Maurice


モーリスという生き方

美しい映画を観る時程、極上の気分に浸れる事は早々無い。
何を基準に定義されてしかるべきものだろうか
私は(何度でも言おう)脚本における無駄の無さ、そして俳優の演技力
だと信じて疑わない。
『モーリス』は私に真に美しい世界を見せてくれた
数少ない優れた映画の1つである。

かつての『The Smiths』の『Still ill』のような
青春特有の悩み

「肉体が精神を支配しているのか、精神が肉体を支配しているのか
僕には分からない」

だが、主人公達の苦しみはそれだけではない。
当時の法律では明らかに違法である 同性愛に心底もがき苦しむ

乗り越えた先に見えるものはあるのだろうか。
本当に乗り越える事は可能なのだろうか。


映画冒頭で言うモーリスの言葉
「人間は言葉よりも行動だよ」
に全ては集約されている。
自身のアイデンティティに目覚める前の彼の言葉が、
奇妙にもその後の彼の生き方を示唆している
人というものは、ある種の真実は本能的に感じ取るように
出来ているのかもしれない。

自分自身を正直に表現すれば、失うものが大きすぎるクライブは
モーリスの様な生き方をする事がどうしても出来ない

そしてワーキングクラスであり、捨て身になれる
自由な魂を持つアレックは情熱的にモーリスに全てを捧げる事が出来た。

クライブは夢から覚めて現実に即した生き方へと変わっていく
これには別バージョンがあって
モーリスがもう戻って来ない事を知ったクライブの顔が
ゆっくりと映し出される。
その時の悲しげでみじめな表情は秀逸で
欧米のファンからはクライブ同情論まで出る始末だ。

だがしかし、原作のモーリスにおけるクライブはもっとドライだ。
突然いなくなったモーリスを無礼な奴だと腹立たしく思うだけだ。
原作者のE.M.フォスターは
その他の作品を見ても、容赦の無い所がある。

「夢から覚めた人間は、夢の内容をいつまでも覚えていないものだよ。」
どこからかそんな言葉が聞こえてきそうな気がする。

それがJames Ivoryという優れた監督の手馴れた手腕により、
モーリスとクライブのひとときの春が鮮やかに描かれ
年月を経ても褪せない純化された青春の日々を私たちは
永遠に共有できる。

そしてクライブの繊細な情緒とモーリスのストレートな情熱が
見る者の心を熱くする。

ところで、
ハリウッドに渡ったHugh Grantとは対比的に
英国に留まりその後も静かに活動を続けていた
モーリスを演じたJames Wilbyはどうしているかなと思い
ここしばらく彼の数少ない記事などを読み漁っていた。

彼が久しぶりの舞台に立つきっかけは、
自分の子供の学校で、演技指導をすることになり、
その時に劇の監督を引き受けた事だったそうだ。
彼は今でも職人肌の優れた俳優として
生き続けてくれているようだ。
繊細に台詞を語る彼を見つめる機会が欲しいものだ。

「人間は言葉より行動だよ」
保守的な時代に自我に目覚め独り生き方を貫いたモーリス。
久しぶりの彼等との再会を祝って
祝杯をあげ語り続けよう。
Talk, Talk, Talk.

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