Dream for an insomniac


『モノクロームの夜』アナログ時代の恋のもどかしさ

ついに『モノクロームの夜』を観る事が出来た。
1996年のニューヨーク、不眠症で理想の彼氏を想い描く
女優志望のうら若き女性。イタリア系の家族的なカフェで、おじさんと
ゲイの従兄弟とのんびり働いて暮らしている。
カフェはお客さんよりも風変わりな友人達がソファを占領して
積極的に儲けようといった雰囲気がまるでゼロ。
それでものんびり暮らしていける様な雰囲気
そんなところに、お約束のように、わざとらしいぐらいに、
ある日突然、『理想の彼』がやってくるが
彼には既にガールフレンドが・・・さあどうする?

物語はごく普通の恋愛物で、特に斬新な展開も無く
友達と集まってはトランプしたりとじゃれあっている感じが続く
カフェで、家のダイニングテーブルで、ベッドで
どこでも兎に角、友人同士がつるんでる様子が延々と続く
やたら観念的な話題を口にしたかと思えば
音楽の世界における三位一体論をぶちまけ
U2のボーノ、パールジャムのエディ・ヴェダー、R.E.M.の
マイケル・スタイプ達の名前が挙げられる。
大御所のジャンルの違うフランク・シナトラと共に。
どうのこうの、なんだかんだと頭でっかちな議論をして
彼らは博学であると同時に気楽なボヘミアンだという印象を受ける
こんな感じで本当に一旗あげられるのだろうか。
しかしそんな気だるさ、脱力感満載の空気が心地良いのは何故だろう。

主人公は女優になる為にロスに行くと言ってる割には野心が薄く
始終、好きになった男性との行く末ばかり気にしている
男性もなんとなく意志を最後まではっきりさせない
というか、本人がどうしたいのか、余り良く分かっていない
その間合い、アナログな灰色部分がたまらなく心地よいのだ。

タイトル『Dream for an Insomniac(不眠症患者の夢)』に反して
カフェオレを飲みながらも、白昼夢を描いた映画を観ているようだった。
ニューヨークの小さな舞台で観る台詞中心の演劇を鑑賞したかのようだった。

決して超大作とは言えないこの可愛らしい作品が
何故か心の片隅にいつまでも残るのは
デジタル時代の、白黒くっきり明確な境界線を引いた感覚から
アナログ時代の、灰色の曖昧な感覚を呼び覚まされるからだろう。
携帯電話も、インターネットも、Emailも出てこない。
おそらくごく一部の企業はEmailを使用し始めた頃だと思うが
この話はそういった人達を全く描いていない
携帯電話の無い時代、人の行方を探すときどうしたのか?
電話帳あるいは電報局で大雑把な情報を元に
片っ端から電話をかけ探し続けていたのだ。
この事実を再確認して私は愕然とした。
たった20年前はそうやって人を探していたという事実に。
これは究極のロマン主義ではないか。
このごくささやかな世界で描かれている
たわいない出来事がいつまでも後を引くこの映画は
もう1つの自分の片割れの様な魂を求め
主人公と共に夜の闇を彷徨い始めた頃から
特別な輝きを放ち始める。
その輝きは、恋に落ちた主人公の世界が
色鮮やかな色彩が広がる感覚を
疑似体験してしまいそうになる程、眩い。
これが青春というものかもしれない。

共演者のジェニファー・アニストンと私は同世代だ。
透明感のあるエレガントな人なのにいつもFunnyで
彼女の存在感が、私をいつも励まし続けてくれる

映画のサウンドトラックも中々素敵だ。
90年代を象徴するような美しい曲なので
少し紹介しておきたい。
Eels / Novocaine For The Soul
オープニングでかかり、白々と夜が明ける様子が
素晴らしい。
Aimee Mann / You're with Stupid Now
『愛のVoices』がヒットしたTill Tuesdayの
エイミーマンである。歌は当然ながら上手い。

The Innocence mission / Keeping awake
キューピーのCMにも使用されたInnocence Missonは
カフェっぽい柔らかな空気を提供してくれる

そしてフランク・シナトラ。
ちょっと前、Johnny Marrが
「俺は本当にまじでシナトラが嫌いだ」と発言して
いたらしく、
パンク世代の人にとってシナトラはせいぜい
シド・ヴィシャスの『マイ・ウェイ』かと思うが
でも実は、シナトラの声は結構好きだったりする。
これは音楽好きの中でも好みの分かれ目
繊細な踏み絵部分かもしれない。

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