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哲学科の特徴卒業論文の書き方(先輩の失敗から学ぼう)

まずはじめに、はっきり申し上げておきますが、このページは、「卒業論文でなんとか60点をとりたい」という、極めて志(こころざし)の低い哲学科の学生諸君に、卒論の形式にのみまつわる先輩たちの数々のミステイクを見てもらうことによって支援の手をさしのべ、同時に卒論指導にかかわる私の労を少しでも少なくしようとするためのものです。普通の学生、いわんや鴻鵠の志をもった学生は、こうした先輩たちのご乱行を決して見てはいけません。目の毒です。ちなみに、その先輩たちのなかに私も含まれています。(^^ヾ

卒業論文提出のスケジュール

卒業論文の参考書

(根本的な誤り)

 長ければ長いほどよいと思っている
 
 ちょっとできる人。腕に覚えのある人に多いカンチガイ。学部学生で必要なことを50枚(400字詰め原稿用紙換算。本学の卒論の形式で言えば、25頁)書ける能力のある人はまずないと言ってよい。書く方もしんどいし、読む方もしんどい。百害あって一利なし。書くべきことを40枚(本学の卒論の形式で言えば、20頁)。それでOK。

 
広ければ広いほどよいと思っている
 「広い」というのはテーマのこと。これも、ちょっとできる人にありがちなカンチガイ。哲学の論文の良し悪しは、どれだけ一つのテーマについてしつこく考えているか、どれだけ問いの層が深いか(多層的であるか)にかかっている。テーマを広くし過ぎたら深く掘り下げることはできない。直径の大きな穴と小さな穴、どちらが掘るのに労力がいるか考えればわかるでしょ。ずっと昔、「哲学と宗教」という題の卒論を見たことがある。ビックリ仰天した。

 
手書きにしようとする
 私のゼミでは手書き不可。理由は二つ。一つは読みにくいから。もう一つは、この機会にインターネットの検索とキーボードのブラインドタッチに徹底的に習熟してもらうためだ。ほかのゼミには、ワープロが使えないというすさまじい学生がいまだに生存しているらしい。クワバラ、クワバラ。インターネットやワープロも使いこなせないで、どうやって社会に出るのだろうか?ともかく、論文一本書いて、さっさとブラインドタッチぐらい覚えなさい、ブラインドタッチ。

 
縦書きにしようとする
 これはかなりの暴論かもしれないが、哲学科の学生の場合、横書きで書く方が無難だと思う(漢文の混入する学科の学生は縦書きでなければ無理だろう)。理由はいくつかある。一つは読みやすいということ。もう一つは、縦書きにすると、ワープロ(特に古い型のワープロ専用機)を使って外国語まじりの文章を書く際に、いろいろやっかいな問題が出てくるということ。どのような問題が出てくるかは、書いてみればすぐわかる。

 
「所定の書式」からずれている
 2003年度、私の学生は10人が卒論を提出したが(それも全員、最終日に!)、そのうち、なんと4人が「所定の書式」を逸脱しているとして、教務課から受け取りを拒否されてスゴスゴ戻ってきた(なおかつ、そのうち2人は2回戻ってきた)。ワープロを使用した横書きの所定の書式は、32字25行。「まさかそんな基本的なところでつまずくわけがない」と高をくくっていた私は、何度も原稿のチェックをしながら、文字数や行数は数えることがなかった。2004年度からは、一人一人の論文の各頁の行数と文字数まで数えねばならないのだろうか?

 
プリントアウトできない
 2004年度の卒論提出に際して、私のゼミではこのミスが頻発し、2名が死亡し、数名が重軽傷を負った(要するに、2名出せなかったってことね)。今後このようなミスが出ないよう、ここに書いておく(授業でも散々言ってるんだけどね、ハァ)。この問題には、いくつかのパターンがある。

①それまでプリントアウトをしたことがなく、自分のプリンターの操作の仕方がわからない。
②最後のプリントアウトの直前もしくは最中にプリンターが壊れる。
③最後のプリントアウトの直前にファイルを消去する。
④それまで自宅でプリントアウトしていたが、当日は学校でプリントアウトしようとして、できない。

それぞれについて「ドアホ!」で終わりたいところだが、生来の上品さゆえそういうわけにもいかない。解説および対処法を指示する。

③について。こんなこと起こるはずがないと思っているかもしれないが、30人に1人ぐらいの割合で起こる。卒論提出直前というのは、限界状況。ふだんならやるはずのないわけのわからない操作を寝不足のハラホロ脳みそでやってしまう、ということはままあることなのだ。対処法としては、当たり前だけど、ハードディスクと、必ずもう一つリムーバブルな記憶装置にファイルを残しておくこと。

②について。これも往々にして起こる。もうダメだと思ったら、深追いせず(プリンターをなんとか直そうなんてせず)、指導教授(私)が提出日は個研に待機しているので、そこへ添付ファイルでメールを送りつけたのち、ファイルをもって学校へダッシュすること。

①論外。必ず、何度かプリントアウトしておくこと。

④について。いくつかのパターンがある。基本的な了解として、使い慣れた自前のプリンターでプリントアウトするのが一番だが、それぞれの解説。

ⅰ.自宅のパソコンと学校のパソコンの「ワード」のバージョンが違い、形式が崩れてしまって、パニックになる場合。自分のワードのバージョンが何であるか、学校でプリントアウトしても形式が崩れないか、日頃から確認しておくこと。

ⅱ.自宅のパソコンで使っているフォントのままでは学校のプリンターでプリントアウトできない。なかには、一般的でない特殊なフォント*を使って文章を書いている人がいる(しかも、それに気づいていない!)。それで、当日になって学校のパソコンではそのままではプリントアウトできないことに気づき、パニクッているうちにタイムアウトとなる。これも、学校のパソコンでプリントアウトできるかどうか、日頃から確認しておくこと。

*一般的なフォントとしては、「日本語用のフォント」はMS明朝、「英数字用のフォント」はCenuryにするのがよいと思う。

ⅲ.プリントアウトの順番待ちをしているあいだにタイムアップになる。最終日にプリントアウトする人が殺到するのだから(システム全体への負荷が大きくなって、プリンターの作動スピードも普段より遅くなる。実際、最終日は、プリンターの作動が非常に遅くなったらしい)、こういうことは当然ながらありうる、と考えておかないといけない。

ⅳ.学校のパソコンのアドレスに添付ファイルを送ってプリントアウトするつもりが、アンチウィルスソフトに怪しげなファイルと判断され、削除され、パニクる。今後、このミスは増えると思われる。添付ファイルを送るというのは最終的な手段。できるだけ、リムーバブルなメディアに入れて持ち歩くこと。
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(論文の構成にかかわる誤り)

 
章立てをしない、あるいは章立てを誤っている
 これも多い、というか、こちらの指導なしでしっかりとした章立てができる人の方が珍しい。もちろん、できなくて当たり前なので、そのことを恥じる必要はない。最もスタンダードなものを言えば、おおまかな章立ては、序論→本論→結論、という構成になる。そして本論のなかに章、さらに章のなかに節が入る。これを図示すると、以下のようになる。

序論

(本論)
第1章
    第1節
    第2節
    第3節
第2章
    第1節
    第2節
    第3節
第3章
    第1節
    第2節
    第3節

結論

本論は章立てとして名前をあげる必要はない。序論の次に第1章が来てもよい。序論を「はじめに」、結論を「おわりに」とする人も多い。通常、序論と結論以外には見出し入れる。したがって、通常は以下のような構成になる。


序論

第1章 ○○○○○
    第1節 ○○○○○
    第2節 ○○○○○
    第3節 ○○○○○
第1章 ○○○○○
    第1節 ○○○○○
    第2節 ○○○○○
    第3節 ○○○○○
第3章 ○○○○○
    第1節 ○○○○○
    第2節 ○○○○○
    第3節 ○○○○○

結論

 
目次がない
 これも多い。論文全体の構成を示したものを頁数をつけて、序論の前に挿入すること。目次は以下のようになる。

序論……………………………………○頁

第1章 ○○○○○
    第1節 ○○○○○……………○頁
    第2節 ○○○○○……………○頁
    第3節 ○○○○○……………○頁
第2章 ○○○○○
    第1節 ○○○○○……………○頁
    第2節 ○○○○○……………○頁
    第3節 ○○○○○……………○頁
第3章 ○○○○○
    第1節 ○○○○○……………○頁
    第2節 ○○○○○……………○頁
    第3節 ○○○○○……………○頁

結論……………………………………○頁

テキストおよび参考文献…………… ○頁
注………………………………………○頁

 
序論の書き方を知らない
 序論が何であるかを知らない人は多い。本論が自らのテーマをめぐる遍歴(旅)の道筋を示すものだとすれば、その旅行記を読む人に、自分がどのような旅をするのかをあらかじめ、簡潔かつ明確に告げる部分。1頁でよい(10行ほどでもいい、と個人的には思う)。良い子のみんなは、小学校のとき、家を出るときには、どこに行って、どういう遊びをして、いつ頃帰ってくるのか、を親に説明したでしょ。それと同じ。具体的には、次のようなことを書く。

①自分のテーマは何か
一般的に言って、卒論のテーマは、以下のような疑問文のかたちになる。

○○とは何か?(what)
○○が○○であるのはなぜか?(why)
どのようにして○○は○○なのか?(how)
○○は○○であるか否か?(whether)
○○はいつか?(when)
○○はどこか?(where)
  *哲学科学生の場合、前四者がテーマになる場合が多い。

②なぜそのテーマにするのか。あるいは、そのテーマについて考えることは、どのような意味があるのか(もしあれば)

③それをどのような手順(方法)で考察するのか
(例)哲学者○○の、○○という著作を参考にして

 
結論の書き方を知らない
 結論が何であるかを知らない人も多い。多い間違いは、本論が終わったにもかかわらず、結論で新しい議論を展開しようとする人。結論は、本論の旅路を振り返り、簡潔な言葉でまとめる部分(やはり量は1頁でよい)。行ったことのない旅先のことを書いてはいけない。良い子のみんなは、小学校のとき、外から帰ってきて夕ご飯のときに、どんなことをして遊んでいたかを親に報告したでしょ。それと同じ。なお、はっきりとした結論が出なかった場合には、「結論」ではなく「結論に代えて」を使ってもよい。(「序論」の代わりに「はじめに」、「結論」の代わりに「おわりに」を使う者があるが、ブロークンに過ぎるので学位論文に使うべきではない。)

 
注(註)がない、あるいは注の書き方を誤っている
 注の書き方にははっきりとした約束がなくて、私自身、よくわからなくて頭を悩ますことがある。初めて論文を書く学生であれば、なおさらだろう。ワードの注機能〔メニューバーの「挿入」→「参照」〕を使う場合は、各頁の下に注のつく「脚注」ではなく、全文章の最後にまとめて注がつく「文末脚注」を使うこと。ワードの機能を使わないなら、本文に打った注の数字はポイントを落とす。一例を示せば、以下のようになるだろうか(本文に付される注の数字は上付き4分の1角になるが、ここでは表記できない)。

(本文)
私のゼミでは手書き不可。理由は二つ。一つは読みにくいから。もう一つは、この機会にインターネットの検索とキーボードのブラインドタッチに徹底的に習熟してもらうためだ。ほかのゼミには、ワープロが使えないというすさまじい学生がいまだに生存しているらしい。クワバラ、クワバラ
(1)。インターネット(2)やワープロも使いこなせないで、どうやって社会に出るというのだろうか? ともかく、論文一本書いて、「さっさとブラインドタッチ覚えなさい、ブラインドタッチ」(3)。アッチョンブリケ(4)


(1)桑原、桑原の意味。桑畑には雷が落ちないという言い伝えから、おそろしいことを避けるためにとなえる言葉となった(新村出編『広辞苑』第五版、岩波書店、1998年、805頁)。
(2)「世界規模のコンピューター・ネットワーク」(上掲書、208頁)のこと。*
(3)村山保史『カントにおける認識主観の研究――超越論的主観の生成と構造』、晃洋書房、2003年、24頁。
(4)手塚治虫『ブラックジャック』第3巻、秋田書店、1998年、28頁におけるピノコの発言を参照。

*もちろん、(1)や(2)のような一般常識に類することを注で説明する必要はない(学術論文の注に『広辞苑』の名前をあげることは、まずない)。かえって審査する者の心証を害する可能性がある。実際の論文では、こういう語句説明よりも、(3)や(4)のような、引用ないし参考文献の表示がほとんどになる。

 
テキスト、参考文献の書き方を誤っている
 はっきりしたルールがなく、これも難しい。本当に難しい。テキスト(一次文献)と参考書(二次文献)のスタンダードな表示の仕方については以下のようになる(詳しくは、『ぎりぎり合格への論文マニュアル』の158頁以下を参照)。

執筆者『著書名』、出版社、出版年
執筆者「論文名」、編者、『著書名』、出版社、出版年
執筆者「論文名」、『雑誌名』、巻号、出版機関、出版年

それぞれ具体例を挙げると、次のようになる。

村山保史『カントにおける認識主観の研究』、晃洋書房、2003年
村山保史「ルターとカント」、門脇健 他編、『仏教とキリスト教の対話Ⅲ』、法蔵館、2004年
村山保史「カントのコペルニクス的転回」、『哲學論集』、第45号、大谷大学哲学会、1999年

*なお、頁数を入れたい場合には、出版年の次に入れる(このパターンは、しばしば注において必要になる)。

村山保史『カントにおける認識主観の研究』、晃洋書房、2003年、11頁。
村山保史「ルターとカント」、門脇健 他編、『仏教とキリスト教の対話Ⅲ』、法蔵館、2004年、11頁。
村山保史「カントのコペルニクス的転回」、『哲學論集』、第45号、大谷大学哲学会、1999年、11頁。

なお、文献に関係して、多分、参考にならないと思うが、私の探し方を示しておく。



*私は「他人(ひと)に借りた本でまともな研究はできない」と思っているタイプなので、以上のような図になる。この意味で、卒業論文関係の文献は、入手が困難なものを除いて学生には貸し出さない。経済的な制約があるのがわかるが、一次文献に関しては図書館などで借りるのではなく、必ず購入すること。本が届くのを待ちきれない場合は、専門書の場合は、和書なら、ジュンク堂、丸善書店、旭屋書店、洋書なら、至成堂(大谷大学正門下がる)、丸善書店などで買えばよい。文献を探すのも研究の一環なのだ。二次文献については、“OLISS”の検索から始めればよいだろう。
*付言。“Easy Seek”はすでに閉鎖された。
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(文章を書く際の誤り)

 
口語を混入している
 論文のなかに話し言葉と書き言葉を混在させている人がいる。なかには関西弁を使っている学生さえいる。私の経験では特に大阪人。当たり前か? ともかく、普通、卒論のなかで話し言葉を使用することは、引用箇所以外でではありえない。友だちに話しかけてるんじゃないんだから。なに? 何が話し言葉で何が書き言葉かわからないって? 今年書くのはあきらめなさい!

(例)
いっぱい、たくさん(→多く)、いろいろ(→さまざま)、いっしょに(→ともに)、お年寄り(→老人)、女の子(→少女)、女の人(→女性)、すごい(→とても)、いい(→よい)

(練習問題1) 以下に挙げるのは、とある学生の文章である。ここから口語部分を抜き出しなさい(配点5点)。

「『無知の知』ということを知ったからには、私は、自分が『無知』であることを、ちゃんと認めたいと思うが、ただ自分で『無知』であることを知るのは、なかなか容易なことではないと思うのである。」

 
です・ます調を混入している 
 論文で、です・ます調を使うことは、やはり引用箇所以外でではないと思う。とある年、とある学生がです・ます調とだ・である調の混在した論文の梗概を提出して、問い詰めたら、自信がなくてツッコまれたくないところだけ、です・ます調にして柔らかい感じにしていたとのこと。そんなことをするからツッコまれるのだ。

 
敬語を使用する
 長くファーストフード店でアルバイトをしていた学生の論文に、「お客さま」という表現があって笑ったことがある。これなどはまだかわいらしい例だが、研究対象とする学者や解釈者を(尊敬の意味を込めて)「○○先生」としたり、その発言を「お言葉」などとする文章に出会うと、笑いもひきつる。学問は普遍妥当的であり客観的なもの。学術論文の学問対象に主観的なニュアンスを加えて、読む者に自らの感傷を押し付けてはならない。

例えば、私がカントを研究対象とするとき、「カント先生」や「先生のお言葉」とは(ふざけているとき以外)、言わない。カントに対して和辻哲郎という学者が何かを言っている場合には、「このカントの表現は、和辻によると……」といった具合になる。存命の人物で、どうしても呼び捨てにするのに抵抗がある場合には、ややニュートラルな表現として、○○氏とするのがせいぜいのところだろう。

 
体言止めを多用する
 まったく使ってはいけないということではない。学者のなかにも体言止めを多用する者はいる。ただし、この使用法に習熟していない者が変に使用して、意味を誤解されるような使い方はしてはいけないということ。なに、体言止めの意味がわからないって? 今年書くのはあきらめなさい!(体言止めとは、ほぼ名詞で終わる文章だと思えばよい。)

(例)
①体言止めとは名詞で終わる文章。
②体言止めとは、名詞で終わる文章ってこと。*

*「文章」と「こと」は名詞。
  
(練習問題2) 以下に挙げるのは、さる、たいそう高貴な方のきれのある文章である。この名文から、体言止めを使った部分と口語を使った部分をそれぞれ抜き出しなさい(配点10点)。

「これはまったく使ってはいけないということではない。学者のなかにも体言止めを多用する者はいる。ただし、この使用法に習熟していない者が変に多用して、意味を誤解されるような使い方はしてはいけなということ。なに、体言止の意味がわからないって? 今年書くのはあきらめなさい!」

 
禁則処理をしていない
 これは度を過ぎると、試問にさえ到達せず、提出のときに教務課でひっかかり、せっぱつまっている場合には、命取りとなる。まさか、禁則処理の意味を知らない人はいないよね?

 
文章の書き出しを一文字下げない
 私には理解できないことなのだが、このミスを犯す人は、何度注意してもこのミスを繰り返す。私のゼミでは、自己推薦文や卒論の梗概といったものを卒論の提出の以前に提出してもらい、目を通すことになっている(*2006年度よりやめました)が、この2回で2回とも注意したはずの人が実際の卒論でも同じミスを繰り返す。そしてそうした人はなぜか、恐ろしいことに年々増えてきている。あまりにも恐ろしいので、なぜこのような過ちが繰り返されるのか、分析してみた。分析結果は以下のごとくであった。

①先生のありがたい忠告を、ちっとも聞いていない(50%)。
②メール(やホームページ)の文章作法と論文の文章作法を混同している(40%)。
③ワープロの操作が苦手で、一文字下げることができない(10%)。

 
やたら段落を変える
 これも多い。ひどい人になると一文ずつ段落を変えようとする人がいる。小説じゃないんだから、困ったものだ。段落というのは、いくつかの文章が集まって一つの見解を述べたもの。もちろん一文で見解を述べてしまう場合もあるが、そういうことはそうそうない。したがって、まとまった見解を述べもしないのに段落を変えることは厳禁。

 
句読点の使い方を知らない
 実例をあげて説明する。

①句点を使えない学生。
私のゼミの学生ではまだ見たことがないが、他のゼミの学生のなかには、句点(。)の代わりに読点(、)を使うすさまじい学生がいた。当然、そやつの卒論の文章は一文一文が異様に長く、一頁まるまる一文ということがしばしばあった。そういう作家もいるけど。あっ、カント先生もそうでした。

②読点をまったく使わない学生。
よくいる。読みにくいったらありゃしない。

③読点をやたら使う学生。
これもよくいる。読みにくいったらありゃしない。主語のあと、接続詞のあとには必ず読点を打たねばならないと思っている学生に多い。句読点の打ち方がわからない人は、『レポートの組み立て方』を読みなさい。

(練習問題3) 以下の文章に適切な句読点を挿入し、文章を完成させなさい(配点5点)。 

「これも多いひどい人になると一文ずつ段落を変えようとする人がいる小説じゃないんだから困ったものだ段落というのはいくつかの文章が集まって一つの見解を述べたものもちろん一文で見解を述べてしまう場合もあるがそういうことはそうそうないしたがってまとまった見解を述べもしないのに段落を変えることは厳禁」

 
傍点の打ち方を間違えている
 傍点の書き方、打ち方を知っている人は少ない。傍点には大きく分けて二種類あり、文字の上(ないし横)に「 ・ ・ 」がつくものと、「 、 、」がつくものである。後者は拡大すると涙のような形になっているので、「涙点」とも言う。横書きには、前者、縦書きには後者を使うのが一般的。ワードでの打ち方は、文字選択→右クリック→フォント→傍点→「・」か「、」の選択。

 『』と「」の区別ができない 
 この間違いは多い。いやになるほど多い。両者の使い分けについて、三つのパターンを書いておく。お願いですから、覚えてください(拝)。

①著書名・雑誌名(大学などで出版される紀要類を含む)は『』でくくり、論文名は「」でくくる。*
(例)
村山保史「カントのコペルニクス的転回」、『哲學論集』、第45号、大谷大学哲学会、1999年
*ちなみに、英独仏羅といったヨーロッパ語の引用の場合、著書名・雑誌名はイタリック(斜体)にし、論文名 は “”(ダブルアポ)でくくる(村山の場合)。

②引用に使う場合は、「『』」を用いる。
(例)
「『人間は考える葦である』は、パスカルの言葉だ」と村山先生は言った。
「『足』じゃなくて『葦』だよ」と村山先生は親切に補足した。
 
③ある著書についての研究書などを表示する場合は、致し方ないので、②とは逆の『「」』にする。
(例)
山田弘明『「方法序説」を読む』(『方法序説』はデカルトの著作)

 
平仮名にすべきものを漢字にしている  
 指導しない場合、ほぼ全員がやる。年末年始にせっぱつまった4年生から送られてくる添付ファイルの添削の半分はこれ。こうして毎年、私は新年をパソコンの前で迎える。何を平仮名にするかは学者によって見解が分かれるが、私の独断と偏見を以下に並べ立てておく(『レポートの組み立て方』の222頁も参照のこと)。

①接続詞
従って、故に、並びに、及び、乃至、但し、尚、然し、即ち、又は、といった表現を見ると、何かサバを読んでるのではないか?と疑ってしまう(真宗学科あたりの学生にはごく普通の表現のようであるが)。

②形式名詞 
それ自体は具体的な意味をもたず、他の語句について意味をつけくわえる名詞。「こと」「もの」「とき」「ところ」などがある。これらの語は、具体的な意味をもった名詞的表現なのか、形式名詞としての表現か区別する必要がある(ただし、区別できないものも多い)。

(例)
実質名詞 形式名詞
こと を起こす 授業をさぼることにする
もの 心との関係 男ってものはとかく面倒だ
ところ 私があの人と初めて出会った これから授業をさぼるところ

③可能の意味の助動詞 
「できる」を「出来る」にする人は多いが、古くっさいので、平仮名の方がよい(ただし、名詞化したものについては漢字を使う場合がある。例、「彼は出来がよい」、「突然の出来事」)。また、「できる」(can)の意味の「え(う)る」を「得る」にする人もいるが、これも、「手に入れる」(get)の意味の「得る」と区別するために、平仮名にした方がよい。

④「もつ」 
「持」という漢字は手偏だが、「手で持つ」という意味が薄れて実質的な意味を失い(機能動詞的に)使われている場合は、「もつ」と平仮名にした方がよい。
(例)
彼は重い本を軽々と持ち上げた
彼はなかなか読み取りにくい性格をもっている 

⑤「いう」
「言う」にも、「口で言う」という意味が薄れて実質的な意味を失っている場合がある(しばしば助詞の「と」に付属する)。この場合は、平仮名で書くほうがよい(ただし、この区別はやや上級。面倒臭かったら、「言う」をすべて平仮名にしてもよい)。
(例)
心臓がドキドキ(と)いう
そういうつまらないことを言うな!
プラトンという哲学者(彼は自分を「プラトンの生まれ変わりだ」と言う)
眠いといったらない

⑥「わかる」
「分かる」や「判る」と表記する人もいるが、平仮名の方がよい(特に後者はやめた方いい。何か意図があるのかと勘ぐられる)。

*蛇足ながら言うと、こういう間違いをすでにやってしまっている人は、ワードのメニューバーの「編集」にある、「検索」や「置換」機能を使って直せばいいのですよ。わかりますね。授業で「どんどん置換してください」と言うと、必ず何人かの学生が困惑した顔をする。最初の頃は、「置換とはね……」といちいち説明していたが、今では面倒臭くなって放置することにしている。

 意味不明の言葉を使っている
 曖昧模糊とした言葉を使って、自分と他人を欺いてはならない。

①深い
(例)「彼の思想にはとても深いものがある。」

②魂(たましい)
(例)「私は言いたい。魂のこもった言葉であれば、おのずと生徒にも響くはずである、と。」

③命(いのち)
(例)「彼の言葉には、あの一族が長く引き継いできたいのちが宿っているのだ。」

④心(こころ)
(例)「こころこそ、人間にとってもっとも大切なものである。こころを拠り所として生きるべきである。」

⑤本当の
(例)「あの方は、本当の人間の生き方を背中で示されたのだ。」

*言うまでもなく、以上のような言葉でも、使用せねばならない場合もある。④についてはよほどの考えがあって使用している学者もいるが、意味もわからず使用している者の方が多い。総じて、①②③⑤の語を頻繁に使用する者には学問性が欠如していると判断してよい。

 
人称代名詞について
 いろいろな考え方があるが、一人称単数は「私(わたし)」、一人称複数は「私たち(わたしたち)」ないしは「われわれ」でいいと思う。三人称は彼、彼女、それ。三人称の複数は彼ら、彼女ら、それら。村山は「私」と「われわれ」を使う場合が多い。もちろん、どれを採用するかを一度決めたら、論文内で統一すること。「私たち」と「われわれ」が混在している人は多い。引用文の人称表現は統一したらダメですよ。わかってまちゅね~バブバブ。

 「頁」を「項」としている
 この間違いは恥ずかしい。「頁」は「ぺいじ」と入力して変換すれば出てくるが、本来は「よう」「けつ」と読み、紙一枚を意味する。項は「こう」。別のもの。ちなみに、英語を使うとカッコイイとでも思っているのか(こういうアナクロな人ってホント多いんだよね。えっ、お前だって!?失礼をば)、これを「p.」としたがる者がいるが、恥ずかしいからやめた方がいい。「p.○」は英語やフランス語の“page”の略字。言うまでもないが、略字だからピリオドがつく。そして“page”の略字だから、ピーは必ず小文字。これらの記号は、英語やフランス語の文献を引用する場合にのみ使用すること(ちなみに、ドイツ語は“Seite”の略で、「S.○」と表記する。エスは必ず大文字)。英語やフランス語で論文を書いているわけでもないのに、こっけいでしょ。

以上をまとめると、以下のようになる(さらに詳しいルールについては、『ぎりぎり合格への論文マニュアル』の119頁以下を参照のこと)。

参照文献の言語 ありがちな誤り
日本語* 20頁
20-25頁(複数頁にまたがる場合)
英語・仏語で挙げた表記の仕方すべて
英語・仏語 p.20
pp.20-25(複数頁にまたがる場合)
p20 P20 20p 20P
p.20-25(複数頁にまたがる場合)
独語 S.20
S.20-25
(複数頁にまたがる場合)
s.20
s.20-25
(複数頁にまたがる場合)
*原著が英語やフランス語であっても、和訳されれば、日本語だよ。わかるね。

 引用の仕方を知らない
これも難しい。私自身、論文によって引用のやり方を変えている節がある。それでも、引用の仕方を知らないと、どうどうと盗作をやることになるので注意が必要。念のため書いておくが、発見され次第、盗作には死罪(卒業延期!、懲役六ヶ月と言った方がいいかな?)が申し渡される。「教員が読んでいそうもないマイナーな本や、誰も知らなさそうなホームページの文章であれば大丈夫だ」と思う者があれば、試してみればよい。その同じ本と、ホームページからのプリントアウトが試問会場のテーブルに準備されているのを見て、凍りつくことになる。相手はプロ、要するに、そんな勝ち目のない賭けをせず、以下のようなルールにしたがってどんどん引用をすればよいのだ。引用をすることは、少しも悪いことではないのだから(引用の括弧の使い方については、上述の説明を見ること)。

①文中に「」でくくって引用する場合。
これは引用が3行ぐらいまでの場合。さる、高貴な方の論文から例をあげる。

(例)ルターは愛によって奉仕するキリスト者を説明する際に束縛がないという意味の自由を使うことはないが、残る三つの用法に相当する表現を頻繁に使う。「見よ、このようにして……愛からは無代価で隣人に仕えようとする、自由で自発的で喜ばしい生活が流れ出る」(WA7,36)という表現では、束縛の欠如という用法から第一命題が自由な……

*この際には、引用が「……。」で終わってはならない。つまり、以下のようなものはいけない!

(例)ルターは愛によって奉仕するキリスト者を説明する際に束縛がないという意味の自由を使うことはないが、残る三つの用法に相当する表現を頻繁に使う。「見よ、このようにして……愛からは無代価で隣人に仕えようとする、自由で自発的で喜ばしい生活が流れ出る。」(WA7,36)という表現では、束縛の欠如という用法から第一命題が自由な……

②インデントを使って、独立した引用箇所を作る場合。
これは引用が4 行以上になる場合であり、この際には、上下1行を空けたうえで、引用部分を2文字分下げる(インデントを設定する)。ワードの場合なら、インデントを設定する箇所を選択したうえで、メニューバーの下(文字数表示の左)にある砂時計のような部分を右に移動する。この際は、引用が「……。」で終わってもかまわない。また、引用を「」でくくらなくてもよい。(↓○○○が本文、
○○○が引用文)


*引用元の文章に1文字下がった文章があった場合(例えば、文章の書き出しなど)、それを忠実に反映しなければならない。つまり、最初の部分が引用元では1文字下がっている場合には、論文上では3文字分下がる。


③「」もインデントも使用しない場合。
これは、他者の表現をそのまま借りたわけではないが、例えば段落全体の自分の見解が特定の他者の見解を参考にしたり、それを自分流の表現に言い換えたりしたような場合である。

(例)
ルターは愛によって奉仕するキリスト者を説明する際に束縛がないという意味の自由を使うことはないが、残る三つの用法に相当する表現を頻繁に使う
(1)
    注(1)徳善義和『自由と愛に生きる』、教文館、1996年、25頁参照。  

 
HPからの引用について
 HPからの引用は原則として避けた方がよい。HPやブログに掲載されたネット上の文章は誰でも書けるものであり、クオリティの保障ができないからである。そういう意味で、ネット上のフリー百科事典である『ウィキペディア』などは学術論文に引用してはならない。ネット上の文章をどうしても引用したい場合は、そのサイトの著作権の考え方を知ったうえで、指導教員に相談すること。

 
引用の際の省略の仕方がわからない
 引用の際には省略が必要になる場合がある。省略したことの表示の仕方はいろいろあるが、以下のような簡単な方法を覚えておけばよい。

「ルターは愛によって奉仕するキリスト者を説明する際に束縛がないという意味の自由を使うことはないが、残る三つの用法に相当する表現を頻繁に使う。」
 ↓
「ルターは……残る三つの用法に相当する表現を頻繁に使う。」

*三点リーダー(1マスに三つの点)を二つで、省略のサインにする。

 
主語と述語が対応していない
 これは句読点を打てずにやたら文章が長くなる人に多い。しっかりチェックすること。

(練習問題4) 以下に挙げるのは、とある学生の文章(すべてママ)である。ここから主語に適合しない述語を抜き出し、何とか理解できる文章に修正しなさい(総合問題、配点15点)。

「理性とは、真の満足を得ることはできるが、傾向性からの満足は得ることがなかなかできない。理性とは傾向性を抑えての声であるから真の満足は得ることができるが、たいてい自分が辛い思いをしたり、辛い思いをしてしまうことが生じる。」


お疲れさま。よく読みとおしましたね。これにて、君の論文作成能力は飛躍的に向上し、60点獲得は確実となった──と思ったら大間違いで、この書き方が通用するのは、指導教員が私の場合に限ります。他の教員が指導教員であった場合には……幸運を祈ります。
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