酒井忠次(さかいただつぐ)
1527(大永7年)〜1596(慶長元年)
*享年70歳



*徳川四天王の一人である。なんと家康より15歳年上である
初めは家康の父松平広忠に仕え父の死後はまだ幼少だった家康に仕える・・・。
優れた政治や軍事手腕をもって大変重用された・・。
永禄七年には今川氏の拠点吉田城を計略で無血開城させ、その後東三河の旗頭となって石川数正と共に徳川の筆頭宿老となる。
姉川の戦いや三方ヶ原の戦い、長篠の戦いでの夜襲作戦、光秀謀反の際の伊賀越の危難、小牧・長久手の戦いなど徳川家康の生涯にわたる主要な事件に関わり絶大な功績があった。
そんな彼だったが彼の晩年は不遇であったという。
天正十六年に六十二歳で出家して家督を家次に譲りると剃髪して一智と号した。
慶長元年十月京都桜井の隠居屋敷で没した。
因みに彼の子孫は出羽国鶴岡城14万余石を領している。
彼は徳川体制を築くのにかなりの貢献をした・・。
こうした家臣の存在も忘れてはならない・・。

 
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