長束正家(なつかまさいえ)
????(????年)〜1600(慶長5年)
*享年??歳



*秀吉の五奉行の一人で近江水口5万石の城主で後に12万石に加増される・・・。
初め丹羽長秀に仕えていたようだが、理財の才能の素晴らしさに豊臣秀吉が目に付け、1585(天正13年)長秀から譲り受けたといわれている。
小田原征伐戦では大軍の兵糧や弾薬などの輸送のコントロール等をスムーズに果たし、徳川家康を感服させた・・。
太閤検地では、自分の持ち前を十分に生かして自分の力量を最大限に発揮して豊臣家に尽くし、秀吉政権の財政基礎を築くのに大きく貢献した・・。
1598(慶長3年)頃に確立した秀吉の五奉行になり、財政部門を担当する・・。
秀吉の死後は前田玄以らとともに伏見城を守る・・・。
しかし関ヶ原戦が起こると西軍につき、決戦では南宮山に布陣したが吉川広家に行く手を遮られ戦いに参加できないまま西軍は敗北する。
その後敗走し水口城に戻るが敵に騙され捕まり捕虜となり近江の桜井谷で弟ともに自刃する。
彼の首はその首はそろって三条大橋に晒された。


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