森長可(もりながよし)
1558(永禄元年)〜1584(天正12年)
*享年27歳



*織田信長家臣*森可成の次男であり通称勝蔵で庄蔵とも言われている。
1570(元亀元年)、父が戦死すると、その遺領である美濃金山城を継ぎ信長仕える。
父に似て勇猛果敢であったようで、16歳の初陣より数々の武勲を上げ、武蔵守に任ぜられてからは周囲から「鬼武蔵」と言う異名で呼ばれるほどだったという・・。
また1582(天正10年)には甲斐征伐に従軍し、その戦功により信濃川中島四郡18万石の海津城主として上杉景勝に備え、本能寺の変が起こった後は本領である美濃金山城に帰り秀吉に仕えた。
しかし1584(天正12年)小牧・長久手の戦いで奥平信昌軍に破れ、銃弾で眉間を貫かれ戦死した。
なおこの合戦直前、弟の千丸については「今のまま秀吉のそばに仕え、自分のような城主にはなるな」と強く言い残し「決して自分の娘は、武士の妻などにはせずに京都の町人の医者のような者に嫁がせよ」と家族宛への遺言を残している。
「鬼武蔵」とまで呼ばれた可成の意外な一面かと思う・・・。
なお長可討死後これを読んだ秀吉は感涙したそうで千丸に金山城を相続させ、各務元正らに千丸の補佐を命じたという。

 
  戻る