森蘭丸(もりらんまる)
1565(永禄8年)〜1582(天正10年) 
*享年18歳



*美濃で生まれる。
本名には長定と成利の二説あるようである 森可成の3男で、どうやら幼少の頃より信長の近習として仕えそして信長に寵愛されていたようである。
どうやら彼は15歳頃から信長の側近くにいて、諸将との取り次ぎ役を職務として手腕を発揮していたようである。
その成果か、彼は1581(天正9年)4月、近江のうち500石を与えられ、更に1582(天正10年)には美濃金山の地5万石を与えられ岩村城主となり、将来を有望視されていた。
しかし1582(天正10)6月2日本能寺の変が勃発し彼は他の小姓衆と共に明智勢と戦い奮戦するが討ち死にする。
彼は最後まで信長の側を離れずに戦ったという・・・。
因みにこの変で弟の坊丸と力丸も戦死し、この時点で、可成の6人の息子は4人も戦死していたという。
なるほど小牧・長久手の戦いで命を落とした長可が合戦直前あのような遺言を残した気持ちが分かる気がする。

 
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