Starwars


『スター・ウォーズ』ジェダイと星空を歩く夢想の始まり

今年ほど映画館に足を運ぶ年はないと思っていたが
『スター・ウォーズ』は映画イヤーだった本年を飾るに相応しい作品だった。
エピソード4をテレビで放映していたのを鑑賞後、エピソード5、6とDVDで観続けたら
気がついたら翌日のレイトショーの座席に座っていた。
流行追いを意識しない私にしては珍しい現象だ。
色々と賛否両論が出ているようで、何かと話題性が多いのもいかにもスターウォーズらしい。
私はもし人にどうでしたかと訊かれたら、そうですね、中々良かったですよと答えると思う。
IMAXシアターで観たので、臨場感たっぷりで、スピード感のある本作品に相応しい効果だったと思う。

エピソード4が公開された時、何故か私の父と弟だけが映画館に行き(チケットが当たったのかもしれない)
私は特に反抗もせず、大人しく家にいたのが思い出される。
ETはかなりせがんで観に行ったのに何故だろう。
でもおそらく、ものすごく観に行きたかったのだと思う。今同じ事をされたらライトセーバー(赤)を振り回しそうだ。

スターウォーズはテレビで良く再放送していたから、
テレビから入っていったように思う。
周りの女の子達はスターウォーズと言えば「ハンソロ」に夢中だった。
レイアもルークもすっ飛ばしてとにかく「ハンソロ! ハンソロ!」の大合唱
だから大きな声で言えなかったけれど、私は
ナイーブなルークに密かに想いを寄せていた。

こんな私だから、スターウォーズの評価なんて出来る訳がないし、
今作品が出来るだけ広い層、特に若い世代、スターウォーズを観た事が無い人にも
観てもらえる事が本当に嬉しい事だと心底思う。
ゴージャスな映画を観て、ときめく、こんな単純な行いが
思春期には必要不可欠だし、心地よく現実逃避しながらも
夢を追いかけていく時に感じる暑苦しいまでの情熱を感じて
今を生きていってほしいと思うから。

エピソードの話に戻るけれど、私はエピソード5がとても好きだ。
絶体絶命の中の一筋の光明の様な希望。
ここでルークが大いに悩みぬいたからこそ、エピソード6の軽やかさ
が引き立つ。だから誰がなんと言おうとエピソード5が好きだ。

でもそれってちょっと、例えば『ローリング・ストーンズ』の曲の中で
一番好きなのは、キースの『Happy』ですと言うような、ちょっと
こいつ、ひねくれてるな、とか思われてしまいがちだけれど・・・
意外とそういう人も多いって聞くから、人間ってやっぱり面白い。

家でエピソード6の音声解説をくいいるように見ていて分かったのは
ルーカスがやりたかったことそれは冒険大活劇を作る事だったという事実。
「色々な事を言う人がいるがこれは娯楽映画だ。それ以上でも無く、それ以下でもない」
とあっさり言い切っている。
なるほど。それで冒頭いきなりドロイドが喋り出したり、
魔法の絨毯の様な船に乗っていたり、次から次へと、様々な人種(マペット種?)が
登場を繰り返しているのね。
私は彼の創作されたドロイドではR2D2が一番好きだ。
円筒形の朴訥としたルックス、ピコピコ音、にいつもハートを撃ち抜かれてしまう。

今私は気がつくとキャシー・ダイアーズの本を手にして
その後のルークの幻の姿を追いかけ続けている。
ルークに常に忠実なR2との連携プレーを楽しみながら
ジェダイって本当に飽きないとため息をついている。

もうこうなったら、毒食らわば皿までだ
これで巻き込まれていったハン・ソロの気持ちが
ここでようやく少し実感出来るのかもしれない。
満月、一大叙事詩に想いを馳せて。

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