朽木元綱(くつきもとつな)
1549(天文18年)〜1632(寛永9年) 
*享年84歳



*彼の先祖は承久の乱以来の佐々木氏の一族であったという・・・・。
近江国高郡朽木荘に地頭職を任じられ、朽木氏を名乗るようらになったのが最初だったという・・・・。
通称は弥五郎で信濃守のち河内守を称す・・・。
また1570(元亀元年)の朝倉攻めの際は、越前に出兵した信長が浅井長政の裏切りにより退路を断たれ、朽木谷に逃走した際に、浅井氏の勢力下にあったが、これを助け信長を朽木越えにて案内し、無事に京へ帰還させたりしている・・・・。
信長死後は豊臣秀吉に属し、朽木地方を領する事を許される・・・・。
1600(慶長5年)の関ヶ原の合戦の際には、初め西軍に属したが、密かに徳川方に通じ、小早川秀秋の寝返りに同調して、脇坂・赤座・小川などの諸軍と共に大谷軍を破り西軍壊滅の足がかりを作った・・・。
戦後はその功績により所領9500石を安堵され、後の大坂の陣でも軍功を挙げている・・・。
1616(元和2年)には剃髪して牧斎と号し、隠居領3000石余を賜った・・・・・。

 
  戻る