The Big Bang Theory
ザ・ビッグ・バン・セオリー チャック・ローリーの愛ある反撃
リアルに感じるフィクションには、脚本家の優れた手腕によるところが大きい。
主人公だけでなく、脇役のちょっとした癖など細かいところまでが印象的で
役者がまるで自分の知り合いの一人であるかのような錯覚を起こさせる。
2009年の秋に日本で放送を開始してから現在(2014年)まで、
この作品を見つめ続けているから、ギークな彼等とは
かれこれ5年近い付き合いになる。
しかも脚本家Chuck Lorrieとは、『Dharma and Greg』の頃から
(日本では1999年)になるから、まるで家族の一員も同然だ。
否、あくまでもシットコムというバーチャル・リアリティにおける話ではあるが。
既に過去の話になってしまうが、『Dharma and Greg』が大ヒットしていた
2001年、アメリカでは同時多発テロを引き金にアフガニスタン、イラク戦争へと
シフトしていく中、ただ面白く楽しいだけのコメディ番組は自粛モードになった。
屈託の無い主人公やその両親がヒッピーという設定だった事も拍車がかかり、
キャラクターの性格や筋書きに陰りが差していった。
あれ程無邪気に楽しむことの出来た数多くのコメディが少しずつ影を潜めていった。
今回、The Big Bang Theoryが各国でブレイクし、日本でも再放送が
頻繁に見受けられたことは本当に感慨深い。
全てが全て、両手を挙げて最高だと言うつもりは無い。
そう言うには余りにも長い年月、こうしたコメディーを吟味し続けてしまったからだ。
ただ、コメディの無い世界は、なんて空虚なのだろう。
それはあたかも、孤独な夜の様だ。
いつも当たり前の様に傍にいてくれる人のいない寂しさにも似ている
そうした孤独は、その人が目の前からいなくなったその時、初めて気づくものだ
シェルドンの痛烈な皮肉や、レナードの優柔不断さ、ハワードの気持ち悪さ
奥手すぎるラージ、何度も痛い思いをしても学べないペニー
彼等の平均以下の部分をわざわざ拡張しては私達を和ませ、笑わせてくれる。
これはChuck Lorrieによる長い年月をかけた愛ある反撃なのかもしれない、と思う。
そしていつも思うのは、優れた脚本は新しい宇宙さえも創造する力があるという事だ。
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