林通勝(はやしみちかつ)
生没不詳
*享年??歳



*本名は秀貞である。
織田信秀の重臣で後に信長の筆頭家老になるが、1556(弘治2年)8月弟と柴田勝家らと共に信長の弟の信行を擁立し、信長にに決戦を挑む(稲生の戦い)が信長に惨敗するが後に許され改心し老臣に収まる。
その後は1560(永禄3年)の桶狭間の戦いや、1574(天正2年)の伊勢長島一向一揆攻めや1578(天正6)の中国攻めなどに参加し着実に戦功を立てていった・・・。
しかし1580(天正8年)石山本願寺攻略戦攻略戦が片づくと信長に突然追放される。
理由は30年程前の謀反の罪を蒸し返されを咎められたそうだ。
しかし今更罪を問うのも不思議なので恐らく信長はあんまり役に立たない家臣を今で言う「リストラ」を実行したかったのだと思う・・。
その後彼がどうなったのかは分からない(京都で没した?)。

 
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