森可成(もりよしなり)
1523(大永3年)〜1570(元亀元年)
*享年48歳



*通称は三左衛門で美濃で生まれる。
初めは斉藤氏に仕えていたようだが、後に織田家に臣従したようだが、いつ臣従したのかは不明なようで、彼の活躍ぶりが初めて記録されるのは1556(弘治2年)の長良川での斉藤道三父子の合戦頃と言われている。
因みにこの戦いで信長は道三を助けようとするが敗退し、可成も戦傷を負ったという・・。
これらの点から信長尾張一国支配時代から仕えていたというのはほぼ間違いないであろう・・。
その後は1568(永禄11年)9月の六角氏攻め、1569(永禄12年)8月の伊勢北畠氏攻め等に参加して次々に戦功を立てて、信長の有力家臣としての地位を固めていった・・・。
また信長上洛後は京の政務も担当していたようである。
それらの功績の甲斐あってか、1565(永禄8年)には、美濃金山城を、1570(元亀元年)には近江の宇佐和山城を預けられて柴田勝家・佐久間信盛・中川重政らと共に琵琶湖南岸を固め、近江攻略の先鋒として活躍した。
しかし1570(元亀元年)9月に信長の外征中を突いて姉川合戦後の巻き返しをはかるべく攻め込んできた浅井・朝倉連合軍の3万もの大軍の攻撃を受け僅か600の手勢で迎撃し奮戦するが討ち死にする。
因みに長可・蘭丸・忠政の父でもあり彼には6人の息子がいたようだが、武勇に優れていたことが災いしたようで、6人中5人が戦没している・・。

 
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