The Story
追跡処理班 アレクサンダー
我が家の庭の片隅にある自家製コンポスト。
乾燥させた生ゴミを有機肥料にするための大切なツールである。
そこにいつしか、アレックス(アレクサンダーの略)は存在するようになった。
春から夏にかけて、彼は仲間に出会い、恋をし、ファミリーを作った。
最近は眠い様だ。
時折見せる土にまみれた姿は弛緩し、
ゆっくりとため息をつくようにその姿を
私に晒す。
彼はみみず。
我が家の土には欠かせない
ファミリーの立派な一員である。
家族を増やし、今も元気だ。
個々の判別はつかないけど。
現在、アレックスのためにテーマソングを探している。
TVドラマのテーマみたいに格好良いやつ。
アレックスのために出来ることは
せっせと生ゴミを運ぶことだけ。
だからせめてテーマソングを作ってやりたい。
太陽と友達になれないけど
いい奴だから。
冬支度
小さい頃に読んだ童話の話で、渡り鳥の話がありました。
羽を広げて大空へ旅立つ時期をヒナ達に教えるお母さん鳥の話です。
子供達は何度も何度もお母さん鳥に、
いつ旅立ったらいいのか尋ね、やきもきしますが、
お母さんはなかなか旅立とうとはしません。
秋の終わりのある日、寒さがいよいよ本格的になって初めて、
お母さんは子供達にさあ今がその時よ、と言い、
皆が新天地目指して旅立つというお話です。
物事には正しい時期があり、
早すぎても遅すぎてもいけませんという寓話だと思いますが、
ガーデニングもタイミングが肝心かなと思います。
我が家も暖かな部屋へとお引越しする植物達の
世話をせっせとする時期になりました。
夏の間、ウッドデッキで生い茂っていたベンジャミンや青年の木
パキスタキスやゼラニウム、
さらにアジアンタムやレモングラスの他、
買ってきた果物から育てたパイナップルや
ドラゴンフルーツの芽、アボカドの苗など
今では暖かな小部屋で日向ぼっこしています。
こうして久々に庭の整理をしますと、
コスモスの跡地に先々週蒔いた菜の花の種が
小さな芽をいっぱい出していたり
夏の間、バッタに食べられ放題だった
アップルミントが良い香りをさせていたり、
小さな苗だったパンダスミレや、夏の暑さに弱いラムズイヤーが
元気良く自生しているのを見ると、秋のこの時期とても心が和みます。
先日はウィンターコスモスと冬用のマーガレット、
桜草を3色(赤・ピンク・白)それにバジルを買って来ました。
バジルは室内で越冬させるつもりですが、
暖かな日には外に出してやり
お日様に当ててやるととてもうれしそうに葉を揺らします。
この小さな世界ではさながら私は
ミス・ポターの様に采配を振るう事が出来ます。
スプレーボトルで水やりをする時も、今日は調子は如何かしら?
など声をかけながらレースのカーテンを開け、窓を少し開けて換気をします。
時々出現する土の中の住人達と出会っても、出来るだけ騒がず
(騒ぐと、羞恥心の為に彼らは逃げ出そうとしますが
それがまた、人間に恐れられてしまうのです)ちょっと待ってね、
と彼等を安全な場所に移動させます。
愛らしいしぐさでのんびりと横たわる姿に少しだけ当惑しつつも
レディの様な身のこなしで、さっと捕まえ、戸外に放つのです。
先日は、パイナップルの葉の頂上で、ノンビリと葉先を舐めながら
ぼんやりとしているなめくじを
安全な場所に移動させました。
彼は、その他の虫と違って、捕まえられても別段どうということはない
という感じで堂々としていましたが、
人間が部屋中に響き渡る叫び声と共にパニック状態に陥ったのです。
小さな世界の住人達の中には冬になると銀の眠りにつく者もいます。
もし彼等が話すことが出来たなら、
夢の話を語ってくれるでしょうか。
N氏のひつじ
N氏は夜、眠る時にひつじを数えます。
そうしないとなかなか眠れないからです。
寝つきが悪いのは子供の頃からで、
N氏のお母さんがどれだけ歌やお話を聞かせてくれても
その歌やお話に興奮してしまって、
全く効果がありませんでした。
業を煮やしたお母さんが、後はひつじでも
数えてなさい、と言い出すと暗闇でひとりぼっち。
N氏はその後、それはもう長い間、
そんな風にひとりぼっちで数を数えていました。
そんなある日、いつもの様にひつじを数えていると、N氏はあることに気がつきました。
ひつじの数が増えているのです。
それもかなりの数が増えているのです。
うんざりしたN氏はベッドの中で思わずつぶやきました。
「こんなことならいっそ、ひつじ飼いにでもなるか。」
そして夜が明けようと光がしらじらと差し始めたころ、
N氏はうつらうつらとしていると、変な夢を見ました。
夢の中、そこは牧場で、数頭のひつじたちがのんびり草を食べています。
ゆっくり近寄ると、ひつじたちもN氏に鼻をすり寄せてきます。
N氏はひつじのはなすじをゆっくりとなでてやると、
ひつじは気持ち良さそうに目をとじて頭をたれています。
「意外と可愛いもんだな」
N氏は思いました。
それからN氏は、夜眠る時にできるだけ牧場にいる
ひつじたちの事を考えて眠るように心がけました。
夢にひつじ達が出てくると、優しい気持ちになって
ゆったりと眠ることができるからです。
春・夏・秋・冬、
夢の牧場の中では、季節も変わっていきました。
N氏の夢の牧場は、ひつじたちで一杯になりました。
しかもひつじたちの毛がふっくらしています。
N氏は夢の中でひつじたちに餌をやり、鼻をなで、
牧場の草を刈ります。
夢の中でよく働くせいか、次第にN氏は
眠ることがだんだん苦痛ではなくなりました。
ある日、N氏は一枚のちらしを読みました。
それはN氏の家のポストに入っていたものです。
そこにはこう書いてありました。
「3ケ月で羊の飼育から羊毛で作品を仕上げるまで
ご指導いたします。 牧の原牧場」
N氏はしばらく考えてからこうつぶやきました。
「まあ、どんなもんだか、のぞいてみようじゃないか」
N氏は本物のひつじに会いに行く事にしました。
本物のひつじは、夢のひつじと同じぐらいのんびりとして
おだやかに暮らしていました。
N氏はひつじに餌をやったり、鼻をなで、
牧場の草を刈りました。
「まあ、こんな生活も悪くないな」
N氏はつぶやきました。
N氏の作ったセーターは
牧場の草の匂いと
おひさまの匂いがすると評判になりました。
今ではN氏のセーターは
なかなか手に入らないという話です。
N氏が言うには、ひつじたちが寒がらないように
ゆっくりやさしく毛を刈り取るため、
いっぺんに沢山作る事が出来ないからだそうです。
「なんといっても夢の恩人だからな」
訳を訊かれる度にN氏はこう付け加えるそうです。
花の宴
もうかなり前のことになりますが
私が懐かしい母校の傍を友人と散策していたある春の午後
ふと見上げるとそれは懐かしい先生が目の前を歩いていました。
お久しぶりです、という言う間もなく
先生は陽気な足取りで私達に近づいてきました。
桜がよう咲いとるねぇ、と話す先生は私達の事が
分かっているのかどうかも怪しい感じで
どうやら一杯飲んでいるようでした。
まぁ、先生ったら、お昼間からお酒なんか飲んでいらっしゃるのですか
と友人が言うと、実は山岳部の懐かしい友人と再会して
久しぶりに昼間から酒の肴をつまみながら
話し込んでしまってねぇ、と頭をかきながら弁解していました。
私は、先生それは一杯食わされたんですねぇとわざとからかうように答えると、
君もなかなか言うねぇ、と笑いながら答えています。
先生は山の話が大好きで、春の日に見る美しい頂上の景色などを
それはもう愛しそうに語るのです。
でも君たちは山男と結婚したらだめだよ、山男には惚れるなよというだろう、
などと取りとめの無い話をしていました。
しばらく話し込んでしまったので、夕方の風に冷たさを感じるようになると、
先生は笑いながら、実はまたこれから別の友達に会いにいくんだよ、と
言いました。
先生飲みすぎないようにね、と友人が言うと、分かってるよ、と言いたそうに
うん、うんと頷きながら左手を振りながら君たちも頑張れよ、と言葉を残して
先生は帰っていきました。
先生が歩く道には桜の花が空から降り注ぎ、先生は一瞬空を仰ぎ見ると、
笑顔で私達の方を振り返り、手を振りながら歩いていきました。
花が風に揺られながら、静かに散り積もっていきました。
日本の季節のなかで、一番美しい季節は桜の頃かもしれませんね。
魔法の鏡
先日、雨の中、ダンスやヨガなどフィットネス時に
姿勢を確認するための大きな鏡を買いに行きました。
取り出して立て掛けてみると、
あら、私いつのまにこんなにほっそりしたのかしらと思い、
もっと食べなければと反省しつつ普段通りに自主練をしていました。
帰ってきた主人に鏡を見せると、
あれ、この鏡、やけに縦に長く見えるなと
言います。
俺、 こんなに足長くないし、君だってすごく長いよ、
これはほんの少し鏡が湾曲してるんだよ、と言うので、
あら、それじゃあ私、不良品を買ってきてしまったのね
と少々がっかりすると、否、これはサービス品だよと主人は笑っています。
どうやら普段より少しだけ素敵に見える自分の姿にご満悦な様子です。
ま、じゃあ落ち込んだりして自信が欲しい時にはこの鏡の前に
立とうかしら、という事で特に返品もしないまま、
魔法の鏡は我が家の一員となりました。
幼い頃から鏡は不思議な存在でした。
母が化粧時に使っていた観音開きの鏡を
彼女のいない時にこっそりとふたを開け、
化粧品のかすかな香りのするその鏡の
両側を少しだけ開いて角度をつけると、
鏡の中にまた鏡があり、不思議な世界が存在しているようでした。
鏡の中に出入り出来たとしたら、そこは一体どんな世界だろう
そんな風に思う人もきっと少なくないと思います。
古代、鏡は占術に使われたという話もありますね。
鏡をモチーフにした児童文学もあります。
『鏡の国のアリス』は丁度主人公と同じ年の頃に読んだので、
本当に好奇心旺盛なアリスの様になりきって読み耽りました。
魔女が鏡を片手に呪文を唱えると変身したりするのも
幼い私の憧れのひとつでした。
少し怖いのは鏡には悪魔の心が存在するという逸話です。
中世ヨーロッパの戒律の厳しい清教徒時代の
自惚れる事への自戒の意味があったのでしょうか。
悪いお后様が、鏡の中の声に惑わされ、
白雪姫を妬むお話などが有名ですね。
昔読んだ古いドイツの童話の中には、
義理の息子の王子を妬むお后が、黄金のりんごを
取って来るまで城に帰ってはいけませんと
意地悪をしかけるというのがありました。
お后様は鏡の前で悪巧みをしたり、
透視をしたりと、もうほとんど人間の域を超えています。
その後立派に黄金のりんごを片手に帰ってくる
王子様を見て驚きのあまりひっくり返って城から落ちる、
という、子供に読ませるには余りにも衝撃的な
(多分夜中眠れなくなるでしょう)話でした。
魔法でも何でも、
使い方を間違えては、いけませんね。
それでも鏡は空と同じぐらい私の大好きな物です。
空と同じ様に、鏡は人の心を映し出し、
又、人に元気を与えてくれるのであれば、
幾つになっても、
魔法の力を信じてみる事も出来るのではないでしょうか。
七夕に寄せて
久しぶりに映画『Star Wars』を家で見ました。
映画が始まる前にいつも出てくる、
それは遥か彼方、遥か昔の・・・という
一文が私はとても好きです。
科学技術や文明が発達し、
今が文明社会最高の時だといくら人間が自負しても、
それは宇宙の歴史では一瞬の点に過ぎないのです。
Star Warsのジェダイ・ナイト伝説もレイア姫も、
オビ・ワンもそしてルークですらも
いつかは姿を変え、語り部達の綴る物語の
断片となっていく。
私達は誰もがどこまでも続くかのような永遠の物語の
端役に過ぎないのです。
空を見上げ、
自身の小ささに気づき、
そしてまた歩き始める
そんな自分でありたいものです。
何億光年もの先、
どこかでかすかな(殆ど聞き取れないような音で)
奏でる天上の音楽が
いつかどこかで私達と出会うことを
いつまでも願っています。
夏の終わりに
今年は我が家の小さな園芸も大きな収穫がありそうです。
梅雨時までは泣かず飛ばずだったへちまも肥料と酷暑のお陰か
こんなに大きな実がふたつほどつきました。
遅れてゴーヤも小さな実がなり始めました。
つるを這わすために軒につるした網の間を
アゲハチョウ達が愉快そうにあたりを何度も飛び回っています。
曇が厚くなり雷が轟いたかと思い一雨くるかと思いきや、
いつも肩透かしで夕焼けと共に静かに一日は暮れていきます。
静かな中に生命力を感じる植物を毎日見ていると
微笑ましく愛らしく、まるで家族の一員であるかの様に
大事に思います。
彼等の大切な生命を大事にしたいものです。
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