェイでもひとたまりもない。
「ほら、ちゃんと仕事取ってきたでしょ」
 彼女が突き出したメモ帳にはただ一言“今日2時デルヴィッシュ神殿 詳細はそちらで”と書かれているだけであった。それを見たファインは3日かかって得た情報がそれだけかと頭を抱えてうずくまる。二人がやり合っている間に食事を終えたシーナは荷物をまとめに2階の部屋に上っていった。
「どんなもんだい!」
 フェイは自信満々にファインを見下ろすと意気揚々と荷物をまとめに2階に上がっていった。冒険の準備をするのである。フェイは完全にやる気である。
 一人頭を抱えたうずくまっていたファインはふらふらと立ち上がり、頭痛によろめきながらカウンターに座り込んだ。
「マスター、水のお代わり・・・」
 ファインはちびちびと水を飲みながら、あらためてなんていい加減な奴らとパーティを組んでいるんだろうと考えた。電波系でなんにも考えていないシーナ。わがままで自分の欲望には忠実な変人のフェイ。そして、自分が言うのはなんだけど普通のハーフリングの自分。
 これまでは大変な目に遭いながらも、何となくミッションを完遂してきた。いや、落ち込んではいけない。実はこの3人はバランスが取れているんじゃないか、だから辛い時も楽しくやっていけたんじゃなかったのか。悩んでも仕方ないじゃないか。ファインが水をなめながらそんなことを10分ほども考えていた時だった。
「ファインちゃん、早く早く!置いていくよ」
「さっさと準備しなよ、ファイン」
 考えこむファインを見下ろすように、さっさと準備を終えてシーナとフェイが階段を下りてきた。ファインはだるそうに立ち上がると、ふらふらと二人の間をすり抜けて2階に上がって行く。
「なんだよ、ファインのあの態度は」
 フェイは憤然として彼女が立ち去ったあとの階段を睨みつけた。しかし、悪態をつく暇もなく2階から床を踏むにぎやかな音が聞こえてきた。そして、先ほどの様子とはうって変わってファインが2階から走ってきた。
「ぼさっとしてないで!いくよ、みんな!」
 突拍子も無くにっこりと笑いかけるファインに二人はぼけっと突っ立てしまっていた。先ほどまで落ち込んでいた彼女とはまるで別人のようだ。
「ファインちゃん、頑張ってうちの稼ぎ頭になっとくれよ」
 酒場のおじさんが2階から下りてきたファインにぐっと指をつきだして、カウンターに風呂敷の包みをそっと置いた。ファインは風呂敷を掴み取り、マスターに了解の印として親指をぐっと突き出した。そして、仲間二人の腕を引いて「必ず帰ってくるからね」とマスターに言う。そして3人は酒場から勢いよく飛び出していった。
 

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