栞編






 味の保証はないがな…。

「俺には美坂だけなんだよぅ!」

 高々と未成年の主張をして、テーブルに突っ伏した。
 周りの人間がひいている。
 この際構わん、毒を食らわば皿までだ。
 それに、今の北川に何を言っても無駄なことは分かっている。
 せいぜい言わせてやろう。
 それから、学食が俺たちだけになるまで北川のグチを聞いてやった。
 下校指導の教員に学食を追い出されても、まだ校門の外で北川の独演会は続いた。
 部活帰りの名雪に「遅くなる」と言付けて、それから2時間あまり、グチを聞かされていた。
 水瀬家に帰り着いたのは8時半。
 とても疲れた。

「ただいま」
「おかえりなさい、祐一さん」

 秋子さんが笑顔で出迎えてくれる。
 北川がうらやむのも分かる気がする。

(見た目は若いもんな、秋子さん)

 そう考えた瞬間、秋子さんから得体の知れない気配が感じられた。

「何を考えていたんですか? 祐一さん」

 秋子さんは笑顔だったが、それが余計に怖かった。

「い、いえ、何でもないです!」
「そうですか?」
「はいっ!」

 秋子さんは頬に手を当てて微笑みながら、食堂に戻っていった。
 年齢の話は考えるのも禁止だ!
 命が危ない。

「そうそう、祐一さん」
「はひっ!?」

 食堂に戻ったはずの秋子さんが戻ってきた。
 心臓に悪い。

「な、何です? 秋子さん」
「さっき、栞ちゃんから電話がありましたよ?」
「え?」
「明日の放課後、いつもの公園に来てください、ですって」

 そう言って秋子さんはニッコリ笑った。
 …早めに撤退した方が良さそうだ…。
 コッソリと上にあがろうとしたが…。

「祐一さん」

 …見事に失敗した。

「な、何ですかっ? 秋子さん」

 秋子さんは頬に手を当て、フフフッと笑った。

「モテモテ、ですね」

 うっ




 翌朝、俺は名雪と秋子さんに、それぞれチョコを貰って家を出た。
 貰ってみると、やはり嬉しいものだ。

(北川は大丈夫か?)

 嬉しくも、気の重い朝だった。
 しかし、その心配は無用だった。
 教室に入ると、

「あ〜い〜ざ〜わ〜!」と叫びつつ、北川が抱きついてくる。
「お、おい、何なんだ? 遂に気が狂ったのか?」
「違う違う! コレだ、コレ!」

 北川は高々と手を上げた。
 持っていたのはリボンで飾られた赤い包み。
 北川の満面の笑み。
 答えは簡単だ。

「香里から、だな?」
「そうなんだよ相沢〜! 俺は今、モーレツにカンドーしているぅぅぅぅ!」

 香里はこめかみに指を当てて、溜息まじりに言った。

「もう、止めてよね。恥ずかしいじゃない。私はそういうの、人にあげたりしないんだからね」

 それを聞いた北川は、凄まじい勢いで振り返った。

「おおぉぉぉぉ! ということは、コレは世界にたった一つ! 俺のためだけのチョコ! おおおおお!」

 北川はピョンピョン跳ね回った。
 程なく石橋が来て止めるまで、止まらなかった。
 その後、俺も香里から貰ったが、それは黙っておこう。
 世の中には、知らない方が幸せなこともある。



 そして放課後。
 俺は約束通り、公園に向かった。
 少しの期待と喜び、そして不安と覚悟を胸に抱いて。
 栞はいつも通り、噴水の縁に座っていた。

「よぅ」
「あ、祐一さん!」

 栞は立ち上がって、駆け寄ってきた。

「来てくれたんですね」
「あたりまえだろ?」
「えへへ〜♪」

 顔をだらしなく緩ませながら、なにやらゴソゴソとしている。
 やがて、箱のようなものを取り出し、両手で俺に突き出した。

「祐一さん! バレンタインなので、受け取ってください!」
「お、おう」

 俺は両手でそれを受け取った。
 女の子らしい、可愛らしい包み。
 しかし、栞らしくシンプルで、すっきりしている。
 包み紙を破らないように丁寧に開けていく。
 それはやっぱりチョコだった。
 ビター風味なのだろうか?
 少し黒っぽく見える。

「昨日、お姉ちゃんに教えてもらって作ったんです」
「あ、そうか。だから香里、帰りが早かったんだな」

(ん? ちょっと待て?)

「これ、手作りか?」
「はい! 祐一さんのために、愛情込めて作りました!」

 そう言って、栞は頬を染めた。
 普通、男ならばジーンと来るだろう。
 実際、俺もジーンとした。
 愛しい少女に「俺のため」などと言われれば、感動するに決まっている。
 しかし、一方でゾワゾワもした。
 栞の料理の腕は、いつか食べさせてもらった手作り弁当で百も承知だ。
 このチョコが黒いのだって、ビター風味だからというのが理由じゃないかもしれない。

ゴクッ

 一体、どのような味なのだろう?
 嫌な予感もする。
 隣に座っている栞は、俺の一口目はまだかまだかと見つめている。
 期待に満ちた視線で…。
 ………。
 仕方ない。
 こうなりゃ、もうヤケだ。
 俺が死んだら責任取れよ、栞。

パクッ

………。
……。
…。

「ど、どうですか? 祐一さん」
「う…」
「う?」
「うまい…」

 信じられなかった。
 あの弁当を製造した栞が、これほどうまいチョコを作れるとは…。
 歯で噛み砕かずに、舌でゆっくりと溶かす。
 まろやかな甘みが口に広がる。

「あー、良かったです! マズイって言われたらどうしようかとヒヤヒヤしました」

 俺もマズかったらどうしようかと思った。
 ま、結果オーライか。

「ありがとうな、栞」

 栞の頭を撫で回す。

「ゆ、祐一さん、恥かしいです…」

 それでも止めない。
 おそらく、人生初めての本命チョコを、とってもうまい物にしてくれたから。

「今度は弁当の方も、期待してるぞ!」

 栞は、両手の拳を胸の前で握って言った。

「まかせてください! すっごく美味しいの作りますから」
「よし、頼んだぞ! 栞!」
「はい!」



「はぁ、それにしても、祐一さんが喜んでくれてよかったです」
「そりゃあな、あれだけうまければ、誰だって喜ぶさ」
「お姉ちゃんのお陰ですね」
「ん?」
「お姉ちゃんが教えてくれたお陰です」
「…なぁ、栞…」
「はい?」
「香里に手伝ってもらったのか?」
「というより、ほとんどお姉ちゃんにやってもらいました…」
「………」
「ん? どうしたんですか、祐一さん?」
「いや、何でもない…」

 俺は、自分の軽率な発言を激しく後悔した。

(弁当、大丈夫なのだろうか…)

 栞を信じよう…。



・栞編おしまい


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