長崎貿易(鎖国)の解釈



まあ第一回なので一番分かり易い長崎貿易から始めることにしましたよろしくお願いします。
概要
*キリスト教や諸国に対するおそれを強くした幕府は1612年(元和2年)にヨーロッパ船の寄港地を平戸と長崎に制限し、1624年(寛永元年)にはスペイン船の来航を禁じた。
また1637年にはキリシタン勢と一揆軍が加わる島原の乱が起こった
このような影響もあり1639年(寛永14年)にポルトガル船の来航を禁じ1641年(寛永18年)には、オランダ商館を長崎の出島に移転した。
ここにおいて、オランダ・中国・朝鮮以外の諸国との交渉を閉ざすという鎖国体制になった。

僕的解釈
*僕が思うにこの鎖国の真意は次の三つだと思います・・・・

@幕府の権力を確立し思想統制の強化をはかるためにはキリスト教はじゃまだったから。

A西欧に幕府を侵略されるのをおそれたこと(オランダは強く商業目的のみと言うことを強調していたらしく除外された・・)

そして・・・本当に重要なのが・・・・

B自由貿易の拡大により西国大名が富裕になることを防ぎ、幕府で利益を独占しようとした。

だと思います。
なぜならば「島原の乱」ではキリシタンが目立ちがちだけど実際は関ヶ原の敗者の残党やその子孫とかが多くいたらしいです。
と言うことはもし幕府に不満を持っている西国大名がそれらの浪人を雇い始めたり各国から最新式武器を大量に密輸したらどうなるでしょうか?(実際幕府はそれで滅ぼされましたよね?)
幕府はそれをおそれたから鎖国をしたのだと思います。
また実は幕府は西欧の情報は毎年来る「オランダ風説書」というので知っていました。
これを幕府以外に知らせなかったのも思想統制の強化等をして国を滅ぼされないようにしたのだと思います。
だから実際の所は他国の情報とかよく分かっていた(幕府の上の方のみですが・・)のだからこの状態は「鎖国」と言うより「長崎貿易」と言う言葉を使った方が正しいと思います。

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