小さな哲学~雑想の世界
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 筆者について
仮面をかぶった自分

今日はが、やってくる予定。

本当の友だちってなんですか?

どうしたの?

このごろ、なにが友だちなのか、わからなくなってきて。

イヤなことでもあったの? まぁいいや。友だちってなんだろうね?

自分の悪いところも良いところも、すべて受け入れてくれる人。

そうなの?

だいたい、そんなところ。でも、それが友だちなら、わたしには友だちなんていない。

どうして? 学校にはたくさん同級生がいるでしょ?

同級生はいるけど、ホントウのわたしを知っている人はいないし、ホントウのわたしを受け入れてくれた人もいない。

誰にもホントウの自分を見せることができないんだね。

いつも仮面をかぶっているんだ。

そう。しかもその仮面がたくさん。親と話すときの仮面、先生と話すときの仮面、友だちと話すときの仮面、彼と話すときの仮面‥‥

いったい、いくつの仮面があるの?

自分以外の人の数だけだよね。

自分以外の人だけじゃなくて、自分自身に対する仮面まである気がする。それで‥‥。

ともかく、いつも仮面をとっかえひっかえしていて、仮面の下の素顔は誰にも見せてない。だから、素顔を知っている友だちなんていないってわけだね?

ホントウの自分をかくす「ウソの仮面」だね。

そうだね。自分がホントウに望んでいることとのズレさえウソと言うなら、「ウソ」と言ってもいい。ところで、さん、こんなこと、いつから考えるようになったの?

小学校6年生のときから。ちょっとイジメみたいなことがあって‥‥

そうなの‥‥。でも、さんの言うような仮面なら、ぼくもかぶっていると思う。例えば、ぼくがちょっと苦手としている人(Xさん)と話さなければならない場面。

まず、挨拶をする。これがウソ。ぼくはX氏と挨拶をしたくないのだから。挨拶のときの笑顔もウソ。X氏にスマイルなんてしたくないのだから。X氏の目を見ながら話す。これもまたウソ。X氏の顔など見たくないのだから。「今日は天気がいいですね」などと話す。これもまたまたまたウソ。天気の話などどうでもいいのだから。以下、えんえんとウソの大行進は続く。


でも、それはキライな人と話すときだけじゃない?

そんなことないよ。ウソの仮面は、ていどの差こそあるかもしれないけど、いつもかぶってる。今こうしてキミたちと話しているときもね。

疲れないの?

疲れるときもあるよ。でも、疲れるとわかっていても、つかなきゃならないウソもあるでしょ。ぼくがX氏との会話でつくウソもそう。一人では生きてゆけないのだから、うまく人間関係を築こうと思えば、つかねばならない(ついた方が利口な)ウソもあるんだよ。

さんは、自分自身に対する仮面まであるって言ってたけど‥‥

そうだね。良いことをしなくちゃならないって思っているのに、悪いことをしてしまう場合は、悪いことをしてしまう自分がウソの仮面の自分。良いことなんてしたくないって思っているのに、がまんして良いことをしてしまった場合には、良いことをする自分がウソの仮面の自分。

ぼくのなかにも2人の自分がいて、いつも闘ってる。

どっちにしよう、というカットウとか迷いがあって、どちらかをとった場合には、ある意味、片方にウソをついていることになるんだろうね。

わたしには、いつもカットウがある。

そうだね。人間はいつも心のなかで選択肢をもっていて、どれを選ぼうかといつも考えているから、カットウとか迷いがあるのは当たり前のことだよね。

虫とか魚とかはいいね。そういうカットウがなくって。食べたいものを食べて、休みたいときに休んで‥‥

そういう選択肢の多さが、人間の特徴の一つなのかもしれないね。

とすると、人間はいつもウソの仮面をかぶっているってこと。

かもしれない。少なくともボクはそうだね。

考えすぎなのかな。

そうかもしれない。でも、考えてしまうには、それなりのキッカケがある。イジメは、そのキッカケになりやすい。

どうして?

イジメってのは、ある人にちょっとでもちがうところがあれば、それをターゲット(標的)として起きる場合があるよね。

出る杭は打たれるってやつだね。

そう。イジメっていうのは、それをしたい心理状態の人がいれば、ともかく理由はなんであれ、起きることなんだよ。だから、イジメの “理由” ってのは、いじめた人が自分を正当化するために、後からこじつけたものである場合が多い。

わかる気がする。クラスで力をもっている人がそういう心理状態だと、イジメが起こりやすくなる。しかも、その人にほかのクラスの人たちもしたがうから、イジメの輪はどんどん大きくなる。

そう。イジメはいじめる側の問題なんだ。いじめられる側に理由なんてないんだよ。でもね、いじめられた人は、その後、大人になってからでも、あのとき自分にはどんな過失(かしつ)があったのだろうって、ずっと思い悩む場合が多いんだ

イジメられた経験のある人は、また出る杭になってはいけない、目だってはいけないと思って、ウソの仮面を上手につけられているかどうか、素顔を見られてキラわれないかどうかに過敏になるんだね。

そうだと思う。

いろんな仮面をとっかえひっかえかぶっているのがありのままの自分で、それを知られることは恥ずかしいことでも何でもない、って思えればいいんだけどね。

そうだね。さん、ちょっとは楽になった?

ぜんぜん。

ゲゲッ!

やっと第3章を書くことができました。短編ですが。あとは、最終章の第4章だけです。なお、この章で書いたことは、ぼくが以前にブログで書いた二つの記事(「友だちとは何か?」「つけねばならないウソ」)を参考にしつつ書きました。ひょっとすると、そこの議論の方がわかりやすいかもしれません。よろしければ、そちらも見てください。
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